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第二章 小学生編

第九話 佳織と薫

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「ママー。旭寝たから、私ももう寝るねー。お休みー」
「はいはーい。お休みー」
そう言って、手を振って部屋から出ていく娘を見送る。
昔から、それこそ前世の時から私の娘は良く出来た娘だ。
一体誰に似たのかしら?
私はあんなにパーフェクトな人間じゃないし。
「本当…私には勿体ないわ」
ふぅ。溜息が零れる。
美鈴が小学校に入学し、学校でも色々あったようで。
この間も頬にガーゼを付けて帰って来た時は一体何事かと、思わず冷気を漂わせてしまった。
母親としてダメダメである。
二人掛けのソファに座ってぼんやりとしていると、私の上に影が落ちた。
顔を上げると、そこには誠さんの笑顔があった。
「たまには、一緒に飲まないか?」
「え?ワイン?それ、何処から?」
誠さんの手には年代物の赤ワインとワイングラスが二つ。
こんなの家にあったかな?
季節が過ぎ、子供たちが夏休みに入り、去年はあんまり遊べなかったからと今年も私の実家へ皆で里帰りをしていた。
今年は人数が増えて、今年産まれた末っ子の旭と透馬君の妹である七海ちゃんも一緒に来ている。
七海ちゃんが同行するにあたって、美鈴はそれはもう喜んだ。
そして、美鈴以上に七海ちゃんが喜んだ。もう完全に自分の妹のように感じているんだろう。
常に手を繋いで頬擦りしている。それに嫉妬した葵と棗が美鈴の側を一向に離れようとしないのは、まぁ、仕方のないことだ。
誠さんは私の前のテーブルにグラスを置き、もう一つを自分の前に置いた。
「金山が持たせてくれたんだ。皆さんでどうぞってね」
「あぁ、どうりで。家には基本的に日本酒しか置いてないから、不思議だと思ったわ」
手慣れた手つきでワインを開け、グラスに注いでくれる。
グラスを手に取り、香りを楽しんで一口含む。…美味しい。
隣に座り誠さんも自分のグラスにワインを注ぎ、一口飲むと、うんと頷いた。
私はワインにそんなに慣れていないけれど、誠さんはいつも飲んでいるから舌が肥えているんだろう。
「それで?佳織には何が勿体ないって?」
「あら。そこから聞いていたの?」
「あぁ。佳織が珍しく溜息をついていたからね」
耳敏い、と言うと言葉が悪いかしら?
でも実際、誠さんはそう言う小さな変化も良く気付く人だ。
「美鈴がね。何でも出来る子だから。私には勿体ないほど出来た子だなーって、ね」
「あぁ、成程」
誠さんが納得してもう一口ワインを含んだ。
その姿が誰かと重なる。誰だろう?と記憶を巡り、答えに辿り着き納得した。
前の夫―――嶺一だ。
…嶺一と初めてお酒を飲んだ時もワインだったっけ。
懐かしさに思わず目を細めた。あれは…いつだったか。
あー…そうそう。高校の時父さんが隠していた秘蔵のワインを私の誕生日に嶺一がかっぱらって来たんだっけ…。そして、二人で仲良く酔っぱらって、部屋で雑魚寝したのよね。
その時は男女の仲と言うより、小さい頃から一緒だった幼馴染って意識の方が強かったし。
楽しかった思い出を思い出してはクスクスと笑っていると、誠さんが首を傾げた。
「何を思い出してるんだい?」
「ふふっ。ごめんなさい。誠さんには良い気分じゃ無いかも知れないけど、嶺一の事を思い出していたの」
「嶺一、か。僕は聞きかじり程度の事しか知らないからな。佳織から見たらどんな人だったんだい?」
「私から見たら、かぁ…。そうね。私がどんなに怒っても八つ当たりしても、それこそ殴ってもニコニコと優しく微笑んでいて、何もない場所で転ぶようなドジっ子属性も持ってて、でも自分の中で曲げられない所は死んでも譲らない、まぁ面倒な人、だった」
そう。とても面倒な人だった。…私がいくら結婚を拒んでも押し通してしまうんだから。



