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41.
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サラは一人、ボスへの扉を開く。
中に踏み込むと、周囲は森林、中央は草原になっており、さらに草原の中央には大きな岩が鎮座する。
背後で扉が閉まり、サラはこの広場に一人となった。
立ち止まり、深呼吸をする。
右手には剣、左手には杖を持つ。
初めてここに来た時には、兄と王太子がいた。
Bランクのヘルプとして入ってくれた二人は頼もしく、サラは二人の背中を見ながら戦えば良かった。
ほんの数ヶ月前のことなのに、ずいぶん前のことのように感じる。
数日前、兄がとても不機嫌な様子で王宮から帰って来てしばらく、一人で自室に籠っていたと思ったら、帰宅した父と共に、夕食後話があると言われて不思議に思いながら談話室へと向かった。
そこにはすでに母がおり、執事のサムがいた。
暖炉の前にラグを敷いて、クッションをたくさん置き、愛犬コリンは父の隣で静かに座っていた。
今日はココアではなくコーヒーを出され、何か大事な話があるのだなと思っていると、おもむろに父がため息を付き、立ち上がってサラの隣へと腰掛けた。
見上げるとぎゅっと抱きしめられ、サラは驚く。
「お父様?」
父にここ最近抱きしめられたのは、Bランクに上がった時と、学園に主席入学が決まった時。つまり、何かがあった時だということだった。
「どうしたの?」
母と兄に問えば、明らかに二人とも不機嫌だった。
「…戦争だ」
「え!?」
父が呟き、サラが声を上げる。
母と兄は静かに頷き、背後で控えていたサムもまた、頷いた。
「な、なに?何があったの?戦争…?」
「サラを陥れようとするなんて万死に値する」
「え、陥れる…?」
「サラ、あの侯爵家は潰すからな」
兄がとてもいい笑顔で、恐ろしいことを言った。
「潰すって…ああ、何か言ってきたんですね」
侯爵家と聞いて、納得してしまう自分がいた。
あの家とも、ご令嬢とも、相容れないと思っていたので、それについて驚きはなかった。
「…ああ、ジャックが言っていたことはこれだったんですね。私が不正をしているとかなんとか、言ってきたんでしょうか?」
問えば、両親と兄、そして執事の周囲の殺気が膨れ上がった。
正解したのだなと冷静に考えていると、頭上の父が歯ぎしりをした。
「許せん。殺す」
「お、お父様。名誉騎士が殺人はまずいです」
「バレないように殺る。問題ないよサラ」
「う、うーん。問題あります。せめて説明をお願いします」
ずっと離れない父の腕を軽く叩いて冷静になって欲しいと言えば、しぶしぶ父は離してくれたが、隣の位置からは動かなかった。
両親の視線が兄を捉え、兄は説明の為口を開く。
「あそこの娘と同い年のおまえがBランクであることが気に食わないらしい。不正をしているに違いないと阿呆なことをほざいてきたから、父上と母上も協力をしてくれて、サラは不正していないと証拠を持って証明した。だがあそこのボケはグダグダとケチをつけてきやがって、Bランクへの昇級試験を受けさせろと要求してきた」
「な、なるほど…?四十階のボスをもう一度倒せ、ということなんですね」
兄の口調がとてつもなく乱れているが、指摘する勇気はなかった。
両親も執事も、止める気配がない。
「クソどもを葬る為だ、サラ。誰もおまえが不正をしたなんて思ってない。もう一度、四十階に行ってくれるか?」
両親を見る。
執事を見る。
誰もが、優しい目を向けてくれていた。
サラを信じてくれている目だった。
「もちろん。それで疑いが晴れるなら。…でもあの時手伝ってくれたお兄様と殿下はAランクになってしまったし、メンバーは掲示板で募集すればいい…?ああ、私自身がBランクになってしまっているから…」
「サラ」
