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第二章 失って得たもの
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その日僕は、そわそわと視線を行ったり来たりさせながら落ち着きなく片付けをしていた。
段々と客も減り閑散としてきた夜更けの酒場で、ローブの彼が悠々と酒を飲んでいたからだ。普段ならば、僕が片付けを始めたのを察すると、彼は気を遣って帰り支度をしてくれる。酔い潰れた客がいれば僕が何も言わなくても起こすなり運ぶなりしてくれて、それが終わると支払いをして帰って行く。彼が最後の客になる事はこれまでほとんどなかった。しかし今日は、数えるほどしか客がいないにもかかわらず帰る素振りを見せない。それどころか、飲みながら時折僕の方をちらと確認しているのだ。
これまで何も言われなかったが、今日こそ先日の夜のことを咎められるのだろうか。髪と目を確認されたり、見返りを要求されるのかもしれない。僕は怯えながら、なるべく彼と目を合わせないように黙々と作業を続けた。
残った客が部屋に向かうのを見送ってから酒場を見渡すと、とうとう一人残ったローブの彼が立ち上がった。彼の口元がにっこりと持ち上がる。
「少し君と話がしたいんだが、いいかな?」
そう問われて、僕は断る事はできず恐々と頷いた。
外で話そうと言われ、僕達は店を出た。これほど遅い時間に、うら寂しく治安も悪いこの辺りを歩くような人影は僕達しかいない。最近ではすぐ近くで魔物らしき姿が目撃され騒動になったこともあったし、僕だって一人だったら怖くてとても外に出ようなどとは思わない地域だ。けれど彼は余程強さに自信があるのかのんびりとした足取りで、更に人気のない城下町の端へ向かって行く。僕は寂寞たる闇夜と、これから彼に言われるだろうことに恐怖して、ともすれば止まってしまいそうな足を叱咤して彼について行った。
「……何から言えばいいのかな」
ずっと黙っていた彼がふとそう口にして、僕はびくりと肩を震わせた。その僕を横目で見て、彼が小さく笑いを零す。
「そうだね、まずはそんなに怯えないでほしいってことかな。ずっと私を避けていただろう? なかなかに堪えたよ」
肩を竦めて、彼は苦笑を零した。
「君の髪や目の色のことを、誰にも言うつもりはないんだ」
やはり、彼は誰にも告げていなかった。そうであれば、口止め料として何かを見返りに求められるのだろう。僕は窺うように彼を見上げ、言われる前にと先に口を開いた。
「あの……僕、あなたに払えるような物を何も持ってなくて。だから、この宿を出て行こうと思います」
「待ってくれ。君にそんなことをしてほしい訳じゃないよ。……それに、あの宿は君の大事な居場所なんだろう? 簡単に手放してはいけないよ」
慌てた様子でそう引き止める彼に、僕は顔を俯けた。
確かに、あの宿で仕事と住まいを得ることは僕にとって重要だった。城下町のどこかでマルクを待つ為に必要な場所だった。
けれど、今はもう必死にしがみつく必要はなくなってしまった。マルクが僕を忘れてしまったのだから。
「……もう、いいんです」
「それは、マルク・ド・カサールのせいかい?」
思いがけない言葉に、僕は弾かれたように顔を上げた。彼はじっと僕を見つめていた。
「やはりね。君の大切な人というのは彼なのだろう?」
僕は肯定も否定もできず、彼を見つめ返すばかりだった。彼は一体何を知っていて、何を言われるのか。ごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「すぐに分かったよ。君と同じセイン孤児院の出身で院を出たのも同時期だ。関わりがないはずがない」
「えっ、なんで……」
僕は言葉を失った。僕が孤児院の出身ということは誰にも言っていない。ましてやマルクと知り合いだなんて、気付かれないように細心の注意を払っていた。どうして彼がそれを知っているのか。
「君はもう私を忘れてしまったかな」
彼の口ぶりからして僕は彼と以前に会っているのだろうか。記憶を探っていると、彼は品の良い穏やかな笑顔を浮かべた。その柔和な雰囲気に記憶の片隅で何かが引っかかる。
その時、真っ暗だった周囲が急に明るくなった。驚いて見上げると、頭上で星が真っ赤に燃えていた。いや、違う。よく見れば鳥だ。赤い羽毛から火の粉を撒き散らせて、鳥が闇夜を飛んでいる。
