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十四話 練習

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「オフィリアが妖精であることを公表しよう。王家にだけ伝えることも考えたけれど……誰の目にも明らかにした方がいいと思う。……君はこの家に罪悪感を抱いているからね」


 私が妖精であることをこのまま伏せておくことはできない。それがクロードの決断だった。ただそれは国のためではなく、私のためにするべきだと彼は考えている。不名誉な二つ名によってジファール家にも不利益をもたらしてしまったことを、家族に迷惑をかけてしまったことを気にし続けていることを指摘されれば否定はできなかった。


「君がはぐれ妖精姫と揶揄されているのは私も知っていたし、噂を耳にする度に辛酸をなめる思いだった。何より傷ついた君の顔を見るのが本当に……だからこそ君の名誉を回復したい」


 朝食の席で語られたそれが父の想いである。はぐれ妖精姫というその二つ名が。その衝撃で今までのすべてを塗り替え、オフィリアは妖精として妖精の世界へ帰るべきだと主張する。そうして自然と私が妖精界へ――つまりティタニアスに嫁げるよう体裁を整えたい。そういう作戦だ。


「我が家でオフィリアの回復を喜ぶパーティーを開き、その場で発表する」

「まあ。ではその準備は私の仕事ですね。ふふ、腕の見せ所だわ。オフィリアがとても美しい妖精姫だと知らしめてあげなくてはいけません」


 社交場を整えるのは女主人の仕事だ。リリアンナはとても張り切った様子を見せている。両親ともに私が揶揄されている状態を快く思っていなかったというのがはっきりと伝わってきた。
 私はジファールの名を傷付けてしまっていることに罪悪感を持っていたが両親は私が傷つくことに憤りを感じていたのだ。これはそのどちらも回復することができる絶好の機会である。……かなり注目を集めることになるだろうけれど、私も覚悟を決めた。


「姉上の美しさに目がくらんで妙な考えを起こす不埒者が居ないといいのですが……」

「ルディスは心配症ね。けれど、ありがとう」


 相変わらず姉想いの弟が眉を下げながら気遣うような視線を向けてくる。しかし妖精は信仰対象であり、崇める存在である。私は貴族の一員とはいえそれになってしまった訳だから、羽のある私の姿を見て大きな態度を取る者は流石にいないだろう。それがまともな貴族の感覚だ。


「オフィリアのドレスも新調しなくてはと思うのだけれど……もしかして妖精が作りたがるかしら」

「……分かりません。尋ねてみます」


 私の背丈が随分と変わってしまい、背中に羽もあるため現在持っているドレスに着られるものはない。一から仕立てるならそれなりに時間が必要となるが、もし妖精が作るとするならばまた話が変わってくる。
 私が妖精として成人して以降、様々な服が家の妖精の手によって運ばれてきているのだ。どれも私に合わせて作られたもので、どうやら機織りの妖精がはりきっているらしいことは家の妖精から聞いている。
 機織りの妖精はドレスも作りたがるかもしれない。せっかく意思の疎通が取れるので尋ねてみるべきだろう。


「ニア君にはついては……彼が人前に出るのを嫌がるだろう? 婚約発表はできないかな」


 貴族の婚約は人を集めたパーティーで行われるものだ。婚約する両名が大勢の貴族の前に立ち、めでたく婚約が整ったと発表される。ただ、ティタニアスは竜である自分を晒すことを好まない。種族を知られたがらない。そんな彼をその場に引っ張り出すのは酷だろう。そして何より。


「お父様、気が早いです。確かに婚姻を前提としたお付き合いですしけれど……ニアはとても、その辺りの気が長い御方なのですから。婚約発表なんて言ったら“まだ早い”と言われそうです」