※※※



「佳織っ!」
次の講義へ向かう為に校舎の外を歩いていると、背後から急に呼び留められた。
振り向かずとも声でわかる。幼馴染の佐藤嶺一だって事に。
しかし、私は足を止めずに歩いた。だって、最近の嶺一はやたらかっこ良くなって、嶺一と話していると、ただ話してるだけだっつーのに他の女子達にいらない嫉妬を向けられる。
これが面倒で堪らない。別に女子の嫉妬程度なら水被ったら氷投げつけたらいいし、教科書破かれたら服破きかえせばいいし、靴に画鋲仕込まれたら鞄を釘で刺してやればいい。ただ、ここにいらなく嶺一が私を助けに来るから手に負えない。
彼が来る事によって、私は守られると言う形になってしまう。女の争いは相手に恐怖を植え付けなければ終わらない。相手を徹底的に叩き潰す必要があるのに、嶺一が私を守ってしまえばそれが出来ないのだ。
しかも切ない事に嶺一はそれを理解してくれない。
「佳織ーっ!待ってくれーっ!」
(けど、何がダメって。私がこんな嶺一を可愛いと思ってしまってるって事よね…)
こうして尻尾を振られたら誰だって可愛いと思ってしまうだろう。
仕方なく私は足を止めて、彼が追い付いてくるのを待っていると、突然背後から抱きしめられた。
「なっ!?」
「やーっと捕まえた。酷いなぁ、佳織は。何回も呼んでるのに無視するんだから」
「ちょっと、離しなさいよっ」
ジタバタと暴れるけれど、嶺一は私を力で抑え付けられる数少ない人間の一人で。むしろ暴れると少し嬉し気に抱き締める腕に力を込めるのがまた何とも腹が立つ。
「ちょっと、嶺一っ」
「やだっ。離さないっ」
「あー…もうっ」
一体なんだと言うのだろう。今日はやたら甘えただ。こういう時はこっちから聞かないと、こいつは梃でも動かないのだ。
「で?何の用なの?」
「用がないと、佳織に声かけちゃ駄目なの?」
「あぁ、うん。そうね」
「ええっ!?」
「本気…ごほんっ。冗談よ」
「今本気って言ったよねっ!?言ったよねっ!?」
ああ、しまった。腕の力が倍増して、頬擦りさせるきっかけを与えてしまった。
私より頭一個分大きい嶺一は人の頭にただただ頬を擦りつける。ふわふわした金色の長い髪が顔に触れてくすぐったい。
って言うか、本当に何しに来たの?こいつ。
……そろそろ、殴ってもいいかな?いいよね?殴っちゃおうっ!
ぐっと拳を握って、裏拳の構えをー。
「っと、危ない危ない。これ以上やると明日の朝に顔が腫れあがって別人になってしまう」
手を離して、適度に距離をとられた。
…ちっ。逃げられたか。
「佳織。今日の夜暇?」
「今日の夜?……あー……確か、あのドラマが最終回だったよね。録画予約はしてたからー…。だらだら過ごす為のお菓子も買ってあるし…うんっ、忙しいっ!」
「けろっと嘘言うなっ!だらだら過ごすって聞こえてるからっ」
「むー…」
実際家に帰った所でぶっちゃけ暇は暇である。ただ、今日はちょっと遠慮願いたいだけで。
最近嶺一の様子がおかしい。やたらと私に構ってくる。こういう時の嶺一は厄介なのだ。人の言う事全く聞かない上に強引に物事を押し通してくる。
それは幼馴染である私が一番良く知っていた。
多分、私に何かしら頼み事があるのだ。
まぁ、高校や中学の時みたいに彼女のフリをしてくれ、程度だったら構わないけど。
私はそんじょそこらの女子には負けないし、叩き潰してやれるくらいの力はあるから。
「…頼みたいことがあるんだ。今日、君の家に、行っても良いかい?」
「ダメって言った所で来るんでしょ?」
「うんっ」
「……殴っていいかな?」
「明日になったらOKっ!」
いいんだ…。じゃあ明日殴らせて貰おう。
しかし、殴られる覚悟が出来てる位に面倒な頼み事、かぁ…。
はてさて、どうなる事やら。
私が頷いてくれた事に満足した嶺一は、まるでスキップしそうなくらい上機嫌で次の講義があるであろう場所へ向かって歩いていった。
それを見送った私は、部屋の掃除、どうしようかな…と真剣に考えるのだった。
まぁ、結論として、講義が終わり次第帰宅した私の家に、晩御飯の材料を持って来た嶺一に掃除も一緒に任せる事にした。
邪魔にならないように、ソファに膝を抱えて座る。いやだって、掃除機かけるのに邪魔でしょ?ご飯作るのに私が立ってたら邪魔でしょ?
だから、私はごろんとソファに転がって今日買ってきた雑誌を開く。
秋だからかな~…最近日が落ちるのが早い。窓から差し込む夕日で雑誌を読んでいたのに、暗くなってしまっては読めない。電気付けないと、と考えてるとパチリと明かりがつけられる。
絶妙なタイミングでつけてくれるよね、嶺一。
「ありがとう」
「ふふっ、どういたしまして」
もう一度雑誌へと意識を戻す。
どれくらいの時間が経っただろう。
ソファの前にあるテーブルにコトリと音を立てて、食器が置かれる。
「真剣に何読んでるの?」
ソファにうつ伏せで寝転がっている私の上に覆いかぶさる様に雑誌を覗いてくる。背中に感じる腕が重い。人の頭の上に顎を乗せるんじゃない。
「…日本の神秘。清酒巡り旅…って佳織。なんでそんなの読んでるの?」
「勿論、飲みたいからよ」
「…佳織未成年だよね?」
「うん」
「犯罪だよ?」
「うん…って、ちょっと待って。私別に今飲むって言ってないでしょ。それに嶺一が言えた事じゃないし。後、さっきから思ってたんだけど、嶺一重い」
「大丈夫。おれは重くないよ」
「そりゃそうでしょーよっ」
二人で笑い合う。何時もの光景だ。幼い時からずっとこうして二人で話してじゃれあって。実家にいた時はここに父さんが参加して、母さんに三人揃って拳骨を喰らう。そこまでが一連の流れだけど、今日は違った。
ご飯持ってくるねと嶺一が立ち上がり、キッチンに立ち、料理を手に戻ってくる。ソファとテーブルの間。ラグの上に座って並べられた料理を眺める。テーブルに並べられていく料理は、嶺一にしては珍しい洋風なメニューだ。
「ステーキ?しかもポタージュスープ?え?どうしたの、嶺一?貴方が洋食を作るなんて珍しい」
「たまには、ね」
「ふぅん…」
なんか怪しい。どれだけ危険な頼み事されるの?私。
訝し気な目で嶺一を睨んでみるが、何故か上機嫌な嶺一は私のそんな視線など全く気にも留めず、せかせかと料理を揃えて私の横へ座った。
…いっつも向かい合って座る癖に、何で今日は横なの?しかも、何か必要以上にくっついてない?なんで?どうして?
「さ、食べようか」
「うん」
嶺一の作る料理はいつも美味しい。でも今日は上手く味わえない。どう考えても、上機嫌過ぎる嶺一の所為だ。本当に何考えてるの?
いっそ宝くじが当たったとか、そう言う話だったら私も喜んでお零れ貰うんだけどな…。
嶺一が振ってくる当たり障りのない会話に適当な返事を返しつつ、食事を終えると、さっさと食器を運んでしまう。
話するんじゃないのっ?
いい加減この緊張状態疲れてきたんだけど。
落ち着かないから、テレビをつけて気を紛らわすことにする。
すると、食器を洗い終わった嶺一が戻って来た。
…だから、なんで横に座るのよ。
にこにこにこにこ。良い笑顔でこっち見るのはいいけど、いい加減腹が立ってくる。
「嶺一。もういい加減、要件を言ってくれない?流石に苛々するんだけど」
「あ、うん。あのね、佳織」
やっと切り出してくれた。
「うん。なに?」
さっさと先を言いなさいよ。そんな意味を込めて聞き返すと、嶺一はにっこりと微笑んで。

「おれと結婚しよう?」
……………ん?

