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勇者は死ぬしかない
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「――クラトスさん」
世界に絶望した。まさにそんな表情で雨に濡れた男が口を開いた。
男はまるで魔王という力に屈していない。それなのに、表情は世界の終わりを表しているかのように暗い。
「何があった」
クラトスが訪れたのは、男の自宅だ。
いや、先日までは男の自宅だった場所だ。今はただの瓦礫の山というのが正しい表現だろう。たった一日でこうなることはそうはない。
魔物に襲われたということも考えたが、それなら親友が倒せないわけがない。
これは明らかに魔王の攻撃だ。――だが親友は正気のままだ。
混乱するクラトスに対して、親友は懇願する。
「頼みます。彼女を殺さないでください!」
彼が指差す先に立っていたのは、彼の仲間である女性……かなりの上位魔法を極めた異世界人のヘクセと名乗る女性だ。見事だった黒髪は赤色に変化し、優しそうだった瞳は狂気に満ち溢れている。不健康なほど肌は白く透き通り、これまでの健康的な肉体とはまるで違う。すべてがまるで違っている。
クラトスははっきりと理解した。魔王になったのは彼女の方だと。
「殺さないでどうするつもりなんだ? 他の人間に犠牲になってもらうつもりか?」
覚悟を決めて、この場所を訪れたクラトスにとって、魔王になったのが誰かなんて関係がない。それが親友が懇意にしていた相手だとしてもだ。いや、だからこそ自分が殺すべきだとすら考えていた。
恋人を手にかける……そんなことを親友にさせたくない。
「それは……いや、私が何とかします!!」
男のその言葉、それが判断を先延ばしにするためだけに紡がれたものだとクラトスは理解していた。
だからこそ、首を大きく横に振る。
「彼女だって、魔王になんてなりたくなかったはずだ。もちろん魔王になったとしても、自我を保って世界を護ろうとする存在だっていた。だけど彼女の様子を見るにそれは難しい。もしそんな存在になれたとしても、この街が滅んだあとでだろう」
「それでも……!」
「その後、彼女はどう思う!? 街の人々を犠牲にして、『生きててよかった!』なんて思う人だとでも思っているのか!?」
「わかっています。それでも彼女には、生きていてほしいっ!」
男が臨戦態勢に入る。もちろん魔王に対してではない、クラトスに対してだ。
「僕は君の考えを出来るだけ尊重してやりたい。だけど、それは彼女に対してもそうだ。同じぐらいにどうにかしてやりたいと思っているよ。だけど、だからこそ彼女に人を殺させたくない!」
「私だってそうだ! だけど、それでも死んだら終わりじゃないか!?」
男は素早い攻撃で、クラトスに切りかかる。それを紙一重で躱し、彼の剣をはじく。
「終わりだ。だけど報われる。人を殺した諸悪の根源ではなく、人間として死ねるのだから」
殺したくはない。それはクラトスにとってもそうだ。仲良くなった人間を殺すのはいつだって気がめいる。自分を駒のように使い潰そうとした国王に対してもそう思ったのだから、特に自分と敵対していない者ならなおさらだ。
クラトスは、自身の持つ最強の剣、コキュートスを鞘から引っ張りだす。
本当に無念でならないが、情けをかけている場合ではない。素早く対処しなければ、今よりももっと後悔することになるだろう。
そう思って剣を振り下ろそうとした時、奇妙な感覚に襲われた。今さっきまで、退治していたはずの人間が気配を消して姿をくらませた。――そんなことはありえないはずだ。
だけどそれは、現実に起こった出来事だ。
「こっちだよ!?」
次に男の気配を感じた時には、遅かった。男はクラトスの背中に切りかかる。
クラトスは間一髪で致命傷は避けたが、それでも攻撃はまともに受けてしまった。
「く、そ……!」
「勇者と言っても恩恵なしじゃ、こんなものですか……残念です」
男は再びクラトスを殺そうと剣をふるう。彼の持つ剣がちょうど天を指した時、あたりを包み込む空気に異変が起きた。
「我は魔王女ヘクセ……勇者どもよくここまでやってきたな」
動きを止めていたヘクセが、行動を再開したのだ。その威圧感から、あたりの空気がぴりぴりと緊張を走らせた。
「……わかっただろう? 彼女はもう魔王の力を抑えられなくなった。このままじゃ、僕も君も街も滅びるぞ?」
「うるさい! それでも彼女は僕の大切な人なんだ。誰にも殺させないし、私が止めてみせる!!」
魔王に切りかかろうとするクラトスに対し、男が切りかかる。
二人がそんなことをしている間にも、魔王は最大級の魔法を放つために魔力をため続ける。
二人は気がついていた。このまま魔王が魔力をため続ければ、この街を吹き飛ばすぐらいの魔法を発動できるだろうということに。それでも男は仲間を殺すことが出来ないし、クラトスに殺させることも出来ない。
男とヘクセは夫婦だった。異世界に転移させられるよりもはるかに昔からの付き合いだ。こちらに来てからは娘も出来た。――それなのに幸せが終わろうとしている。
それも、自分が望んだ終わり方とはまるで違う。男が自身の妻にも魔王の力が移っていたことを知ったのはついさっきだ。覚悟などできているはずもない。
「馬鹿言うな!? お前言っただろう? 魔王になったら俺を殺してくれって……そんな糞っ垂れな約束をしたのは、お前だけじゃないんだぞ!?」
「なにっ! どういうことだ!?」