「はは、そうだね。ニア君はそういう妖精だったね」


 初心で硬派で堅物の竜、それがティタニアスという妖精だ。婚約発表をしましょうと言えばほぼ確実に「まだ早い」という返答が返ってくる。
 貴族の感覚では結婚を前提としていればもう“婚約”となるのだろうが、妖精のティタニアスは違う。もっと恋人として仲を深めてからでないと結婚なんて程遠いもので、下手をすれば数年の時間がかかりそうだと感じる。それを縮められるかどうかは私の努力次第、というところか。


「なら今回はオフィリアの快気祝いの宴のみだね。ニア君が出席しないならエスコート役はルディスかな」

「あと何度姉上のエスコートができるか分かりませんし、是非僕にお任せください」

「まあ。いつまでも姉離れのできない子ね」


 私が妖精であることを明かしてからも家族のこの温かな空気が変わることはなかった。あまりにもすんなりと受け入れられていることに驚くと同時に深く感謝する。
 そしてふと、この場にいるはずだったジファールの子――私と入れ替えられた子のことを考えてしまう。彼女はどうしているのだろう。両親や弟は、その子に会いたいとは思わないのだろうか。

(……けれどこれは今尋ねるべきことではないわ。この温かい空気を壊してしまいそう)

 いつか、尋ねる機会があるだろう。もし彼らが会いたいと願うなら、私はそれを叶える努力を惜しまない。そして私自身もその子に、会ってみたい。

 そんな和やかな朝食を終えたら、私は厨房へ入る。午前中は料理を教わり、午後になれば家族公認となったティタニアスが訪れるので私の作った物を食べてもらう。それが日常の風景となりつつあった。


「オフィリア様。今日もよろしくお願いいたします」

「ええ、こちらこそ」


 最近は使用人たちの目がとてつもなく輝いて見える。それはやはり私の背中にある羽のせいなのだろう。妖精に対する憧れや崇拝する気持ちはララダナク国民の誰しもが少なからず持っているもの。しかし基本的に妖精は見えない存在だ。
 それが目の前に居て、会話ができるとなれば心酔に近い状態になってもおかしくはない。むしろ態度を変えないでいてくれる家族の方が珍しいのだ。……家族から急にこのような態度を取られたら間にある壁に寂しさを覚えたに違いない。


「それでは今日は卵の菓子にいたしましょう。カスタードプディングと申しまして……」


 作るものの調理手順を一通り聞いてから実際に指導を受けつつ作っていく。今回作ったものは完成の後しばらく熱を冷ます必要があるらしいが、ティタニアスが来る頃には丁度良く冷めていることだろう。


「今日もたくさんできたわね。五つ残して、あとは皆で食べてもらえるかしら」

「ありがとうございます……!!」


 私と家族、ティタニアスの合わせて五人分あればあとは使用人たちで分けてもらうようにしているのだがその喜び様が尋常ではない。
 ティタニアスによると私は常に生命力の篭った特殊な妖精の粉を辺りに散らしているらしい。そんな状態で料理を行えば、その粉の成分が混じって料理の栄養とは別の力が加わる。出来の良し悪しに関わらず力が満ち、体の調子が良くなるいわば万能薬のような料理になってしまう。そしてそれはどうやら“美味しい”と感じるものであるようなのだ。
 余った分は使用人たちの間で争奪戦が行われているとも聞くがとても喜ばれているのはたしかなので、そのまま知らぬ存ぜぬを通している。


 その日、昼過ぎにやってきたティタニアスにも今日作った菓子を食べてもらった。柔らかく滑らかな生地と優しい甘みがお気に召したらしいことは、横目で確認した機嫌のいい尻尾から伝わってきたので私も満足だ。
 こうして明るいうちから自分の部屋にティタニアスを招けるようになって、共に過ごす時間が増えたためか一日の終わりには驚くほど満ち足りた気持ちで眠ることが出来ている。しかしそんな時間の使い方ができるのは、もうしばらくの間だけになるだろう。


