第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅱ:つながる魔法

111.藤夜 友人は王子の馬と机と抱き枕

「しおう、きゅうけい?」


土の上で汚れるのも構わず仰向けになった紫鷹を見て、ひながコロコロと笑う。

見ると、楽しそうなひなとは反対に、倒れた皇子は汗だくで息も絶え絶えという感じだ。
まあ、ひながあまりに目ざとくクモの巣を見つけるから、皇子様は休む暇はなかったもんな。足場の悪い森の中をひなを背に乗せて走り放しだったから、ついにばてたか。

「お腹、いいね、」
「俺の腹は机じゃないぞ、」
「ちょうど、いい、」
「…まあいいよ。俺は休憩するから、記録よろしく、」
「わかった、」

抗議する紫鷹の腹を、ひなは嬉しそうに机代わりにして記録を取り始めた。楽しくてたまらないと言った様子でぴょんぴょんと体が跳ねるから、紫鷹の口からは時々うめき声が漏れる。

少し離れた位置で、目撃した学生が驚愕の声を上げているのが聞こえた。
帝国の皇子が、属国の小さな王子に馬のように走らされたあげく、良いように使われているのだから、そりゃあ驚くだろう。

「…お前、皇子の威厳がどんどんなくなってないか、」
「知るか。俺は今は休みたい、」

興味なさげに言うなら、その顔は何だ、と呆れた。
ひなたの机になるのを、まんざらでもないと思っているだろう。





ひなの二度目の生態学の演習だ。
学院の裏の森で区画を区切ってクモの巣を探し、その分布と特徴を記録する。クモの種類から、巣の形状、その特徴、巣を張った場所、周辺の環境、巣に捕らえられた獲物の様――、ひなが巣を見つけて紫鷹を走らせ、その一つ一つをひなの大きめの手帳に記していく。

これで22枚目のクモの巣か。

改めて探すとなると難しいと、この2時間弱の間に実感した。
森の中で木漏れ日に照らされたクモの巣は、光を反射して溶けてしまうから、肉眼で見つけるより先に顔や腕にクモの巣を巻き付けた者も少なくない。実地観察の難しさを教える目的もあると教授が話していた意味がよく分かった。

が、どうやらこれがひなには通用しない。
他の学生たちが、片手の指で数えられるほどしか見つけられず苦労している間に、あっという間に両手足を超える数を見つけてしまった。

「こんなに小さい巣を、よく見つけるね、」
「小さいは、良くない?」
「良くないことはないよ。大きさの違いも含めて観察するのが今日の課題だと、教授は言っただろう?」
「うん、」

見つけられたひなはすごい、と褒めて頭をなでると、また小さな体がぴょんと跳ねる。その分、押しつぶされた机が呻いた。

「しおう、お腹、動かない、」
「…俺の休憩より机が大事か、」
「しおう、お腹、」

叱られて不貞腐れた紫鷹に笑う。
ひなの表情はすでに真剣なものに変わっていて、手帳に文字を連ねていたから、紫鷹を挟んで向かいに腰を下ろし、俺も自分の手帳を開いた。

ひなの目敏さのおかげで俺の手帳にも、クモの巣が順調に増えている。ひなのための演習だから成績は二の次だったが、むしろ優秀な成績を残せるのではないかとさえ思えて有難かった。
紫鷹は記録はひなに任せるつもりらしいが、俺は自分の単位は自分で取りに行かねばならないから助かる。


「とやの、きれい、」


机の上に身を乗り出したひなが俺の手元を覗き込んで感心したように言った。

「くもの巣、なんで、上手に書く?」
「上手かな、」
「上手、いい。あじろみたい、」

瞳をキラキラさせて言われれば、俺だって悪い気はしない。

「一部分に注目して描き始めるんじゃなくて、全体を良く観察するといいんじゃないかな。最初から線を迷いなく書ける人もいるけど、俺は絵は得意ではないから、先に点を打って、全体像を決めてから描くようにしているよ、」
「てん、」
「そう、あの巣は五角形だろう?だから、一番外の角と中央に点を打ってから、点と点を結ぶように線を引くかな。…こんな風に、」
「巣になった、」
「やってごらん、」
「やる、」

