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二章
2-32 貴方には餌になって貰うから
しおりを挟むフルゲンスが肩を抱いていたアマリネは、彼の腕からするりと抜けた。かと思えば、直ぐに自らの腕を絡め、フルゲンスの腕に大きな胸を押し付ける。
「何ッスかー?」
「ふふっ。あたし、こっちの方が好きなの」
甘ったるい香水が、色香と共に漂った。
「んじゃあ、存分にこの感触を楽しんじゃうッスよー」
フルゲンスの片腕は、今や完全にアマリネの二つの膨らみと、彼女の柔らかな両腕に挟まれている。
「ねぇ、どこに連れて行って下さるの?」
「そうっすねー」
尋ねられた事に対し、フルゲンスは店の名前や、大体の場所を伝えた。すると彼女は、その場でピタリと足を止める。
「ここを通ったら、近道になるんじゃないかしら?」
止めた場所からアマリネが示した道は、森へと繋がる道だった。
「うーん、それはねーんじゃねーッスか?」
「あら、これでは察して頂けないの?」
柔らかな胸が、密着したまま更に押し付けられる。大きなそれが形を変えるのを見ながら、フルゲンスはごくりと唾を飲み込んだ。
こんな状況ではあるが、決して下心からではない。
「こーんな美人にお誘いされちゃったら、イくっきゃねーじゃねーッスか。あっちが近道だった気がするッス」
フルゲンスは警戒しながらも、それを相手に気取られぬように、敢えていつもの調子を崩さずに答えた。そうして二人で腕を組んだまま、森の方へと足を踏み入れる。
「ねぇ、大魔法使い様」
ゆっくりと歩きながら、アマリネは甘えるように頭をフルゲンスの方へと凭れかけた。
「あー、オレ、そんなんじゃねーッスよ。オレを大魔法使い様って言ったら、アマリネちゃんだって大魔法使い様になるじゃねーッスか」
フルゲンスはケラケラと笑いながらも、アマリネと共に、奥へ、奥へと進む。徐々に街の明かりが遠くなり、頼りは木々の隙間からこぼれる月明かりのみだ。
「あたしは、13枚様には敵わないわ」
「んな事ねーッス」
ぴたり、と足が止まる。
周りには、うっそうと生い茂る草木以外はみあたらない。ほんの少しだけ差し込む月の光が、二人を仄かに照らした。
「あたし、お友達に精術師がいるのよ」
にっこりと笑みを刻んだ口角が、より鋭くなった気がした。
フルゲンスは慌てて腕を振り払おうとしたが、全く出来ない。女の細腕に捕えられているとは思えない程、がっちりと掴まれていたのだ。
「驚いちゃったかしら?」
「お、驚いたッスね……」
冷や汗が伝う。
相手は女だ。てっきりこちらを色香で惑わせて、散々骨抜きにした後に仕掛けるとばかり思っていた。だが、この状況はどうだろうか。
それなりに鍛えて来た男の力で、全く敵わないのだ。
「……妬ましい」
小さな声が、背中側から聞こえる。
ぞっとして振り返ろうとしたが、何故かそれすらも出来ない。
――ぐずり、と、嫌な感触が脇腹からした。
その次の瞬間には、同じ場所が熱を孕み、痛みが全身を駆け巡る。ああ、刺された。これは痛んだときには既に理解出来ていた。
「妬ましいわ。ああ、妬ましい」
じくじくと脈打つ脇腹に、もう一度痛みが走る。この声の主が刺したのだろう。
「くっそ……」
毒づくと、ようやっと腕が解放された。
けれども、どういう訳か身体に力は入らず、フルゲンスはその場に崩れ落ちてしまった。
「ごめんなさいね。か弱い女じゃあ、貴方には敵わないから」
崩れ落ちたフルゲンスを、アマリネは見下ろす。そうしながら、彼女は胸元から一枚の魔陣符を取りだした。
正確に魔陣符だと捉える事が出来た訳ではない。ただ、状況から、紙を出され、それを魔陣符だと認識したのだ。
「これは一時的に体力の消耗が激しくなる魔法が入っていたのよ」
クスッと笑いながら語ったアマリネの言葉に、ルースの認識は間違っていなかった事が証明された。
彼女は手にしていた魔陣符を細かくちぎって、その場にばらまくと、靴裏で踏みつける。
こうする事で、どういう計算によって作り出した魔法なのかを知られないようにしているのだろう。何しろここは森の中。ここまで細かくばらまかれ、あまつさえ踏みつけられれば、昼間であっても全ての回収は難しい。それどころか、きっと夜露や朝露にぬれ、描かれていた模様は全く分からなくなってしまうのは、たやすく想像がついた。
「本当に、ごめんなさい。けれども、こんなに上手くいくなんて。ふふ、お馬鹿さんね。とっても浅はかで、それはそれで嫌いという訳ではないのだけれど……貴方はあたし達には必要無くなってしまったから」
抱き着いて来たのは作戦だと分かっていた。けれど、こんな形の物だったとは、想像だにしていなかった。
フルゲンスは、動けないまま舌打ちをする。
「貴方には餌になって貰うから、まだ殺しはしないわ。それだけは、安心して頂戴」
アマリネが笑みを刻んだまま続けると、また脇腹に痛みが走った。
「何不自由なく生きて来た人なんて、皆消えればいいのよ。誰かに愛される人なんて、消えればいい」
痛みに呻いたフルゲンスの目の端に映ったのは、ビデンスだった。
真っ黒な長い髪が、真っ暗な闇から浮き出てはフルゲンスに絡み付く。
「妬ましいわ。皆、消えればいいのに」
また、刃物が刺さる。
じわじわと流れるフルゲンスの血が地面に広がり、生臭さが立ち上った。
***
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