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初恋の呪い
シェリーが好きだ
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シェリーの結婚宣言は静かだが、なぜか力強く、レオンは〝嫉妬〟に続いて驚いてしまう。情緒の成長は一度伸び出すと加速度的に進むのだろうか。
「うん」
「いいの?」
「兄弟が多いし、末っ子の私は好きにさせて貰えるんじゃないかな」
了承の返事に、シェリーは彼女なりの満面の笑みを浮かべてくれた。
レオンは六人兄弟の末っ子で、アルファの兄が五人いる。一つ上の兄とレオンは体格に差がなく、双子のように育ってきたし、喧嘩になれば大体レオンが勝つ。その兄がアルファ判定を受けたのだから、レオンも同じようになるのではないかと希望的観測を持っているが、どうだろうか。シェリーの第二性が何であっても彼女は女の子であり、レオンがアルファなら結婚できる。ベータ女性との婚姻も先進的な父親ならば、反対することはないだろう。
(……いや、こんなにいい匂いがするんだ。シェリーはオメガなのかもしれない)
腕の中にいるシェリーの髪に顔を寄せれば、爽やかであり、そして甘い……例えるならこの花園にいるような癒やしの香りを放っている。
オメガならエデンに収容されるから、食べ物には困ることはなく、勉強もできるし、今の状態と比べて生活環境はずっと良くなるだろう。
(そうなれば絵本のように彼女をダンスパーティーで誘うのか)
レオンは〝もしシェリーがオメガだったら〟という〝もしもの話〟で想像の翼を広げる。
今でさえ愛らしいシェリーはエデンを卒業した頃、お姫様と呼ぶに相応しい美しいオメガに成長しているはずだ。レオンは、花のような彼女を我が物にするために群がるアルファたちを蹴散らし、彼女の手を取ってアプローチできるほどの、立派なアルファにならなければならない。
羽ばたいた想像が着地したところで、不思議そうな顔をするシェリーに、エデンとその卒業後に開かれる〝ダンスパーティー〟の説明をした。彼女は熱心に説明を聞いた後、決意のこもった眼差しに変わる。
「がんばって、レオをさそう」
「誘うのはアルファからと決まっているんだよ」
レオンが補足としてルールを伝えると、シェリーは深く頷き、なぜか強く拳を握りしめていた。
「えほんみたいにおどる?」
そういって、レオンの膝から飛び降りたシェリーは不思議なポーズをとった。レオンの二番目の兄が早朝鍛錬で行っている東方の体術のように、腰を落として掌底を突き出すポーズだ。絵本の単純化された絵から、ダンスというのがどういったものか読み取れていないに違いない。
ほとんどのオメガはエデンに入る前にダンスの基礎を習得するから、ここはレオンがしっかり教えてあげた方が、後々彼女のためになるだろう。
「うん、踊るよ。踊り方を教えてあげる」
「じゃあ、れんしゅうする」
「なら私も頑張らないと。王子様は上手にリードしなくちゃいけないからね」
そう言ってレオンもベンチから立ち上がり、シェリーの前で跪いてから手を差しのべた。
「踊ってください、私のお姫様」
「おどってください、わたしのおうじさま」
ここはカーテシーをするところだが、それを知らないシェリーは棒立ちのままレオンの手を握る。大事そうに触れてくる小さな手と、作法が分からないと戸惑う素朴さに、レオンはまた心が持っていかれるのを感じた。
(シェリーが好きだ)
そうして二人で共に過ごす時間を積み重ね、幼い初恋が確固たる想いとなった頃、唐突に終わりが訪れた。
時刻は夕刻。レオンは自室で一人、使者から届けられたという〝第二性検査の結果通達〟の封書の中身を確認する。
「――オメガ」
手が震えてしまう。
そこには【第二性判定――オメガ】と太字で明確に記されていた。確定していなかったにもかかわらず、愚かにも確信していた性自認が一瞬で覆されてしまった。
(アルファだと、ばかり)
