数寄の長者〜戦国茶湯物語〜竹馬之友篇

応仁の乱から六十年。信長登場以前の戦国時代がここにある。

第一章 動乱前夜

 茶聖・千利休誕生の前年、将軍義稙公が出奔。天皇践祚の儀に将軍が列席しないという前代未聞の事態に幕府は動揺する。しかし、細川高国は一顧だにせず、次の将軍義晴公を擁立した。

 そんな中、堺の今市町にある千屋では、赤子の誕生を今か今かと待っていた。風雲急を告げるかのような雨が俄に降り始めたが、赤子は無事産み落とされる。のちに茶聖と呼ばれた千利休であった。

 その千屋に赤子の千熊丸を連れた三好家の重鎮・三好之秀が訪れたのはその年のことである。三好之長が討死して以後、之長の四男・元長が家督したが、三好氏は主君細川澄元とともに阿波へ逼塞し、澄元亡き後は澄元の子・六郎|元《もとい》を奉じていた。斜陽の三好宗家を余所に之長の異母弟・|長《なが》|尚《なお》は高国に通じ在京して力を付けていく。危機感を覚えた之秀は千屋の当主・与右衛門と組んで十河氏への介入を強めた。

 翌年に入ると、堺を潤していた日明貿易に陰が差した。大内氏と細川氏の対立が、貿易先の明で激化、寧波の乱を引き起こす。博多からの知らせで事件を知った津田宗柏は田中与右衛門に話して聞かせるのであった。

 大永四年、細川尹賢への褒美として典厩邸御成を快諾した義晴の御前に高国が伺候する。御成の準備に余念がない同朋衆・千阿弥に義晴は高国饗応の茶を点てるよう命じた。

 数日後、細川典厩邸御成では、細川一門が勢揃いし、評定衆らも名を連ね、虎益丸と宮寿丸の元服が話題に上る。宴は盛り上がったが、香西元盛が酔って尹賢を詰った。元々仲が悪い二人であるが、面目を失った尹賢は元盛を陥れることを画策しはじめる。

 御成から半年弱が過ぎたある日、細川京兆邸にて高国、稙国、持国、虎益丸、聡達丸が夕餉を囲んでいた。話題に挙がるのは、先年総州家の家督を継いだ畠山義宣挙兵の噂である。稙国出兵を決めた高国だったが、事態は思わぬ方向へと進む。
 
 稙国出兵と入れ違うように、武田元光が京の警固の任に就くため若狭を立った。これは、細川高国が細川元常のくわだてた河内・和泉の奪還作戦に対して稙国以下三〇〇〇の兵を畠山稙長の援軍として派遣したためである。武田元光は一路、朽木谷を目指した。

 朽木谷に入った武田元光は、朽木稙綱と酒を酌み交わす。外様衆であり、将軍家直参の朽木氏は将軍家の盾であったが、六角氏の圧力によってその傘下に収まりつつあり、独立不羈を願う朽木氏としては苦々しさを隠せなかった。武田元光と朽木稙綱は細川高国政権に危うさを見ていたが故に歩調を合わせようとする。
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