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10. 俺が歩む未来の先

70枚目 和解のその後

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 まさかたまたまあおいの見つけた店で、こんなにも運命を感じる人間に出会うと、誰が思うのだろう。

(葵も随分待たせてたよなぁ)

 はは、と人知れず苦笑する。
 千秋ちあきは時間も忘れ、この店のあるじと話し込んでしまったのだ。

 そんな兄に呆れたのか、はたまた最初からこうするつもりだったのか、葵は「別の店を見てくる」と言って出ていったのが数分前。
 実際にどれほど待たせたのか、千秋も把握していない。
 けれど、それほど時間を忘れさせてくれる人は神山かみやまの他に出会った事がなかった。

「じゃあ、お父さんによろしくお伝え願うよ」

 にっこりと笑みを浮かべ、店主──神山が言う。

「はい。あの、ご迷惑じゃなければまた来ても大丈夫ですか?」

 千秋は咄嗟とっさにそう言っていた。
 何を言っているんだと一瞬思ったが、口をついて出た言葉は心からの本音だった。

「それは構わないが、ここまで遠いんじゃないのかい」

 神山が申し訳なさそうに眉尻を下げる。
 まだ未来ある若者に、閑古鳥が鳴いている店へは来て欲しくないという心情が見てとれた。
 そんな神山を安心させるように、千秋は微笑む。

「車ですぐなので。神山さんさえ良ければ、ですが」
「……大丈夫だよ。いつでもおいで」

 歯切れの悪い口調だが、本心からの言葉ではなくても神山の了承が何よりも嬉しい。
 大学が終わってからの楽しみが出来たな、と千秋は密かに口角を上げた。

 美しいものを売る人間に興味が湧いた事も確かだが、それ以上に神山は千秋の好む人間なのだ。

坂城さかきさんに似ているんだ)

 きっと自分は、前世の記憶──家を飛び出した先で会った恩人と神山とを当て嵌めている。
 その事に懐かしさが込み上げると同時に、なんとも言えない気持ちになった。

(今世でも会えたらいいんだが)

 無理だろうな、と千秋は自嘲気味に笑う。
 あの時の自分よりも先にいなくなった人間の所在は、千秋には分かっていない。

 たまたま転生した先で、たまたま下の妹が前世で多少の面識がある人間だっただけだ。
 その妹も、今の千秋にとっては大切に守るべき「身内」であり、「自分の命よりも大事なもの」になっていた。

 葵に伝えた事は、昔の自分がした事を許して欲しい、という懇願こんがんともいえる懺悔ざんげだけだった。
 そんな兄に呆れるでもなく自分の考えで、自分の言葉で伝えてくれた葵は、誰よりも強い人間だと千秋は思う。

(俺以上に強くて、しっかりした芯を持ってる葵が羨ましい)

 気付けば葵に羨望せんぼうの眼差しを向けている事を、当の本人は気付いていない。
 いや、気付いたとしても自分から言う気は更々無かった。

(こんな巫山戯ふざけた思いは知られたくない)

 兄として、自分は常に手本でなければならない。
 自分から慰めたり笑わせたりする事はあれど、相手が手を差し伸べてくれない限りは干渉もしない。
 それは前世で染み付いた本能のようなものだった。

「──くん、千秋くん?」
「っ」

 神山の落ち着いた声音が耳に入った事で、千秋は現実に引き戻される。

「すみません。考え事をしていて」

 目に入った神山は、心配そうな表情でこちらを見ていた。

「そうかい。……学生だと言っていたが、あまり根を詰め過ぎてもいけない。後から大変な思いをするのは、他でもないお前さんだからね」

 口調は落ち着いており、口元には笑みを浮かべているが、その瞳は少しも笑っていない。
 きっと年寄りの勘というもので、何かを悟ったのだろう。
 忠告をしてくれている神山に、千秋はにっこりと笑いかける。

「はい、ありがとうございます。また来ますね」

 軽く神山に挨拶を済ませると、千秋は店を出た。

「っと、悪いな。待たせて」

 すぐそばに葵の姿が見え、小走りで駆け寄る。

「ううん、大丈夫。私も良いものを買えたし」

 にっこりと満面の笑みで、葵は手に提げていた袋を持ち上げた。
 
「ブランドからして……ネクタイか」

 千秋は細長い形状からそう予想した。
 それは神山の店からほど近くにある、紳士服を専門とする店舗のブランドだった。
 程よい値段で、普通よりもお洒落なものが数多く取り揃えられている。

