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その1

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 人は中身ではなく見た目で判断するし、判断される生き物である。早乙女椿が毎日のように実感させられる事実だ。喧騒は聞きたくない。人にぶつからないよう細心の注意を払うのも疲れる。しかし今夜はどうしても外に行かなければならない。行って目的を果たす必要があった。
 身を裂くほどではないが冷たい風が吹いている。市の中心部から遠いとはいえ、ここは関東の近郊部だ。駅前は夜になってますます人の行き来が盛んになっている。雑踏から少し離れた広場が落ち合う場所だった。石造りのベンチを持つ広場は昼間は太陽のおかげで暖かく、子供を遊ばせる保護者も多い。月が光を投げ捨てる時間帯は違う。石のベンチのひとつに大柄な人影があった。古ぼけたカーキ色のモッズコート。ブラックデニムに編み上げのブーツ。体格も服もメッセージのとおりである。その男が椿の今夜の”目的”だった。

「あなたが、ノエさん?」

 椿はおそるおそる男――ノエに声をかけた。ノエは裂いたビニール袋を、大きな手のひらに包み込むようにしていじり回している。夜寒に素手をさらしている彼に、椿はあまり関わりたくなかった。限界が迫っていなければ踵を返していただろう。

「そうだ」

 ノエの顔はうつむいている上に、長めの茶髪に隠されていてよくわからない。ざわめきの中でも腹の奥に響く低い声を聞いて、椿はこの男を逃すものかという決意を固めた。椿にとって相手の顔はどうでもいい。
 椿はマスクの向こうで唾を飲み込み、帽子をさらに深く被った。

「なにをしてるんですか?」
「花。花を編んでいる」

 後ずさる足を抑え、椿はさらに尋ねる。引けば逃してしまう。

「なにか道具が? もしかして指で?」

 彼は手を止めずに顔だけ上げた。椿はまず目に吸い寄せられた。眉や目の形は挑むような強さがあるのに、瞳は儚い世界を見ている。鼻も頬も、顎や首だってたくましい。なのに受ける印象は繊細な子供だった。
 椿をよく観察しようとしたのか、ノエの顔が動く。くせ毛らしき毛先は丸まっている。それが揺れた。見入っていた椿は急いで顔をうつむかせる。この目つきの悪さを見られたら、ホテルに行く前に去るかもしれない。

「そうだ。今は指を使用する技法を試している。この素材は――」

 男の手が止まってゆっくりと突き出された。手のひらの上に花に見えなくもないものがある。細く縒ったビニール袋は硬く、花弁の優雅さがない。椿がどう反応したらいいのか迷っていると、男は花弁に当たる部分を器用に広げる。

「広げられる。空気の形をつかまえて、そのまま保持してくれる。いい笑顔だ」

 あっという間にふわふわとした花びらを持つ白い花ができあがった。街の光を受けて濡れるように輝いている。

「それでは行こう。椿」

 男は立ち上がってから花をモッズコートの中へそっと入れた。
 椿は黙って首を縦に振る。この駅の近くには男同士でも使えるホテルがあった。マッチングアプリで引っかかってくれた男とはたいていそこに行く。椿はスニーカーの先をそちらに向けた。

