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第1章 彼女の言葉はわからない
多くを望んだところとて 4
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ティトーヴァは、そわそわしている。
祝宴開始は、もう間もなくだ。
皇帝が欠席のため、挨拶は皇太子であるティトーヴァの役目だった。
とはいえ、その緊張のため、そわそわしているのではない。
「ベンジー、俺の服装は、これで本当に良いのか? カサンドラのドレスの色と、そぐわんということはないだろうな」
「殿下、そのご質問には、すでに5回ほど、お答えしております」
「だが、やけに遅いではないか。ドレスに不備があったのかもしれん。もしくは、彼女の好みに合わなかったとも考えられる。今からでも、俺が直々に……」
「殿下……女性の衣装室に行くのは礼儀に反します。それに、女性の身支度には、時間がかかるものではありませんか」
ベンジャミンに窘められるが、ちっとも落ち着かない。
カサンドラと公の場に出るのは、これが初めてなのだ。
しかも、ティトーヴァには、この後「予定」していることがある。
考えるほどに、そわそわしてしかたがなかった。
カサンドラに告白をする。
ティトーヴァは、そう決めている。
半年ほど前までは無関心だった。
なのに、今は、なぜあれほど無関心でいられたのか、自分でも理解できないほどカサンドラに惹かれているのだ。
母親のことや皇命のことも、彼女を否定する根拠には成り得なくなっている。
カサンドラが見せていた偽りの姿しか知らなければ、今も無関心だっただろう。
ティトーヴァが惹かれているのは「本当の」彼女なのだ。
皇太子にも容赦なく、ずばずばとものを言い、言葉を飾らないカサンドラ。
ティトーヴァの機嫌を取ったりせず、嫌なことは嫌、駄目なものは駄目だとし、頑として譲らない。
無関心と書いてあるような瞳にしか自分を映してくれない女。
(あの笑った顔は格別だった。今一度、見たいものだ)
競技場で、カサンドラは不意打ちを食らわせるように、あっけらかんと笑った。
それまで見せたことのない、本当の笑顔だ。
試合中は、ほかに気をとられたりもしていたが、こうして競技が終わると、またぞろ思い出してしまう。
「ベンジー、俺の姿は本当に……」
「殿下。殿下のお姿は、完璧にございます。帝国の公爵令嬢だろうが、各国の王女だろうが、見惚れずにはいられないでしょう」
公爵令嬢も王女も、どうでもいい。
見惚れてほしいのは、カサンドラだけだ。
ティトーヴァにとって、彼女の評価以外は無意味なものとなっている。
こんなふうに思うのも、初めてだった。
ベンジャミンに言われるまでもなく、自身の外見に、それなりの自信はある。
両親からいいところだけを選りすぐったかのように、不足も過剰もない。
社交に出れば、女性に囲まれるのが常だった。
17で出征し、帰った頃には、体格も良くなり、ますます女性に誘われることも増えている。
次期皇帝としての教育も受けていたため、礼儀や仕草にも気品が漂っていた。
カサンドラと本音で話している時はともかく、上品に振る舞うことなど、お手の物なのだ。
カサンドラ以外であれば、駄目出しをされる心配などしない。
(彼女は、独特の考えを持っている。いくら、ほかの者に褒められたとて、安心はできんのだ。もっと事前にカサンドラの好みを訊いておくべきだったな)
以前の、カサンドラに対する無関心さを、ティトーヴァは芯から悔いている。
2年という月日があれば、彼女をもっと知ることができた。
距離を縮められたはずでもあり、とっくに婚姻していたかもしれないのだ。
そういう想いが、ティトーヴァを気忙しくさせている。
今のカサンドラは演技をしていない。
距離は縮まってきたと感じてはいるものの、好意をいだくところまで辿り着けていないのは、自覚していた。
そのため、少しでもカサンドラに「いいところ」を見せたい。
見直してもらいたかったし、できるなら好感を持ってほしいと思っている。
妃にすると決めていても、彼女の気持ちがあるのとないのとでは大違いだ。
「やはり、これでは地味過ぎるのでは……」