 貴仁の選ぶものは、どれもシンプルだ。
 そこに娘からのプレゼントともなれば、喜んで付ける事だろう。

(毎日でも付けて行きそうだよな。まぁ俺の知った事じゃないけど)

 そんな貴仁の様子が容易に想像出来るからこそ、千秋は苦笑せざるを得ない。
 それもこれも、家族のことになると少年のように無邪気になる父に、千秋はどうにも苦手意識があった。

 前世の幼少期が鬱々とした日々だったからか、あまり過度な愛情表現に慣れていないのだ。
 葵と巫山戯合う事はあれど、貴仁と馬鹿な事をやって百合に怒られたいとは思わない。
 否、思えなかった。

 かおるが大人になった日には、形だけの祝いの言葉を述べられるだけだった。


爵位を継いでくれと言われたあの日。そして、父から認められたどう足掻いても

「やっぱり定番はこれかなって。お酒はまだ買えないし」
「へぇ。葵らしくていいと思う」

 くすりと自然と笑みが溢れる。
 ふわふわとした高揚感の中、千秋はそのまま葵の頭を柔らかく撫でた。

「もう、あんまり撫でないでって言ってるでしょ!」
「丁度いい所に頭がある方が悪い」

 そうして軽口を叩き合いつつ、車を停めている場所までの距離を並んで歩く。
 今日は良い一日になったなと思いながら、千秋は口角を上げた。


 ◆◆◆


 家へ帰ってくると、空は黄昏たそがれに染まっていた。

(母さんはまだ仕事か)

 スマホの時計は、十七時を回っていた。
 本来ならば百合は退勤しており、通知も届いているはずだった。

 葵が出掛けてすぐ、家を出る前に百合へ『何か買うものがあればスーパー寄ってくるけど』とメッセージアプリで連絡したが、こうして葵と揃って帰宅しても人の気配は無かった。
 アプリも未だに既読は付いていない。

「葵、母さんから連絡って来てたか?」

 手洗いうがいを済ませ、自室に入ろうとする葵に問い掛ける。

「あ、見てなかった」

 そう言うと、手早くショルダーバッグからスマホを取り出す。

「おいおい、しっかりしろよ」
「ここまでずっと話していたんだから、仕方ないじゃない……って」

 車に乗ってから帰宅するまで、昨日の事が嘘のように葵と沢山のことを話した。
 今までも勿論本音で話していたが、お互いの前世を知ってからはもっと絆が深まったように思う。

 前世では後悔のある別れだったからか、今世で緋龍と伝えてしまえば遠ざかると思っていた。
 しかし、千秋の予想に反して葵は良き妹として千秋との関係を続けてくれるようだった。
 それが分かっただけでどれほど安堵したか、目の前の『妹』は知らない。

 そんな心の内を普段通りの『兄』として振る舞う事で隠していたと、言葉にしないだけで葵はもう知っているのだろう。
 千秋を見る瞳が、あまりにも慈愛に満ちていると気付いたのはいつだったか。

(いや、今は懐古してる場合じゃない)

 知らずのうちに思考が明後日の方を向いている事に気付き、千秋は一度頭を振る。

「来てたか?」

 ひょいと葵の後ろに立ち、千秋は画面を覗き込んだ。
 葵は千秋が見やすいようにか、スマホを上へあげてくれる。

『お父さんとディナー行ってくる』

 という簡潔な文章の下に、笑顔のキャラクターものスタンプがあった。
 普段の百合はスタンプなど使わない人間で、それだけ貴仁との食事を楽しみに出掛けて行ったのが分かる。

「だって。ふふ、相変わらず仲いいなぁ」

 両親の仲睦まじさは、家に居る時はあまり感じない。
 元から貴仁はあまり家に帰らず、百合も急な時間帯に出勤する事もまれだった。
 夫婦が顔を合わせる事は三ヶ月に一度、そして貴仁が不定期で休暇を取った二週間程度だが、それでも百合を気遣ってだろうか。

 こうして貴仁からディナーに誘う事があり、千秋や葵はその場面に数度居合わせた事があった。

「そうだな」

 知らずのうちに葵が笑みを深めていたのを、この時の千秋は気付いていない。

「じゃあ夕飯作らないとね。冷蔵庫見てくるから、ちょっと待ってて」

 そして、葵がどんな表情で台所へ行ったのかも知らなかった。
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