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17 逃走 2
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唐突にディートハルトの身体から、陽炎のように魔力が立ち昇り、周囲は凍り付いた。
「殿下、突然どうなさったのです」
声を掛けてきたのは、隣に座っていた基地司令のヴェルマーだ。
「アリサの反応が消えた。探しに行く」
「アリサ……? あのテラ・レイスの寵姫の事ですか? しかし今は祭祀の途中で……」
「うるさい」
ディートハルトの身体から魔力が放たれ、あたりのものがなぎ倒された。祭祀の参列者はほとんどが貴族の将校で、自らの魔力で防御をするが、椅子や祭壇などは吹き飛ばされる。
「殿下、突然何をなさるのですか!」
バルツァーの叱責が飛んだ。
「アリサの反応が消えた。俺が作り、彼女に贈った腕輪の探知魔術が作動しない。テラ・レイスのアリサにどうこう出来るとは思えない。誰かがアリサに何かした」
ゆらり、と立ち上がったディートハルトに、周囲が息を飲むのが伝わってくる。
「基地内でそんな滅多な事が起こる訳が……まずは調査を」
「現にその滅多な事が起こってると言っている。さっさと動け。さもないと殺すぞ」
ぐちゃぐちゃとうるさいヴェルマーの顔を、魔力を込めた手で鷲掴みにする。
「あ……が……」
ヴェルマーが苦しんでいる。しかしそんな事はディートハルトにはどうでもいい。
「殿下、そのように頭を締め上げては何も出来ませんよ。どうか魔力を抑えてください」
「お前らもさっさと探しに行けよ。俺の側近だろ?」
バルツァーに言い放つディートハルトの赤い双眸は爛々と光っている。
周囲が気圧され、恐怖が伝播する。
ディートハルトの魔力は規格外、ここにいる誰よりも強く、本気で力を行使すれば、基地がクレーターに変わってもおかしくない。
「陛下です!」
誰かが叫んだ。
「国王陛下が寵姫殿を逃がしました! 首輪の魔術を解除して……」
口を滑らせたのは、ヴェルマーの側近を務める若い軍人だった。
「どういう事だ?」
ディートハルトの身体から立ち昇る魔力の圧が上がった。
「アリサを害した? それとも拐っただけ? そんな事をお前が知っているという事は、基地の連中もグルという事かな?」
「ひっ」
ディートハルトと目が合うと同時に、その青年将校は泡を吹いて気絶した。
「威圧を解かねば尋問すらできませんよ、殿下。どうかお力をお納め下さい」
ディートハルトは舌打ちした。気が付けば、自分自身の足で立っているのはバルツァーとロイド艦長の二名だけになっていた。この二人は普段から浮遊戦艦の中でディートハルトの魔力を浴びている為耐性がある。
「バルツァー、ロイド、父上に連絡を取れ」
ディートハルトは冷たく睥睨し側近二名に命じた。
◆ ◆ ◆
ディートハルトの姿は浮遊戦艦ヴァルトルーデの中にあった。
自室にふんぞり返り、エルンスト王との通信が繋がるのをイライラと待っている。
ヴァルトルーデに戻ったのはセーファス基地が信用出来ないからだ。ヴァルトルーデの整備に関しても、ディートハルト麾下の隊員達にやり直すように命じている。基地の連中に何かの細工をされていてはたまらない。
何人かの候補者の中からソレル・ディア・クライシュを選んだのは、占術の結果が一番良かったからだ。
しかし、高い魔力を持つディートハルトの占術はよく当たるが百発百中ではない。今回は久々の大外れだったらしい。
基地の連中を尋問した結果、イザークがアリサの首輪を外したことが判明した。
クライシュ家は拘束系の魔術に長けた家柄だ。ディートハルトはソレルを会見の相手に選んだことを後悔していた。
本来ならばイザークを確保し、拷問してやりたいところだが、バルツァーに止められた。
背景にエルンストがいる以上、下手に動くのは得策ではない、と。
基地の連中を尋問してわかったのは、アリサが自らの意思で逃げた事。その為に王が動き、基地と太守がアリサの逃走に手を貸したという事だった。
許せない、と思った。
テラ・レイスの女奴隷として、ディートハルトなりに可愛がってやったのに。何が気に入らなかったのか。