クラトスは真実を話すつもりなんてなかった。
二人の秘密はどちらも守らないつもりだったからだ。
世界に絶望した。まさにそんな表情で雨に濡れた男が口を開いた。
男はまるで魔王という力に屈していない。それなのに、表情は世界の終わりを表しているかのように暗い。
「何があった」
クラトスが訪れたのは、男の自宅だ。
いや、先日までは男の自宅だった場所だ。今はただの瓦礫の山というのが正しい表現だろう。たった一日でこうなることはそうはない。
魔物に襲われたということも考えたが、それなら親友が倒せないわけがない。
これは明らかに魔王の攻撃だ。――だが親友は正気のままだ。
混乱するクラトスに対して、親友は懇願する。
「頼みます。彼女を殺さないでください!」
彼が指差す先に立っていたのは、彼の仲間である女性……かなりの上位魔法を極めた異世界人のヘクセと名乗る女性だ。見事だった黒髪は赤色に変化し、優しそうだった瞳は狂気に満ち溢れている。不健康なほど肌は白く透き通り、これまでの健康的な肉体とはまるで違う。すべてがまるで違っている。
クラトスははっきりと理解した。魔王になったのは彼女の方だと。
「殺さないでどうするつもりなんだ? 他の人間に犠牲になってもらうつもりか?」
覚悟を決めて、この場所を訪れたクラトスにとって、魔王になったのが誰かなんて関係がない。それが親友が懇意にしていた相手だとしてもだ。いや、だからこそ自分が殺すべきだとすら考えていた。
恋人を手にかける……そんなことを親友にさせたくない。
「それは……いや、私が何とかします!!」
男のその言葉、それが判断を先延ばしにするためだけに紡がれたものだとクラトスは理解していた。
だからこそ、首を大きく横に振る。
「彼女だって、魔王になんてなりたくなかったはずだ。もちろん魔王になったとしても、自我を保って世界を護ろうとする存在だっていた。だけど彼女の様子を見るにそれは難しい。もしそんな存在になれたとしても、この街が滅んだあとでだろう」
「それでも……!」
「その後、彼女はどう思う!? 街の人々を犠牲にして、『生きててよかった!』なんて思う人だとでも思っているのか!?」
「わかっています。それでも彼女には、生きていてほしいっ!」
男が臨戦態勢に入る。もちろん魔王に対してではない、クラトスに対してだ。
「僕は君の考えを出来るだけ尊重してやりたい。だけど、それは彼女に対してもそうだ。同じぐらいにどうにかしてやりたいと思っているよ。だけど、だからこそ彼女に人を殺させたくない!」
「私だってそうだ! だけど、それでも死んだら終わりじゃないか!?」
男は素早い攻撃で、クラトスに切りかかる。それを紙一重で躱し、彼の剣をはじく。
「終わりだ。だけど報われる。人を殺した諸悪の根源ではなく、人間として死ねるのだから」
殺したくはない。それはクラトスにとってもそうだ。仲良くなった人間を殺すのはいつだって気がめいる。自分を駒のように使い潰そうとした国王に対してもそう思ったのだから、特に自分と敵対していない者ならなおさらだ。
クラトスは、自身の持つ最強の剣、コキュートスを鞘から引っ張りだす。
本当に無念でならないが、情けをかけている場合ではない。素早く対処しなければ、今よりももっと後悔することになるだろう。
そう思って剣を振り下ろそうとした時、奇妙な感覚に襲われた。今さっきまで、退治していたはずの人間が気配を消して姿をくらませた。――そんなことはありえないはずだ。
だけどそれは、現実に起こった出来事だ。
「こっちだよ!?」
次に男の気配を感じた時には、遅かった。男はクラトスの背中に切りかかる。
クラトスは間一髪で致命傷は避けたが、それでも攻撃はまともに受けてしまった。
「く、そ……!」
「勇者と言っても恩恵なしじゃ、こんなものですか……残念です」
男は再びクラトスを殺そうと剣をふるう。彼の持つ剣がちょうど天を指した時、あたりを包み込む空気に異変が起きた。
「我は魔王女ヘクセ……勇者どもよくここまでやってきたな」
動きを止めていたヘクセが、行動を再開したのだ。その威圧感から、あたりの空気がぴりぴりと緊張を走らせた。
「……わかっただろう? 彼女はもう魔王の力を抑えられなくなった。このままじゃ、僕も君も街も滅びるぞ?」
「うるさい! それでも彼女は僕の大切な人なんだ。誰にも殺させないし、私が止めてみせる!!」
魔王に切りかかろうとするクラトスに対し、男が切りかかる。
二人がそんなことをしている間にも、魔王は最大級の魔法を放つために魔力をため続ける。
二人は気がついていた。このまま魔王が魔力をため続ければ、この街を吹き飛ばすぐらいの魔法を発動できるだろうということに。それでも男は仲間を殺すことが出来ないし、クラトスに殺させることも出来ない。
男とヘクセは夫婦だった。異世界に転移させられるよりもはるかに昔からの付き合いだ。こちらに来てからは娘も出来た。――それなのに幸せが終わろうとしている。
それも、自分が望んだ終わり方とはまるで違う。男が自身の妻にも魔王の力が移っていたことを知ったのはついさっきだ。覚悟などできているはずもない。
「馬鹿言うな!? お前言っただろう? 魔王になったら俺を殺してくれって……そんな糞っ垂れな約束をしたのは、お前だけじゃないんだぞ!?」
「なにっ! どういうことだ!?」
クラトスは真実を話すつもりなんてなかった。
二人の秘密はどちらも守らないつもりだったからだ。
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