父が頭を撫でてくる。
見上げれば、父はにこりと微笑んだ。
「せっかくだ、ソロで見せつけてやりなさい」
「…えっ」
サラが驚くが、この場にいる誰も驚いていなかった。
「サラ。大丈夫よ、あなたならできるわ」
母が微笑み、兄も頷く。
「おまえの力は俺が一番良く知っている。今のおまえなら、三十一階から四十階まで、全てソロで余裕だ」
「本当に…?」
「俺がおまえに嘘をつくはずがないだろ」
「クリスが言うなら間違いない。サラ、あのカスどもを、力でねじ伏せておいで」
「…お、お父様まで…」
「家を潰すのは任せてね。王家に先を越されそうだけど、うちも負けてはいられないわ」
「お、お母様…?」
「やつらのことは二人に任せて、四十階ボスのソロ攻略について話をしよう」
「は、はい、お兄様」
ようやく父は立ち上がり、定位置へと戻っていった。
愛犬コリンが待ってましたとばかりに父の上に乗っかって、ごろごろと転がっている。
空気の読める、頭のいい子だった。
執事もマグカップを持ってきて、コーヒーと置き換える。
中に入っていたのは、ココアだった。
「ありがとう」
「お嬢様は毎日努力をなさっています。ご家族もわたくしも、それを知っております。自信を持って、挑んで来て下さい」
「…うん、頑張るね」
家族が信じてくれている。
ダンジョン攻略に付き合ってくれている兄が、できると言ってくれている。
サラは、自分を信じることにしたのだった。
Bランクの試験を受けるまで、サラは兄に手伝って欲しいと言ったことがなかった。
ボス戦のアドバイスを受けたことはあっても、一緒にダンジョンへ行こう、と誘ったこともなかった。
二つ上の兄は王太子殿下の親友でありパーティーメンバーでもある為、いつも王太子殿下の予定に合わせて動いていた。
邪魔をしてはいけないと思ったし、出来る限り自分一人で頑張ろうと思っていた。
王太子だけでなく、カイル達の都合もあり、気づけば兄達は最高学年になるまでAランクへの昇級試験を受ける機会に恵まれなかった。そのおかげで、サラの昇級試験のヘルプ要員として、初めて助けてもらえることになったのだった。
かつてサラは暇さえあればダンジョンへ行き、一人で攻略パーティーに入っていた。ソロ活動は他人の都合に左右されないという点においては自由であったが、攻略するには人数が必要であり、その点では不幸でもあった。
掲示板の募集は一期一会である。
それでも攻略を目的とするパーティーとは、タイミングが合えば何度も組むこともあった。
メンバーにならないか、と誘われたことも一再ではない。
だが声をかけてくれるのは随分と歳の離れた年上のパーティーばかりで、しかも回復要員として求められていることがほとんどだった。
回復が嫌なわけではない。
求められる役割はきちんと果たす。これはサラが冒険者として活動する上での絶対の方針である。
だが、回復のみを求められるパーティーのメンバーになりたいとは思わなかった。
魔力を持つ人間はどの国でも貴族や貴族に連なる者、まれに平民である。
つまり、絶対数が少ない。
ランクが上がれば上がるほど、後衛の数は減る。
後衛のいないパーティーに未来はない。前衛の力だけで攻略できる程、ダンジョンは甘くないのだった。
どのパーティーも優秀な後衛を求める。
だが回復要員のみを求めるパーティーに、優秀な人達はいなかった。
パーティーにおける後衛の役割は、回復はもちろん最重要ではあるが、それだけではない。
攻撃はもちろんのこと、補助魔法や弱体魔法も必須なのである。
その辺の重要性を理解しているパーティーには、きちんと後衛がいた。
誘われても年齢を理由に断りながら、攻略パーティーに入ってこつこつとレベルを上げた。
効率はそれほど良くなかった。
ダメだな、と思うパーティーに当たることのほうが圧倒的に多かったが、サラには他に手段がなかったから、どこがダメなのか、どうすればもっとスムーズに戦闘ができるのか、経験値を稼げるのかを常に考えていた。
