聖女の蜜闇ー優しい仮面を剥がされて

八千古嶋コノチカ

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真の優しさ

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「これだから女は汚くて、狡賢くて、腹立たしい。絶対に許さない」

 雨に濡れていないのに、発する言葉が湿気る。不穏な響きが身体に纏わりつき、画商は冷えてきた。

 きっと表の少女達が容姿端麗な男を見たら、驚くだろう。美術品を扱う画商さえ男を最初に見た時に惹きつけられた。男の美しさは着飾って盛ったのではなく、無駄がない美しさというのだろうか。

「それで? 依頼は受けて貰えるのか?」

 男が感情を乗せずに話すと絵画が喋ったみたいで、逆に気持ちが入ればーー。

「心配いりませんよ。貴女を傷付けた者等に必ず報いを受けさせますからね」

 絵へ語りかける男は微笑む。

 水面に浮かぶ女性の構図は、恋人に捨てられ、父親を殺されたお姫様が川へ身を投げたという悲劇が元になっていると推察される。立花だけでなく様々な画家が描く題材だ。

 その立花が幸せな女性の下にわざわざ悲劇のお姫様を描いた理由など画商には検討もつかないが、男は分かって笑っているのだ。

「優真さま」

 画商は男をそう呼ぶ。名を呼ばれた男は再び仮面をつけ、無表情に戻る。

 通り雨だったようで、あっという間に降り止むと少女達も立ち去った。
 生温い沈黙の中、画商は決意する。

「もちろん、ご依頼は引き受けます。それでーー」

「成功報酬は惜しまないが条件がある。絵を寄贈した人物がここに描かれている者なら私が迎えに行く。お前は報せるだけでいい、決して接触してはならない」

 優真と呼ばれた男は探し人を見せてきた。はっきりいって肖像画でもないのに描かれた女性を探すなど、画商の領分ではない。それにこの女性は何処か現実離れをした美しさを帯び、お姫様みたいだ。

「報酬を懸念するはずがありません。ひとつだけお聞きしたいのですが?」

「なんだ言ってみろ」

「こちらの女性と面識が? あなたにとってどんな関係が?」

「聞いてどうする? 捜索するのに必要か?」

「画商として絵を理解したいという欲求です」

「……ほぅ」

 画商の審美眼に一定の評価を与える優真は、好奇心を隠さず伝えられると脇腹を撫でた。

「如何しましたか?」

「古傷が痛むだけだ。椅子を用意してくれ」

「はい、すぐご用意しますね」

 ーーそして、画商が椅子を抱えて戻ってくると、優真は居なくなっていた。

 画商は椅子を降ろし、崩れるよう着席する。
 首元をゆるめ、大きく息を吐く。知らず知らずのうちに優真の威圧で満足な呼吸が出来ておらず、緊張が解けた途端、全身から力が抜けてしまう。

「なんなんだ、あの男は」

 この一言に尽きる。同時に厄介な仕事を請け負ったと思い知る。というのも丸井敬吾の絵の上に大金が積まれていたからだ。

 丸井敬吾の絵とて全盛期とまではいかないが、かなりの額で取り引きされる。優真はそれをぞんざいに扱い、絵の評価額の倍にあたる手付金を置いていく。

 画商は頭を抱える。すると、どうしてか冴えた。
 瞼の裏では件の女性が横たわって、画商と入れ替わりですーっと目を開ける。
 それから女性は水面に浸かった身体をゆっくり起こすと森の木々から覗く青空へ手を伸ばした。

 はっと我に返り、そうか、女性は存在して今もなお生きている。保身からか画商はそう感じたのだった。
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