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3章
幕間3 騎士と陰の策謀の話
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「何なのだ――なんだというのだ、あの小娘は!!」
ジークフリート殿下を護衛しながらの、メイスオンリー邸への帰り道。
第三王子殿下付きの近衛騎士、ニール・ハイドは馬上からそう声を荒らげた。殿下の乗った馬車を護衛するために道を先行しながら、である。
本来、護衛である近衛騎士が心を乱されることなどあってはならない。騎士が戦場にあるならば、邪念は即ち自分の――ひいては護衛対象の死につながるからだ。
だがそれでも憤懣やるかたなく、ニールは周囲の警戒もそぞろに鼻息を荒くしていた。
思い出すのは、忌々しい赤髪赤目の小娘だ。女のくせに殿下を救ったなどと嘯く小娘。
その後も敬愛する殿下に生意気な態度を取り、あまつさえ殿下にケガをさせた。その何もかもが気に食わない――
と。
「よお、ニール。考え事か?」
はっと、ニールは顔を上げた。
声をかけられるまで、周りが見えていなかった。並走する馬車の御者台から声をかけてきたのは、自分と同じく殿下の護衛として集められた壮年の男――ギースだ。今回の殿下護衛の隊長も務めている。
近衛騎士としては、どこか粗野な男だ。身に纏っている服こそ皺ひとつなく糊が利いていて見栄えもいいが。浮かべている表情や彼の仕草は、どこか荒々しいものを感じさせる。
気安い笑みを浮かべていた彼は、こちらが何か言い返そうとするよりも早く、言ってきた。
「警戒が散漫ってぇのはいただけねえな。敵襲があった場合、真っ先に死ぬのはお前みたいな奴だ。わかるだろ?」
「はっ……承知しております」
返事をしておいてから、どうだかと自分自身思ってしまった。おそらくはギースも同じことを思っただろう。
承知しているなら、護衛中の身でありながら警戒がおろそかになることなどあるまい。
まあいい、とため息のように呟いたギースは、こちらの内心を見抜いてこうも言ってきた。
「どうせお前のことだから、さっきのことを考えていたんだろう。スカーレットとか言ったかな、あのご令嬢は」
「……メイスオンリー家の、嫡子のようですね」
スカーレット・メイスオンリー。内心でその名を憎々しげに繰り返す。
メイスオンリー家は国境の警護を司る名門だ。だがその内実は歴史が古いというだけの、ならず者の集団でしかない。
開祖というべき初代だって、クリスタニア一世が最初にお供に選んだというだけの路傍の無頼漢に過ぎない。
苛立ちを隠す気はなかったのだから、当然ギースも察していた。だが彼はその原因まで見抜いて、こう訊いてきた。
「スカーレット嬢が嫌いか」
ニールは即答した。
「ええ、嫌いですね。私は殿下を敬愛しています――その殿下に、あの娘は何をしましたか? 殿下はよいとおっしゃられましたが、私は許せそうにありません」
「悪し様に言うのは結構だが、あの子には借りがあるぞ? それでもそこまで嫌うのか?」
借り、という言葉にニールは顔をしかめた。
何のことを言ったのかはわかる――コムニアの襲撃事件のことだ。何かが起きるかもしれないからと、王に命じられて森の中に隠れていた。何かが起きた際には、子供たちを守れと。
だがニールと他の騎士数名は、事が起きても動かなかった。それを言っているのだ、この男は。
「私は殿下と、姫殿下の命の安全を優先しただけです。町娘一人の命となど、比べるべくもなかったでしょう」
実際には、町娘ではなく辺境伯令嬢だったわけだが。仮にあの日にそれを知っていたとしても、ニールの行動は変わらなかっただろう。
今でも自分の選択は間違っていないと胸を張れる。その証拠に、あの娘は自分で切り抜けたではないか。であれば、そもそも借りなどない。