本当にいいパーティーに入れたこともある。
そんな時には、自分が考えていた作戦とどう違うか、もっと効率のいい戦い方はあるのかを、全て記憶しながら戦った。
赤の他人とパーティーを組んで戦うことの難しさ、上手く回った時の達成感。
さりげなくフォローすることの重要性、パーティーメンバーの人間性。
瞬時に見抜けなければ、上手く立ち回れなくなるのだった。
リーダーを不快にさせて仲間割れを始めたパーティーを知っている。
回復の優先権を巡って喧嘩を始めたパーティーを知っている。
戦利品は平等に分配するという約束を違え、ごまかしたパーティーを知っている。
奇数層のボス討伐で、ピンチになったからとサラを一人囮にして逃げたパーティーを知っている。
元からパーティーメンバーの後衛が、サラと連携を取ろうとせずに暴走し、パーティーに迷惑をかけておきながらサラのせいにしてきたこともある。
色々な人と出会い、色々な人を見てきた。
たくさんのパーティーに入り、色々な思いをしてきた。
学んだことは、サラを信じてくれる人のことを大切にしよう、ということ。
好きになれない相手と、我慢してまで付き合う必要なんて欠片もないのだということだった。
こちらが我慢したって、相手には我慢していることなど伝わらない。
付き合えば付き合うだけ、こちらが疲れてしまうのだった。
そこまでして、繋がっていたい相手かどうか。
我慢してまで、親しくしたい相手かどうか。
…考えた時、サラにとって大切にしたい相手とは、サラのことを信じて大切にしてくれる相手なのだと悟ったのだった。
三十一階から四十階まで、ソロでやれると家族が信じてくれた。
サラは、その期待に応えたい。
三十一階に立ったとき、王太子は言った。
「厳しいようなら言ってくれ。いつでも手助けはする。信じて欲しい」
気遣いが、嬉しかった。
兄は言った。
「十一階から二十階まで走った時のように、走ればいい。今のおまえは余裕で出来る」
信頼が、嬉しかった。
実際に走り出してみれば、範囲攻撃の威力が上がっており、剣のダメージも上がっていた。
確実に、レベルアップしている。
兄とリアムと共に攻略を進めている成果がこんなに早く、目に見える形で現れていることにサラは感動した。
嬉しかった。
今、まだ仲間とは言い切れないまでも共に攻略してくれる二人がいて、サラはとても充実していた。
二人はサラのレベル上げを最優先にしてくれる。
冒険者として活動を始めて、サラは初めて自分を優先してもらう、という経験をしていた。
嬉しくもあり、申し訳なくもあり、早く強くなる為に、ありがたく甘えさせてもらおう、と素直に思えるようにもなっていた。
グレゴリー侯爵令嬢はずっと、最優先で大切にされてきているお嬢様だった。
大切にされることが当たり前の、侯爵家の令嬢なのだった。
だから、彼女のことを優先しないサラを煩わしい存在だと思っているのだ。
周囲に侍るメイドや護衛も同様の思想を持っていて、それはおそらく侯爵家全体の思想なのだろうと思えば、相容れないと思うのも致し方ないことだった。
何不自由なく生きてきて、大切にされている。
それはサラも同様だったが、彼女は他人から大切にされること、優先されることが当然と思っていて、それが許される環境がどれほど恵まれているかすら気づいていない人だった。
サラは彼女を変えられるなんておこがましいことは思わないし、必要も感じない。
互いに関わり合いにならなければ済む話であるのに、向こうから何かを仕掛けてくるのである。
煩わしい、と思うのはサラの方も同様であった。
ここで実力を見せつければ、難癖をつけてくることもなくなるだろう。
私は私の人生を歩みたいし、彼女は彼女の人生を歩めばいいのだった。
四十階、広場中央に歩み寄りつつ、自身に強化魔法と魔法剣をかける。
