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プロローグ

世紀の一戦

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「皆様お待たせいたしました!大晦日、時刻は21時50分!
格闘の祭典である『BRIGHTブライト』も遂にメインイベントのお時間に突入いたしました!」
高揚したアナウンサーが唾を飛ばしながら話す。
試合はまだ始まっていないが、抑えられない興奮によって声が上ずっていた。

「いよいよです、いよいよ始まる世紀の一戦!」

「両者リングの上でにらみ合っております!」

数多の照明に照らされるリング。
熱い視線が注がれる正方形の中心には、殺気立った空間を生み出す男たちがいた。

不破 武大ふわ たけひろ182cm 110kg!23歳のうら若きアジアチャンピオン!見事な仕上がりです!」

「そしてワイアット・ヴァレンタイン 195cm 120kg!皆様ご覧くださいこの手足のストローク!筋肉はまるでヴァチカンに飾られる石膏像のようだ!これぞ英雄的頭身というべきかぁぁーーー!!」

「日本の宝、不破は!このジャイアントキリングを果たせるのかっ!?」

レフェリーのルール説明が行われ、両者はリングの端へと移動する。
両陣営のセコンドが思い思いの言葉を投げる中、2人の意識は相手のみに注がれる。

ーーーーーーーーーーーーー

1週間前、記者会見


「ヴァレンタイン選手、今回は総合ルールですがいつも通りボクシングスタイルのみで戦うのでしょうか?
総合格闘技、ヘビー級アジアチャンピオンという称号は油断ならないと思われますが……」
記者の質問を通訳が耳打ちする。
ヴァレンタインは笑いを含みながら返した。

「もちろん、ファイトスタイルはボクシングのみだ。
それと、彼の持つチャンピオンの称号は取るに足らんよ。所詮はアジア、世界を制した私とは違う」
「まあいい。彼にはぜひとも、局所的なコミュニティで鍛え上げた‟東洋の神秘”を見せてほしいものだ」

挑発的な返答に、武大はマイクを握りしめてヴァレンタインを睨みつける。
「おい、自由の国のチャンピオンさんよ」
「ボクシングしか使わないんじゃなくて使んだろ?」
ヴァレンタインの顔から笑みが消えるが、武大は口を止めない。
「これから起こることを教えてやるよ、チャンピオン。お前は……アメリカそのものは、俺に跪くことになる。
今まで培ってきたボクシングの歴史全てが、俺によって叩き潰されるんだよ」

「自由の国の誇りであるボクシングしか使わないだぁ?
だったら俺が、その不自由さから解放してやるよ」
すかさずヴァレンタインが立ち上がり、同時に立ち上がった武大と睨み合いを始めた。

会場の空気が重苦しくなる。
関係者達は固唾を飲み、乱闘に備えた。

「!?」
だがこのにらめっこは武大の負けだ。

ヴァレンタインは軽い口付けを額に当て、武大をからかい大きく動揺させた。
それを見た関係者達の緊張感が一気に溶け、中には思わず吹き出してしまう者もいた。

「な、何考えてやがるバカ野郎が!」
武大がすかさず殴りかかるが、ヴァレンタインはそれをかわしながら高笑いを上げている。

「どうやら俺の唇はジャブよりも速くなっちまったようだ」と言い、カメラに向かってひどく芝居がかった『やれやれ』のジェスチャーをしてみせた。

「バカにしやがって!この野郎!絶対ぶっ飛ばしてやるからな!」

記者団のフラッシュが一斉に炸裂し、武大は世間に恥を晒す羽目になった。


ーーーーーーーーーーーー

突入するは既にラウンド2。ゴングが鳴った。

「不破選手、前ラウンドのダメージが残っているようですが!」
 
『桜と着物が似合う』と世間を魅了した武大の顔は、目も当てられない状態になっていた。
額から流れる血の河は、真っ赤に腫れあがった瞼と頬を跨いで顎先から垂れ続けている。
そしてみぞおちにも痛々しい痕が浮き上がっており、武大の不利は明らかなものである。

「フックとストレートをまともに喰らってますからね。しかし彼の戦意は消えておりません。」

武大が踏み込み、神速のワン・ツーコンボで顔を狙う。が、防がれる。
「ヴァレンタイン、鉄壁です!不破の拳ですら、この体重差は崩せないのか!」
「いいや、彼はあの程度のサイズの選手にも打ち勝ってます。ヴァレンタインのブロック技術が高すぎるようです」

余裕のガードではあるが、その眼には一切の容赦も油断もない。
一挙一動を捉え、コンマ秒で先手を取るために、武大の動きは眼球ひとつも逃さない。
あれほど痛めつけてなお強まる彼の戦意、あるいは殺意に、ヴァレンタインは警戒する。

瞬間、鈍い音と共にヴァレンタインの右腕が痺れた。
武大の蹴りを無意識に防いでいたのだ。

真正面からの一撃にも関わらず、
なんとそれを無意識にブロックする程に研ぎ澄まされたヴァレンタインの感覚は、ヴァレンタイン本人すらも驚かせた。

「……俺の本能が、お前を恐れている。
アッパレだぜミスター・タケヒロ」
ついぞ英雄が、獣に成る。

「ここで仕掛けたヴァレンタインーっ!」
武大が瞬きをした瞬間、視界はガードを突き破ったグローブにより埋め尽くされた。
潰れた鼻を更に埋め込むようなこの1撃が、むしろ武大の意識を覚醒させた。

