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01.婚約破棄と問いかけ

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「リュクレース!そなたとの婚約、今ここで破棄してくれる!」

 社交シーズン最後の、王宮主催の大夜会。そこでのこの国、ガリオン王国の王太子のその宣言は、会場で談笑する人々の頭上に思いのほか明瞭に響きわたった。

 王太子が指を突きつけるその先。
 そこには、ひとりの貴族のご令嬢が立っている。

 王太子とその令嬢は、幼い頃からの長年の婚約者同士である。その彼女に、王太子がこのような公の場で堂々と婚約破棄を突き付けたのだ。その事実が驚きをもって周知され、人々の間をさざ波のように拡がってゆく。

「このような場で、いったい何を仰せなのですか」

 指を突き付けられた婚約者の苦言は至極もっともだ。どのような理由があるにせよ、婚約の締結や破棄、解消などのプライベートな事柄は密室で内々に取りまとめ、全てが決まってから公表するものだ。
 しかるに、婚約者の彼女には婚約破棄そのものが寝耳に水だった。無論根回しも何もされていない。自分にも、そして実家の公爵家にもだ。
 であれば、まずは関係者だけを集めた密室で話をすべきなのに。

「……ハッ。白々しいな!そなたが今まで何をしてきたか、私が知らぬとでも思っておるのか!」

 王太子はわざわざ顔を歪めて嫌悪の表情を作る。
 いやこれはそういうポーズだ。王侯貴族として感情をみだりに表に出さないようにする訓練など、子供の頃から当たり前に身につけるものなのだから。

「全く、表ではそのように澄ましておきながら裏では陰湿な虐めを繰り返し、あまつさえ暗殺までも企むとはな!とんだ悪女だ!」

 いやポーズ…………ポーズよね?

 どうやら王太子がと理解し始めて、会場の貴族たちがざわめき始める。中には早速王太子を冷ややかに見つめ始める者もいたりする。
 と、そこで王太子がひとりの令嬢を手招いて、王族専用の壇上にいる自身の隣にやってきた彼女の腰を抱き寄せた。

 そう。今向かい合って立っている、自らの婚約者の目の前で、だ。

「大人しく罪を認め、そしてこのアナ=マリアに謝罪せよ!そうすれば公爵家の連座だけは許してやろう!」

 そして王太子は言い放ったのだ。婚約者の彼女に罪があり、それは公爵家の家門ぐるみの大罪であると。由緒ある公爵家を取り潰すほどの罪なのだと、そう言い切ったのだ。

 指を突きつけられたままそう宣言された婚約者、公爵家令嬢リュクレースはしばらく微動だにしなかったが、やがて扇で口元を隠し、小さくため息を吐いた。

「……婚約の、承りましてございますわ」
「違う!破棄だと言っているのだ!貴様のような悪女、本来ならば即刻処刑するところだぞ!」

 リュクレースのせめてものフォローは、彼女がフォローしようとした相手自身の言葉で無残にも粉々にされた。
 ざわめきは強くなるばかり。ただでさえ王家に次ぐ力のある公爵家を、その家門を代表して王家に嫁ぐはずだった令嬢を名指しで悪女と謗ることがどれほど政治的な危険を孕むのか、この王太子はもしや分かっていないのか?

「わたくしは一言謝って下されば、それで全部許して差し上げるつもりだったのに……」

 そしてそんな残念な様相を見せ始めた王太子のその隣で、腰を抱き寄せられたまま王太子にしなだれかかり、令嬢がそんなことを言い出した。
 考えられる限りである。もしやわざとやってるのか、と疑いたくなるばかりだ。

「詫びるも何も、わたくし身に覚えがないのですけれど。というか貴女誰に⸺」
「身に覚えがないだと!?」

 すると今度は王太子、婚約者の言葉を遮ったではないか。他者の発言を遮るなど、高位貴族では子供でもしない重篤なマナー違反である。そもそも公爵家令嬢は今、誰に許可を得て発言したのか問いただそうとしていただけのはずなのに。
 王太子が抱いている令嬢は、会場に居並ぶ高位貴族たちの大半が見覚えのない顔だった。ということは下位貴族、子爵家か男爵家の娘であろう。家名を出されれば思い当たりもしようが、彼女は呼ばれて進み出ておきながら自己の名も名乗っていないから分かりようがない。それもまた重篤なマナー違反である。

 扇の下でまたしてもため息を隠し、リュクレースが口を開こうとした、その時。


「畏れながら、発言してもよろしいでしょうか」

 会場の隅から声が上がった。

 会場の耳目が一斉に声の方を向く。そこにいたのはひとりの年若い男性。青年というか、まだ成人したばかりのようにも見えるほど若い男だ。おそらく、どこかの貴族の子弟だろう。
 この会場には、親である当主に連れられて大勢の貴族子女もやって来ているから、そのうちのひとりなのだろうと思われた。

「なんだ?関係なき者は大人しく下がっておれ」
「そういうわけにも参りません。ことは我が伯爵家の命運を左右しますので、家名に懸けても今ここで殿下の真意をお伺いせねば一族へ顔向けができませぬ」

 伯爵家ということは下位貴族でこそないものの、もっとも家門の数の多い爵位である。それならば一見して見覚えがなくとも仕方ない。特に当主ではなく子息だとすればなおさらだ。
 ただしこのような公の場で、貴族家の子息が王太子に軽々しく意見するなど通常はあり得ない。それが王太子にしりぞけられても引き下がらないとは、よほどの覚悟あっての事だろう。
 それにしても、普通は父親なり寄り親なりが止めに入りそうなものだが。

「⸺チッ。まあいい、発言を許す」

 さすがに王族といえども貴族が家名にかけて発言することを遮るべきではない。その程度の常識はあったのだろう、舌打ちしながらも王太子は発言を許可した。
 いや舌打ちするのも大概だが。

「ありがとう存じます。わたくしめ、ウェルジー伯爵家のアルフォンスと申します」

 青年はそう名乗って、礼法に則り礼をする。
 ウェルジーと言えば、この国の創建前からある由緒正しい家系である。伯爵家とはいえその歴史は王家よりも古く、かつて世界の過半を支配していた古代帝国の皇帝直臣だったこともある、歴史と権威を兼ね備えた名門だ。
 その名を聞いて、王太子だけでなく公爵家令嬢も周囲の貴族たちもざわめく。それほどの名門貴族がだと言ったのだ。その重みが分からないようなら貴族失格である。

 そして衆目の集まる中、アルフォンスと名乗った青年はゆっくりと口を開いた。

「王太子殿下にお尋ね致します。殿下はなにゆえ、このような場所で公女様を罪にお問いなさるのか」





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