徐々に体力が回復していく魔法もかけ、徐々に魔力が回復していく魔法もかける。
魔力ポーションを飲んで回復させた所に、空から岩に向かってブルーワイバーンが舞い降りてきた。
ボスのブルーワイバーンは威嚇するように両翼を広げ、咆哮を上げた。
びりびりと空気が震え、空に暗雲が立ちこめる。
水属性のブルーワイバーンは雷雨を呼び、水の竜巻を起こし、その声は人の精神に作用する。恐怖を呼び起こし、身体を竦ませ、鋭い爪と牙、しっぽで攻撃をする。
大きな翼で払われたら森林まで吹き飛ぶし、水柱に触れると刃で切りつけられたようにたやすく身体に傷がつく。
おまけに体力が三割減る毎に空を飛び、一割削らなければ地上には降りて来ない。
遠隔武器もしくは攻撃魔法は必須であり、空にいる間は体力をじわじわと回復させるのだった。
雷属性の魔力を宿して剣を振り、翼と両足を狙う。
振り払おうとしてくるのを剣の腹で受け止め背後に飛ばされながら、回復魔法を唱える。
兄が余裕だと言ってくれた通り、敵の体力の減りは早かった。
それでも爪でひっかけられたら皮膚は裂けて血が飛ぶし、吹っ飛ばされたら全身がびりびりと重く痛む。
痛みと衝撃を長引かせないよう、即回復は必須であり、魔力が尽きても終わりなので魔力ポーションも余裕を持って使用する。
使わなくても勝てそうではあったが、戦闘を長引かせるつもりはない。
攻撃を食らうと、痛いのだった。
折角揃えた装備がぼろぼろになっていくのも見たくない。
修復して使用するが、せっかく素材を持ち込んで作ってもらった一点物の装備なのだ。できれば綺麗なままでいて欲しいと思うのだった。
悲鳴のような声を上げながら、ワイバーンが空を飛んだ。
無防備な瞬間を逃さず、自身の最強魔法を叩き込む。
逃げ回るように空を大きく旋回しているが、軌道を読んでさらに追撃。
口から恐怖に陥れる衝撃波を飛ばして来るのを、食らった瞬間解除する。
さらに攻撃魔法を撃ち込めば、予想よりずっと早く一割削れたようで、再び地面を揺らしながらワイバーンが落ちてきた。
強化魔法をかけ直し、回復魔法をかけ直す。
相手にデバフをかけられるだけかけるが、どれもがすんなりかかってくれた。
初めて戦った時にはほとんどがレジストされたというのに、己の成長を感じてサラは嬉しくなる。
魔力ポーションを使用し、ランダムで草原に四本の水柱が立つのを触れないよう距離を取りながら、敵に近づいて攻撃をする。
水の竜巻も複数沸き起こり、サラを追いかけて来るが、時間経過で消えるまで逃げる。
逃げていてもワイバーンは衝撃波を飛ばして追撃して来るので、食らったら安全な位置で解除する。
距離があれば攻撃魔法を唱え、近ければ剣で攻撃をする。
再度空を飛び、落としてしまえば後は地上で叩くだけだった。
最後は空を飛ぶ以外の攻撃を全て攻撃力がアップした状態で行ってくる為、回復を切らさないこと、落ち着いて攻撃をすることが重要となる。
強化魔法をかけ直し、回復をし、敵にデバフを入れることも忘れない。
最後まで油断はしない。
暴れるワイバーンの攻撃をかわし、剣を振る。
最後のとどめで剣を刺す。
断末魔の叫びを上げ、両翼を震わせ、大きな体を捩って逃げようとするが叶わず、少しずつ力が抜けて、ブルーワイバーンはぱたりと地面に倒れ伏した。
「た…倒せた…」
信じられない思いと、自分がやったんだ、という達成感が入り交じり、肩で息をしながら震える両手を握りしめた。
力が抜けて、ワイバーンの死骸の側にへたり込む。
死骸を回収し、森林と草原と岩しかなくなった空間を見渡した。
地面には穴がたくさん開いて土が盛り上がったり飛び散ったりして草原がまだらになり、森林は木々がなぎ倒されて空間が出来ており、岩はワイバーンの爪で抉られ大きく欠けていた。
激闘の後が見える広間に、己がやったのだと実感が沸いた。
思っていたよりずっと安定して戦えたし、攻撃は痛かったけれども、それほど強いとも思わなかった。