「やっと指輪買えたんだ。いやー大変だったよ。アルバイト漬けでさー」
……………………んん?

「本当は高校生の間にあげたかったんだけど、佳織に似合う指輪が意外に高くてさ。でもおれ大分頑張ったし、ってあれ?佳織?」
「…………………………は?」

あれ?私今なんて言われた?嶺一なんて言ってた?結婚?誰と?誰が?
脳が上手く働いてくれない。
でも、そんな私にお構いなしに嶺一は私の手を引いて、その腕の中へ収めてしまう。
「ずっと、ずーっと好きだったんだ。なのに、佳織は鈍くて気付いてくれないから。だったら、もう、さっさと捕まえてしまおうって思って」
ちょっと、ちょっと待ってっ!
全然脳処理がついていかないっ。
私は軽くもがいて、腕の力が弱まらないのを知って顔だけ上を向いて、嶺一を見る。
……やばい。これ、本気だ。
嶺一の瞳が、何時も優しい色を含んだ瞳が、熱を孕んでいる。
「好きだ。佳織。……好きなんだ」
額にキスが落とされる。
驚きに、私は目を見開く。嶺一が私の反応に嬉しそうに微笑んで、私の後頭部にその大きな手が添えられた。そのままぐっと引き寄せられて顔が近づき互いの吐息が触れあいそうになった、その時。

『―――お母さんっ』

声が、脳内を響き渡り木霊する。

『―――お母さん。この乙女ゲーム攻略対象超多いの。でもお母さんなら大丈夫。イケるっ!』

パァンっとまるで袋が破れたように、一気に脳内に記憶が巡る。

『―――このゲームの主人公、父親がいないんだよね。私と一緒だわ。お母さんとも一緒だよね』

そうだ。そうだ…。私の生まれながら持っていたこの違和感。
それは…私がこの人生の末路を知っているからこその違和感。私はここが乙女ゲームの世界だと知っているからこその。
歳を老う毎に、強くなっていった既視感。全て私は知っていたんだ。この顔を。乙女ゲームヒロインの主人公の母親であるこの顔を。
私は…あの乙女ゲームのヒロインを産むことになる。
あのゲームのヒロインは確か、波打った金色の髪の女の子。
母親はストレートの髪でヒロインがそこは父親に似たのだと、『亡くなった父親』に似たのだと…。
金色のふわふわの髪をひとつにまとめてる…それは…っ!!

―――どんッ。

目の前の男を突き飛ばした。

「佳織っ!?」

驚きに目が見開かれる。
「帰って」
「どう言う事?佳織っ」
「お願い帰ってっ。今すぐここを出て行ってっ」
「ちょっと待ってっ。意味が分からないっ」
悲しそうな瞳をする嶺一に私は極力冷めた目で睨み付ける。
「危うく流される所だったわ。私が嶺一と結婚?冗談じゃない」
「…佳織」
「ごめんなさいね。さっきのプロポーズ。お断りするわ」
自分で言った言葉の癖に、ズキンッと胸が痛む。
嶺一の悲しい顔が胸を刺す。
でも、駄目だ。ここで、私は嶺一を引き離さないといけない。誰よりも嶺一の為にっ。
「さっさと出て行って」
「………」
視線を感じる。私は顔を逸らして胸に置いた手で服を握った。これ以上嶺一の悲しそうな顔を見ていたくない。
「………お願いだから…。嶺一…。お願い…」
声が震える。
お願いだから、私の事を忘れて欲しい。他の人を探して欲しい。嶺一ならきっと良い人がいる筈だから。だから…。
沈黙が小さな部屋に浸透する。耐え切れない…―――辛い…。
「……分かった。今日はもう帰るよ」
嶺一が立ち上がり上着を着る音がした。
ガチャッとドアが開く音がして、外の冷たい風が中へ入りこむ。
「今日は帰る。けど…諦めないから。佳織」
「―――ッ!!」

―――バタンッ。

ドアが閉められた。カンカンと外の階段を降りる音がする。
足音すら聞こえなくなって、部屋から緊張感が消えていく。
すると、視界が歪み、ボロボロと涙が溢れ、頬を濡らした。
「ごめ、ごめんなさっ、嶺一っ」
結婚しよう。その言葉がどれだけ嬉しかったか。
驚いたけど、ほんと驚いたけど、嬉しかったの。―――嬉しかったよ、嶺一。
私が、ヒロインの母親でなければ、貴方がヒロインの父親でなければ、私はあの時のキスを喜んで受けた。
唇が触れて、驚いて、馬鹿っていいながら、それでもきっと貴方は嬉しそうに微笑むだろうから、私も嬉しいって答えて。
でも、―――出来ない。
このまま貴方がヒロインの父親になってしまえば、貴方は死んでしまう。
絶対にそれだけは嫌。

―――嶺一が好きだから。

―――貴方が大好きだから。

死なせたくない。私は、貴方と結婚する訳にはいかない。
別れと共に自覚したこの気持ち。
溢れてくる嶺一への気持ちが、私の頬を流れた。
言葉が出て来ない…。
貴方の名前しか、出て来ないよ。

「嶺一…嶺一っ。りょういちぃーーーっ!!」

これは私の所為。全て私の自己満足。それは分かってる。
分かってるけど、私は今、大事な幼馴染で、ずっと好きだった人の愛を失ったんだ。自分のこの手で断ち切ったんだ。
だから…今だけは泣かせて欲しい。
彼を想って泣かせて欲しい。