ヴァレンタインは仰け反る武大を逃さず、フットワークで回り込む。
ミサイルよりも疾いストレートを顔面に放つ。
「しかし追撃をかわした!不破、かわしたー!」
武大は光よりも疾いパンチの軌道から逸れた。
躱すと同時に放ったカウンターの回し蹴りが防がれたものの、コンマ1秒後に飛んできたアッパーを避ける。

リング上では疾さの応報が飛び交っていた。
両選手の滝汗で、周辺に蒸気が立ち込める。
観客は声を上げず、ただ魅入る。

疾さ比べを降りたのは武大だった。
まばたきをせずにフットワークで距離を取る。
しかしヴァレンタインはそれを予測済みだ。
武大の進行方向にえぐるようなフックを放ち、グローブの半分を脇腹にめり込ませた。

「ボディに入った!不破の内臓が跳ねたー!」
「しかし不破選手、まだ動いている!すごい!チャンピオンのボディブローでも止まりませんっ!」
食いしばった歯に亀裂が走る。
それでも武大の心は止まることを許さない。
並の選手であれば悶絶するほどの一撃を食らっても、止まることを拒絶したのだ。

ヴァレンタインの体には、異変が起こっていた。
(クソッ、クソッ!こんな時に来やがってッ!)
視界が歪み、わずかに手足が痺れ出す。
開場の音全てが脳内を叩き、視界までもぼやけ始めた。

ほんの一瞬だけ、ヴァレンタインのフットワークが鈍る。
武大の眼光がそれを見逃すことは、残念ながらあり得なかった。

瞬間、破裂音が会場に響く。

「こ、これは……!」
「ヴァレンタインが止まった!?フットワークを潰した不破ぁぁーーっ!!!!」

武大のカーフキックが、ヴァレンタインの鋼鉄のふくらはぎに直撃した。
アドレナリンを突き破るほどの痛みに、ヴァレンタインの表情が悶絶に染まる。
 
チャンスだ、ここしかない。武大がそう考える前に、体は追撃を開始した。
もう一本放たれたカーフキックで、二本目のふくらはぎも潰す。
「ヴァレンタイン、下がり切れない!食らい続けています!!」
「不破選手、的確に脚を潰したぁー!っと!?」

武大は痛む内臓を振り回し、爆発的な勢いで体を捻じる。

「ここで後ろまわし蹴りが入ったーっ!」
ヴァレンタインの肋骨を砕いて、重い踵がみぞおちに突き刺さった。

「っっ…!しかしヴァレンタイン、一切ひるまない!うずくまりません!」
武大の踵をめり込ませたまま、ヴァレンタインはその脚をガッチリと腕で挟んだ。
観客の興奮が増し、会場が大きく揺れる。

だが実際、内臓が敗れたヴァレンタインはそうして立っているのがやっとの状態だ。
武大が脚を引っ込めると、すんなりとヴァレンタインは腕を離してしまう。
頭の位置が下がり無防備なヴァレンタインに、武大は顔面に最大威力の蹴りを叩き込んだ。

「不破、跳んだっ!」
「入った!入ったぁー!ダウンっ!!不破の浴びせ蹴りで遂にダウンーっ!!!」
「チャンピオンが沈んだ!倒した!勝った!勝ったぁー!!!」

神話の巨塔が、遂に倒れた。

会場に、今世紀最大の歓声が生まれた。
アメリカ史上、いやスポーツ史上最大のジャイアントキリングだ。
 
新たな時代の到来に我々は立ち会ったのだ。
我々こそが、歴史の証人である。
そう言わんばかりの大喝采。

興奮は一体感を増し、会場を揺らす。

しかし、リング空間だけは違った。
試合よりも重々しい雰囲気。
誰もが感じる嫌な予感、胸騒ぎ。

「……っと、これは。起き上がれないようです」
「…………もしかしたら」

リング上の空気は、徐々に会場へ伝播した。
歓声はいつの間にか消え、どよめきに変わっている。


────その場にいた誰もが見抜けなかった、ヴァレンタインが限界であることに。
 
「我は死なぬぞ、不屈のチャンピオンであろうが」
そうあろうとし続けた姿勢は世界を見事に騙し続けていた。

ヴァレンタインの脳神経は、傷を追っていた。
故に「英雄」の瓦解は唐突だ。

武大のベルトを持つ手を支えるレフェリーも、武大本人も。
両選手のサポーターもセコンドも、皆が嫌な予感を感じている。

ヴァレンタインは、うつ伏せのまま動かない。
身じろぐことも呼吸の膨らみも無く、ただ動かない。

「ヴァレンタインが……動きません」
「…」

救護班がヴァレンタインを担架に乗せて、リングを去る。
その様子を見ていた全員は放心状態で、彼らもまた動けなくなっていた。

気を取り直したアナウンサーが慌てた様子で喋る。
「ええと、中継はここで一度中断とします。スタジオにお返しいたします」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「……はい、たった今報告がありました。はぁ…ええと」

「………ヴァレンタイン選手の心停止状態が確認されたそうです、繰り返します…………」
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