レベル上げの成果に、サラは嬉しくなった。
中に踏み込むと、周囲は森林、中央は草原になっており、さらに草原の中央には大きな岩が鎮座する。
背後で扉が閉まり、サラはこの広場に一人となった。
立ち止まり、深呼吸をする。
右手には剣、左手には杖を持つ。
初めてここに来た時には、兄と王太子がいた。
Bランクのヘルプとして入ってくれた二人は頼もしく、サラは二人の背中を見ながら戦えば良かった。
ほんの数ヶ月前のことなのに、ずいぶん前のことのように感じる。
数日前、兄がとても不機嫌な様子で王宮から帰って来てしばらく、一人で自室に籠っていたと思ったら、帰宅した父と共に、夕食後話があると言われて不思議に思いながら談話室へと向かった。
そこにはすでに母がおり、執事のサムがいた。
暖炉の前にラグを敷いて、クッションをたくさん置き、愛犬コリンは父の隣で静かに座っていた。
今日はココアではなくコーヒーを出され、何か大事な話があるのだなと思っていると、おもむろに父がため息を付き、立ち上がってサラの隣へと腰掛けた。
見上げるとぎゅっと抱きしめられ、サラは驚く。
「お父様?」
父にここ最近抱きしめられたのは、Bランクに上がった時と、学園に主席入学が決まった時。つまり、何かがあった時だということだった。
「どうしたの?」
母と兄に問えば、明らかに二人とも不機嫌だった。
「…戦争だ」
「え!?」
父が呟き、サラが声を上げる。
母と兄は静かに頷き、背後で控えていたサムもまた、頷いた。
「な、なに?何があったの?戦争…?」
「サラを陥れようとするなんて万死に値する」
「え、陥れる…?」
「サラ、あの侯爵家は潰すからな」
兄がとてもいい笑顔で、恐ろしいことを言った。
「潰すって…ああ、何か言ってきたんですね」
侯爵家と聞いて、納得してしまう自分がいた。
あの家とも、ご令嬢とも、相容れないと思っていたので、それについて驚きはなかった。
「…ああ、ジャックが言っていたことはこれだったんですね。私が不正をしているとかなんとか、言ってきたんでしょうか?」
問えば、両親と兄、そして執事の周囲の殺気が膨れ上がった。
正解したのだなと冷静に考えていると、頭上の父が歯ぎしりをした。
「許せん。殺す」
「お、お父様。名誉騎士が殺人はまずいです」
「バレないように殺る。問題ないよサラ」
「う、うーん。問題あります。せめて説明をお願いします」
ずっと離れない父の腕を軽く叩いて冷静になって欲しいと言えば、しぶしぶ父は離してくれたが、隣の位置からは動かなかった。
両親の視線が兄を捉え、兄は説明の為口を開く。
「あそこの娘と同い年のおまえがBランクであることが気に食わないらしい。不正をしているに違いないと阿呆なことをほざいてきたから、父上と母上も協力をしてくれて、サラは不正していないと証拠を持って証明した。だがあそこのボケはグダグダとケチをつけてきやがって、Bランクへの昇級試験を受けさせろと要求してきた」
「な、なるほど…?四十階のボスをもう一度倒せ、ということなんですね」
兄の口調がとてつもなく乱れているが、指摘する勇気はなかった。
両親も執事も、止める気配がない。
「クソどもを葬る為だ、サラ。誰もおまえが不正をしたなんて思ってない。もう一度、四十階に行ってくれるか?」
両親を見る。
執事を見る。
誰もが、優しい目を向けてくれていた。
サラを信じてくれている目だった。
「もちろん。それで疑いが晴れるなら。…でもあの時手伝ってくれたお兄様と殿下はAランクになってしまったし、メンバーは掲示板で募集すればいい…?ああ、私自身がBランクになってしまっているから…」
「サラ」
父が頭を撫でてくる。
見上げれば、父はにこりと微笑んだ。
「せっかくだ、ソロで見せつけてやりなさい」
「…えっ」
サラが驚くが、この場にいる誰も驚いていなかった。
「サラ。大丈夫よ、あなたならできるわ」