―――今日だけで、いいから…。

私はその日、涙が枯れるまで泣き続けた。

翌日から、私は嶺一をとことん避け始めた。
一度、前世の記憶を取り戻すと、芋蔓式にずるずると色んな記憶が甦る。
前世の旦那である慎(まこと)さんの事とか、娘である華の事とか。
うっかり、大学で良く話す女友達に慎さんの事を話してしまったら、あっという間に噂は広がり私は彼氏がいる事になっていた。
でも、これで嶺一も私が尻軽だと思ってくれれば、自然と私を忘れていくかもしれない。
忘れられるのは辛いけど、嶺一から嫌われるのも辛いけど、でも…これでいい。
私にとって、生まれてくるヒロインより、ずっと一緒に生きてきた嶺一の方が大事なんだ。
嶺一の事を考えると、まだ、辛いけど…。
きっとこれもいい思い出になるよ。互いに良い人と結婚して、子供が出来て再会したら仲良くこんな事もあったよねって話せるはず。
胸の痛みに気付かないふりをして、日々を過ごした。
嶺一のプロポーズを断った日から一か月。
私の携帯に嶺一からメールが入った。ただ、一言だけ。

―――会いたい。

そう書かれていた。
あの時の悲しそうな嶺一の顔が思い浮かぶ。
でも、駄目だ。今はまだ会えない。
返信をせずにそのまま携帯を閉じる。
その日を皮切りに毎日、嶺一からメールは届いた。ただ、会いたいとそう書かれている。
辛かった。私だって会えるなら嶺一に会いたい。今までみたいに過ごしたい。じゃれあって触れあいたい。
けど、…出来ない。
大学の構内を嶺一が私を探して回ってるのは知っている。彼の姿を見つける度に私は隠れてやり過ごす。
でも…そろそろ限界かも知れない。
前世の知識が戻った今、勉強をせずとも社会人として生きる知識はある。
(……大学、辞めようか。転校する?…ダメね。次の学校の場所を書いた時点で居場所が特定出来てしまう。なら、一身上の都合で辞める事にして、実家の住所を書いて、そのまま引っ越ししよう。嶺一の手の届かない所まで)
私は決めたその日の内に行動を起こした。
今いるマンションの一室は、新しい住所を決めた時に処分しよう。
必要な物だけを鞄に詰めて準備を進める。
下手をすると嶺一が家まで来るかもしれないから、嶺一の行動を先読みして、私はここにいると見せかけて。
数日の準備期間を経て、退学届を出すと同時に私は大学のある街を出た。
電車を乗り継ぎ、バスに乗って、また電車に乗る。
途中で携帯ショップによって携帯を解約して、違う会社の携帯を入手した。
そのまま美容院へ行き、嶺一が好きだからと伸ばしていた長い髪もばっさりと切ってしまう。髪も染めて少しでも嶺一から遠ざかる。
嶺一の面影を、嶺一にとっては私の面影を全て失くしていく。
口調も変える。スポーツ系の動きやすい服を好んでいたけど、それもお嬢様風に変える。
私は別人として、遠い街で新たな生き方を求めた。
都会の片隅にある街に、マンションの一室を借りて、私はまずパソコンを購入した。
親の残したお金は大学の退学資金やら移動やらマンションやらで使い切ってしまったので、財布はもうすっからかんである。
わざとでもあるんだけどね。
銀行も解約して、この町で新たに契約した。これで、もう…本当に嶺一との関係は切れたはず。
(さて、…書きますか)
お金を稼がなきゃいけない。
私は前世の記憶を呼び起こし、前世で人気になった大好きな少女小説を書く事にする。
好きすぎて何度も読み返したから、ほとんど内容は覚えていた。
それを私風にアレンジしつつ、何日かかけて何とか完成させ投稿した。
やはり、人気になる作品はどの世界でも人気になるようで。前世でこの作品を書いた大先生に感謝しつつ、お金を稼いだ。
作品はどんどん売れて、アニメ化するほどまでになった。
私は表に姿を現さない作家としてやっている為、家から出ることもない。
新しい生活を始めて数か月。生活が漸く安定してきた頃。
今日も小説を部屋で書いていて、外も暗くなり、お腹も減ったので少し休憩を入れようと立ち上がると、タイミングよくチャイムが鳴った。
(なんか、通販でもしてたっけ?)
基本的に買い物は通販でしていた為、この時も何か届いたんだろう位の軽い気持ちでドアを開けた。
けど、私はそれを直ぐに後悔する事になる。

「……やっと、見つけたよ。佳織」

聞ける筈のない声。聞いてはいけない筈の声。
少し痩せたけれど、変わらない金色の髪。ふわふわと月の光を反射する私の大好きな人の姿。

「な、んで…」

やっとのことで絞り出した声は掠れ、私の目は限界まで見開かれる。
どうして、ここに嶺一がいるの?
なんでここが分かったの?
そんな驚きより…―――逃げなきゃっ!
私は咄嗟にドアを閉めようとノブに手を伸ばした。でもその手は掴まれ、片手で抱き込まれるように腰を引き寄せられて私は彼の腕の中に閉じ込められた。
「嶺一っ」
離してと、訴えようとした言葉は嶺一の唇に塞がれた。
「んっ、…りょう、んっ…」
呼吸も何もかも奪う荒々しいキス。嶺一らしくない乱暴なキスに私は抗えずただ彼の胸に縋りつく。
がくがくと膝が震え、唇が離されると崩れ落ちそうになる。すかさず嶺一が私を抱き上げて後ろ手でドアを閉めると、器用に靴を脱ぎ棄てて中へと入り込む。
「ちょっ、嶺一っ」
何も話してくれない。こんなに怒ってる嶺一を見たのは初めてだ。
確かに怒られて当然の事をした。でも、だったら私なんて忘れたらいいのに。なんでこんな所まで追ってきたの?
そのままベッドに押し倒されて、私は嶺一と真っ向に向き合わなくてはならなくなった。
「もう、絶対に、逃がさないっ!こんな、こんな思いはもう沢山だっ!」
噛みつくようにまたキスをされる。舌が絡まり吸われ、裏をなぞられ、抵抗する手をベッドへ押し付けられた。
「佳織っ…佳織…っ」
「んっ、ふっ、…りょうい、ち、おちつい、てっ」
嶺一の手が私の服の中へ入りこむ。お腹を撫でて、そのまま手は上がり…駄目っ!
「ダメっ!嶺一ダメっ!」
「……聞かない」
「お願いっ!やめてっ!嶺一っ!」
「嫌だっ!こうでもしなければ佳織はまたおれを置いていなくなるだろうっ!?」

