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9. 今世の私の日常は

66枚目 愛しい貴方の可愛い友へ

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「麗くん、大丈夫かなぁ……」

 向かい合わせでコーヒーカップに乗り、しばらく笑い声を上げてハンドルを回していた郁が、心配そうな声音で問い掛ける。
 コーヒーカップが止まる前に葵がすかさず引き受け、また緩やかに回り出した。

「郁くんは麗くんが気になる?」

 不安にさせないよう、葵は努めて明るく声を掛けた。

(この子はまだ小さいものね……)

 郁は身も心も子供で、心だけが大人である麗とは違う。
 もしも葵がただの高校生で、前世の記憶が無ければどんなに良かったか、と場違いなことを思った。

(純粋でひとつも混じり気のない人を、私が知らないだけかもしれないけど)

 少し前、「友達が出来た」と麗が嬉しそうに話していた。

『こんな俺でも友達になってくれる子が居るんだ』
『郁は優しい子だよ、本当に』

 そう言った麗の瞳は、小さな子供に向けるそれだった。
 後から「自分も同じ子供なのにおかしいよな」と笑っていたのは、記憶に新しい。

 葵が「何も知らない高校生でいたかった」という願いと同じように、麗もまた「何も知らない小学生の方がよかった」と思っているのは明らかだった。

 そうすれば、ただ幸せになれたのかもしれない。
 何も知らず、ただ笑っていられたのかもしれない。

 けれど、今更考えてももう遅かった。
 葵と麗は転生し、千秋にも前世の記憶がある。お互いがお互い、面識があるからか小さな事で思い悩んでしまうのだろう。

(でも、純粋な人を少しでも知っているからこそ、私がしっかりしないと)

 目の前に居る少年には特に、と心の中で付け加える。

「葵ちゃん」

 郁の小さな声が聞こえたところで、丁度コーヒーカップの動きが止まった。


「ちょ、郁くん、どこに」

 コーヒーカップから下りると、郁がすぐさま葵の手を摑んだ。
 あまり強くない力だが、ぐいぐいと引っ張られるとこちらも慌てる。せめてどこへ行くのかだけ聞きたかった。

「葵ちゃん。あれ、麗くんに買ってあげて」

 そう言って郁が指し示した先には、少しずつ行列が出来ているキャンピングカーの売店があった。
 もう少し歩いた先にもフードコートはあるが、この売店は一際目を引くポップな看板があった。

「ふわあまチョコフラペチーノ……?」

 葵は看板の商品名を読み上げた。
 丸みのあるフォントは手書きで書かれているようで、温かみがある。

(あ、甘そう)

 チョコレートソースやマシュマロに加え、ホワイトチョコチップがたっぷりと散りばめられたそれは、見るからに甘そうで胸焼けを起こしそうになる。
 しかし、麗の味覚が前世と同じなら、きっと喜んでくれるだろう。

 饅頭まんじゅう金平糖こんぺいとうを好んで食べていたのを、葵は覚えていたのだ。
 甘味を食べている時の和則は、にこにこと幸せそうでこちらまで笑顔になったのは数え切れない。

(あ、カスタムも出来るのね)

 でかでかと主張したフラペチーノの横には、箇条書きでトッピング多めや少なめなどは勿論、チョコレート以外のフラペチーノもあるらしかった。
 下の段にはカフェオレもあり、甘さ控えめにも出来るらしい。

「じゃあ並ぼうか、少し待たないとだけど……郁くんはどれにする?」
「ううん、いらないの」
「あんまり好きじゃない?」

 てっきり郁も何か選ぶと思ったが、予想とは違う言葉にわずかに目をみはる。

(今の小学生ってこういうのは飲まないのかしら)

 家の近所にも小さな子供は居るが、こうして「心身」が子供である人間と話すのは郁が初めてだった。

 麗は前世の頃から知っているからか、勝手が違うという事もあるのかもしれなかった。

(多分ジェネレーションギャップなのかな。それか私が知らないだけか……)

 あまりクラスの同級生と話さないからか、今の流行りすら知らない。
 葵はひっそりと、週明けと同時に一華いちかに今年のトレンドを聞こうと画策した。

「んっとね、これは麗くんにあげたいから。お願いします!」

 そうして一人思考していると、元気な声と同時にぎゅうっと郁に握られた指先に力が込められた。

「え」

 視線を下に向け、図らずも小さく声が零れる。
 郁が葵に頭を下げていたのだ。自分よりも小さな、つい数ヶ月前に小学生になったばかりの男の子が。

「ちょ、ちょっと、郁くん!?」

 顔を上げてほしくて、郁に目線を合わせるように葵はしゃがみ込んだ。

「葵ちゃんがうんって言ってくれるまで、このままだから!」

 葵と目を合わせるのを拒むように、郁は頭を下げた事で更に低くなった視線をそむける。
 駄々をねた子供は可愛いというが、ここは公共の場で、土曜日の今日は家族連れを中心に人も沢山居る。

 こちらを見る視線をあまり感じないだけ救いだろう。
 仮に注視されたとしても葵は気にしない性質たちだが、傍には郁が居る。
 郁はそれすら気付いていないのだが、後から恥ずかしい思いをした、という事は避けたかった。

「じゃあ後でフードコートに行こう。麗くんのフラペチーノを買って、約束したベンチに行ってからだけど……。ほら、今日は少し暑いでしょう? そこなら冷たいジュースもあるし、涼しいよ」

 その言葉に、そろりと郁が顔を上げる。
 ここには何度か来ているから、フードコートにある程度何があるか把握していた。
 気温はそれほど高くないが、じんわりと汗がにじむのも確かだ。

(早いところ合流しないとだし……倒れていたりしないかな)

 一抹の不安に苛まれつつも、麗に思いを馳せる。
 晩年の名残りか、身体の弱い麗をあまり長く一人にはしておけなかった。

「……わかった!」

 そんな葵の心配が顔に出ていたのかいないのか、満面の笑みを浮かべる郁の顔が、一瞬かげった気がした。



「買えて良かったね」

 うきうきと小さく鼻歌を歌っている郁に向けて、葵は声を掛ける。

「うん。ありがとう、葵ちゃん!」
「どういたしまして」

 郁の小さな両手には、「ふわあまチョコフラペチーノ」が大事そうに持たれている。麗でも飲めるようにと、Sサイズのカップにしてもらった。
 何も郁が飲むわけではないのに、本人以上に喜んでいるのは気のせいではないだろう。

(本当に友達想いの良い子なのね)

 少し麗が羨ましくなると同時に、何か取られた気がして落ち着かない。
 それが麗にとって「大事なお友達」であろうと、麗を一番好きなのは葵なのだ。

(って、小学生に嫉妬しても仕方ないでしょ! 一体何考えてるのよ、私ってば)

 自分の中の想いにほとほと呆れつつも、そんな自分に微笑ましくなるのも確かだ。
 前世で心躍る事は、全てが和則や家族に関する事だった。
 そんな自分が、今世では他人の事でふわふわとした気持ちになっている。

(きっと郁くんだからかもしれないけれど──)

 この小さな子供の笑顔を、出来るならばずっと守っていきたい。
 にこにこと遊園地を満喫しているであろう郁に、悲しい思い出で今日を終わらせたくないと思った。

 そうこう考えているうちに、見慣れた後頭部が見えた。

「麗──」

 くん、と続けようとしたところで葵は口をつぐむ。

「あ、葵ちゃん」
「おー、葵。お前も来てたのか」

 そこには決して居るはずのない人間──千秋が、麗の待っているベンチに座っていた。
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