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七話 はぐれ妖精姫

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「貴女は妖精の取り換え子として人間界で育てられた妖精だ」


 妖精の取り換え子の話は古くから伝わっている。妖精が人間の子供を攫い、代わりに妖精の子供を置いていく――極稀にあることで、二百年ほど前にもそれがあった。ただ、これは基本的に平民の間で広まっている話であり、元々妖精の子孫である貴族には関係がない話であるとされている。


「たしかに人に近い姿の妖精ではあるが……それでも耳の形が違うのだから貴女も周りも知っているものなのだとばかり思っていた」

「……私達貴族の祖には妖精が居るとされているの。時々、こういう耳の形で生まれる子も居るから珍しいとは思われても、奇妙に思われることはないわ」


 私は生まれた時からこういう耳だったと聞いている。いや、ティタニアスの言葉が事実ならそれはだということになるけれど。
 妖精の耳を持って生まれたジファールの子供と、妖精の子である私が取り替えられ誰も気づかぬまま二十年の以上の年月を過ごしてしまったというのか。……生まれたばかりの貴族の赤子は、直ぐに母親の手を離れ乳児期を殆ど乳母たにんに世話をされる。髪色が似ていて、何より特徴的な耳が同じなら気づかない可能性はあるかもしれない。


「なるほど。……女王はその辺りも見越して貴女と取り替える子を決めた訳だ。俺が見つけられないように」

「……女王?」

「貴女は妖精女王の子のはずだ。取り替え子に使えるのは己の子だけだからな。……俺への嫌がらせで自分の子を人間界に放り込める精神が理解できない」


 己の子が竜の番であることに気づいた妖精女王は自分の子と人間の子を取り替えて隠した。そうして番を求めて彷徨うティタニアスを見て楽しむような意地の悪さなのだ、と怒りの滲む声で語った彼は私を見てふっと怒りを消し、心配そうに形のいい眉を下げた。その尾もピンと立った状態からくにゃりと萎れてしまう。


「きっと今、貴女はとても不安定だ。信じていたものを揺るがされるというのは、とても辛いことだと思う。……大丈夫か?」

「……分からない。まだ上手く飲み込めなくて……」


 私は人間ではなく妖精で、妖精女王の子。ジファール家の本当の娘は私と入れ替えられて連れ去られている。私の成長が遅いのは人間界で暮らしているからで、子供が成せない体だという人間基準の判断は間違い。……私の家族は本当は別の人間の家族で、私の家族ではない。

(……胸が潰れそう)

 誰かの居場所を奪った形で暮らしていること。そのせいで両親や弟――いや、クロードとリリアンナ、ルディスに苦労をかけてしまっていること。
 本当のジファールの娘であれば社交界で嘲笑の的になることなく、王族との婚姻が整っていたのかもしれない。


「私のせいでこの家の者はとても胸を痛めているのね。どうにか、本当の子供を元に戻して……」

「それは不可能だと思う。……あちらで二十年も生きているのだ、すでに人間ではない」

「それは、どういう……」

「貴方が普通の人間にも視認できるのと反対の理由だ、オフィリア」


 妖精の世界で生き、妖精の食べ物を食べ、それによって体が作られれば元々人間であってもだんだん妖精に近づいていく。二十年も暮らせば体は完全にそちらの物質で出来上がるため、人間には見えない妖精へと変わってしまう。
 逆に妖精の食べ物を口にせず人間として暮らしてきた私の姿は普通の人間に見える。生まれたばかりの妖精の子が初めて口にしたものが人間の世界のものであれば、その子は人間に見えるようになってしまうらしい。それでも妖精の世界のものを口にし続ければまた認識されなくなっていく。……竜の番だから同じように誰にでも見える性質、という訳ではなく育ち方が原因なのだそうだ。


「では……もう、元には戻らないのね。私がその子の居場所を奪ってしまって」

「それは違う。……どちらかと言えば俺のせいだろう。発端は俺に対する嫌がらせだからな」

「……ニアは妖精女王に何かしたの?」

「いいや。……竜が嫌いなだけだろう。俺の前では目を開けることもない」


 竜は妖精の一種ではあるが、しかし女王や王の支配下にない浮いた存在であるという。竜に命令を下せる者などいない。圧倒的に強い“個”を他のすべての妖精を従える女王は気に食わないのではないかとティタニアスは言った。出会った瞬間から嫌われており、私もすでに人間界へ隠されていた。彼自身が女王に対して何かをした訳ではない。