―――ぽたっ。

私の頬に滴が落ちた。
嶺一が…泣いてる…。
その綺麗な顔が哀しみで歪んでる。
「おれがどれだけ苦しかったかっ!おれは佳織がいなきゃ生きていけないんだよっ!お願いだから…佳織…。逃げないでくれ。おれの側にいてよ…」
震える両手が私をきつくきつく抱きしめた。
「私だって、…私だって側にいたいよっ。でも、無理なのっ。一緒にいられないのよっ!私達は一緒にいちゃ駄目なのっ!」
「佳織…。何にそんなに悩んでるの?おれにも話してよ。一人で苦しまないでよ。一緒に悩むから」
「嶺一…」
言いたい。全部ぶちまけてしまいたい。でも、出来ない。こんな事信じて貰えるとは思えない。
私は静かに首を振った。でも、嶺一は納得しなかった。
「言ってくれるまで、おれは離さない。そうじゃないと納得できない。おれは佳織が好きなんだ。ずっと。君と一緒に過ごし始めた、小さい時から…ううん。この世に産まれたその時から君が好きなんだよ。佳織以外考えられないんだ。……話して、佳織」
覚悟を、決めるしかなさそうだ。
私は話した。前世の記憶があると。ここが乙女ゲームの世界だと。そして、このまま嶺一と結婚し子供が出来たら嶺一が死んでしまう、と。
それだけは嫌なんだ、と。
ボロボロと涙が溢れる。
「…佳織…」
「バカだと思うでしょっ。でもね、私は嶺一に生きてて欲しかったっ!私だって、―――私だって貴方が好きよっ!だから生きてて欲しいのっ!!例え私の側にいなくても生きててくれればそれで良かったのっ!!なのに…嶺一のバカっ!!」
なんで会いに来たのっ!?
なんで私を探したのっ!?
私が一体何の為に、こんな思いしてまで離れたと思ってるのっ!?
「…そっか。そうだったんだ…。佳織は、おれの為に…」
「離してっ!嶺一っ。まだ間に合うからっ!帰ってっ!!」
「…分かった。帰るよ。でも…今日だけ。今日だけ一緒にいても良いかな?佳織と一緒にいたい」
「嶺一…。うん。分かった」
私も一緒にいたい。ちゃんと嶺一との関係に決着をつけたい。
笑顔で別れたいから。
私は笑顔で頷く。すると嶺一も綺麗な微笑みをその顔に浮かべた。



※※※



「そこで甘い顔を見せたのが運の尽きだったのよね…。その日にワインをしこたま飲まされて酔い潰されて、私が眠ってる間に既成事実作りやがったのよ、あいつ」
「………そう」
「ゴムもなしでしやがったのよっ?おかげで一発で妊娠しちゃったわよ」
「一発って、一回しかしなかったのかい?嶺一が?」
「あ、いや。それは…多分、一回じゃなかったと思う、けど…。って誠さん。何を言わせるの?」
そう言う話をし始めたのは確かに私だけど、明け透けに言う事じゃないと思うの。
顔が赤くなってるのが自分でも分かる。だって顔が熱い。
朝起きて、体がきしむ位痛くて、二日酔いの所為かなとか思って目を覚ましたら、目の前に裸の嶺一がいて。
それから自分の体を見たら、やっぱり裸で。慌てて起き上がったら、下半身に違和感があって。
嶺一を叩き起こして、半狂乱でなんでこんな事をしたんだって枕で嶺一をぶっ叩きながら問い質したら彼は言った。
『佳織。おれはね。君の話を聞いて思ったんだよ。その乙女ゲームのヒロインが君から必ず生まれるのだとしたら。もしそれが変えられない運命なら、僕以外の誰かと作った子供がヒロインになる可能性がある。それって、佳織が僕以外の男の子供を産むって事だろう?そんなの絶対に認めない。認められないっ。そんなの耐えられないっ!そんな未来を見る位なら、僕は自分に訪れる死と戦う事を選ぶっ!』
そう言って嶺一は私を抱きしめた。きつくきつく。あの時の嶺一の腕の感覚を私はまだ覚えてる。とても暖かったのを…。
まぁ、結局、彼はその運命に従い命を落とした。
彼が亡くなる寸前、私は美鈴を背負い見送りに出ていると、一枚の封筒を手渡された。彼はたまにそうやって私に手紙を残して出勤していた。その内容はただのラブレターだったから今回もそうだろうと思っていた。でも違った。その日の夕方何気なしに封筒を開くと、その内容に私は愕然とした。

