いつかの空を見る日まで

たつみ

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第2章 彼女の話は通じない

知識の乗算 4

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「陛下、折り入って、お願いがございます」
 
 執務室での休憩中、不意にセウテルが声をかけてきた。
 室内には、ティトーヴァとセウテルだけだ。
 もちろん外には親衛隊の護衛騎士が何人も詰めている。
 が、中に入れるのは、隊長であるセウテルに限られていた。
 
「ゼノクルのことか?」
「さようにございます」
 
 ティトーヴァは、どうしたものかと思う。
 セウテルの「頼み」は、だいたい予想がついていた。
 
 それも私情が絡んでいる。
 気持ちはわからなくもないが、セウテルの職務は誰にでもできることではない。
 預け先がないからこそ、セウテルに任せているのだ。
 
「兄上……兄は、本来、あのような扱いを受けるかたではないのです」
 
 うつむき、両手を握りしめて執務机の前に立つセウテルへと視線を向けた。
 ゼノクルの母の件は有名で、ティトーヴァも知っている。
 事の真偽は不明だが、魔人の血が混じっていたという噂もあった。
 なにしろ、夜な夜な人を殺していたというのだから、信憑性も増す。
 
「非常に優秀で……あのことさえなければ、今の私の職責も、兄が担うはずのものでした。兄には、なんの罪もな……」
「お前が、それを言うのか、セウテル!」
 
 つい声を上げてしまった。
 すぐに気持ちを落ち着かせる。
 
「俺も……お前をどうこう言える立場ではなかったな……」
 
 親の罪を、子が負う必要はない。
 
 だが、それを理不尽とするなら、カサンドラはどうであったのか。
 セウテルは、けしてカサンドラを認めていなかった。
 彼女の実情を話さなかったのは皇命であったとしても、カサンドラへの同情心がなかったのも確かなのだ。
 
 ティトーヴァは、セウテルのカサンドラに対する態度を知っていた。
 彼女への認識が変わってからは、それを不快に感じるようにもなっていたのだ。
 フェリシア・ヴェスキルが、どんな女だったかは今となっては知りようがない。
 父をたぶらかしていただけなのか、真に父を愛していたのか。
 
 どちらにしても、カサンドラには関係なかった。
 母親とは、別の人格を持った、別の人間なのだ。
 ティトーヴァは、そのように認識を改めている。
 だから、今さらのように「親の責任を子に問うのは間違い」だとするセウテルに腹が立った。
 
「……陛下のお心は、承知しております。カサンドラ王女様に、私が偏見を持っていなかったとは申せません。前皇帝陛下が、前皇后陛下にのめりこみ過ぎていることに不快を感じておりましたし、その不満を……カサンドラ王女様に向けていたという自覚もございます……」
 
 それは、父が皇后を迎えてから、公務を完全に放棄していたからだ。
 不快に感じていたのは、セウテルだけではない。
 大勢の貴族はもとより、ティトーヴァも同じだった。
 
 フェリシア・ヴェスキルが、皇帝をたぶらかし、帝国を揺らがせている。
 
 そんなふうに思っていた者が多かったのだ。 
 カサンドラは、その女の娘としてしか扱われていなかった。
 
 ティトーヴァとて、偏見の目で彼女を見ていた自分を知っている。
 無関心を貫き、憎悪を露わにしないよう注意していたほど、本当のカサンドラを見ずにいた。
 
「俺も同じだ。皆、同じだったのだ。それこそ今さらだがな」
 
 途中で認識を改めたからと言って、無関心を通した2年が消えることはない。
 
 カサンドラの心は、とうに離れてしまっていた。
 気づいてはいるが、諦めきれずにいる。
 だから、彼女を取り戻したいのだ。
 これまでのこと詫び、時間をかけて、信頼関係を築き直すために。
 
「……私は兄が理不尽な扱いを受けているのに、なにもできず……いえ、なにもせずにいたのです。兄が優れたかただと知っていたにもかかわらず、見過ごしにしてまいりました。もし兄が死ぬようなことになれば……私は後悔せずにはいられません……身勝手な願いであると承知しておりますが……」
 
 後悔。
 
 ティトーヴァは、セウテルの言葉に共感を覚える。
 あの時ああしていたら、と考えない日がないからだ。
 カサンドラをもっと気にかけておくべきだったとか、ベンジャミンを1人で行かせるべきではなかったとか。
 
 今さらなことで、人は後悔する。
 
 それを痛感しているがゆえに、セウテルの感情が理解できた。
 ゼノクルは、死の覚悟でもって先発隊に志願したのだ。
 魔物はともかく、ロキティスの「聖魔封じ」が機能しなければ、精神を操られた者が味方同士で殺し合いをしかねない。
 
「私も先発隊に加えていただけないでしょうか。陛下は、兄に逃げるように仰られましたが……私には、兄が逃げることを考えていないように思えるのです」
「そうだな。ゼノクルは、先陣を切りたそうな顔つきをしていた」
「兄は喜んでいるのでしょう。たとえ死ぬことになっても、宮の中で腐っていくより、なにかを成せるほうが良いと……」
 
 セウテルが悲壮な顔つきになっている。
 国の行事で皇宮に来たゼノクルは、しばしばセウテルを訪ねている。
 とはいえ、それほど仲がいいとは思わずにいた。
 
(ベンジーのことが、引き金になっているのだな)
 
 セウテルも、ベンジャミンの姿を見ている。
 同様の攻撃を、ゼノクルが受けないとも限らないのだ。
 自らの兄が、あのような状態になったらと考えずにはいられなかったのだろう。
 
