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9. 風見鶏
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案内された先は、ロックス伯家の地下だった。
まさか当主が地下室に籠っているとは……普通の発想では思いつかない。
伯爵の用心深さが窺える。
とても貴族が過ごすような環境とは思えない地下を歩き、一室を訪れる。
無骨な鉄の扉とは裏腹に、部屋の内装は普通の執務室のようだった。
「「…………」」
中には誰もいない。
どうしたものかとグリムと沈黙していると、不意に声が響いた。
「そこにお座りください」
いったいどこから声が……?
そう思っていると、執務机の下からひょっこりと子どもが顔を出した。
歳は十歳くらいだろうか、明るめの茶髪に、丸い碧眼。
彼は中央のソファの前に立ち、私たちに一礼した。
「はじめまして。ぼくがアウグスト・ロックスです。
……ちなみに。本当は父アウグストの息子、マクシミリアン・ロックスと申します」
「ロックス伯のご令息、ですか……?」
頭が混乱する。
彼はアウグスト・ロックス伯爵を名乗ったが、本当は息子さんなのだという。
こんな年端もいかない少年が爵位を継いでいるとは思えない。
「まあまあ、座ってお話しましょう」
そう言うとマクシミリアン様は着席を促す。
私はグリムと隣合って座り、少年と向かい合った。
「……俺も初めて見たよ。アウグスト伯の令息を」
「はは……いつもお世話になっております、グリムでん……様。いつもぼくの面倒なお願いに付き合ってくださり、感謝しかありません」
律儀に頭を下げるマクシミリアン様。
それから彼は、私に向き直った。
「そして、はじめまして聖女様。ぼくのような子どもが出てきて驚いたでしょう? 数年前に病死した父に代わり、ぼくがひっそりと政務をしているのです。人前に姿を現さないのも、そういう事情があるからでして」
「……お若いのにご立派ですね。さぞ大変でしょう」
私は領地経営をこなしていたので、マクシミリアン様の苦労が窺える。
よく王国と帝国の板挟みで、立場を維持できているものだ。
「父に代わる人がいなかったもので、ぼくが色々とやっているのです。父が病死したことは内密にして、数年後に公表して爵位を正式に継ぐつもりでいます。
まあ、そういうことでよろしくお願いしますよ」
まさか『薄情な風見鶏』の正体が、こんな少年だったとは。
しかし、政務の手腕はたしかだ。
こうして数年間、多くの諸侯から厄介に思われているのだから。
「さて、建設的なお話をしましょう。聖女様がゼパルグ王子殿下に暗殺されかけたことは、すでに把握しております。聖女は王国のみならず、周囲の諸国にとっても喉から手が出るほど欲しい存在。そんな御方の暗殺を企てるなど……やはり王国に未来はないものか……」
「ロックス伯。俺が望むのはエムザラの安全だ。そして、帝国へ逃走する経路の確保。この二点は念頭に置いてもらいたい」
グリムの言葉に、マクシミリアン様はしかと頷いた。
「もちろんです。まだお二人が我が領地に逃げたという噂は立っていないでしょうから、しばらくは安全でしょう。厳重な警備も約束します。
とはいえ、帝国へ聖女を引き渡すのはぼくにもリスクがある」
風見鶏というように、どちらか一方には肩入れしすぎない。
ロックス伯爵領は、王国と帝国の緩衝地帯のような役割を果たしている。
だから帝国に聖女を通したのが、ロックス伯だとバレてはいけないのだ。
もし露呈すればロックス伯は完全に王国の敵だと見なされる。
「条件があるなら簡潔に言ってほしい。俺が進言すれば大抵のことは通るはずだ」
「わかりました。ぼくは"帝国に示すための"実績がほしい。
ですから、聖女様を帝国へ引き渡した後……聖女様には帝国の瘴気浄化に協力していただきたいのです。それだけが条件です」
王国以外にも瘴気は存在する。
瘴気を払えるのは、どの国に生まれるのかわからない聖女だけ。
だから聖女は重要な存在なのだと……私は小さいころから教え込まれてきた。
人の住む土地を拓き、聖なる力で国を守る。
そうあるべきなのだと教育された。
しかし、マクシミリアン様の提案にグリムはかぶりを振る。
「……エムザラは聖女という役目に縛られるのが嫌で、王国を逃げ出したんだろう。また聖女の役目に縛りつけるのは……俺としてはあまり愉快じゃないな。彼女を道具扱いするのは……」
私を"聖女"ではなく、"エムザラ"として見てくれるのはグリムだけ。
そんな彼の言葉が心にしみる。
だけど、私も逃げ続けているだけでは駄目なのだと思う。
少なからず、わずかな役目でも果たすことが必要だ。
「私はいいですよ、グリム。王国では……誰かのために聖女の力を使ったことはありませんでした。民から感謝されても、その感謝は聖女に対しての感謝で。私そのものを見てくれる人はいなかった」
「…………」
「しかし、今はグリムが見てくれています。私は……あなたのために聖女の力を使いたい。帝国の瘴気を払って、それが私の安全につながって、そしてグリムとの幸せな未来につながるのなら……喜んで聖女の力を使いたい。今はただ、それだけが本心です」
自分でも不思議なくらい、言葉がすらすらと出てきた。
今までは無駄なことを喋ると叱責が飛んできたのに。
不思議と彼になら心を伝えられたのだ。
私の本音を聞いて、グリムは微笑んだ。
「……ふっ。そうか、君はそう思ってくれるのか。
本当によかったよ。あの日、俺の命を救ってくれたのが君で」
「話はまとまったようですね。それでは、ぼくも色々と動きたいと思います。しばらくは当家でお過ごしください」
こうして、私はしばらくロックス伯家で過ごすことになった。
まさか当主が地下室に籠っているとは……普通の発想では思いつかない。
伯爵の用心深さが窺える。
とても貴族が過ごすような環境とは思えない地下を歩き、一室を訪れる。
無骨な鉄の扉とは裏腹に、部屋の内装は普通の執務室のようだった。
「「…………」」
中には誰もいない。
どうしたものかとグリムと沈黙していると、不意に声が響いた。
「そこにお座りください」
いったいどこから声が……?