それは―――遺書だったから。

『佳織へ。おれは一足先に逝くことにするよ。本当は、最後まで抗おうと思ったんだけど。それも無理そうだから。
どうやらおれの心臓は後数年しかもたないらしい。この前医者にそう診断された。もう数年しかもたない命ならおれは自分で死ぬ時を選びたい。病気なんかで佳織と引き離されるのはもう嫌だ。おれは、…佳織の為に死にたい。
佳織。おれの最後の頼み聞いてくれるよね。頼みは三つ。
一つはおれの死の原因に思い至っても決して人を恨まないこと。
一つは美鈴と共にこのまま今のマンションで暮らすこと。決して村に立ち寄らないように。
そして最後の一つは、おれが死んでも決して泣かないこと。
君からこれから訪れるおれの運命を聞いた時、悔しかった。また君と離れる事が凄く凄く悔しくて。マコトに後を託すのは嫌だけど、本当に嫌だけど、でも、マコトにしか後を頼めないから。
佳織。おれはいつでも君の幸せを願って生きてきた。そしてこれからもそうして生きていく。
来世でまたおれは君と出会うよ。そしてまた君の幸せだけを願って生きるんだ。君の幸せが僕の幸せなんだよ。
佳織。愛してる。誰よりも、ただ君だけを愛してる…。嶺一』