「ニア、実はね。私が妖精であることを近いうちに公表することになる予定なのだけど」

「……それは何か問題になるのか?」

「いいえ。ただ、社交場に戻ることになれば貴方とゆっくり過ごす時間が減るかもしれないわ」


 そう言った途端、ティタニアスの尻尾が見るからに元気を失くした。本当に分かりやすい尻尾である。
 私が妖精であると社交界に周知すればまた大量の招待状が届き、そしてお茶会を開いてほしいという手紙も送られてくるだろう。妖精である私ならすべてを拒絶したところで失礼には当たらないだろうが、これまで迷惑をかけてきたジファール家に重要な繋がりを作るためにはやはり参加するべきだと思っている。


「いつか家を出て貴方と婚姻するのだから……それまでに、この家でできる仕事をやっていこうと思うの」

「……そうか。俺にできることがあればいつでも言ってほしい。……だがしかし、やはり少し寂しいな。最近はオフィリアと過ごす時間が増えたので余計にそう思う」


 しゅんと項垂れた尻尾と共にそういう事を言うからこの竜はとても可愛らしいのだ。もういっそ一緒に暮らしましょうかと口から出そうになる。絶対にまだ早いと返ってくるのでやめておくけれど。


「ねぇ、ニア。以前……妖精の感謝祭で踊ってほしいってお願いしたこと、覚えてる?」

「ああ。……そのために貴女に踊り方を教わったからな」

「そのお祭り、来週なの。一緒に出掛けましょう?」


 妖精の感謝祭は妖精のための催しだ。それまでに私の妖精としてのお披露目パーティーは準備できない。家族は三人とも王城で開かれるパーティーに出席するだろう。その日、私の身は一日自由なのだ。
 その時間をティタニアスと共に過ごしたい。街は妖精の仮装をした人で溢れているのだから、私たちが紛れても何も問題にはならない。私たちのことは皆、妖精の仮装をした人間だと思うはずだ。そう伝えればティタニアスも笑ってくれた。


「オフィリアと一日過ごせるのは……嬉しい。とても楽しみだ」

「ふふ……ええ、楽しみね。街では様々な料理が振舞われるはずだからそれも楽しいはずよ」

「そうか。……しかしやはり、貴女と長い時間を共に過ごせることが一番楽しみだ」


 それは私も楽しみにしている。ティタニアスの手に自分の手を重ねた。視界の端で驚いたようにピンと立つ尻尾がその勢いのあまり風を切る音が聞こえる。
 手に触れるのは早くない、と言ったのに彼から私に触れることはほとんどない。この調子では抱きしめてもらうまで本当に三年かかりそうなので、私から距離を詰めようとしているところなのだ。


「感謝祭で一緒に踊ってくださる?」

「…………勿論だ」

「……ダンスの練習だけではなく、手に触れる練習も必要かしら?」


 私の妖精としての性質、本能が心の中で甘い言葉を囁く。ティタニアスも自分のことはいくらでも驚かせていいと言ってくれているし、私は彼の前で自分のそれを抑える気がない。
 触れていたティタニアスの大きな手の、黒い爪の先をちょこんとつつく。そのまま指先から手の甲、手首へと中指だけでゆっくりなぞってみたら背後からダンッと大きな音がした。彼の尻尾が思いっきり床を叩いたようだ。絨毯の上だというのに随分大きな音だった。


「オフィリア…………そのくらいで許してくれ……」

「ええ、じゃあ今日はこのくらいで」

「……まさか明日もするつもりか」

「さあ、どうしましょう」


 普段はあまり表情の変わらないティタニアスの珍しい困り顔に小さく笑いながら指を離した。彼の尻尾はすっかり赤く染まってしまっている。決して嫌がられている訳ではないのはその色から判断できた。


「……ただ、普通に手を重ねるだけではだめか?」

「いいえ。……とても嬉しいわ」


 壊れ物でも扱うかのように優しく手を握られた。彼の手は相変わらずとても熱を持っていて、秋へと変わりつつある空気の中でとても心地よい。冬になればこの温かさを更に心地よく感じるだろうか。ティタニアスと過ごす先の時間を想うほど、胸の内には幸福が満ちていった。


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