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レグリスが食事の後片付けをしている間、ソファでくつろいているだけでグレンは眠りそうになっていた。
頭が沈み込むようなふかふかの心地よさはそれだけで眠りを誘う。そもそもこんなに暇な時間がある日の方が珍しい。
一日ならこういう日もいいが、毎日続いたら退屈で参ってしまいそうだとグレンはあくびをかみ殺した。
「湯は使うか?」
もう放っておいて眠ってしまおうかどうか迷い始めた頃、漸くレグリスが戻ってきた。
遅い、とグレンは一言言い放ってのそりと身を起こした。
「いや……、よしとく」
正直あまり動く気にはなれない。湯は魅力的ではあったが、浸かったらいよいよ本当に眠ってしまうだろう。
城塞都市は背後に山脈を要する。守りが強固であると同時に山に降った雨が地下水としてあちこちから湧き出す豊かな水源地帯でもある。
どれくらい豊かかといえば、綺麗な水なら王都をも凌ぐくらいだ。
山脈の向こう側に火山があり、その熱でたまに温泉が湧いていたりもするくらいで、その恩恵にあずかりこの街ではある程度の財がある者なら湯に浸かる習慣を持っている。
温泉が傷の治療に良いのがわかったことと、攻めづらい地形、王都に近いという事情で軍の一大拠点として築かれた街がこの城塞都市なのである。
辺境では考えられないことだ。お世辞にも物資が豊富とは言えない。厳しい自然は時に敵である。水も貴重なので清潔にすると言っても体を濡らした布でこするくらいのものである。
農民ならば風呂というものを一生知らずに終えるのが普通だろう。グレンだって入浴というものは少なくとも辺境ではしたことがない。
こうして大きな街に逗留した際、金に余裕があればそういう施設のある上等な宿屋に行ってみるという程度のものだ。
言われるまでレグリスの家でも入浴ができることすらすっかり忘れていた。
再びソファに身を横たえたグレンの傍にレグリスが座る。重い体重を受け止めて、グレンの頭が沈み込むクッションに揺さぶられる。
「なんだ。俺を放っておいて居眠り決め込む気か?」
武骨な指がグレンの頬を撫でる。手つきは優しい。だが注がれる視線には他意を感じた。隠しきれていないのか、それとも隠す気がないのか、そこまではわからなかったが。
そうなるとどうしてもこの後の事を考えずにはいられなかった。やはりすんなり寝かせてくれるわけではないのだと気付いてにわかにグレンの胸が騒ぐ。少しだけ心臓の鼓動が速度を上げたような気がする。
出たとこ勝負と意を決して、口を開く。これはまさに藪蛇なのかもしれない。だが奥手な駆け引きをグレンは好まなかった。
「なぁ」
発した声は自分で思っていたよりも小さくて、震えていて。グレンは少し自嘲的な気分になる。
「何だ」
「あの時言った事、まだそう思ってるのか」
治療の最後の一日。好きだと言われた事。治療にかこつけてではなく、きちんと抱きたいと言われた事。昨日の事の様に思い出せる。
あの時既に頭はまともに戻っていた。そして、構わないと答えた。そういった関係になるのは無理だが、アンタになら抱かれても大丈夫だと。
レグリスの手が一瞬止まる。だが動揺したわけではない。返事は早かった。
「もちろん」
「マジで、……したいのか」
「お前が嫌じゃないなら」
「……」
グレンは押し黙った。よりにもよってその言い方とは。肝心な時に押しの弱い男だ。
「無理強いはしない。お前はほら、元々そういう趣味じゃないだろう。あれから一年も経っているし」
「おいコラおっさん」
勢いをつけて起き上がる。驚いているレグリスにグレンは指を突き付けた。
「そういうズルい言い方はナシだぜ。あの時の俺をトチ狂ってたことにでもするつもりか?」
「そんなつもりは……」