そう思っていると、執務机の下からひょっこりと子どもが顔を出した。
歳は十歳くらいだろうか、明るめの茶髪に、丸い碧眼。
彼は中央のソファの前に立ち、私たちに一礼した。
「はじめまして。ぼくがアウグスト・ロックスです。
……ちなみに。本当は父アウグストの息子、マクシミリアン・ロックスと申します」
「ロックス伯のご令息、ですか……?」
頭が混乱する。
彼はアウグスト・ロックス伯爵を名乗ったが、本当は息子さんなのだという。
こんな年端もいかない少年が爵位を継いでいるとは思えない。
「まあまあ、座ってお話しましょう」
そう言うとマクシミリアン様は着席を促す。
私はグリムと隣合って座り、少年と向かい合った。
「……俺も初めて見たよ。アウグスト伯の令息を」
「はは……いつもお世話になっております、グリムでん……様。いつもぼくの面倒なお願いに付き合ってくださり、感謝しかありません」
律儀に頭を下げるマクシミリアン様。
それから彼は、私に向き直った。
「そして、はじめまして聖女様。ぼくのような子どもが出てきて驚いたでしょう? 数年前に病死した父に代わり、ぼくがひっそりと政務をしているのです。人前に姿を現さないのも、そういう事情があるからでして」
「……お若いのにご立派ですね。さぞ大変でしょう」
私は領地経営をこなしていたので、マクシミリアン様の苦労が窺える。
よく王国と帝国の板挟みで、立場を維持できているものだ。
「父に代わる人がいなかったもので、ぼくが色々とやっているのです。父が病死したことは内密にして、数年後に公表して爵位を正式に継ぐつもりでいます。
まあ、そういうことでよろしくお願いしますよ」
まさか『薄情な風見鶏』の正体が、こんな少年だったとは。
しかし、政務の手腕はたしかだ。
こうして数年間、多くの諸侯から厄介に思われているのだから。
「さて、建設的なお話をしましょう。聖女様がゼパルグ王子殿下に暗殺されかけたことは、すでに把握しております。聖女は王国のみならず、周囲の諸国にとっても喉から手が出るほど欲しい存在。そんな御方の暗殺を企てるなど……やはり王国に未来はないものか……」
「ロックス伯。俺が望むのはエムザラの安全だ。そして、帝国へ逃走する経路の確保。この二点は念頭に置いてもらいたい」
グリムの言葉に、マクシミリアン様はしかと頷いた。
「もちろんです。まだお二人が我が領地に逃げたという噂は立っていないでしょうから、しばらくは安全でしょう。厳重な警備も約束します。
とはいえ、帝国へ聖女を引き渡すのはぼくにもリスクがある」
風見鶏というように、どちらか一方には肩入れしすぎない。
ロックス伯爵領は、王国と帝国の緩衝地帯のような役割を果たしている。
だから帝国に聖女を通したのが、ロックス伯だとバレてはいけないのだ。
もし露呈すればロックス伯は完全に王国の敵だと見なされる。
「条件があるなら簡潔に言ってほしい。俺が進言すれば大抵のことは通るはずだ」
「わかりました。ぼくは"帝国に示すための"実績がほしい。
ですから、聖女様を帝国へ引き渡した後……聖女様には帝国の瘴気浄化に協力していただきたいのです。それだけが条件です」
王国以外にも瘴気は存在する。
瘴気を払えるのは、どの国に生まれるのかわからない聖女だけ。
だから聖女は重要な存在なのだと……私は小さいころから教え込まれてきた。
人の住む土地を拓き、聖なる力で国を守る。
そうあるべきなのだと教育された。
しかし、マクシミリアン様の提案にグリムはかぶりを振る。
「……エムザラは聖女という役目に縛られるのが嫌で、王国を逃げ出したんだろう。また聖女の役目に縛りつけるのは……俺としてはあまり愉快じゃないな。彼女を道具扱いするのは……」
私を"聖女"ではなく、"エムザラ"として見てくれるのはグリムだけ。
そんな彼の言葉が心にしみる。
だけど、私も逃げ続けているだけでは駄目なのだと思う。
少なからず、わずかな役目でも果たすことが必要だ。
「私はいいですよ、グリム。王国では……誰かのために聖女の力を使ったことはありませんでした。民から感謝されても、その感謝は聖女に対しての感謝で。私そのものを見てくれる人はいなかった」
「…………」
「しかし、今はグリムが見てくれています。私は……あなたのために聖女の力を使いたい。帝国の瘴気を払って、それが私の安全につながって、そしてグリムとの幸せな未来につながるのなら……喜んで聖女の力を使いたい。今はただ、それだけが本心です」
自分でも不思議なくらい、言葉がすらすらと出てきた。
今までは無駄なことを喋ると叱責が飛んできたのに。
不思議と彼になら心を伝えられたのだ。
私の本音を聞いて、グリムは微笑んだ。
「……ふっ。そうか、君はそう思ってくれるのか。
本当によかったよ。あの日、俺の命を救ってくれたのが君で」
「話はまとまったようですね。それでは、ぼくも色々と動きたいと思います。しばらくは当家でお過ごしください」
こうして、私はしばらくロックス伯家で過ごすことになった。
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