「公式行事用のブラックタイは、こういうものです。生地は最高級のものですし、すっきりした形のほうが、高貴なお姿には相応しいと存じます」
光沢のある拝絹付きの襟のある黒いジャケットに、シルクのシャツとボウタイ。
同じく黒のカマーバンドが、腰を、きゅっと引き締めて見せている。
黒の革靴は、ティトーヴァの足のために作られており、締めるための紐はない。
足を入れるだけで、ぴたりとはまるからだ。
「お待たせ」
声に、ハッとなって振り向く。
その姿に、言葉を失った。
さっきまで着ていたスタンダードなドレスも似合っていたけれども。
「なに? やっぱり変? でも、私のせいじゃないからね」
「い、いや……変ではない」
「そう? すごく仰々しくない?」
言いつつ、カサンドラが、ちょんとドレスをつまみ、軽く持ち上げる。
焦げ茶色の髪は結われているが、くるんとしたほつれ毛が耳にかかっていた。
深みのある銀色のドレスは、最近の流行りのデザインだ。
肩から布を斜め掛けし、そのまま体に巻き付けたような、それでいて、膝下にはふんだんなドレープが施され、巻貝のごとく足元に円を描いた裾が広がっている。
「し、真珠貝のようだな」
「褒められてる気がしないね」
「いや、褒めている」
真珠貝の中にいる妖精のようだ。
と言うつもりだったのだが、動揺していて言いかたを間違えてしまった。
カサンドラは気にしていない様子で、ティトーヴァを、じろじろ見ている。
「男の人って、簡単でいいなぁ。私も、適当なワンピースで良かったのにさ」
「公の場なのだぞ。そういうわけにはいかんのだ」
「わかってるよ。だから、我慢してメイドさんたちに任せたんじゃん」
カサンドラから、いい匂いが漂ってきた。
ぎゅっと、腹の奥が締め付けられる感覚がする。
あの肩のところの結び目を解けば、ドレスは簡単に足元に落ちてしまいそうだ。
祝宴など放り出して、カサンドラを連れ出したくなる。
「フィッツは、向こうにいるのかな?」
ここは会場の裏にあたる場所だった。
ティトーヴァの登場は舞台上となるため、その裏側で待機している。
「彼は、少し遅れて来るはずです。まだ着替え中のようですから」
答えたのは、ベンジャミンだ。
ティトーヴァの頭の中はカサンドラのことでいっぱいで、ほかの者の動向を気に留めている余裕はなかった。
ずっと、そわそわしっ放しだったし。
「やっぱり半袖シャツは駄目だったのか」
「当然でしょう。あのような格好で、人前には出せません」
カサンドラが、軽く肩をすくめる。
その、すべっとした肩に唇を押し付けたくなったが、我慢した。
いきなりなことをして、カサンドラの不興をかいたくなかったからだ。
「そういえば、フィッツがベンジーのこと、褒めてたなぁ」
「私を、ですか?」
「ベンジーは手強いってさ」
「……しかし、負けは負けです」
「私がルディカーンと比べたら、比べること自体が失礼だって言われたしね」
ベンジャミンは突然の賛辞に、めずらしく動揺しているらしい。
カサンドラの言葉に、次の言葉が言えなくなっている。
ぽん。
カサンドラが、ベンジャミンの肩を軽く叩いた。
そして、小さく笑ったのだ、あろうことか。
「フィッツが、そこまで言うなんて滅多にないんだよ。日頃、人のこと、あれこれ言わないからなぁ」
ティトーヴァは、がぜん面白くない気分になる。
少し嬉しげな表情を隠せずにいるベンジャミンも癪に障った。
ずいっとカサンドラに歩み寄り、むき出しの肩に腕を回す。
「そろそろ時間だ」
「これで出て行くの?」
「そうだが、なにか問題か?」
「別に問題ってことはないけどさ。普通、エスコートって、腕なんじゃない?」
もちろん、その通りだ。
祝宴後は、パートナーの肩や腰を抱いたりすることはある。
が、最初だけは、男性が女性に腕を貸すのが、礼節ある「エスコート」だった。
とはいえ、後には引けないし、引きたくもない。
「このほうが、ひそひそ話がし易いだろう。気を遣う会話ばかりでは疲れるぞ」
「そういうことか。確かに、このほうが話し易そうだね」
ティトーヴァの真意には気づかず、カサンドラは納得している。
礼節を無視した行動など取ったことのないティトーヴァだったが、これで彼女が誰のものかを周囲に知らしめるのだと、大いに気負っていた。