「あの時平気だったんだから今も平気だ」
ずいとグレンは睨みつけるように顔を寄せる。互いの顔が瞳に映るくらいには近い。
「一応言っとくけど、そっち側に転がる訳じゃない。はっきり言わないと分からないみたいだから言うが、あんたと俺の信頼の問題だぜ、これは」
そう言いつつも、グレンの心臓はばくばくと早鐘を打っていた。
怖くないかと聞かれれば少しは怖い。自分のまともな部分が全部吹っ飛ぶような行為に頭から突っ込もうとしている。馬鹿な行為だ。大馬鹿だ。
だがそうしてもいいと覚悟を決めるくらいにはこの男に応えてやりたいと思っている。だってこの男がグレンに欲情するような男だったからこそグレンは狂気の彼岸から正気の世界に戻ってこれたのだから。
恩に流されたわけではない。その上で、レグリスになら体を預けても良いと判断した。
「欲しいんだろ。いいぜ、もってけ。――宿代じゃなくな」
「悪かった。試すような真似はよくないな」
軽口を混ぜて答えるグレンの瞳の揺らぎにレグリスも気づいた。あれだけ今をのを楽しみにしていたというのに、いざという時になって少し弱気になってしまった。
だがレグリスにも言い分がある。
「でもそんなぐいぐい口説く訳にはいかんだろうが」
何せあの時の事がトラウマで残っていたら治療した相手の傷を抉りかねない。そうなったら笑い話にもならない。
「や、それはそうだけど。でもそうだったら泊まらないっつーの、解れよ!」
「一応確認するが、あれからぶり返したりはしてないんだよな」
「大丈夫だよ。特になんも変なことは……って、おい」
本当か? とレグリスはグレンの体を検分し始める。体をまさぐられるグレンは少しふてくされたように口をとがらせるが大人しくしていた。
「よし、変なところはないな」
「当たり前だろ……」
そう言いながら、『正常』と断じられた自分の体と、これからその体がどんな反応をするのかと思うと、何とも言えない靄が心にかかるようだった。
頭が沈み込むようなふかふかの心地よさはそれだけで眠りを誘う。そもそもこんなに暇な時間がある日の方が珍しい。
一日ならこういう日もいいが、毎日続いたら退屈で参ってしまいそうだとグレンはあくびをかみ殺した。
「湯は使うか?」
もう放っておいて眠ってしまおうかどうか迷い始めた頃、漸くレグリスが戻ってきた。
遅い、とグレンは一言言い放ってのそりと身を起こした。
「いや……、よしとく」
正直あまり動く気にはなれない。湯は魅力的ではあったが、浸かったらいよいよ本当に眠ってしまうだろう。
城塞都市は背後に山脈を要する。守りが強固であると同時に山に降った雨が地下水としてあちこちから湧き出す豊かな水源地帯でもある。
どれくらい豊かかといえば、綺麗な水なら王都をも凌ぐくらいだ。
山脈の向こう側に火山があり、その熱でたまに温泉が湧いていたりもするくらいで、その恩恵にあずかりこの街ではある程度の財がある者なら湯に浸かる習慣を持っている。
温泉が傷の治療に良いのがわかったことと、攻めづらい地形、王都に近いという事情で軍の一大拠点として築かれた街がこの城塞都市なのである。
辺境では考えられないことだ。お世辞にも物資が豊富とは言えない。厳しい自然は時に敵である。水も貴重なので清潔にすると言っても体を濡らした布でこするくらいのものである。
農民ならば風呂というものを一生知らずに終えるのが普通だろう。グレンだって入浴というものは少なくとも辺境ではしたことがない。
こうして大きな街に逗留した際、金に余裕があればそういう施設のある上等な宿屋に行ってみるという程度のものだ。
言われるまでレグリスの家でも入浴ができることすらすっかり忘れていた。
再びソファに身を横たえたグレンの傍にレグリスが座る。重い体重を受け止めて、グレンの頭が沈み込むクッションに揺さぶられる。
