悪魔につけこまれたお姫様の話

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侍女と狼

2 侍女の思い

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 王宮の庭は庭師たちによって整えられ、白い薔薇が咲き乱れている。

 まだ少年のギルフォード王子は、天使のように愛くるしい笑みを、今は唯一の肉親となった姉にむけていた。
 禊の日の午後、姉弟とごく近しい侍従のみのお茶の時間だ。

 エマも、女王となったシェリルの貴重な休息のために細々と立ち働いていた。
 ギルフォードといるときは、シェリルの顔にも以前のような柔らかな微笑みが戻っている。
 しかし、陽の光の下では、そのプラチナブロンドの髪も青白い肌も、か細く溶けてしまいそうな儚さだ。シェリルは明らかに痩せた。
 何不自由なく大切に育てられた姫君が、父母を失った悲しみも癒えぬまま、女王の務めを果たそうとしている。
 幼い弟王子を守ろうと、涙を見せることもなく。
 ……悪しきものに唆されたからとはいえ、父母を奪った民の為に尽くさねばならない心のうちは、いかばかりだろう。
 万が一があってはいけないからと、シェリルは城下の施薬院の慰問にエマを伴ってはくれない。
 けれど、その苦悩は長く仕えるエマには痛いほど伝わってくる。
 お労しい、と思う。
 少しでもシェリルの力になれるのならば、どんなことだってするのに……。

 エマの父は、近衛の騎士だった。シェリルの父がまだ王子だったころ、賊に襲われたのを身を挺して庇い、亡くなった。母は産褥で既に亡く、残された一人娘を王子は憐んで、年の近いシェリル姫の側仕え……とは名目で、要は遊び相手とした。
 身分は違えど、近しく温かく迎えてもらった恩義がある。
 エマはそれを十分にわかって、シェリルのために、名目だけでない侍女となれるように励んだのだ。
 敬愛すべき、一枚の完成された絵画のような国王一家。

 だからこそ、悪しきものが狙ったのだろうか。

「お姉さま、僕、ボールをすごく遠くまでなげられるようになったよ! ねえジーク、ボールやろう!」

 果物入りの焼き菓子を食べ終わえた王子が、無邪気にお気に入りの近衛を誘う。
 人狼族のジークが立ち耳をぷるっと震わせてこちらに視線をやるので、エマは伺いをたてた。

「シェリル様、いかがでしょうか?」
「ええ、いいわ。ギルフォードがどれだけ強くなったか見せてもらいましょうね」
「とのことです。花壇に飛び込んではいけませんから、運動場へ場所を移しましょう」

 エマがそう伝えると、ジークの尾が機嫌良く揺れた。
 彼もまた、王家から恩義を受けて召し抱えられている。

「だって。行こう、ギル様」
「うん!」

 銀髪に淡い蒼の瞳の凛々しい顔立ち、立派な体格と裏腹に、態度が少年じみているのはともかく、半獣ゆえに主人への忠義に厚い。
 あのとき――王一家を守ろうとしたものは、ほんの一握りだった。
 エマ自身、混乱し恐怖に囚われて、おめおめとシェリルから離され、王子とともにジークの背に隠れるばかりだった。
 ジークだけが、狼の姿に変じて威嚇した。

「エマとギル様に近づく奴は、片っ端から噛み殺す!」

 王子の無事は、ジークのおかげだ。以前から遊び相手として気に入られていたが、一層信頼されるようになっている。

 シェリルを運動場にしつらえた観覧席に導きながら、エマはそっと様子を伺った。
 シェリルの左手には、神聖帝国の異端審問官が神からの聖なる印と認めた赤い紋章が浮かんでいる。
 それがあるから自分は大丈夫なのだとシェリルも言うのだが、エマは不吉なものを感じていた。
 王子は一目見て怪我をしていると言った。実際、それは皮膚の内側まで深く侵食しており、時折痛むそぶりもある。確かめてもシェリルは隠そうとするけれど。
 
 エマは決意を新たにする。
 女王と王子が心を許せる相手は、ごく少ないのだ。
 ジークと助け合って、今度こそお二人を支えなくては。

 そして、忠実な侍女の影に、背中合わせに悪魔は現れる。

「私のシェリル様にべたべたと。なんとも憎らしい」

 シェリルがはっと振り返った時には、エマ以外いない。

「いかがなさいましたか?」
「いいえ、なんでも……」

 エマは主人の心をほぐそうと微笑みかける。

「今日は少し暑うございますね。日よけをいたしましょう。お飲み物もすぐに」

 侍女の言葉に反して、シェリルの背には冷たい汗が伝っていた。
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