レオンは震える手で折りたたんだ通知書を封筒に戻す。そうすることで結果が変わるわけではないが、これ以上記された文字を見たくなかった。
「そうか……私はアルファのものにならなければいけないんだな……」
この国で定められているオメガの義務。
エデンで健全に成長し、卒業後のダンスパーティーでアルファに選ばれ、結ばれなければならない。誘引フェロモンを抑えるためとは言え、身体が完成すればすぐに子供を産まなければならないというのは過酷な要求だが、オメガに対する〝過剰な投薬の回避〟と〝健康に生きる権利への配慮〟と主張されたら、抗議の余地はなくなるだろう。実際、フェロモン抑制剤は強力な薬であり、長期的な投与は体に害を及ぼすことが誰もが理解している。
当然、少数ではあるが、そのような生き方を選ばない人々もいる。
ダンスパーティーで一年以内にパートナーが見つからない場合、オメガは番と死別したアルファに引き取られる。
肉体の強さによる寿命の差により、アルファは番に先立たれることが多い。心の傷が癒えれば、アルファは新しい番を見つけられるため、老いたアルファが若いオメガと共にいることも珍しくない。その場合、性的な関係よりもむしろ心の安らぎが求められるのだとか。
レオンの祖父も若いオメガと番っている。
絵描きだというその麗しい男性は「僕は束縛されず絵を描きたかったから、おじい様に番っていただいたんだよ」と教えてくれた。こんなこともあるのかと、幼いレオンは驚きながらも新たな知識を得たのだ。穏やかに暮らす祖父と若いオメガは幸せそうだった。
(まぁ、どちらにしてもシェリーと結ばれる事はないんだ)
シェリーとの思い出が次々と蘇っては消えていき、抑えられない悲しみから、その日はベッドで一晩中泣き続けた。朝になり、やってきたエデンの迎えは、泣き腫らしたレオンを見て特に気にする様子もなかった。おそらく、そのような状態で迎えられる子供は多いのだろう。
家族の見守る中、レオンは最低限の準備を整え、静かに魔導車に乗り込んだ。すぐに扉が閉まり、動き出す車窓の景色は、これまでの世界を振り切るように加速していった。
それが、レオンの初恋の終わりだった。
「うん」
「いいの?」
「兄弟が多いし、末っ子の私は好きにさせて貰えるんじゃないかな」
了承の返事に、シェリーは彼女なりの満面の笑みを浮かべてくれた。
レオンは六人兄弟の末っ子で、アルファの兄が五人いる。一つ上の兄とレオンは体格に差がなく、双子のように育ってきたし、喧嘩になれば大体レオンが勝つ。その兄がアルファ判定を受けたのだから、レオンも同じようになるのではないかと希望的観測を持っているが、どうだろうか。シェリーの第二性が何であっても彼女は女の子であり、レオンがアルファなら結婚できる。ベータ女性との婚姻も先進的な父親ならば、反対することはないだろう。
(……いや、こんなにいい匂いがするんだ。シェリーはオメガなのかもしれない)
腕の中にいるシェリーの髪に顔を寄せれば、爽やかであり、そして甘い……例えるならこの花園にいるような癒やしの香りを放っている。
オメガならエデンに収容されるから、食べ物には困ることはなく、勉強もできるし、今の状態と比べて生活環境はずっと良くなるだろう。
(そうなれば絵本のように彼女をダンスパーティーで誘うのか)
レオンは〝もしシェリーがオメガだったら〟という〝もしもの話〟で想像の翼を広げる。
今でさえ愛らしいシェリーはエデンを卒業した頃、お姫様と呼ぶに相応しい美しいオメガに成長しているはずだ。レオンは、花のような彼女を我が物にするために群がるアルファたちを蹴散らし、彼女の手を取ってアプローチできるほどの、立派なアルファにならなければならない。
羽ばたいた想像が着地したところで、不思議そうな顔をするシェリーに、エデンとその卒業後に開かれる〝ダンスパーティー〟の説明をした。彼女は熱心に説明を聞いた後、決意のこもった眼差しに変わる。
「がんばって、レオをさそう」
「誘うのはアルファからと決まっているんだよ」