「それは貴方の責任ではないわ」

「ならば、オフィリアのせいでもない。……貴女は自分の力ではどうしようもない運命の渦に巻き込まれただけで、自分を責めるのは間違っていると思うし、そうしないでほしいとも思う」


 揺らめく炎のように色が移り変わる不思議な瞳がその心情を語り掛けるように私を見つめている。ティタニアスが「自分のせいだ」と言い出したのは自責の念に駆られていた私のためなのだろう。波立っていた感情が穏やかになっていく。


「……ありがとう、ニア。私は貴方のそういう所が好きよ」

「……!!」

「貴方はとても真っ直ぐに心を伝えてくれるし、その通りの目をしているもの。……だから安心するのよね」


 私はティタニアスの性格を好ましく感じるし、彼と話していると安心する。息がしやすいとでも表現すればいいだろうか。
 貴族の社会は息苦しいものだ。隙を見せてはならない。少しでも貶められる要因があると、今の私のように嘲笑われて「はぐれ妖精姫」なんて蔑称までつけられてしまう。

(……私は貴族社会のはぐれ者ではなくて……本当は妖精の世界からはぐれていた、というところかしら)

 そう思うと少しだけ気が楽になった。貴族の社会で上手く生きていけない自分に失望していたけれど、そもそも人間ではなかったのだとすれば。……馴染めない理由があったのだと思えば、少しだけ楽だ。


「ニア、一緒に……ニア?」

「……気にしないでくれ」


 気にするなと言われても彼の背で別の生き物かというくらい勢いよく振られている赤紫色に染まった尻尾にはどうしても目がいく。
 振り子の玉を目で追ってしまうように暫くその尾の動きを眺めていたがそれに気づいたらしいティタニアスが自分の尾の先を掴んで背後に隠してしまった。


「……俺の尾はあまり意識して動かせるものではないんだ」


 それはつまり、無意識に感情を表現しているのだろう。恥ずかしい時に顔が赤くなったり、驚いた時に心臓が跳ねたりするように己の意識とは別のところで反射的に動いてしまうものということだ。
 彼の感情をとてもストレートに表現しているのが尻尾ということになる。隠されてしまうととても気になって仕方がない。


「私、貴方のその尾も好きよ。隠されてしまうと少し残念な気持ちになってしまうわ」

「…………俺をからかっていないか?」

「……少しだけ」


 ティタニアスの感情豊かな尾を可愛らしいと思っているし、隠されて残念に思う気持ちも本当だ。ただ、それを口にしたのは彼がどんな反応をするのか気になったからでもある。
 普段なら堪えた言葉だろう。けれど、彼はそれを抑えないでほしいと言ってくれた。本当の私を知りたいと言ってくれた。だから私はそれに応えようと意識を改めているところなのだ。
 

「……オフィリアはそういう風にしている方がいい。今の貴女の明るい顔は俺もす……良いと思う。貴女は恐らく、悪戯好きの風の妖精だろうから」

「そうなの?」

「ああ。羽が生えれば確信が持てるんだがおそらくはな」


 いつか私が妖精として成熟したら羽が生えてくるらしい。種族によってそれぞれ羽の形には特徴があり、風の妖精なら蝶やトンボに似た透明な羽を持つのが一般的なのだとか。

(まだ自分が妖精だという実感はないけれど……本当に羽が生えたなら、そうなのだと思うしかない)

 人間として二十余年を生きてきた。それが突然、実は妖精の取り替え子だから人間ではなく妖精で、本来はこの家の子供ではないと言われても容易に受け入れられるものではない。暫くは心の整理が必要だし、今後どうやって家族に打ち明けるか、そして将来のことももっと考えなければならないだろう。


「ねぇ、ニア。一緒に考えてくれるかしら……私が今後、どうするべきなのか。貴方にしか相談できないから」

「それはもちろん、構わない。……俺は、貴女のためなら助力を惜しまないつもりだ」


 優しく微笑みかけてくれるティタニアスは心底頼もしい。本当に私が妖精であるとするならば、そちらの世界の知識がない私一人では今後の予想など立てられるはずもない。彼に相談しながら出来る限り家族に迷惑をかけないように、私がやれることを探したい。