「では、行くとしよう。ベンジー、幕を開けさせよ」
祝宴開始は、もう間もなくだ。
皇帝が欠席のため、挨拶は皇太子であるティトーヴァの役目だった。
とはいえ、その緊張のため、そわそわしているのではない。
「ベンジー、俺の服装は、これで本当に良いのか? カサンドラのドレスの色と、そぐわんということはないだろうな」
「殿下、そのご質問には、すでに5回ほど、お答えしております」
「だが、やけに遅いではないか。ドレスに不備があったのかもしれん。もしくは、彼女の好みに合わなかったとも考えられる。今からでも、俺が直々に……」
「殿下……女性の衣装室に行くのは礼儀に反します。それに、女性の身支度には、時間がかかるものではありませんか」
ベンジャミンに窘められるが、ちっとも落ち着かない。
カサンドラと公の場に出るのは、これが初めてなのだ。
しかも、ティトーヴァには、この後「予定」していることがある。
考えるほどに、そわそわしてしかたがなかった。
カサンドラに告白をする。
ティトーヴァは、そう決めている。
半年ほど前までは無関心だった。
なのに、今は、なぜあれほど無関心でいられたのか、自分でも理解できないほどカサンドラに惹かれているのだ。
母親のことや皇命のことも、彼女を否定する根拠には成り得なくなっている。
カサンドラが見せていた偽りの姿しか知らなければ、今も無関心だっただろう。
ティトーヴァが惹かれているのは「本当の」彼女なのだ。
皇太子にも容赦なく、ずばずばとものを言い、言葉を飾らないカサンドラ。
ティトーヴァの機嫌を取ったりせず、嫌なことは嫌、駄目なものは駄目だとし、頑として譲らない。
無関心と書いてあるような瞳にしか自分を映してくれない女。
(あの笑った顔は格別だった。今一度、見たいものだ)
競技場で、カサンドラは不意打ちを食らわせるように、あっけらかんと笑った。
それまで見せたことのない、本当の笑顔だ。
試合中は、ほかに気をとられたりもしていたが、こうして競技が終わると、またぞろ思い出してしまう。
「ベンジー、俺の姿は本当に……」
「殿下。殿下のお姿は、完璧にございます。帝国の公爵令嬢だろうが、各国の王女だろうが、見惚れずにはいられないでしょう」
公爵令嬢も王女も、どうでもいい。
見惚れてほしいのは、カサンドラだけだ。
ティトーヴァにとって、彼女の評価以外は無意味なものとなっている。
こんなふうに思うのも、初めてだった。
ベンジャミンに言われるまでもなく、自身の外見に、それなりの自信はある。
両親からいいところだけを選りすぐったかのように、不足も過剰もない。
社交に出れば、女性に囲まれるのが常だった。
17で出征し、帰った頃には、体格も良くなり、ますます女性に誘われることも増えている。
次期皇帝としての教育も受けていたため、礼儀や仕草にも気品が漂っていた。
カサンドラと本音で話している時はともかく、上品に振る舞うことなど、お手の物なのだ。
カサンドラ以外であれば、駄目出しをされる心配などしない。
(彼女は、独特の考えを持っている。いくら、ほかの者に褒められたとて、安心はできんのだ。もっと事前にカサンドラの好みを訊いておくべきだったな)
以前の、カサンドラに対する無関心さを、ティトーヴァは芯から悔いている。
2年という月日があれば、彼女をもっと知ることができた。
距離を縮められたはずでもあり、とっくに婚姻していたかもしれないのだ。
そういう想いが、ティトーヴァを気忙しくさせている。
今のカサンドラは演技をしていない。
距離は縮まってきたと感じてはいるものの、好意をいだくところまで辿り着けていないのは、自覚していた。
そのため、少しでもカサンドラに「いいところ」を見せたい。
見直してもらいたかったし、できるなら好感を持ってほしいと思っている。
妃にすると決めていても、彼女の気持ちがあるのとないのとでは大違いだ。
「やはり、これでは地味過ぎるのでは……」
「公式行事用のブラックタイは、こういうものです。生地は最高級のものですし、すっきりした形のほうが、高貴なお姿には相応しいと存じます」
光沢のある拝絹付きの襟のある黒いジャケットに、シルクのシャツとボウタイ。