レオンが補足としてルールを伝えると、シェリーは深く頷き、なぜか強く拳を握りしめていた。
「えほんみたいにおどる?」
そういって、レオンの膝から飛び降りたシェリーは不思議なポーズをとった。レオンの二番目の兄が早朝鍛錬で行っている東方の体術のように、腰を落として掌底を突き出すポーズだ。絵本の単純化された絵から、ダンスというのがどういったものか読み取れていないに違いない。
ほとんどのオメガはエデンに入る前にダンスの基礎を習得するから、ここはレオンがしっかり教えてあげた方が、後々彼女のためになるだろう。
「うん、踊るよ。踊り方を教えてあげる」
「じゃあ、れんしゅうする」
「なら私も頑張らないと。王子様は上手にリードしなくちゃいけないからね」
そう言ってレオンもベンチから立ち上がり、シェリーの前で跪いてから手を差しのべた。
「踊ってください、私のお姫様」
「おどってください、わたしのおうじさま」
ここはカーテシーをするところだが、それを知らないシェリーは棒立ちのままレオンの手を握る。大事そうに触れてくる小さな手と、作法が分からないと戸惑う素朴さに、レオンはまた心が持っていかれるのを感じた。
(シェリーが好きだ)
そうして二人で共に過ごす時間を積み重ね、幼い初恋が確固たる想いとなった頃、唐突に終わりが訪れた。
時刻は夕刻。レオンは自室で一人、使者から届けられたという〝第二性検査の結果通達〟の封書の中身を確認する。
「――オメガ」
手が震えてしまう。
そこには【第二性判定――オメガ】と太字で明確に記されていた。確定していなかったにもかかわらず、愚かにも確信していた性自認が一瞬で覆されてしまった。
(アルファだと、ばかり)
レオンは震える手で折りたたんだ通知書を封筒に戻す。そうすることで結果が変わるわけではないが、これ以上記された文字を見たくなかった。
「そうか……私はアルファのものにならなければいけないんだな……」
この国で定められているオメガの義務。
エデンで健全に成長し、卒業後のダンスパーティーでアルファに選ばれ、結ばれなければならない。誘引フェロモンを抑えるためとは言え、身体が完成すればすぐに子供を産まなければならないというのは過酷な要求だが、オメガに対する〝過剰な投薬の回避〟と〝健康に生きる権利への配慮〟と主張されたら、抗議の余地はなくなるだろう。実際、フェロモン抑制剤は強力な薬であり、長期的な投与は体に害を及ぼすことが誰もが理解している。
当然、少数ではあるが、そのような生き方を選ばない人々もいる。
ダンスパーティーで一年以内にパートナーが見つからない場合、オメガは番と死別したアルファに引き取られる。
肉体の強さによる寿命の差により、アルファは番に先立たれることが多い。心の傷が癒えれば、アルファは新しい番を見つけられるため、老いたアルファが若いオメガと共にいることも珍しくない。その場合、性的な関係よりもむしろ心の安らぎが求められるのだとか。
レオンの祖父も若いオメガと番っている。
絵描きだというその麗しい男性は「僕は束縛されず絵を描きたかったから、おじい様に番っていただいたんだよ」と教えてくれた。こんなこともあるのかと、幼いレオンは驚きながらも新たな知識を得たのだ。穏やかに暮らす祖父と若いオメガは幸せそうだった。
(まぁ、どちらにしてもシェリーと結ばれる事はないんだ)
シェリーとの思い出が次々と蘇っては消えていき、抑えられない悲しみから、その日はベッドで一晩中泣き続けた。朝になり、やってきたエデンの迎えは、泣き腫らしたレオンを見て特に気にする様子もなかった。おそらく、そのような状態で迎えられる子供は多いのだろう。
家族の見守る中、レオンは最低限の準備を整え、静かに魔導車に乗り込んだ。すぐに扉が閉まり、動き出す車窓の景色は、これまでの世界を振り切るように加速していった。
それが、レオンの初恋の終わりだった。
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