酷い言葉をわざと投げつけた事、毎回抱く度にうつろな表情になっていた事、思い当たる事は多々あるが、ディートハルトはそこにはあえて目を背けた。
そして自分で自分に驚いた。何を犠牲にしてもアレを取り戻したいと思っている自分がいる事に。
通信がようやく繋がった。腕の時計と通信機を兼ねた機器から、エルンストの声が聞こえてくる。
「何の用だ。私は忙しいんだがな」
「とぼけるのは止めて下さい、父上。俺の寵姫をどこにやったんですか」
「さあ、私は知らんよ」
「潰しますよ。セーファス。街も基地も。俺が乗艦したヴァルトルーデならそれが出来る」
「そんな事したらこちらも神器で応戦する事になるぞ」
「それもまたいいのではないですか? 俺にとってのアリサはそれだけの価値がある」
そう言い切ると、エルンストは深いため息をついた。
「……妃を娶れ。子を作れ。そうすればあの娘は返してやる」
「やっぱりアリサを連れ去ったのは父上でしたか。お断りします。セーファスかアリサか、どちらかをお選び下さい」
「……何故そこまで婚姻を厭う」
「何度も申し上げているではありませんか。わかって下さらないのは父上の方だ。とても残念です。あなたは国を潰した王として歴史に名を残すことになるのですね」
神器を使ったエルンストにディートハルトは恐らく勝てない。しかし神器の力を攻撃に回せば国土が枯れる。その代償を支払う覚悟が、果たしてこの父にあるだろうか。
「そこまでテラ・レイスの身体は良かったか。私も試してみたくなってきた」
「試す?」
「冗談だ」
ディートハルトが怒気を滲ませると、エルンストは即座に発言を撤回した。
「お前、あの娘に護りの腕輪を与えたな? アレのせいであの娘には何人も手出しできん状態じゃないか。逃げたのはあの娘自身の意思だよ。私はそれを手助けしたにすぎない」
(アリサ……)
ディートハルトはぎり、と歯噛みする。
「……お前の気持ちはわからないでもないんだ。フレデリカの産褥死が心の傷になっていることも」
ぽつりとエルンストが呟いた。
『お前のせいでお母様は死んだのよ!』
姉、クラウディアの幼い頃の声の幻聴が聞こえた。
「しかし王族として、国王として、お前のその我儘を、はいそうですかと聞くことはできない。それもわかるだろう?」
「……本当は俺だってわかっています。貴族の女を妃に迎えて、子を作るということが王族の義務である事は。でもどうしても嫌なんです。出来ないんです」
「…………」
「父上も王族ならお分かりでしょう? 魔力酔いを防ぐ薬を飲ませて、それでも堪えきれずに嘔吐し、気絶する事もある。そんな状態の女を義務とは言え抱いて、孕ませて、あまつさえ死なせる可能性すらある。俺の場合は父上や兄上以上にその確率がかなり高い」
ディートハルトはぐ、と手の平を握りこんだ。
『母殺しの第二王子』。王宮内で口さがない者達にひそひそと囁かれた声が記憶の中から蘇る。
ディートハルトはその身に宿す魔力を恐れる者に、兄ユリウス派の貴族に、その類の言葉の棘を沢山浴びせかけられてきた。
「アリサを返してください。あれは俺にとっての唯一です」
「……そこまであの娘に拘るか」
エルンストははあ、と深いため息をついた。
「……一つ私と賭けをしないか?」
「賭け?」
エルンストの言葉に、ディートハルトはぴくりと反応した。
「お前は今二十四だな? フレデリカが亡くなったのは二十七だった。その二十七歳を迎えるまでの三年間の間に、私が隠したあの娘を探し出してみろ。それが出来ればお前の主張を認めてやる。しかし、見つからなかったら諦めて妃を娶れ。子が一人でも出来たらあの娘は返してやるから」
「そんな賭け、俺が受け入れるとでも?」
「お前とて王族、国を滅ぼしたい訳じゃないと信じている」
「…………」
「お前の魔力、第二王子としての権力、軍との繋がり、それらがあれば勝ち目のない賭けではないと思うぞ? それとも自信がないか?」
こんなもの単なる挑発だ。乗る必要なんてない。
セーファスを潰せば父は折れるかもしれない。
そう思う気持ちと、王族として生まれ育ってきた責任感とがせめぎ合う。
ディートハルトだって、心の底からこの国を焦土にしたい訳ではない。
――この辺りが落とし所か。
エルンストの提案に乗るのは癪だと訴える気持ちがある。