僕があんぐりと口を開けて頭上を見上げていると、真っ赤な鳥は次第に高度を下げて、ローブの彼の肩に止まった。優雅に羽を畳むと、飛空の軌跡を残していた火の粉が夜の中に消えた。
段々と客も減り閑散としてきた夜更けの酒場で、ローブの彼が悠々と酒を飲んでいたからだ。普段ならば、僕が片付けを始めたのを察すると、彼は気を遣って帰り支度をしてくれる。酔い潰れた客がいれば僕が何も言わなくても起こすなり運ぶなりしてくれて、それが終わると支払いをして帰って行く。彼が最後の客になる事はこれまでほとんどなかった。しかし今日は、数えるほどしか客がいないにもかかわらず帰る素振りを見せない。それどころか、飲みながら時折僕の方をちらと確認しているのだ。
これまで何も言われなかったが、今日こそ先日の夜のことを咎められるのだろうか。髪と目を確認されたり、見返りを要求されるのかもしれない。僕は怯えながら、なるべく彼と目を合わせないように黙々と作業を続けた。
残った客が部屋に向かうのを見送ってから酒場を見渡すと、とうとう一人残ったローブの彼が立ち上がった。彼の口元がにっこりと持ち上がる。
「少し君と話がしたいんだが、いいかな?」
そう問われて、僕は断る事はできず恐々と頷いた。
外で話そうと言われ、僕達は店を出た。これほど遅い時間に、うら寂しく治安も悪いこの辺りを歩くような人影は僕達しかいない。最近ではすぐ近くで魔物らしき姿が目撃され騒動になったこともあったし、僕だって一人だったら怖くてとても外に出ようなどとは思わない地域だ。けれど彼は余程強さに自信があるのかのんびりとした足取りで、更に人気のない城下町の端へ向かって行く。僕は寂寞たる闇夜と、これから彼に言われるだろうことに恐怖して、ともすれば止まってしまいそうな足を叱咤して彼について行った。
「……何から言えばいいのかな」
ずっと黙っていた彼がふとそう口にして、僕はびくりと肩を震わせた。その僕を横目で見て、彼が小さく笑いを零す。
「そうだね、まずはそんなに怯えないでほしいってことかな。ずっと私を避けていただろう? なかなかに堪えたよ」
肩を竦めて、彼は苦笑を零した。
「君の髪や目の色のことを、誰にも言うつもりはないんだ」
やはり、彼は誰にも告げていなかった。そうであれば、口止め料として何かを見返りに求められるのだろう。僕は窺うように彼を見上げ、言われる前にと先に口を開いた。
「あの……僕、あなたに払えるような物を何も持ってなくて。だから、この宿を出て行こうと思います」
「待ってくれ。君にそんなことをしてほしい訳じゃないよ。……それに、あの宿は君の大事な居場所なんだろう? 簡単に手放してはいけないよ」
慌てた様子でそう引き止める彼に、僕は顔を俯けた。
確かに、あの宿で仕事と住まいを得ることは僕にとって重要だった。城下町のどこかでマルクを待つ為に必要な場所だった。
けれど、今はもう必死にしがみつく必要はなくなってしまった。マルクが僕を忘れてしまったのだから。
「……もう、いいんです」
「それは、マルク・ド・カサールのせいかい?」
思いがけない言葉に、僕は弾かれたように顔を上げた。彼はじっと僕を見つめていた。
「やはりね。君の大切な人というのは彼なのだろう?」
僕は肯定も否定もできず、彼を見つめ返すばかりだった。彼は一体何を知っていて、何を言われるのか。ごくりと唾を飲み込んで次の言葉を待った。
「すぐに分かったよ。君と同じセイン孤児院の出身で院を出たのも同時期だ。関わりがないはずがない」
「えっ、なんで……」
僕は言葉を失った。僕が孤児院の出身ということは誰にも言っていない。ましてやマルクと知り合いだなんて、気付かれないように細心の注意を払っていた。どうして彼がそれを知っているのか。
「君はもう私を忘れてしまったかな」
彼の口ぶりからして僕は彼と以前に会っているのだろうか。記憶を探っていると、彼は品の良い穏やかな笑顔を浮かべた。その柔和な雰囲気に記憶の片隅で何かが引っかかる。
その時、真っ暗だった周囲が急に明るくなった。驚いて見上げると、頭上で星が真っ赤に燃えていた。いや、違う。よく見れば鳥だ。赤い羽毛から火の粉を撒き散らせて、鳥が闇夜を飛んでいる。
僕があんぐりと口を開けて頭上を見上げていると、真っ赤な鳥は次第に高度を下げて、ローブの彼の肩に止まった。優雅に羽を畳むと、飛空の軌跡を残していた火の粉が夜の中に消えた。
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