だがギースはむしろ不愉快だとでも言いたげに、顔をしかめてこう言ってきた。
「……お前、それをメイスオンリー卿の前で言うなよ。死ぬぞ」
「所詮はただの田舎貴族に、何ができると?」
ニールは鼻で笑った。
軍神などと崇められてはいるが、そんなものは所詮部下を鼓舞するための嘘っぱちだろう。
なるほど、確かにヒルベルト・メイスオンリーはカールハイトの侵略を無敗で退け続けている希代の軍人なのかもしれない。だがそれがどうしたというのか。カールハイトの弱兵を相手に勝ちを重ねてるだけの小者というだけだろう。
自分は若輩ではあるが、十九という若さでクリスタニアの近衛騎士の座を勝ち取った戦士だ。田舎貴族に実力で劣るとは思わない――
ギースは顔をしかめたままだったが、ゆるゆると首を振ると話を戻した。
「それで? スカーレット嬢が許せそうにないから、お前はどうすると?」
「拘束し、不敬罪に処すよう陛下に進言します。仮にもこのクリスタニアで最も貴き血を引く方に、あのような態度を取るなど……あの娘は、万死に値します」
「悪いが、俺はそれには賛同できん」
「……!?」
殿下の護衛を任された者から出る言葉とは思えない――
まさかという思いと不敬にもほどがある発言に、ニールは激昂した。
「隊長! あの娘は殿下に傷を負わせたのですよ! それだけじゃない! 何度も侮辱を繰り返して、殿下の名誉を傷つけた! それが罪でなくて何だと言うのですか!」
だがギースはニールの怒りに取り合わない。こちらの憤怒に肩をすくめてみせるだけだ。
「ラトール陛下は罪とは認めんだろうよ。むしろ、かすり傷一つで反省させてくれたと喜ぶんじゃないかね」
「……一回の臣民にすぎぬ者が、陛下の心を騙るのですか」
「盲目の徒であることよりは罪深かねえよ」
ニールの言葉に皮肉そうに返して、ギースは笑う。
「お前は殿下贔屓が過ぎる。客観的に見ろ。視野の狭い護衛なんざ使い物にならねえぞ?」
「ですが……」
「ですがもなにもねえ。それに、だ。さすがに今回のは、いい勉強になられたと思うがね?」
「あんな、見せしめのような決闘がですか」
「始めたのも、受けたのも殿下だ。反則すれすれの力を使って怒られたのもな」
「ルールを破ったわけではありません」
毅然とニールは言い返す。そうだ、殿下はルールを破ってなどいない。反則やズルなど言いがかりもいいところだ。現に、審判も殿下の力を禁止するなどとは言わなかった。
ニールは知っている。ジークフリートという少年が、どれだけ努力してきたのかを。
王子殿下という身分でありながら、彼は毎日剣の稽古をつけていた。優秀な二人の兄王子たちが王になるなら、自分は二人の力になるのだと。
そうして毎日修練を積んだからこそ、彼はコムニアでふさわしい“加護”を授かったのだ。それは断じて反則でもズルでもない。
だがギースは肩をすくめてみせた。
「だから何してもいいってわけじゃあないさ」
ギースはちらと背後を――塞ぎ込んでしまった殿下の乗る馬車を見やりながら、
「アレは本当なら、俺たちが止めなきゃいけなかった。国境警備隊を目指す子供たちをバカにするなんてのは、ハッキリ言って愚行だ」
「連中が不甲斐なかったのは事実でしょう」
「子供相手に何を望んでんだ。そこは問題じゃねえよ。つまり……守るべき臣民に、理由なく向けていい力じゃねえって話さ」
そう話をまとめて、ギースはニールの肩を叩いた。
「殿下もそうだが、お前ももう少し考えろ。さっきも言ったが、盲目の徒は何の役にも立たねえよ。近衛ってのは、守るだけが仕事じゃねえんだぞ」
最後にそう言い置いて、ギースは歩く馬の速度を落とした。
そのまま馬車の側面に着く。側面警戒が本来のギースの担当だ。
(……盲目の徒で、何が悪い?)