 ティトーヴァの頭にも、アルフォンソの背中が思い浮かぶ。
 そのアルフォンソの姿を、セウテルは自らのものと重ねているのかもしれない。
 
「俺も、お前の気持ちがわからんわけではない。だがな、セウテル、感傷で人事を動かすことはできん。親衛隊は誰が引き継ぐ? お前を行かせて、万が一のことがあれば、皇宮の警護はどうなる? この機に乗じて、諸国が手を組み、帝都に攻めこんで来ないと言い切れるのか? 親衛隊は帝都の守りの要なのだぞ」
 
 ベンジャミンがいてくれればと、つくづく思った。
 支柱になれる者がいないがために、動かしてやりたくても動かせない。
 ただでさえ、セウテルには親衛隊と近衛騎士団を兼務させているのだ。
 
 現在、近衛騎士団はゼノクルと指揮権を共有しているが、ゼノクルが指揮を執れない状態になれば、セウテルが全権を持つことになる。
 なのに、そのセウテルまでもがいなくなったら、誰が統率するというのか。
 
(あと1人……あと1人、信頼できる者がいれば……)
 
 ロキティスは、その信頼に値しない。
 開発は任せていても、それだって、ほかにできる者がいないからだ。
 ロキティスに一日の長があることもあり、任せているに過ぎなかった。
 
 アトゥリノはリュドサイオとは違う。
 忠義など二の次とする国だ。
 
 ティトーヴァが財政的な支援をしているので、黙って言うことを聞いている。
 そういう国柄だとわかっていた。
 当然に、守りの要となる親衛隊を任せられるはずもない。
 
(だからと言って、アルフォンソには帝国騎士団を任せているしな)
 
 親衛隊と帝国騎士団との兼務は有り得ないのだ。
 親衛隊が守りの要でいられるのは「特権」があるからだった。
 それが失われれば、大きく帝国騎士団に力が傾く。
 情報統制もしづらくなり、軍を分けている意味もなくなってしまう。
 
 しばし、ティトーヴァは考え込んでいた。
 セウテルの感傷とは関係なく、ゼノクルを失うのも痛い。
 今回のことで功績をあげれば、ゼノクルに近衛騎士団を任せることもできるのだ。
 
「お前自身を動かすことはできないが……帝国騎士団から小部隊を編成させ、後方支援をさせることはできる。帝都にいても、指揮を執ることは可能だ」
「で、では、その指揮を私に……」
「ああ。お前に任せる。ただし、準備に時間はかけられん。人選はアルフォンソに任せ、機材はロキティスに用意させろ。お前はゼノクルと調整を取っておけ」
「感謝いたします、陛下。なんとしても成果を上げ、このご恩に報いてみせます」
「今の帝国は人材が不足している。ゼノクルは貴重な人材というだけだ」
 
 さっさっと、ティトーヴァは手を振ってみせる。
 即座に、セウテルが耳元に手をやった。
 アルフォンソやロキティスに連絡を取っているのだ。
 あとで、アルフォンソには、自分からも連絡をしておくつもりでいる。
 
(越権行為に近いからな。それに……できるだけ失っても困らない者の寄せ集めで部隊を編成させる必要がある)
 
 その部隊に選抜された者たちは、ゼノクルを逃がすための要員なのだ。
 それを言い含めておかなければならない。
 
 とはいえ、セウテルから言えば軋轢が生じかねなかった。
 アルフォンソが納得しても、軍内部や、騎士を輩出している貴族たちがうるさく言うに違いないのだ。
 
 そもそも帝国騎士団は、貴族出身の者が多く、親衛隊や近衛騎士団とは、存在の意味も異なっている。
 親衛隊は皇帝を守るためにあり、近衛騎士団は皇太子など皇族警護を、主な任務としていた。
 
 対して、帝国騎士団は、その名の通り「帝国」を守る軍だ。
 国を守るために存在しているのであって、皇帝や皇族という「個」を守るためにあるのではない。
 騎士たちも「国の守護」を目的とする意識が強かった。
 
 カサンドラ救出のためとなる魔物との戦争自体、異議を唱える者もいる。
 戦死者を出せば、貴族たちから突き上げを食らうのは目に見えていた。
 
(そういう意味でも、人選は慎重にさせなければな)
 
 いちいち貴族を気にしなければならないことに、うんざりする。
 とはいえ、帝国は、いくつもの諸国から成り立っているのだ。
 まつりごとをないがしろにすれば、内側から火が付く。
 
 ティトーヴァの地位自体、まだ確固としたものにはなっていない。
 ただの2代目若造くらいにしか思っていない貴族もいると知っていた。
 
 やはりゼノクルを見殺しにはできない、と思う。
 人材としてもだが、兄を見殺しにされたセウテルの心が離れるのを危惧した。
 セウテルが離れることは、リュドサイオが離れることも意味する。
 
 自分は父とは違うのだ。
 存在だけで人を惹きつける力など持ってはいない。
 
 アトゥリノは戦力という意味ではアテにならないし、日和見主義のデルーニャは、アトゥリノ以上にアテにならなかった。
 現時点でアテになるのは、リュドサイオだけと言っても過言ではない。
 これほどに人材がいないのかと、ティトーヴァは呻きたくなる。
 
(図体ばかり大きくて、使える者がいないとは情けない)
 
 今回の戦争をきっかけに、大幅な人材の見直しを行うべきだろう。
 帝国内だけにとどまらず、属国まで視野を広げれば、優秀な人材もいるはずだ。
 平和に過ごして来たからこそ、騎士たちは功績をあげられずにいた。
 ゼノクルが功績を上げて戻れば、立ち上がる騎士も増えるに違いない。
 
(俺の最終的な目的は、魔物も聖魔も駆逐し、人の国で世界を治めることだ)
 
 そうすれば、カサンドラにも安全な暮らしを約束できる。
 ティトーヴァは、ただ1度だけ見たカサンドラの笑顔を思い出していた。
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