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幕間・幕後

464.(幕後)色褪せた世界を彩る夜明け

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 ――私が死んでも、この世界は何ひとつ変わらない。歴史は公平に紡がれていくの。

 生前のヒルト様の言葉を噛み締めた。世界は表面上、穏やかに時間を費やして流れていく。この目に映る世界は、色を失った。幼い頃に過ごした白黒の世界が、再び俺を呑み込む。

 ヒルト様に拾われて、世界は色づいた。赤や黒といった強烈な色から始まり、最後は淡い色に至るまで。同じ色を見たいと願う俺の目は、あの人を失って世界の価値を見失った。

 それでも生きていく。ヒルト様との約束だから。三年後は追いかけてもいい、と許可をくださった。迎えに来てあげると笑って、この頬に触れたのだ。だから平静を装って、砂利を噛むような日々を過ごした。

 ヒルト様の死を三年間伏すこと。外部で知っているのは、魔王ユーグぐらいか。ハイエルフのリュシアン同様、魔族の王である彼も若いままだった。出会った頃なら負ける気はしないが、今はもう遠く及ばない。この体は動かない鉛のようだ。

 一時期は、ヒルト様をお守りする力が欲しいと願った。けれど、今になれば老いた身に感謝している。一緒に生きて、歳を取ることが出来た。あの方を置き去りにすることなく、俺が忘れられることもない。

 優しく穏やかな時間を過ごし、見送った時間は誇りだった。俺という存在を認め、世界に刻み、最期を決める選択まで与えられる。生きている時はもちろん、死ぬ瞬間も……死後さえヒルト様の支配下にある。この喜びは、長寿種族では分かち合えなかった。

「お祖父様! 抱っこして」

 両手を伸ばすアンネリースの願いを叶えた。娘であるヴィンフリーゼより、ヒルト様に似ている。微笑ましげに見守る夫パトリスの傍で、不安そうなリゼが眉を寄せた。

 支える腕の痛みなど、顔に出さない。椅子に下ろして、隣に腰掛けた。庭でのお茶会がお気に入りの孫娘は、笑顔を振り撒く。最近覚えたばかりのお茶を淹れて、俺の前に置いた。

 王族の嗜みとして、リゼもパトリスも銀匙を入れる。ハイエルフの魔法を利用した銀のスプーンは、王族に一本ずつ与えられた。袖に入れているが、使用せず口をつけた。毒には耐性がある。かつて暗器を仕込んだ袖は、いま半分も使わなくなった。

 守る人がいないなら、最低限の武器で済む。ヒルト様のご命令だから、三年目の命日までは生きる予定だ。手足がなくなろうと、生きてさえいればいい。そう考えるので、どうしても保身は後回しになった。

「お祖父様、お祖母様はお元気?」

 にこにこと悪気なく尋ねるアンネリースの金髪を撫でる。

「ええ、お風邪を召していますので、お見舞いは遠慮してください」

 穏やかに答えた。そろそろ見合いをする年齢だ。一見すると素直で癖のない孫娘だが、次期女王としての教育は厳しかった。察しているのだろう。すでに祖母が身罷り、俺達が隠していることも。理解して何度も尋ねる。

 答えが同じことに安心して微笑む姿が、俺の考えを裏付けていた。やはりヒルト様に似ている。髪の手触りすら、本当にそっくりだった。ただ、笑い方だけが違う。

 瞼を閉じれば思い浮かぶヒルト様のお姿は、褪せることがなかった。日が傾き肌寒い風を合図に、解散が告げられる。あと一年、長いのか……短いのか。残念ながら、寿命はそれ以上残っていそうだ。不可抗力で早く死ねたら、すぐ追えるのに。

「お祖父様、また……ね」

 手を振るアンネリースに「はい」と笑顔を向けた。あの子は気づいている。俺が毎日を数えながら、死ねる日を待ち侘びていること。理解しながら、指摘しないのはシュトルンツの王族らしい。

 白黒の世界で、住み慣れた離宮へ足を向けた。ヒルト様がいるように振る舞う、主人なき宮は花が飾られ華やかだ。ヒルト様が生きている時と同じように、毎日同じ行動を繰り返してきた。

 花を飾り、庭に水を与え、窓ガラスを丁寧に拭く。光が差し込むベッドのシーツを交換し、二人分の食事を運んだ。すべて変わらない。違うのは、あの人の姿が見えず、声が聞こえないことだけ。

 普段と同じように風呂で身を清めて、ベッドに寝転がる。半分を空けて……そこへ腕を伸ばした。腕枕が好きな人だから、必ず横を向いて腕を差し出す。頭の重みがないのが不思議だった。

 カウントダウンは進み、残り一日。明日はようやくヒルト様にお会いできる。浮かれながら、いつもの手順を踏んだ。

「お祖父様……これを、お祖母様にお渡しして」

 即位したばかりで忙しいアンネリースが、一枚の絵を持ち込んだ。受け取って広げれば、若い頃のヒルト様と俺が描かれている。ソファーに腰掛けた二人を囲むように、背もたれに手を置いたヴィンフリーゼとパトリスがいた。どちらも即位前後の若さだ。

 手前に即位式のドレスを纏ったアンネリースと夫も描かれた絵は、時間の経過などなかったように美しい。

「お祖母様によろしく、お伝え……して」

 涙を堪える孫に「承知しました」と頷く。くるりと巻いた絵を寝室へ持ち込んだ。明日の朝、ここで命を絶つ。土産がひとつ増えたな。そんな思いで、ベッドに座って朝を待った。

 青紫の光が空を明るく染める。その色を見ながら、美しいと感じた。久しぶりの色だ。ヒルト様に迎えに来てくださったのだ。そう感じながら、微笑みを浮かべた。






*********************
 ヒルト亡き後、色を失ったテオドールは穏やかに土産話を集め、孫の用意した絵を携えて最後の日を迎える。そこで色が戻るのは、ヒルトを感じたからでしょう。

 エピローグに「その後のヒルトの手帳」を書いて最終話にしたいと思います。
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