「良かったら部屋に入らない? 長い話になりそうだもの」

「オフィリアがそう望むなら」


 いままではずっとバルコニーで立ち話をしていた。しかし長い相談に乗ってもらうのに外に立たせたままというのはどうも気が引ける。夜に自室へ異性を招くのは閨への誘いといわれているがそれは貴族の文化であって妖精の文化ではないし、ティタニアスにもそのつもりはないだろう。全く気にしていない様子だ。それでも一応、そういった類の意味がないことは伝えておくべきだろうか。

(……ニアなら、とてもいい反応をしてくれそう)

 こういう、誰かをからかいたくなる気持ちは妖精の性質としてあるものであるならば、私が持っていてもいいものだ。これまでは貴族としてあってはならないものだったがこれからは自分の一部として認めていいのかもしれない。……そういう訳でティタニアスに文化の違いについて話してみたのだけれど。


「何故部屋に招いてから言うんだ……っ」

「ふふ、ごめんなさい。先に言ったらニアは部屋に入ってくれないと思って」

「それは……そうかもしれないが……」

「友人を長い立ち話に付き合わせるのは忍びないもの。……この時間なのでお茶は出せないけれど、せめて座ってくつろいで」


 そうは言ったがふと、部屋にある椅子はすべて背もたれと肘掛がついていることに気が付いた。ティタニアスには大きな羽と尻尾があるのだ。椅子に腰かけるとなると窮屈になってしまう。
 早急に彼専用の背もたれのない椅子を用意するべきだ。……今日はさすがに不可能だけれど。


「どうしましょう……背もたれがあると貴方は座りにくいわよね」

「いや、構わない」


 構わないと言われても客人に不自由な思いはさせたくないものだ。翼や尾があっても楽にできる場所はないか、と部屋を見回した。……ベッドに腰かけるならばそこまで不都合はなさそうに思える。


「ベッドならどうかしら?」

「…………オフィリア。今のは人間の常識に疎い俺でも駄目だと分かる。羽も尾も仕舞えばいいだけの話だ」


 たしかに今のは閨への直接的な誘いと捉えられてもおかしくない言葉だった。真面目な顔と硬い声で怒っているようにも感じられたが、パシパシとふくらはぎの辺りを叩いて軽い音を立てている彼の尻尾は今まで見た中で一番赤みがさしているように思えたのでとても恥ずかしがらせたのではないかと思い直し、素直に謝った。


「ごめんなさい。……できるだけ早く背もたれも肘掛もない、貴方が座りやすい椅子を用意するわ」

「そこまで気にする必要はないが……」

「私がそうしたいだけ。……私、貴方の心が表れている尾を見ていたいの。ニアはあまり顔に出さないんだもの」


 その尻尾にすべての感情が込められるせいなのか、ティタニアスの表情はあまり変わらないのだ。時折優しく笑ってくれる以外は大体真面目に引き締まった顔をしている。そんな顔でいながら尻尾は赤紫に染まっている、なんてこともよくあるので彼の気持ちを理解するならその尾を見るのが一番いい。


「……なら今日はここに座ろう」


 彼はそう言いながら椅子の肘掛に腰を下ろした。彼の尾の方が本来座るべき場所に乗せられ、落ち着きなく尾先が動いている。
 子供の頃にそこに座って品がないと怒られたことを思いだしたが貴族ではない上に人間でもない彼に人間世界の品位など関係ないだろうし、不快感はない。何より私の気持ちを優先しようとしてくれたことへの嬉しさが勝っている。

(思えばニアは最初から……私の心を大事にしてくれているのよね)

 それは妖精が己の性質を守るべきという考えからかもしれないけれど。ティタニアスの前でだけは何も取り繕わないことを許され、そのままの私を受け入れられる。私自身もまた、隠さなければならないと思っていた本当の私を認めることができる。……とても、心が楽でいられる。

(ニアに出会えて本当によかった。……見つけてくれてありがとう)

 私達の関係がこの先どう変わっていくかは分からない。どのような結末を迎えるか想像もつかない。けれど、この出会いにこの先何度も感謝するだろうことだけは間違いないと思えた。

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