ぴょんと跳ねて、ひなが手帳に飛びつくと、また机が少し呻いた。
ちらりと視線をやると、少し恨めしそうな紫色がこちらを見ていたが、威厳は要らないらしいから、放っておく。ひなの机代わりを喜ぶ変態は、もうそのままでいればいい。

ひなも机のうめき声は気にならないようで、言われた通りに点を打って線を紡いだ。鉛筆を握る右手は少し震えるから線はガタガタと揺れたが、それでも五角形になったのが、ひなにはよほど嬉しかったらしい。
ぱっと上げた顔が、興奮で紅潮していた。

「でき、た、」
「うん、上手だ、」
「もっと上手は、どうする?」
「近くでよく観察して、どんな特徴があるのか見てごらん。その特徴を一つずつ付け加えていこう、」
「わかった!」

ぴょんと立ち上がったひなが、遠巻きに見守っていた東(あずま)へと駆けていく。
こちらを見た東に頷いてやると、次の瞬間には、ひなを片手で抱き上げて跳躍していた。すぐに頭上からひなのきゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえて、流石だな、と感心する。


「お前が走らなくても、東に任せれば良かったんじゃないの、」
「…俺もあれくらいできる、」


クモの巣にほど近い木の枝に腰を下ろす二人を見上げて笑うと、机がのそりと動き出して悔しげに言った。
ひなを背中に乗せて走りまわるだけで消耗していた男がよく言う。

「ひなを抱えて登るのは無理だろ、」
「…お前だって無理だろ、」
「できないことはないけど、東に任せた方が安心だよ。草相手に張り合おうとは思わない。」

一つ年下のひなの護衛は、草の出身だ。
生まれた時から要人を守るべく育てられたのだから、俺達とは鍛え方が違う。比べたところとでどうしようもないのだが、それでもこの皇子は嫉妬するから、呆れた。

まあ、仕方ないか。
ずいぶんと楽しそうに笑う声が頭上から聞こえる。


「今日のひなは、よく笑うな、」


学院に向かう馬車の中でも、紫鷹が抱き留めなければ外に飛び出してしまうのではないかと思うほど、ひなははしゃいでいた。学院に着いてからも、目につくものすべてに興奮して、驚いたり感心したりと忙しい。
小さなことにコロコロと笑って、ずっと機嫌が良かった。

その一方で、友人がどこか不安げなのには気づいているが。


「無理をしている気がして、心配になる。…やはり、早まったのじゃないか、」


まだ言うか、と呆れた。
ひなを学院に通うわせるかどうかは、董子殿下も含め、皆で散々検討しただろう。
その上で、お前も納得して決めたことだ。

第一、ひなを外の世界に連れ出したがったのはお前だ。

ただ、ひなが笑顔の裏で何かを葛藤しているのは、俺も分かる。

「ひなの中に急激に色々なものが入り込んでいるんだろう。ひなが処理しきれないのは無理もないと思うが、」
「…だよなあ。だけど、日向が自覚できているのかさえ分からないから、余計に不安になる。」

頭上の笑い声を見上げた友が、極限まで眉を下げるのを見た。

「あいつ、勉強の時間も鍛錬の量も格段に増えてる、」

「さっきもすごかったな。帝国史、よほど萩花(はぎな)と予習したんだろ。まさか質問まで用意しているとは思わなかったから驚いた、」
「…萩花がある程度抑えてくれてるんだけどな。あんまり抑えると今度は眠らなくなるから困る。熱が出るのは、体がついていかないせいだろうに、やらない方が不安になるらしい、」

はじめて学院に登校した日から一週間、ひなは夕方になると熱を出すのを繰り返している。小栗がいくら調べて何も出ずやはり疲れだろうと言うから、見守るしかなかった。

今朝も、紫鷹はひなを休ませたかったのだろう。
けれど、紫鷹が起きるとひなはすでに服を着替えて、学院用の鞄を下げて待っていたと言うから、休めとは言えなかったらしい。