母が微笑み、兄も頷く。
「おまえの力は俺が一番良く知っている。今のおまえなら、三十一階から四十階まで、全てソロで余裕だ」
「本当に…?」
「俺がおまえに嘘をつくはずがないだろ」
「クリスが言うなら間違いない。サラ、あのカスどもを、力でねじ伏せておいで」
「…お、お父様まで…」
「家を潰すのは任せてね。王家に先を越されそうだけど、うちも負けてはいられないわ」
「お、お母様…?」
「やつらのことは二人に任せて、四十階ボスのソロ攻略について話をしよう」
「は、はい、お兄様」
ようやく父は立ち上がり、定位置へと戻っていった。
愛犬コリンが待ってましたとばかりに父の上に乗っかって、ごろごろと転がっている。
空気の読める、頭のいい子だった。
執事もマグカップを持ってきて、コーヒーと置き換える。
中に入っていたのは、ココアだった。
「ありがとう」
「お嬢様は毎日努力をなさっています。ご家族もわたくしも、それを知っております。自信を持って、挑んで来て下さい」
「…うん、頑張るね」
家族が信じてくれている。
ダンジョン攻略に付き合ってくれている兄が、できると言ってくれている。
サラは、自分を信じることにしたのだった。
Bランクの試験を受けるまで、サラは兄に手伝って欲しいと言ったことがなかった。
ボス戦のアドバイスを受けたことはあっても、一緒にダンジョンへ行こう、と誘ったこともなかった。
二つ上の兄は王太子殿下の親友でありパーティーメンバーでもある為、いつも王太子殿下の予定に合わせて動いていた。
邪魔をしてはいけないと思ったし、出来る限り自分一人で頑張ろうと思っていた。
王太子だけでなく、カイル達の都合もあり、気づけば兄達は最高学年になるまでAランクへの昇級試験を受ける機会に恵まれなかった。そのおかげで、サラの昇級試験のヘルプ要員として、初めて助けてもらえることになったのだった。
かつてサラは暇さえあればダンジョンへ行き、一人で攻略パーティーに入っていた。ソロ活動は他人の都合に左右されないという点においては自由であったが、攻略するには人数が必要であり、その点では不幸でもあった。
掲示板の募集は一期一会である。
それでも攻略を目的とするパーティーとは、タイミングが合えば何度も組むこともあった。
メンバーにならないか、と誘われたことも一再ではない。
だが声をかけてくれるのは随分と歳の離れた年上のパーティーばかりで、しかも回復要員として求められていることがほとんどだった。
回復が嫌なわけではない。
求められる役割はきちんと果たす。これはサラが冒険者として活動する上での絶対の方針である。
だが、回復のみを求められるパーティーのメンバーになりたいとは思わなかった。
魔力を持つ人間はどの国でも貴族や貴族に連なる者、まれに平民である。
つまり、絶対数が少ない。
ランクが上がれば上がるほど、後衛の数は減る。
後衛のいないパーティーに未来はない。前衛の力だけで攻略できる程、ダンジョンは甘くないのだった。
どのパーティーも優秀な後衛を求める。
だが回復要員のみを求めるパーティーに、優秀な人達はいなかった。
パーティーにおける後衛の役割は、回復はもちろん最重要ではあるが、それだけではない。
攻撃はもちろんのこと、補助魔法や弱体魔法も必須なのである。
その辺の重要性を理解しているパーティーには、きちんと後衛がいた。
誘われても年齢を理由に断りながら、攻略パーティーに入ってこつこつとレベルを上げた。
効率はそれほど良くなかった。
ダメだな、と思うパーティーに当たることのほうが圧倒的に多かったが、サラには他に手段がなかったから、どこがダメなのか、どうすればもっとスムーズに戦闘ができるのか、経験値を稼げるのかを常に考えていた。
本当にいいパーティーに入れたこともある。
そんな時には、自分が考えていた作戦とどう違うか、もっと効率のいい戦い方はあるのかを、全て記憶しながら戦った。