「なんだ。俺を放っておいて居眠り決め込む気か?」
武骨な指がグレンの頬を撫でる。手つきは優しい。だが注がれる視線には他意を感じた。隠しきれていないのか、それとも隠す気がないのか、そこまではわからなかったが。
そうなるとどうしてもこの後の事を考えずにはいられなかった。やはりすんなり寝かせてくれるわけではないのだと気付いてにわかにグレンの胸が騒ぐ。少しだけ心臓の鼓動が速度を上げたような気がする。
出たとこ勝負と意を決して、口を開く。これはまさに藪蛇なのかもしれない。だが奥手な駆け引きをグレンは好まなかった。
「なぁ」
発した声は自分で思っていたよりも小さくて、震えていて。グレンは少し自嘲的な気分になる。
「何だ」
「あの時言った事、まだそう思ってるのか」
治療の最後の一日。好きだと言われた事。治療にかこつけてではなく、きちんと抱きたいと言われた事。昨日の事の様に思い出せる。
あの時既に頭はまともに戻っていた。そして、構わないと答えた。そういった関係になるのは無理だが、アンタになら抱かれても大丈夫だと。
レグリスの手が一瞬止まる。だが動揺したわけではない。返事は早かった。
「もちろん」
「マジで、……したいのか」
「お前が嫌じゃないなら」
「……」
グレンは押し黙った。よりにもよってその言い方とは。肝心な時に押しの弱い男だ。
「無理強いはしない。お前はほら、元々そういう趣味じゃないだろう。あれから一年も経っているし」
「おいコラおっさん」
勢いをつけて起き上がる。驚いているレグリスにグレンは指を突き付けた。
「そういうズルい言い方はナシだぜ。あの時の俺をトチ狂ってたことにでもするつもりか?」
「そんなつもりは……」
「あの時平気だったんだから今も平気だ」
ずいとグレンは睨みつけるように顔を寄せる。互いの顔が瞳に映るくらいには近い。
「一応言っとくけど、そっち側に転がる訳じゃない。はっきり言わないと分からないみたいだから言うが、あんたと俺の信頼の問題だぜ、これは」
そう言いつつも、グレンの心臓はばくばくと早鐘を打っていた。
怖くないかと聞かれれば少しは怖い。自分のまともな部分が全部吹っ飛ぶような行為に頭から突っ込もうとしている。馬鹿な行為だ。大馬鹿だ。
だがそうしてもいいと覚悟を決めるくらいにはこの男に応えてやりたいと思っている。だってこの男がグレンに欲情するような男だったからこそグレンは狂気の彼岸から正気の世界に戻ってこれたのだから。
恩に流されたわけではない。その上で、レグリスになら体を預けても良いと判断した。
「欲しいんだろ。いいぜ、もってけ。――宿代じゃなくな」
「悪かった。試すような真似はよくないな」
軽口を混ぜて答えるグレンの瞳の揺らぎにレグリスも気づいた。あれだけ今をのを楽しみにしていたというのに、いざという時になって少し弱気になってしまった。
だがレグリスにも言い分がある。
「でもそんなぐいぐい口説く訳にはいかんだろうが」
何せあの時の事がトラウマで残っていたら治療した相手の傷を抉りかねない。そうなったら笑い話にもならない。
「や、それはそうだけど。でもそうだったら泊まらないっつーの、解れよ!」
「一応確認するが、あれからぶり返したりはしてないんだよな」
「大丈夫だよ。特になんも変なことは……って、おい」
本当か? とレグリスはグレンの体を検分し始める。体をまさぐられるグレンは少しふてくされたように口をとがらせるが大人しくしていた。
「よし、変なところはないな」
「当たり前だろ……」
そう言いながら、『正常』と断じられた自分の体と、これからその体がどんな反応をするのかと思うと、何とも言えない靄が心にかかるようだった。
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