「あいつ、俺に気配を悟られずに起きるのが上手くなってて、困る、」
「ひなだからなあ、」
「耳が良いのも何なんだ。…噂まで聞いてるとは思わなかった、」
「分かるだろ、」
「分かるけど、できることなら聞いてほしくなかった、」

ひなの育ってきた環境がそうさせる。気配を消し、耳を澄まし、目を凝らさなければ、ひなは生きてこられなかった。
もうこればかりは、どうしようもない。

「そういう噂も含めて、ひなの中にいろんなものが入ってきているんだろう。…それでもひなは、よくやってると思うよ、」

分かってる、と苦々しくつぶやくと同時に、樹上から「殿下、」と呼ぶ声がした。
見上げると、東の腕の中でひながくたりと力尽きている。

「寝たか、」
「はい、急に、」
「降りれるか、」
「先に手帳を落としますので受け取っていただけますか、」

紫鷹の代わりに頷いて、ひなの手帳と筆記具を受け取る。
遅れて東がひなを大事そうに抱えて降りて来た。


「…午後の授業は、休ませるか、」


完全に寝落ちたひなを受け取った紫鷹が、泣き出しそうな表情でつぶやく。
不安に駆られるのは分かるが、承諾しかねた。
たった今、抑えすぎるとひなは眠らなくなるのだと、自分で言っただろう。

「お前が決めるなよ。ちゃんとひなの意思を聞け、」
「だけど、日向は大丈夫だと言うだろ。日向が無理をする前に止めるのも俺の役目だ、」
「…それでもひなの意思を聞け、」

ちょうど演習も終わる時間だ。午前中、ひなはよく頑張っていた。
それは、ひながそう望んでいるからだ。

不安は分かる。
ひなが自分自身で限界を判断できないから、周りが抑えなければならないのも、確かにそうだ。
それでも、この学院に通うことを、ひなは望んでいただろう。
午後は、魔法の個別授業が待っている。


「魔法は、ひなが一番やりたいことだ。…頼むから、それをお前の不安だけで妨げるな、」



紫鷹の表情が鋭くなって、視線がきつくなった。
そんな顔をしたって駄目だ。お前の威圧は俺には効かないし、俺だってひなのことで折れる気はない。

この一週間、ひなの魔法の鍛錬に何度も立ち会ったから、俺は分かるよ。
帝国史も、生態学も、ひなのやりたい事ではあるけれど、一番はやはり魔法だ。
ひなは魔法がやりたい。
自分の足で歩きたいからでもあるし、単純に魔法に憧れているからでもある。


でもな、一番の理由はお前だよ。


お前が心配するから、ひなは魔法がやりたい。
紫鷹が眠れるように、早く魔法を扱えるようになりたいと、ひなは言っていたよ。
ひなは、お前に心配されるのが嬉しいけど悲しいんだと。

俺も、紫鷹の不安が小さくなるには、ひなが魔法を制御できるようになる必要があると思っている。

「分かってはいる、」
「なら、大人しく抱き枕になって、ひなを休ませてくれ。元々、ひなの昼寝を考えて時間割を組んでいるんだ。」
「…昼食を食べられなかったら、午後は休ませるぞ、」
「それほど具合が悪ければ、さすがに俺もそうする。だから、お前は今は抱き枕。勝手な不安で全部決めるな、」

そこまで言ってやれば、もう後は眉を下げて大人しくなるから、ひなは紫鷹に任せた。


一歩進めば、過去がひなの足を引っ張る。
ひながそうだと、お前は十分分かっているだろう。
それでもひなは進みたがってる。
その足をお前までもが引っ張るな。

不安で妨げるのでなく、ひなを安心させて背中を押してやれ。


そう思うけれど、紫鷹の不安が消えないのも分かる。
なら、今は少しでもひなが休めるように抱き枕になってやれと願った。

それだけ過保護になっているなら、抱き枕としては最高の寝心地を与えてやれるだろう。



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