赤の他人とパーティーを組んで戦うことの難しさ、上手く回った時の達成感。
さりげなくフォローすることの重要性、パーティーメンバーの人間性。
瞬時に見抜けなければ、上手く立ち回れなくなるのだった。
リーダーを不快にさせて仲間割れを始めたパーティーを知っている。
回復の優先権を巡って喧嘩を始めたパーティーを知っている。
戦利品は平等に分配するという約束を違え、ごまかしたパーティーを知っている。
奇数層のボス討伐で、ピンチになったからとサラを一人囮にして逃げたパーティーを知っている。
元からパーティーメンバーの後衛が、サラと連携を取ろうとせずに暴走し、パーティーに迷惑をかけておきながらサラのせいにしてきたこともある。
色々な人と出会い、色々な人を見てきた。
たくさんのパーティーに入り、色々な思いをしてきた。
学んだことは、サラを信じてくれる人のことを大切にしよう、ということ。
好きになれない相手と、我慢してまで付き合う必要なんて欠片もないのだということだった。
こちらが我慢したって、相手には我慢していることなど伝わらない。
付き合えば付き合うだけ、こちらが疲れてしまうのだった。
そこまでして、繋がっていたい相手かどうか。
我慢してまで、親しくしたい相手かどうか。
…考えた時、サラにとって大切にしたい相手とは、サラのことを信じて大切にしてくれる相手なのだと悟ったのだった。
三十一階から四十階まで、ソロでやれると家族が信じてくれた。
サラは、その期待に応えたい。
三十一階に立ったとき、王太子は言った。
「厳しいようなら言ってくれ。いつでも手助けはする。信じて欲しい」
気遣いが、嬉しかった。
兄は言った。
「十一階から二十階まで走った時のように、走ればいい。今のおまえは余裕で出来る」
信頼が、嬉しかった。
実際に走り出してみれば、範囲攻撃の威力が上がっており、剣のダメージも上がっていた。
確実に、レベルアップしている。
兄とリアムと共に攻略を進めている成果がこんなに早く、目に見える形で現れていることにサラは感動した。
嬉しかった。
今、まだ仲間とは言い切れないまでも共に攻略してくれる二人がいて、サラはとても充実していた。
二人はサラのレベル上げを最優先にしてくれる。
冒険者として活動を始めて、サラは初めて自分を優先してもらう、という経験をしていた。
嬉しくもあり、申し訳なくもあり、早く強くなる為に、ありがたく甘えさせてもらおう、と素直に思えるようにもなっていた。
グレゴリー侯爵令嬢はずっと、最優先で大切にされてきているお嬢様だった。
大切にされることが当たり前の、侯爵家の令嬢なのだった。
だから、彼女のことを優先しないサラを煩わしい存在だと思っているのだ。
周囲に侍るメイドや護衛も同様の思想を持っていて、それはおそらく侯爵家全体の思想なのだろうと思えば、相容れないと思うのも致し方ないことだった。
何不自由なく生きてきて、大切にされている。
それはサラも同様だったが、彼女は他人から大切にされること、優先されることが当然と思っていて、それが許される環境がどれほど恵まれているかすら気づいていない人だった。
サラは彼女を変えられるなんておこがましいことは思わないし、必要も感じない。
互いに関わり合いにならなければ済む話であるのに、向こうから何かを仕掛けてくるのである。
煩わしい、と思うのはサラの方も同様であった。
ここで実力を見せつければ、難癖をつけてくることもなくなるだろう。
私は私の人生を歩みたいし、彼女は彼女の人生を歩めばいいのだった。
四十階、広場中央に歩み寄りつつ、自身に強化魔法と魔法剣をかける。
徐々に体力が回復していく魔法もかけ、徐々に魔力が回復していく魔法もかける。
魔力ポーションを飲んで回復させた所に、空から岩に向かってブルーワイバーンが舞い降りてきた。