しかしそこにディートハルトは蓋をし舌打ちをした。
「わかりました、父上。その賭け、受けましょう」
そうエルンストに告げた。
「殿下、突然どうなさったのです」
声を掛けてきたのは、隣に座っていた基地司令のヴェルマーだ。
「アリサの反応が消えた。探しに行く」
「アリサ……? あのテラ・レイスの寵姫の事ですか? しかし今は祭祀の途中で……」
「うるさい」
ディートハルトの身体から魔力が放たれ、あたりのものがなぎ倒された。祭祀の参列者はほとんどが貴族の将校で、自らの魔力で防御をするが、椅子や祭壇などは吹き飛ばされる。
「殿下、突然何をなさるのですか!」
バルツァーの叱責が飛んだ。
「アリサの反応が消えた。俺が作り、彼女に贈った腕輪の探知魔術が作動しない。テラ・レイスのアリサにどうこう出来るとは思えない。誰かがアリサに何かした」
ゆらり、と立ち上がったディートハルトに、周囲が息を飲むのが伝わってくる。
「基地内でそんな滅多な事が起こる訳が……まずは調査を」
「現にその滅多な事が起こってると言っている。さっさと動け。さもないと殺すぞ」
ぐちゃぐちゃとうるさいヴェルマーの顔を、魔力を込めた手で鷲掴みにする。
「あ……が……」
ヴェルマーが苦しんでいる。しかしそんな事はディートハルトにはどうでもいい。
「殿下、そのように頭を締め上げては何も出来ませんよ。どうか魔力を抑えてください」
「お前らもさっさと探しに行けよ。俺の側近だろ?」
バルツァーに言い放つディートハルトの赤い双眸は爛々と光っている。
周囲が気圧され、恐怖が伝播する。
ディートハルトの魔力は規格外、ここにいる誰よりも強く、本気で力を行使すれば、基地がクレーターに変わってもおかしくない。
「陛下です!」
誰かが叫んだ。
「国王陛下が寵姫殿を逃がしました! 首輪の魔術を解除して……」
口を滑らせたのは、ヴェルマーの側近を務める若い軍人だった。
「どういう事だ?」
ディートハルトの身体から立ち昇る魔力の圧が上がった。
「アリサを害した? それとも拐っただけ? そんな事をお前が知っているという事は、基地の連中もグルという事かな?」
「ひっ」
ディートハルトと目が合うと同時に、その青年将校は泡を吹いて気絶した。
「威圧を解かねば尋問すらできませんよ、殿下。どうかお力をお納め下さい」
ディートハルトは舌打ちした。気が付けば、自分自身の足で立っているのはバルツァーとロイド艦長の二名だけになっていた。この二人は普段から浮遊戦艦の中でディートハルトの魔力を浴びている為耐性がある。
「バルツァー、ロイド、父上に連絡を取れ」
ディートハルトは冷たく睥睨し側近二名に命じた。
◆ ◆ ◆
ディートハルトの姿は浮遊戦艦ヴァルトルーデの中にあった。
自室にふんぞり返り、エルンスト王との通信が繋がるのをイライラと待っている。
ヴァルトルーデに戻ったのはセーファス基地が信用出来ないからだ。ヴァルトルーデの整備に関しても、ディートハルト麾下の隊員達にやり直すように命じている。基地の連中に何かの細工をされていてはたまらない。
何人かの候補者の中からソレル・ディア・クライシュを選んだのは、占術の結果が一番良かったからだ。
しかし、高い魔力を持つディートハルトの占術はよく当たるが百発百中ではない。今回は久々の大外れだったらしい。
基地の連中を尋問した結果、イザークがアリサの首輪を外したことが判明した。
クライシュ家は拘束系の魔術に長けた家柄だ。ディートハルトはソレルを会見の相手に選んだことを後悔していた。
本来ならばイザークを確保し、拷問してやりたいところだが、バルツァーに止められた。
背景にエルンストがいる以上、下手に動くのは得策ではない、と。
基地の連中を尋問してわかったのは、アリサが自らの意思で逃げた事。その為に王が動き、基地と太守がアリサの逃走に手を貸したという事だった。
許せない、と思った。
テラ・レイスの女奴隷として、ディートハルトなりに可愛がってやったのに。何が気に入らなかったのか。
酷い言葉をわざと投げつけた事、毎回抱く度にうつろな表情になっていた事、思い当たる事は多々あるが、ディートハルトはそこにはあえて目を背けた。
そして自分で自分に驚いた。何を犠牲にしてもアレを取り戻したいと思っている自分がいる事に。
