きみが優しいそれだけで。

穂篠 志歩

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夜を照らす

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 星原は一瞬で蒼白した。佐々の声から感じた距離感。自分から彼と離れようとしていたくせに、いざそれが現実になろうとするだけで、こんなに血の気が引くなんて。
 こんなことで怯んじゃダメだ、嫌われてもいい覚悟で、離れようなんて言ったんだから。
 一時前に感じた温かさを、そっと胸に抱いて生きていこう、そう思ったことが正しいのだと、先刻まで星原は信じていた。その感覚はうそじゃない。それでも、今、目の前の佐々から思いもよらぬ冷たさを感じてぞっとした。抱いていた想いの種類はどうあれ、これまでの二人の間にあった距離感を、なかったことにするなんて提案がどれほど残酷なのか。自分が切り離されることは覚悟していたつもりだったが、言われた相手がどんな心情になるのか、想像はしていなかった。
 星原が言葉を失っているところへ、佐々はどこか寂しげな目を向ける。
「がっかりだ。おまえがそんなふうに思い悩んでいることを、言われて俺が困ると思ってるのが」
 覇気のない声の佐々を見上げる星原は、思わず胸に手をやった。彼を失望させた自分の不甲斐なさが気道を狭めたように苦しい。
「それは確かに、さっきみたいなおまえの気持ちを聞いたら、悩む……考えるだろうさ。俺なりに。だけどな、それを、受け止める器量くらいはあるつもりだ。悩むチャンスくらい、くれよ。俺の悩みにまで、おまえに責任負われる筋合いはないだろ。そんなに俺は、信用なかったのか」
 まっすぐに向けられた瞳には相変わらず冷めた棘があるが、紡がれる言葉はじんわりと星原に沁みた。
「おまえがそんなに思いつめてたことを知ったその時には、おまえはもう、友達をやめる決意をしてたなんて、そんなこと言われて黙ってはいそうですかなんて、言えるわけないだろ」
 星原は、再び目から溢れそうになる感情を押し留めようと俯く。
「だってさ、理は、絶対にないって、言ったじゃん……」
 いつでも、その言葉は星原の心に刺さっていた。共に気のおけない仲間と馬鹿なことをやっているとき、真面目な顔で学業に励むとき、何気ない時を二人で過ごすささやかな幸福とき。まるで忘れることを戒める軛のように、ふいに思い出す言葉。
 “恋になることは、絶対にない”
 いつでも佐々の声で脳裏に響いていた言葉を、目の前の当人の大きなため息が遮って、星原は反射的に顔を上げた。
「そうか、俺が悪かったか。……そうだよな、悪かったよ。ごめん」
 ため息の後に続く言葉として星原が覚悟していた悪い予感を裏切るような、軽い調子で佐々は言って星原の肩に手を置く。
「だから、考え直して」
 一転して真摯な佐々の声に、星原の理解は追いつかなかった。佐々はそれに構わず、星原の目をじっと覗き込んで続ける。
「友達をやめるとかっていうの、考え直して。俺は豊の望むものを、与えられるのかわからない。でも、試させてほしい。俺にとって、豊は一番だ。それが友達なのかとかなんとかって、おまえが考えないですむくらい側にいるから。それでもやっぱり駄目だっていうんなら、それはもう、仕方ないって諦める。だから、さ」
 頼むよ。
 そんなふうに懇願する佐々を、星原は初めて見た。その様子が、先刻までの決意とか、これまでの悩みとか、押しつぶされそうになっていたこの先に対する不安とか、星原の中にあったもやもやすべてを霞ませた。後に残ったのは、単純な想い。口を突いてそれが出た。
「理と一緒にいたい」
 本当にそれでいいのか、一抹の不安が心の奥底にあることは否めない。自分はもっと、いろいろな状況を考えて佐々への決別を口にしたはずだった。それでも星原は今、目の前の大事な存在が自分を求めてくれるという事実に満たされていた。その感覚を、手放したくなかった。
「ホントはもっと、理と一緒に、いたいよ」
 星原は言葉を詰まらせながら言う。佐々を、その目をやっと素直に見つめ直して。佐々は微笑をもってそれを受け止めた。
「だったら教えてくれよ、これからは。豊が何を考えているのか、一人で悩んでないで、俺に教えてくれよ」
 自分にも言い聞かせるように小刻みに何度も頷く星原。
「俺も、……あんまり無神経に、考えなしには喋らないように、するから」
 落ち着いたトーンの佐々の言葉の真剣さが、星原の抱いていた僅かな不安に覆い被さって見えなくした。一人で答えを出したときの切迫の末の安堵感よりも、もっと温かな安らぎが満ちて自然と目元が緩む。
「どうかな。理は、深く考えるの、苦手なほうだもんな」
 いつもの調子が戻ってきた星原が笑うと、佐々はふんと鼻を鳴らしながら星原の肩を掴んでいた手を離し、そのまま上に持っていって額をぺちっと叩いた。
「おまえが考えすぎなんだよ」
 言う佐々の手は、しばらく星原の額に当てられたままだった。覗き込むような距離で彼に触れられて、星原の心臓は不用意に高鳴る。思いもよらないことの連続で、常日頃はしっかりと築いていた好意の堤が機能していないようだった。しかし、鼓動が早鐘の星原が次の言動に移る前に、佐々はその手に力を入れた。思わず声をあげ、そのまま後ろに仰け反る格好になった星原が、体勢を整えながら「何だよもう」と照れを誤魔化していると、目を逸らした佐々は口を尖らせて言った。
「おまだよ、おまえ。こっちが照れるだろ」
「そんな、理が、変なことするからだよ」
「変な言い方するな、俺は何もしてないだろ」
「だって……」
 星原は口を噤む。これまでのように、友達に徹してやり過ごすことも考えた。
 だけど、それじゃあ今までと何も変わらない。またいつか、この関係に耐えられなくなるかもしれない……。
 佐々がどこまで自分を受け入れてくれるのか、わからない。佐々のそれが恋ではなくても、自分が受け入れられるのかも、わからない。それでも、これまでと違う風を吹かせたくなって、星原は上目に佐々を見ながら二の句を継いだ。
「キス、されるかと思った……」
 夜の闇は相手の顔色まで悟らせてはくれない。それでも、佐々が息を飲む気配が星原に伝わった。拒絶か、迷いか、躊躇いか。これまでならきっと、そんな後ろ暗い気持ちしか汲み取れなかった。今ならその動揺から、もっと違うものが感じられる気がする。
「なんてね、冗談だよ」
「冗談じゃないだろ、ホントにおまえ、そう思ってただろ」
 そんな目してたじゃないか。
 自分が作ったこれまでと違う流れを、これまで通りの空気に戻そうとした星原に、しかし佐々は乗らなかった。
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