ボスのブルーワイバーンは威嚇するように両翼を広げ、咆哮を上げた。
びりびりと空気が震え、空に暗雲が立ちこめる。
水属性のブルーワイバーンは雷雨を呼び、水の竜巻を起こし、その声は人の精神に作用する。恐怖を呼び起こし、身体を竦ませ、鋭い爪と牙、しっぽで攻撃をする。
大きな翼で払われたら森林まで吹き飛ぶし、水柱に触れると刃で切りつけられたようにたやすく身体に傷がつく。
おまけに体力が三割減る毎に空を飛び、一割削らなければ地上には降りて来ない。
遠隔武器もしくは攻撃魔法は必須であり、空にいる間は体力をじわじわと回復させるのだった。
雷属性の魔力を宿して剣を振り、翼と両足を狙う。
振り払おうとしてくるのを剣の腹で受け止め背後に飛ばされながら、回復魔法を唱える。
兄が余裕だと言ってくれた通り、敵の体力の減りは早かった。
それでも爪でひっかけられたら皮膚は裂けて血が飛ぶし、吹っ飛ばされたら全身がびりびりと重く痛む。
痛みと衝撃を長引かせないよう、即回復は必須であり、魔力が尽きても終わりなので魔力ポーションも余裕を持って使用する。
使わなくても勝てそうではあったが、戦闘を長引かせるつもりはない。
攻撃を食らうと、痛いのだった。
折角揃えた装備がぼろぼろになっていくのも見たくない。
修復して使用するが、せっかく素材を持ち込んで作ってもらった一点物の装備なのだ。できれば綺麗なままでいて欲しいと思うのだった。
悲鳴のような声を上げながら、ワイバーンが空を飛んだ。
無防備な瞬間を逃さず、自身の最強魔法を叩き込む。
逃げ回るように空を大きく旋回しているが、軌道を読んでさらに追撃。
口から恐怖に陥れる衝撃波を飛ばして来るのを、食らった瞬間解除する。
さらに攻撃魔法を撃ち込めば、予想よりずっと早く一割削れたようで、再び地面を揺らしながらワイバーンが落ちてきた。
強化魔法をかけ直し、回復魔法をかけ直す。
相手にデバフをかけられるだけかけるが、どれもがすんなりかかってくれた。
初めて戦った時にはほとんどがレジストされたというのに、己の成長を感じてサラは嬉しくなる。
魔力ポーションを使用し、ランダムで草原に四本の水柱が立つのを触れないよう距離を取りながら、敵に近づいて攻撃をする。
水の竜巻も複数沸き起こり、サラを追いかけて来るが、時間経過で消えるまで逃げる。
逃げていてもワイバーンは衝撃波を飛ばして追撃して来るので、食らったら安全な位置で解除する。
距離があれば攻撃魔法を唱え、近ければ剣で攻撃をする。
再度空を飛び、落としてしまえば後は地上で叩くだけだった。
最後は空を飛ぶ以外の攻撃を全て攻撃力がアップした状態で行ってくる為、回復を切らさないこと、落ち着いて攻撃をすることが重要となる。
強化魔法をかけ直し、回復をし、敵にデバフを入れることも忘れない。
最後まで油断はしない。
暴れるワイバーンの攻撃をかわし、剣を振る。
最後のとどめで剣を刺す。
断末魔の叫びを上げ、両翼を震わせ、大きな体を捩って逃げようとするが叶わず、少しずつ力が抜けて、ブルーワイバーンはぱたりと地面に倒れ伏した。
「た…倒せた…」
信じられない思いと、自分がやったんだ、という達成感が入り交じり、肩で息をしながら震える両手を握りしめた。
力が抜けて、ワイバーンの死骸の側にへたり込む。
死骸を回収し、森林と草原と岩しかなくなった空間を見渡した。
地面には穴がたくさん開いて土が盛り上がったり飛び散ったりして草原がまだらになり、森林は木々がなぎ倒されて空間が出来ており、岩はワイバーンの爪で抉られ大きく欠けていた。
激闘の後が見える広間に、己がやったのだと実感が沸いた。
思っていたよりずっと安定して戦えたし、攻撃は痛かったけれども、それほど強いとも思わなかった。
レベル上げの成果に、サラは嬉しくなった。
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