第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から

49.紫鷹 引き戻せないほど強く

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「日向、日向!」

深夜。腕の中の小さな体が突然ぶるぶると震えだした。
足が痛むのかと擦ってやるが、うなされて、悲鳴を上げる。
熱は下がったのに、ひどい汗をかいていて、呼吸がどんどんおかしくなっていった。

何度も名前を呼んで、引き戻す。

「し、おう、」
「ああ、俺だ。わかるな。うなされてたぞ。嫌な夢でも見たか、」
「ゆ、め、」

言葉を紡ぎ、こちらを向くが、焦点が合わず、すぐに視線が揺れる。
駆け寄る水蛟(みずち)と畝見(うなみ)を制して、肩をなで、名前を繰り返し呼んだ。


「日向、息を吐け。ゆっくりだ。」

言いながら、小さな体を起こして腕に抱く。
体を動かしても、痛みに跳ねるようなことはないから、足は大丈夫だろう。

熱を出してから7日、隠れ家に帰れない日向に寄り添う形で、夜は同じベッドに入った。
初めの3日は熱でぐったりと眠った。熱が下がってからは、時々うなされるようになって、夜中に何度か起こしては抱きしめてやっている。
寝言から、悪い夢を見ているのだろうと、思った。

離宮に来てから今日まで、日向は眠れないことはあっても、夢でうなされるようなことはほとんどなかったと聞いている。
それが、この2日間は、こちらが眠れないほどに、何度もうなされていた。
俺の体を案じて、侍女たちは代わると申し出るが、離れたところで、俺が眠れない。

日向を一人、夢の中に置いておくことがどうしてもできなかった。

「し、おう、」
「うん、わかるか?」

今夜何度目とも知れず、日向を腕の中に抱いているが、震えが一向に収まらない。
つい一刻前なら、すぐに落ち着いてまた眠りについたというのに。

「し、おう、」
「日向?」

俺の名前を繰り返す声がうつろだった。
寒気がして、こちらを向かせるが、やはり視線が合わない。



「くら、はゆめ?」



問いかけのような、うわごとのような、小さな声。
くら、と聞いて眉根を寄せた。
日向が知っている蔵など、一つしか思い当たらない。

「…ああ、夢だ。ここは日向の部屋。わかるか、」
「しょうぶは、おわり?」
「…誰もしてない。ここではしてない。日向、大丈夫だから、」
「おぼろが、いった、」
「日向、そんな奴はいない。俺を見ろ、」
「しょうぶ、あし、こわしたら、おわり。ごきって、なるよ。ぶらん、ってなる、まで、」
「日向!大丈夫だから。」

大きくなる声に、日向の肩がびくっと跳ねる。
強引に、日向の顔を俺の方へ向き直させた。水色の瞳が泳いで顔を逸らすが、させない。

「俺を見ろ、」

日向を現実に引き戻す方法が、他には思いつかなかった。

「し、おう、」
「うん、俺だ。頼むから、俺を見てくれ。」

俺を見ているようで、見ていない。
名前を呼ぶくせに、夢の中にとらわれているのがわかった。



「おぼろ、が、」



朧。
その名を口にさせたくなくて、日向の唇を奪った。
小さな体が跳ねて、離れていこうとするのを、必死でつなぎとめる。

「日向、頼むから、戻ってこい、」

息継ぎの合間に何度も懇願した。
お前の従兄弟たちは、ここにはいない。
ここは、お前がいた蔵じゃない。
誰も、お前をただの玩具みたいに壊したりしない。

抵抗する腕をからめとって、震える肩ごと強く抱いた。
逃げる頭を押さえつけて、言葉が出ないように舌でからめとる。
小さな体が震えて、怖がっているのがわかった。それでも、手放せば戻ってこない気がしたから、離せなかった。