泣くなって酷い遺書よね。愛おしい貴方を亡くしても、泣かせてもくれないとか。
あの遺書は私の部屋の鍵付きの箱の中に大事にとっておいている。あれは嶺一と私だけの手紙だから。私が死ぬ時にでも美鈴に頼んで燃やして貰おう。
「全く。相変わらずムカつく奴だな。『リョウイチ』は」
ぐっとワインを呷る。相変わらずってのはどういう意味だろう?
そう言えば、誠さんは嶺一の事をずっと呼び捨てにしている。もしかして、知り合い?
小首を傾げて、視線だけで問いかけると、誠さんは苦笑した。
「こら。そうやって男を誘うなって昔から言ってるだろ、カオ」
コツンと額をグーで小突かれる。そんなつもりもないのに、何か理不尽だわっ。
「私だって前から言ってるじゃない。誘ってる訳じゃないって。もう、マコはいつもそうやってくだらない事、を……え?」
私は無意識に口から出た愛称に思考を停止させられた。
マコとは前世の私である『薫(かおり)』が前世の旦那である『慎(まこと)』さんを呼ぶ時の愛称だ。
そして、誠さんがさっき口にしたカオは前世での私の愛称で…。
「う、そ…。まさか、誠さんは…」
声が震える。確かめるのが怖い。でも、聞かずにはいられない。そっと手を伸ばして誠さんの頬に触れる。
誠さんは優しく微笑み頷くと、私の手に大きな手を重ねて、手の平にキスをした。
「君が前世の記憶を持っているのは初めてだ。やっと私に気付いてくれたね。嬉しいよ。堪らなく嬉しいっ」
逞しい腕が私を引き寄せ腕に包み込む。
「マコ、なの…?本当に…?」
「あぁ。そうだよ。前世での私の名は西園寺慎。君の夫だった男だ」
信じられない。けれど、誠さんは嘘を言っている様には見えない。
「い、つ…」
いつ前世を思い出したのか。いつ私の事に気づいたのか。聞きたいのに口がまともに動いてくれない。
けれど、誠さんはそれを察知して、私を自分の膝の上に横抱きで座らせると、口を開いた。
「思い出したのは、今世の君に初めてあった時だ。美鈴が攫われた時」
「そんな、前に?」
「あぁ。直ぐに君がカオだと気付いた。だから速攻で求婚したんだよ。君を獲られたくなかったから」
ちゅっと音を立てて額にキスされる。
「どうして、教えてくれなかったの…?」
キスなんかで誤魔化されないから。回転し始めた脳で漸く疑問を口にする。
「言っただろう?君が前世の記憶を持っていたのは初めてだ、と。この言葉が意味する所が解るかい?」
私が前世の記憶を持っていたのは初めて。
それは、要するに私が前世の記憶を持っていない場合の私の事を知っているという事。
って事は、もしかして…。
「……私は『自分が人として生きてきた記憶を全て持っている』んだ」
人として生きたきた記憶を全て。
一つ前の前世の記憶があるだけでこんなに辛いのに。
全てを思い出してしまうなんて、どれだけ辛いのだろう…。
「勿論人以外に生まれ変わった事もあったと思う。記憶はないけれど。それでも私は様々な世界に生まれ変わり、様々な人生を送って来た。そんな様々な人生を送っていても、必ず私は前世の記憶を取り戻してしまう。私が前世を取り戻すにはきっかけがあるんだ。そのきっかけは…カオ、君だ」
「私…?」
「そうだ。私はどんな世界でも君に出会う。どの世界でも君は『カオリ』と言う名を持ち、私は必ず君に恋をするんだ」
真っ直ぐにそう告白されて、私の顔はきっとタコなみに赤い筈。
「……そして、それは私だけじゃない。『リョウイチ』もまた、君に恋をするんだ。君と出会って前世を取り戻して」
「嶺一が…?」
「あぁ。…正直凄く腹立たしいが、『リョウイチ』と『カオリ』が夫婦になった人生もある。…それに、私はいつも君の『初めて』をリョウイチに持っていかれるんだよ」
「あ、あの…マコ?」
「私は君の処女を貰った事がないっ!今回だって、嶺一が君の初めてを貰ってるし、前回だって遼一が薫の初めてを貰ってるっ!」
何やら恥ずかしい事を叫ばれているが、言われて私は思い出す。そう言えば前世で初めて出来た恋人は『遼一』と言う名で、結婚を誓い合っていたけれど病気で先に逝ってしまった事を。
…病気?…ん?ちょっと待って。
何か、引っかかる。リョウイチが病気…。
そうだ。嶺一の遺書にあったんだ。病気なんかで引き離されるなんてもう嫌だって。
あれは、私が嶺一を置いて去った時の事を言ってたんじゃなくて、前世で病気別れをした事を言っていたのね。
「いつもいつも、君の心を先に捕らえるのはリョウイチなんだっ。ずるいと思わないかっ!?」
「ずるいって、マコ…」
「大体、君はいつもリョウイチを美化し過ぎるっ!知ってるかいっ?あいつが今回私に残した手紙の内容をっ!」
「マコ…。貴方に残した手紙を私が知ってる訳ないでしょ。そんな手紙あった事今知ったわよ」
「私達は互いに前世の記憶を取り戻した時は手紙を互いにあてて書く事に決めているんだ。その手紙は必ず、カオリの実家の側にある図書館の一冊の本の中に入れる様にしている。って今はそんな事より、リョウイチの手紙だっ!こう書いてあったんだよっ。『今回も仕方なく、おれの大事なカオリの夫の座を譲ってあげるよ。でも来世では、譲らないから。調子に乗るなよ、マコト』ってっ!くそっ!腹が立つっ!」
…呆れてものが言えないとはこういう事か。遺書に書いていた嶺一の『まこと』の意味も今漸く理解した。まこととは誰の事なのかとずっと思っていたけれど。そうか。
あの『まこと』は『誠さん』の事ではなく、ずっとライバル関係にある『マコト』の事を言うのだと。
「…男二人で何してるんだか」
思わず苦笑する。すると、何故かマコは真剣な顔で私を見詰めた。
「私も、リョウイチもずっとずっと君が好きなんだ。私と言う存在が生まれてからずっと君に恋をして、愛してきたんだ。それはずっと変わらない。今までも、これからも」
「マコ…。ありがとう…」
「来世こそは、君の処女を貰い受けるっ。絶対にリョウイチより先に君を見つけてみせるからっ!」
「ふふっ。楽しみにしてるわ。でも…そうね。私としては次は男に生まれ変わりたいわ。貴方達と三人で男の友情を築いてみたい」
「…いや。それは無理だよ。君が男でも私は君に惚れる自信がある」
大丈夫。それはそれでとても美味しい展開だから。とは流石に言えず、ごくりと飲みこみ微笑んで誤魔化す。
「しかし、私と…恐らく遼一もそうだったと思うが、君に前世の記憶があるのは凄く嬉しいんだ。だが同時に不思議でもある。何故今回だけ君に前世の記憶があるんだろう?」
今まで一度もそんな事はなかったのに。マコが小さく呟いた。心当たりは一つしかない。
「……多分。美鈴の所為ね」
「美鈴の?」
「えぇ。マコは美鈴が前世の記憶を持っている事を知ってる?」
「何となくだが、そんな気はしていた。…美鈴は『華』なんだろう?」
頷く。華は前世での私とマコの娘。
「私が前世の記憶を持って生まれ変わったのはきっと、美鈴を助ける為だと思うの」
「どういう意味だい?」
「私はね、マコ。貴方が逝ってから、割と直ぐに。華が大学生に上がる寸前で死んでるの」
「そんなに早く…?なら華は一人で?」
「えぇ。その間、色々あったみたい。いいえ。その間に限った事ではないわね。あの子はほら、可愛かったでしょ?」
「あぁ。私達の子はいつだって可愛いが?」
「身内の欲目抜きにしても可愛いのよ。華は私に必死に隠していたけど色んな男に襲われていた」
「……なんだと?」
「きっとあの子の初めてはレイプだったんだわ。それにあの子の死因。これはあの子がはっきりと言ったわ。ストーカーに刺されたって」
「なっ!?」
「ねぇ、マコ?…ストーカーに刺されたのよ?その後は想像がつくでしょう?あの子は死んでからも体を好きなようにされたのよ。そんなの…地獄だわ」
「まさか…美鈴の男性恐怖症は、それが原因かい?」
「そうよ。分かる?マコ。そんな男性に恐怖しかわかない美鈴が、乙女ゲームのヒロインに生まれ変わったのよ。こんなに生き辛い人生を与えられたの。…私のこの記憶はきっと、あの子を助ける為に神様がくれたもの。今度こそあの子に幸せな人生を歩ませる為に神様がくれた能力だって。…そう、思うの」
私はそっとマコの肩に自分の額を押し付けた。マコはそんな私を優しく抱きしめてくれる。
「……私と、カオの愛する娘を殺したうえ、レイプ…?」
「マコ?」
「…殺すしかないね」
にっこり。いや、うん、まぁ、その考えを否定する気はないけれど。私も美鈴にそう言ったし。でもね。
「どうやって前世の人間を殺すのよ」
美鈴に言われた言葉をそのままマコに言う。すると、マコはがっかりと肩を落として、
「あぁ、そうか。私だと無理かー…。嶺一ならきっと呪いを飛ばして殺す位は出来るんだろうが」
心底悔しそうに呟いた。にしても、今嶺一なら出来るとか言わなかった?嶺一、貴方黒魔導士かなんかだったの?
「来世のリョウイチに手紙で残しておこう。そうすれば、そいつの存在は消し去れる」
マコ。えらく清々しい表情で言ってるけど、私は一言言わねばならない。
「私も同意してたって伝えといて。二度と生まれ変わる事のないようにお願い」
「任せてくれ」
にしても、なんだかんだで、自分が出来ない所を互いで補い合ってるんだから、『リョウイチ』と『マコト』は仲がいいわね。
なんだかおかしくて、クスクスと笑っていると、今笑うような話をしていたかい?と真剣に言われた。
だから、二人の仲がなんだかんだでいいのが面白かったのだと素直に言うと、マコは破顔して、
「私達は互いが唯一の親友だから、ね」
と断言した。時を越えて続く親友か。ちょっと嫉妬してしまいそう。
いつも『私』に恋をするなら、私だって記憶を持っててもいいのに。これじゃあ私だけ仲間はずれじゃない。
何だか少し腹が立ってきた。
すると、そんな私に気付いたマコが額にキスをすると苦笑した。
「前世での記憶なんてない方がいい。その方が今の人生だけを考えて生きていられるから。前世の記憶がずっとあるって事は、不老不死と変わらないんだよ。カオ」
死んだ時の記憶。私は病気で呼吸が出来ないで華を助ける事も出来ずにただただその苦しみの中で逝った。確かに、そんな記憶はない方がいい。でも、だったら、マコとリョウイチはずっと…。
そっとマコの首へ腕を回し自分から抱きしめる。するとマコは嬉しそうに笑って言った。
「私達はもう慣れてるから気にしなくていい。生まれ変わった先でリョウイチと会って酒を酌み交わして笑い話にする位には慣れてるから」
「そ、そうなの…?」
「あぁ。まぁおかげで死への恐怖ってのがなくなってるのも確かだけどね」
「……そうなの?」
「あ、あれ?どうして怒るんだい?」
道理で前世でマコはあっさりと死を受け入れたのね。今世の嶺一も死への抵抗がなかったのね…?
「……マコ。誠さんとしての人生をあっさり打ち切ったら、私、二度と貴方と恋なんてしないから」
「…そんなの」
「無理だとでも?この私がしないと言ったらしないわ。私に今までの『カオリ』の記憶はないけど、有言実行の精神は魂に刻まれてると思うの」
「……うぅ…」
色々と思い当たる所があるのだろうか。私を抱きしめる腕に力がこもる。
「マコ。返事は?」
「…分かった。絶対に絶対に長生きする。少なくとも、佳織よりは長く生きるよ」
「よろしい。嶺一にも伝えておいてね」
「絶対に伝える。私だけだと不公平だっ」
ほっとした。これで少なくとも今回は私も子供も独りになる事はないから。
「子供と言えば。私、マコの前の奥さんの事知らないわ」
ふと思った事を口に出すと、確かにとマコは頷いた。
「そう言えばそうだね。話した事もなかったし」
興味がわいてきた。マコが結婚するような人ってどんな人だったんだろう?
「どんな人?」
「そうだな…。明るくて、心が強くて、私の事をいつも―――『バカ兄』と呼んでくる奴だった」
「!?」
驚きに目を見開く。マコをバカ兄と呼ぶ人間。そんな人、私は一人しか知らない。
嘘だと、そんな事あるわけないのに、と。
でも、私の脳は懐かしい姿を思い浮かべる。一緒に過ごしたあの子を。一緒に笑って、怒って、常に一緒にいた―――私にとって唯一無二の存在を。