自分は殿下の――敬愛すべきあの少年の、苦労と努力を知っている。第三王子という、貴き血を引きながらも決して王にはなれない不遇な立場も。
そしてそれでも腐らない彼の志を。だからこそ、自分はジークフリートを敬愛している。
だからこそ、自分はあの小娘が許せそうにない……
「……?」
と、視線を前方に戻した際に、ニールはそんな吐息を漏らした。
今まで誰もいなかったはずの街道に、三つの人影が立っている。黒いローブに身を包んだ男が三人だ。フードを目深に被っており、顔は影に隠れて見えない。まるで闇のようだ。
距離は遠い――だが自然と手は腰に帯びている剣へと伸びる。ゾルハチェットから忌々しいメイスオンリーの館までの道中に、街や村といったものはない。
ましてやあの風体だ。怪しいというどころではない――
ふと、声が聞こえた。
「贄の臭い……おるぞ、一人」
「ようやく見つけた。仕掛けるは今か?」
「足りぬ。修正は容易ではない。気を待つべきだ……」
三人分の声だ。歌うように――囁くほどの声量だ。その声が届くはずなどないのに……何故か聞こえた。まるで耳元でささやかれているかのように。
それをニールは、夢見心地で聞いている。
「この後は主に任せてよいか? 我らは次の準備をせねば」
「構わぬ。お膳立ては“これ”で足りよう」
「気をつけよ。此度のあの娘、どこか変じゃ」
「構わぬ。小娘には何もさせぬ」
「元より何もできぬであろうが」
「ならよし。全てはあの方の願いのために」
「全てはあの方の花嫁のために」
「気に食わぬなあ。気に食わぬ。だが仕方あるまい……」
何か意味があるようなことを言っている気がするのだが……何を言っているのか、まったくわからない。
わかったのは、その声を聞いているとどうしてか、頭がぼうっとしてくることだけだ。
遠くから、三人の男たちがニールを笑っている。その内の一人がニールを指差したが……だがそれをどうしようとも思えない。
だからずっと、ニールはぼんやりとその声を聴いていた……
やがて。
「……?」
ふと、ニールは首を傾げた。
先ほどまで、前方に誰かいた気がしたのだが……
気のせいだったようだ。当然のことだが、この何もない道中には誰もいない。隠れる場所もないのだから、見失ったというわけでもない。
(警戒しろと言われたから、気が張っていたのか……? なんともみっともない)
自嘲しながら、ニールは改めて意識を切り替えた。
――憑りつかれたことには、ついぞ気づかなかった。
ジークフリート殿下を護衛しながらの、メイスオンリー邸への帰り道。
第三王子殿下付きの近衛騎士、ニール・ハイドは馬上からそう声を荒らげた。殿下の乗った馬車を護衛するために道を先行しながら、である。
本来、護衛である近衛騎士が心を乱されることなどあってはならない。騎士が戦場にあるならば、邪念は即ち自分の――ひいては護衛対象の死につながるからだ。
だがそれでも憤懣やるかたなく、ニールは周囲の警戒もそぞろに鼻息を荒くしていた。
思い出すのは、忌々しい赤髪赤目の小娘だ。女のくせに殿下を救ったなどと嘯く小娘。
その後も敬愛する殿下に生意気な態度を取り、あまつさえ殿下にケガをさせた。その何もかもが気に食わない――
と。
「よお、ニール。考え事か?」
はっと、ニールは顔を上げた。
声をかけられるまで、周りが見えていなかった。並走する馬車の御者台から声をかけてきたのは、自分と同じく殿下の護衛として集められた壮年の男――ギースだ。今回の殿下護衛の隊長も務めている。
近衛騎士としては、どこか粗野な男だ。身に纏っている服こそ皺ひとつなく糊が利いていて見栄えもいいが。浮かべている表情や彼の仕草は、どこか荒々しいものを感じさせる。
気安い笑みを浮かべていた彼は、こちらが何か言い返そうとするよりも早く、言ってきた。
「警戒が散漫ってぇのはいただけねえな。敵襲があった場合、真っ先に死ぬのはお前みたいな奴だ。わかるだろ?」
「はっ……承知しております」
返事をしておいてから、どうだかと自分自身思ってしまった。おそらくはギースも同じことを思っただろう。