通信がようやく繋がった。腕の時計と通信機を兼ねた機器から、エルンストの声が聞こえてくる。
「何の用だ。私は忙しいんだがな」
「とぼけるのは止めて下さい、父上。俺の寵姫をどこにやったんですか」
「さあ、私は知らんよ」
「潰しますよ。セーファス。街も基地も。俺が乗艦したヴァルトルーデならそれが出来る」
「そんな事したらこちらも神器で応戦する事になるぞ」
「それもまたいいのではないですか? 俺にとってのアリサはそれだけの価値がある」
そう言い切ると、エルンストは深いため息をついた。
「……妃を娶れ。子を作れ。そうすればあの娘は返してやる」
「やっぱりアリサを連れ去ったのは父上でしたか。お断りします。セーファスかアリサか、どちらかをお選び下さい」
「……何故そこまで婚姻を厭う」
「何度も申し上げているではありませんか。わかって下さらないのは父上の方だ。とても残念です。あなたは国を潰した王として歴史に名を残すことになるのですね」
神器を使ったエルンストにディートハルトは恐らく勝てない。しかし神器の力を攻撃に回せば国土が枯れる。その代償を支払う覚悟が、果たしてこの父にあるだろうか。
「そこまでテラ・レイスの身体は良かったか。私も試してみたくなってきた」
「試す?」
「冗談だ」
ディートハルトが怒気を滲ませると、エルンストは即座に発言を撤回した。
「お前、あの娘に護りの腕輪を与えたな? アレのせいであの娘には何人も手出しできん状態じゃないか。逃げたのはあの娘自身の意思だよ。私はそれを手助けしたにすぎない」
(アリサ……)
ディートハルトはぎり、と歯噛みする。
「……お前の気持ちはわからないでもないんだ。フレデリカの産褥死が心の傷になっていることも」
ぽつりとエルンストが呟いた。
『お前のせいでお母様は死んだのよ!』
姉、クラウディアの幼い頃の声の幻聴が聞こえた。
「しかし王族として、国王として、お前のその我儘を、はいそうですかと聞くことはできない。それもわかるだろう?」
「……本当は俺だってわかっています。貴族の女を妃に迎えて、子を作るということが王族の義務である事は。でもどうしても嫌なんです。出来ないんです」
「…………」
「父上も王族ならお分かりでしょう? 魔力酔いを防ぐ薬を飲ませて、それでも堪えきれずに嘔吐し、気絶する事もある。そんな状態の女を義務とは言え抱いて、孕ませて、あまつさえ死なせる可能性すらある。俺の場合は父上や兄上以上にその確率がかなり高い」
ディートハルトはぐ、と手の平を握りこんだ。
『母殺しの第二王子』。王宮内で口さがない者達にひそひそと囁かれた声が記憶の中から蘇る。
ディートハルトはその身に宿す魔力を恐れる者に、兄ユリウス派の貴族に、その類の言葉の棘を沢山浴びせかけられてきた。
「アリサを返してください。あれは俺にとっての唯一です」
「……そこまであの娘に拘るか」
エルンストははあ、と深いため息をついた。
「……一つ私と賭けをしないか?」
「賭け?」
エルンストの言葉に、ディートハルトはぴくりと反応した。
「お前は今二十四だな? フレデリカが亡くなったのは二十七だった。その二十七歳を迎えるまでの三年間の間に、私が隠したあの娘を探し出してみろ。それが出来ればお前の主張を認めてやる。しかし、見つからなかったら諦めて妃を娶れ。子が一人でも出来たらあの娘は返してやるから」
「そんな賭け、俺が受け入れるとでも?」
「お前とて王族、国を滅ぼしたい訳じゃないと信じている」
「…………」
「お前の魔力、第二王子としての権力、軍との繋がり、それらがあれば勝ち目のない賭けではないと思うぞ? それとも自信がないか?」
こんなもの単なる挑発だ。乗る必要なんてない。
セーファスを潰せば父は折れるかもしれない。
そう思う気持ちと、王族として生まれ育ってきた責任感とがせめぎ合う。
ディートハルトだって、心の底からこの国を焦土にしたい訳ではない。
――この辺りが落とし所か。
エルンストの提案に乗るのは癪だと訴える気持ちがある。
しかしそこにディートハルトは蓋をし舌打ちをした。
「わかりました、父上。その賭け、受けましょう」
そうエルンストに告げた。
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