―――『薫っ!ホントにこんなのでいいのっ!?見た目はいいかもしれないけど、『バカ兄』よっ!?

「今も昔も私と血が繋がった時なんて一度もないのに。彼女は私を兄呼ばわりする」

―――『大好きっ!ずっとずーっと私達は親友だよっ。薫っ』

「僕の前妻は、息子たちの母親は―――君の親友だよ…」
「あ…ぁ…」
言葉が出ない。言葉にならない。ボロボロと涙が零れる。
「彼女もまた君と関わる人間の一人だ。いつの世も彼女は君の親友になる。記憶はない筈なのに」
「…み、お…っ、澪っ…」
前世での私を最後まで見守ってくれた親友。
会いたかった。私の事を覚えていなくても、澪、貴女にまた会いたかったっ!
「っ…酷いわ、澪っ、…ふっ、…私に、会わずに、逝くなんて…っ」
顔を両手で覆い、泣く事で親友の死を悼む。澪が私の事を知らなくても、私は貴女を覚えている。だから、私の心は親友の喪失に痛み、瞳は涙で濡れていく。
「ほら。あまり泣くと目が腫れてしまうよ?」
覆っていた手をよせられ、目尻に溜まった涙を唇で拭われる。
「美鈴や息子達が勘違いしてしまうし」
「勘違い……?、って、えっ!?」
涙や色んなものが吹っ飛んだ。それって、その、そういう事をしてマコが私を泣かせたって勘違いされるって事?……一瞬恥ずかしかったけど、よくよく考えてみると、今更よね?
私美鈴に結構マコが激しいって相談してたりするし。腰揉んでもらったりしてるし…。あー……何か逆にごめんね、マコ。
少し落ち着いた。
「…鴇、葵、棗は私にとって親友の子なのよね。…なら、澪を安心させる為にもビシバシ育てないとねっ」
「ほどほどにね」
なんか今日は色んな事を知り過ぎた。
でも、何だろう。心はすっきりしてる。私の中で燻っていた事が全て解決したからかもしれない。
「…カオ…」
「マコ…」
そっと目を閉じて、マコのキスを受け入れる。最初はただ触れあうだけのキス。そこからどんどんキスは深まる。マコの舌を口を開いて招いて絡め合う。
互いに互いの呼吸を奪い、それでも足りないと深く深くキスをした。
マコが私をソファにゆっくりと押し倒す。もう一度キスをして、マコの手が私の服の中に入った、その時。

―――~~♪~~~♪♪♪~~♪

携帯の着信音が鳴った。
私の携帯じゃない。って事はマコのかな?
不満気にしながら片手でスラックスのポケットから携帯を取り出し、手早く操作する。
そして、マコはそれはそれは微妙な顔をした。首を傾げて疑問を返すと、マコは携帯の画面を私に見せて、私も苦笑する。
その画面には、

『旭が産まれたばっかりなんだから、二人共、自重してねっ!美鈴』

と書かれていた。
鴇の携帯から送られて来たメールに、私とマコは気が削がれてしまい、互いに顔を見合わせて笑った。
落ちてきた前髪を掻き上げて、マコは私に手を差し伸べる。
「仕方ない。今日はもう寝ようか。『佳織』」
佳織呼びに驚いたけれど、これはきっとマコの意志表示。今の人生は『薫』ではなく『佳織』だから。
そして、佳織の相手は『慎』ではなく『誠』だから。
だから、私は差し出された手に自分の手を重ねて、
「そうね。寝ましょう。『誠さん』」
そう言って、起き上がって。
私と誠さんは残ったワインを片手に寝室へと向かった。二人で一緒に寄り添いながら。
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