頼む。
戻ってこい。
怖い世界にとらわれないでくれ。
一人だけで苦しまないでくれ。


少しずつ抵抗が小さくなって、くたりと体から力が抜けるまで離さなかった。
震えは収まらない。けれど、視線が、こちらを向いている。

「し、おう、」
「ちゃんと俺を見てるか。」
「みる、」

ボロボロと、日向の頬に雫が落ちていく。
日向が手を伸ばして、俺の頬を撫でて初めて、それが自分の涙だと気づいた。

「…足、痛むか、」
「いたい、」
「どこが痛い、」
「左は、ぜんぶ。右は、足首、」
「何で泣くんだ、痛みか?怖いのか?」
「泣く、は、しおう、」
「お前が泣くから、泣いてるんだよ、」

日向は泣いてない。泣いてるのは俺で、日向はずっと俺の涙をぬぐってる。
支離滅裂だな、と頭の片隅で思った。
水色の瞳が、ぼんやりと俺の泣き顔を見ている。

「すみれ、が見たい、」
「菫?…廊下の絵か?」

たしか、散歩の途中で、廊下の壁にかけられた絵を見たと話していた。絵に描かれた菫の花が、母上の名前だと知り、俺の名前が紫だとわかったと、わざわざ俺の部屋まで来て話していた。

「菫の絵を見に行きたいのか?」
「すみれ、が見たい。庭にさく、ってすみれこさまが、言った。すみれは、絵だけど、ちがう。すみれ、が見たい、」
「ひ、な、」
「ろうか、の絵が、ぜんぶ見たい。すみれこさま、のお仕事のへや、も見たい。あおじのお家が、みたい。あおじが来たら、会いにいきたい。しおうも、とやも、すみれこさま、も会いに、行きたい、」
「全部、見られるから。見たければ連れてく。会いたければ、会いにくればいい、萩花も東もいるだろ、」
「僕が、」


自分で、行きたい。


最後まで言わなかったけれど、わかった。
日向が何を楽しいと感じているか、何を幸せだと感じているか、俺は、いつだってそれが一番知りたい。
だから、日向が俺たちのことをよく見ているように、俺だってお前を見てた。


菫の花のことを、俺の名前のことを、嬉しそうに話すのが嬉しかった。
会いたいと、会いに来てくれるのが嬉しかった。
侍女や護衛たちを急かして、一日に何度も何度も散歩に出るのが嬉しかった。

自分の足で歩いて、自分の目で見て、考えて、わかって、話してくれる姿が幸せそうで、俺も幸せだった。

だから、わかるんだよ。


「しおうが泣くは、僕のせい?」
「そう、お前が悲しいのが悲しい。お前が歩けなくて苦しんでるのが、苦しい。お前が痛いと、俺も痛い、」
「ごめん、ね、」
「だけど、お前が何が怖いのか分からないのが、もっと怖い。だから、頼むから、一人で泣いたり、怖がるな。俺のとこに持ってこい。わかるか、」
「わかる、」

水色の瞳が、ちゃんと俺を見ていた。
その瞳に吸い込まれるように唇を重ねると、受け入れられたのがわかった。
唇を離せば、俺がいつもするように、日向が俺の涙を小さな口ですくう。背中をなでる温もりを感じた。

「足は、小栗が一生懸命、良くなる方法を考えてる、」
「うん、」
「俺も一緒にやるから、あきらめないでくれ。」
「うん、」
「時間はかかるけど、一緒にいるからな。行きたいところは、連れてく。知らないことも、もっとたくさん見つけて、わかるようになろう。日向のわかったが聞きたい。聞かせてくれ。会いたいときは、おいで。萩花でも東でも畝見でも官兵でも使っていいから来い。」
「うん、」
「ちゃんと、日向が自分で歩けるように、俺もあきらめないから。」
「うん、」


ぐちゃぐちゃの俺の顔に日向が何度もキスを振らせて、背中をなでる。
ようやく涙が止まって、小さな肩に顔をうずめていたら、日向がまた「すみれが見たい」とつぶやいた。

日向の上着を持ってきた水蛟の顔が膨れていた。たぶん、泣いたのと、怒ったのと、いろいろだろう。俺にはタオルを放ってきたが、不敬だとは言わないでおいた。

畝見が静かに扉を開けて待っている。
日向を腕に抱いて、俺の上着で覆い、まだ暗い廊下を歩いた。
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