承知しているなら、護衛中の身でありながら警戒がおろそかになることなどあるまい。
まあいい、とため息のように呟いたギースは、こちらの内心を見抜いてこうも言ってきた。
「どうせお前のことだから、さっきのことを考えていたんだろう。スカーレットとか言ったかな、あのご令嬢は」
「……メイスオンリー家の、嫡子のようですね」
スカーレット・メイスオンリー。内心でその名を憎々しげに繰り返す。
メイスオンリー家は国境の警護を司る名門だ。だがその内実は歴史が古いというだけの、ならず者の集団でしかない。
開祖というべき初代だって、クリスタニア一世が最初にお供に選んだというだけの路傍の無頼漢に過ぎない。
苛立ちを隠す気はなかったのだから、当然ギースも察していた。だが彼はその原因まで見抜いて、こう訊いてきた。
「スカーレット嬢が嫌いか」
ニールは即答した。
「ええ、嫌いですね。私は殿下を敬愛しています――その殿下に、あの娘は何をしましたか? 殿下はよいとおっしゃられましたが、私は許せそうにありません」
「悪し様に言うのは結構だが、あの子には借りがあるぞ? それでもそこまで嫌うのか?」
借り、という言葉にニールは顔をしかめた。
何のことを言ったのかはわかる――コムニアの襲撃事件のことだ。何かが起きるかもしれないからと、王に命じられて森の中に隠れていた。何かが起きた際には、子供たちを守れと。
だがニールと他の騎士数名は、事が起きても動かなかった。それを言っているのだ、この男は。
「私は殿下と、姫殿下の命の安全を優先しただけです。町娘一人の命となど、比べるべくもなかったでしょう」
実際には、町娘ではなく辺境伯令嬢だったわけだが。仮にあの日にそれを知っていたとしても、ニールの行動は変わらなかっただろう。
今でも自分の選択は間違っていないと胸を張れる。その証拠に、あの娘は自分で切り抜けたではないか。であれば、そもそも借りなどない。
だがギースはむしろ不愉快だとでも言いたげに、顔をしかめてこう言ってきた。
「……お前、それをメイスオンリー卿の前で言うなよ。死ぬぞ」
「所詮はただの田舎貴族に、何ができると?」
ニールは鼻で笑った。
軍神などと崇められてはいるが、そんなものは所詮部下を鼓舞するための嘘っぱちだろう。
なるほど、確かにヒルベルト・メイスオンリーはカールハイトの侵略を無敗で退け続けている希代の軍人なのかもしれない。だがそれがどうしたというのか。カールハイトの弱兵を相手に勝ちを重ねてるだけの小者というだけだろう。
自分は若輩ではあるが、十九という若さでクリスタニアの近衛騎士の座を勝ち取った戦士だ。田舎貴族に実力で劣るとは思わない――
ギースは顔をしかめたままだったが、ゆるゆると首を振ると話を戻した。
「それで? スカーレット嬢が許せそうにないから、お前はどうすると?」
「拘束し、不敬罪に処すよう陛下に進言します。仮にもこのクリスタニアで最も貴き血を引く方に、あのような態度を取るなど……あの娘は、万死に値します」
「悪いが、俺はそれには賛同できん」
「……!?」
殿下の護衛を任された者から出る言葉とは思えない――
まさかという思いと不敬にもほどがある発言に、ニールは激昂した。
「隊長! あの娘は殿下に傷を負わせたのですよ! それだけじゃない! 何度も侮辱を繰り返して、殿下の名誉を傷つけた! それが罪でなくて何だと言うのですか!」
だがギースはニールの怒りに取り合わない。こちらの憤怒に肩をすくめてみせるだけだ。
「ラトール陛下は罪とは認めんだろうよ。むしろ、かすり傷一つで反省させてくれたと喜ぶんじゃないかね」
「……一回の臣民にすぎぬ者が、陛下の心を騙るのですか」
「盲目の徒であることよりは罪深かねえよ」
ニールの言葉に皮肉そうに返して、ギースは笑う。
「お前は殿下贔屓が過ぎる。客観的に見ろ。視野の狭い護衛なんざ使い物にならねえぞ?」
「ですが……」
「ですがもなにもねえ。それに、だ。さすがに今回のは、いい勉強になられたと思うがね?」
「あんな、見せしめのような決闘がですか」
「始めたのも、受けたのも殿下だ。反則すれすれの力を使って怒られたのもな」