◇ ◇ ◇

「俺、準備が長くて……待たせて湯冷めしたら悪いので、先にシャワー使っても大丈夫ですか?」

 椿は帽子から手を離さずシャワールームのドアを見つめる。ノエに異論はないらしく、ベッドに腰掛けてから了承を返してきた。椿は軽く頭を下げてドアを開ける。帽子を丁寧な手つきでリュックにしまい、服をきっちりと畳みながら脱いでいく。鏡に映した顔は相変わらず血色が悪い。口元は笑っていないし、顎や頬は意地悪げに細い。なにより世界全てに恨みを抱いているような目つきだ。
 椿は良くないことしか呼びこまない自分の目が嫌いだった。顔つきだけで人間性をはかり、不幸を椿のせいにする人々も苦手だ。しかし、世界全てを恨むほどの度胸はない。椿はなんとか鏡から目をそらした。
 シャワーは熱く、椿の常に冷えた肌には強い。じきになれるはずだ。椿は後ろを準備していたが、家から出て1時間は経っている。洗浄をしすぎてもよくないのだが、マナーは気になる。軽くならさほど待たせないだろう。
 椿はシャワーを止めて肌に乗る水滴を払っていく。シャワールームのドアをくぐったらなるべく顔を伏せて移動するのだ。顔、特に目を見せてノエを萎えさせてはならない。椿は貧相な体をバスローブできっちり覆った。

「すみません。お待たせしました」

 一瞬だけノエの居場所を確認し、すぐに顔を伏せなければならない。だがノエがしていることに興味を惹かれてまじまじと見てしまった。

「今度は、猫?」

 ノエはシーツとヘアゴムで猫の像を作っていたのだ。

「そうだ。もう完成する。耳と尾の位置を調整している」
「器用だ……ですね」

 ノエは手を止めて体ごと椿のほうへ振り返る。儚い世界を見ていた瞳が今は椿をとらえていた。端正な顔と体、揺れる髪が近くまで来て椿は我に帰る。慌てて顔を伏せるが遅い。しっかり見られてしまった。ノエのやる気を削いでいなければいいのだが――。
 ノエの指があごに触れてきたので、椿はますます顔をうつむけた。ノエはそれ以上力を入れてこない。ノエの手首の太さや手の甲に張った腱ならたやすくあごを持ち上げられる。それは行われず、ただ、耳を舐められた。

「う、ん……っあ」

 耳介を舌でなぞられ、とどめに甘く噛まれて、椿は口から変な声を出してしまった。椿は声も嫌われやすい。
 不安で身を硬くすると耳に息と声を吹きこまれた。

「またあとで、だ」

 すでに期待で震える下腹をなだめ、猫の像を崩さないようにテーブルに置く。ベッドに腰掛け、目を隠すためのグッズを懐から取り出し、簡単に外せないよう装着した。最中の椿の顔はひどいらしい。恨みのこもった目と表情で一部をのぞいておおむね不評だった。椿としては見えないくらいがいい。快感よりも苦痛を強く感じられるのだ。ただ快感のない苦痛は嫌いで、例外の男たちとはそりが合わなかった。
 椿は膝を抱えて座る。耳はかすかなシャワーの音を拾う。水音は消え、少ししてからドアが静かに開いて閉まる音。ノエは足音を立てずに動くタイプのようだ。
 椿はノエの気配をすぐ近くに感じ、そちらに顔を向ける。目隠しは最初に伝えた希望なのでノエは驚かなかった。
  
「隣に座るが、いいか」

 ノエの声はやはりいい。続いて指があごにかかり、顔の向きをやんわりと変えようとする。抵抗せずに受け入れると椿の唇の端に、ノエの水分を含んだ唇が触れた。何度かキスが落ちてきて、徐々に唇の中央へ寄ってくる。ノエが舌先で舐めてきた瞬間、椿は顔を後ろへ引いた。

「その、そういう甘い感じはいらない……です。手早くすませる感じが、いいので」

 気持ちいいだけなのはダメだ。優しい扱いもされたくない。快感の中にある苦しみは椿の悩みや澱みを短い間だが――薄めてくれる。
 椿が手足をついて腰を上げると、ノエは無言でバスローブをまくり上げる。要望に従ってくれるようだ。今までマッチングアプリで出会った相手は1回で椿に飽きてしまった。目隠しを望む割にプレイが普通で、奉仕も苦手、テクニックもないときてる。このノエともまあこれっきりだろう。
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みんなの感想(1件)

なーん
2023.11.26 なーん
ネタバレ含む
千鶴
2023.11.26 千鶴

ありがとうございます!
プロットはできていて、本文も最後まで完成させたら投稿します
お待ちいただけますと幸いです

解除
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