同じく黒のカマーバンドが、腰を、きゅっと引き締めて見せている。
黒の革靴は、ティトーヴァの足のために作られており、締めるための紐はない。
足を入れるだけで、ぴたりとはまるからだ。
「お待たせ」
声に、ハッとなって振り向く。
その姿に、言葉を失った。
さっきまで着ていたスタンダードなドレスも似合っていたけれども。
「なに? やっぱり変? でも、私のせいじゃないからね」
「い、いや……変ではない」
「そう? すごく仰々しくない?」
言いつつ、カサンドラが、ちょんとドレスをつまみ、軽く持ち上げる。
焦げ茶色の髪は結われているが、くるんとしたほつれ毛が耳にかかっていた。
深みのある銀色のドレスは、最近の流行りのデザインだ。
肩から布を斜め掛けし、そのまま体に巻き付けたような、それでいて、膝下にはふんだんなドレープが施され、巻貝のごとく足元に円を描いた裾が広がっている。
「し、真珠貝のようだな」
「褒められてる気がしないね」
「いや、褒めている」
真珠貝の中にいる妖精のようだ。
と言うつもりだったのだが、動揺していて言いかたを間違えてしまった。
カサンドラは気にしていない様子で、ティトーヴァを、じろじろ見ている。
「男の人って、簡単でいいなぁ。私も、適当なワンピースで良かったのにさ」
「公の場なのだぞ。そういうわけにはいかんのだ」
「わかってるよ。だから、我慢してメイドさんたちに任せたんじゃん」
カサンドラから、いい匂いが漂ってきた。
ぎゅっと、腹の奥が締め付けられる感覚がする。
あの肩のところの結び目を解けば、ドレスは簡単に足元に落ちてしまいそうだ。
祝宴など放り出して、カサンドラを連れ出したくなる。
「フィッツは、向こうにいるのかな?」
ここは会場の裏にあたる場所だった。
ティトーヴァの登場は舞台上となるため、その裏側で待機している。
「彼は、少し遅れて来るはずです。まだ着替え中のようですから」
答えたのは、ベンジャミンだ。
ティトーヴァの頭の中はカサンドラのことでいっぱいで、ほかの者の動向を気に留めている余裕はなかった。
ずっと、そわそわしっ放しだったし。
「やっぱり半袖シャツは駄目だったのか」
「当然でしょう。あのような格好で、人前には出せません」
カサンドラが、軽く肩をすくめる。
その、すべっとした肩に唇を押し付けたくなったが、我慢した。
いきなりなことをして、カサンドラの不興をかいたくなかったからだ。
「そういえば、フィッツがベンジーのこと、褒めてたなぁ」
「私を、ですか?」
「ベンジーは手強いってさ」
「……しかし、負けは負けです」
「私がルディカーンと比べたら、比べること自体が失礼だって言われたしね」
ベンジャミンは突然の賛辞に、めずらしく動揺しているらしい。
カサンドラの言葉に、次の言葉が言えなくなっている。
ぽん。
カサンドラが、ベンジャミンの肩を軽く叩いた。
そして、小さく笑ったのだ、あろうことか。
「フィッツが、そこまで言うなんて滅多にないんだよ。日頃、人のこと、あれこれ言わないからなぁ」
ティトーヴァは、がぜん面白くない気分になる。
少し嬉しげな表情を隠せずにいるベンジャミンも癪に障った。
ずいっとカサンドラに歩み寄り、むき出しの肩に腕を回す。
「そろそろ時間だ」
「これで出て行くの?」
「そうだが、なにか問題か?」
「別に問題ってことはないけどさ。普通、エスコートって、腕なんじゃない?」
もちろん、その通りだ。
祝宴後は、パートナーの肩や腰を抱いたりすることはある。
が、最初だけは、男性が女性に腕を貸すのが、礼節ある「エスコート」だった。
とはいえ、後には引けないし、引きたくもない。
「このほうが、ひそひそ話がし易いだろう。気を遣う会話ばかりでは疲れるぞ」
「そういうことか。確かに、このほうが話し易そうだね」
ティトーヴァの真意には気づかず、カサンドラは納得している。
礼節を無視した行動など取ったことのないティトーヴァだったが、これで彼女が誰のものかを周囲に知らしめるのだと、大いに気負っていた。
「では、行くとしよう。ベンジー、幕を開けさせよ」
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