「ルールを破ったわけではありません」
毅然とニールは言い返す。そうだ、殿下はルールを破ってなどいない。反則やズルなど言いがかりもいいところだ。現に、審判も殿下の力を禁止するなどとは言わなかった。
ニールは知っている。ジークフリートという少年が、どれだけ努力してきたのかを。
王子殿下という身分でありながら、彼は毎日剣の稽古をつけていた。優秀な二人の兄王子たちが王になるなら、自分は二人の力になるのだと。
そうして毎日修練を積んだからこそ、彼はコムニアでふさわしい“加護”を授かったのだ。それは断じて反則でもズルでもない。
だがギースは肩をすくめてみせた。
「だから何してもいいってわけじゃあないさ」
ギースはちらと背後を――塞ぎ込んでしまった殿下の乗る馬車を見やりながら、
「アレは本当なら、俺たちが止めなきゃいけなかった。国境警備隊を目指す子供たちをバカにするなんてのは、ハッキリ言って愚行だ」
「連中が不甲斐なかったのは事実でしょう」
「子供相手に何を望んでんだ。そこは問題じゃねえよ。つまり……守るべき臣民に、理由なく向けていい力じゃねえって話さ」
そう話をまとめて、ギースはニールの肩を叩いた。
「殿下もそうだが、お前ももう少し考えろ。さっきも言ったが、盲目の徒は何の役にも立たねえよ。近衛ってのは、守るだけが仕事じゃねえんだぞ」
最後にそう言い置いて、ギースは歩く馬の速度を落とした。
そのまま馬車の側面に着く。側面警戒が本来のギースの担当だ。
(……盲目の徒で、何が悪い?)
自分は殿下の――敬愛すべきあの少年の、苦労と努力を知っている。第三王子という、貴き血を引きながらも決して王にはなれない不遇な立場も。
そしてそれでも腐らない彼の志を。だからこそ、自分はジークフリートを敬愛している。
だからこそ、自分はあの小娘が許せそうにない……
「……?」
と、視線を前方に戻した際に、ニールはそんな吐息を漏らした。
今まで誰もいなかったはずの街道に、三つの人影が立っている。黒いローブに身を包んだ男が三人だ。フードを目深に被っており、顔は影に隠れて見えない。まるで闇のようだ。
距離は遠い――だが自然と手は腰に帯びている剣へと伸びる。ゾルハチェットから忌々しいメイスオンリーの館までの道中に、街や村といったものはない。
ましてやあの風体だ。怪しいというどころではない――
ふと、声が聞こえた。
「贄の臭い……おるぞ、一人」
「ようやく見つけた。仕掛けるは今か?」
「足りぬ。修正は容易ではない。気を待つべきだ……」
三人分の声だ。歌うように――囁くほどの声量だ。その声が届くはずなどないのに……何故か聞こえた。まるで耳元でささやかれているかのように。
それをニールは、夢見心地で聞いている。
「この後は主に任せてよいか? 我らは次の準備をせねば」
「構わぬ。お膳立ては“これ”で足りよう」
「気をつけよ。此度のあの娘、どこか変じゃ」
「構わぬ。小娘には何もさせぬ」
「元より何もできぬであろうが」
「ならよし。全てはあの方の願いのために」
「全てはあの方の花嫁のために」
「気に食わぬなあ。気に食わぬ。だが仕方あるまい……」
何か意味があるようなことを言っている気がするのだが……何を言っているのか、まったくわからない。
わかったのは、その声を聞いているとどうしてか、頭がぼうっとしてくることだけだ。
遠くから、三人の男たちがニールを笑っている。その内の一人がニールを指差したが……だがそれをどうしようとも思えない。
だからずっと、ニールはぼんやりとその声を聴いていた……
やがて。
「……?」
ふと、ニールは首を傾げた。
先ほどまで、前方に誰かいた気がしたのだが……
気のせいだったようだ。当然のことだが、この何もない道中には誰もいない。隠れる場所もないのだから、見失ったというわけでもない。
(警戒しろと言われたから、気が張っていたのか……? なんともみっともない)
自嘲しながら、ニールは改めて意識を切り替えた。
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