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恋愛事情 1

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「はあぁあ?」
 
 不機嫌に、リスは声を上げる。
 そして、執務室に入ってきた小柄な従僕を軽く睨んだ。
 リスは宰相として王宮に属してはいるが、本来はウィリュアートン公爵家の次期当主。
 王宮内にある別宅だろうと執務室だろうと、大勢の勤め人に取り囲まれていても不思議はない。
 
「お前さー、オレが仕事してんの見てわかんねーの? そんで、オレが、どんだけ忙しいか知らねーわけじゃねーよなー、なぁああ、ティアン?」
 
 ティアンこと、スティアンディ・ロチェスターは14歳。
 淡い金髪の短い髪に、大きな赤茶色の瞳をしている。
 一応は大人な扱いをされる歳だが、華奢な体つきと相まって子供っぽい。
 
 両親も、その両親も、そのまた両親も、といった具合に、長年ウィリュアートン公爵家で働いている。
 ティアンも、もれなく次期当主付きの従僕となっていた。
 
 そして、リスが連れているのは、ティアンただ1人。
 従って、ティアンは、何から何までリスの用事をこなさなければならない。
 食事、お茶の準備はもとより、着替えに客の案内まで、とにかく何から何まで、なのだ。
 
 実のところ、リスは、内心、ティアンを気に入っている。
 だから、ティアンだけを連れてきた。
 ティアン相手なら気を遣わずにすむし、外面を作らずにいられる。
 その上、ティアンをからかえるのだ。
 
 不機嫌な声を出しているのも、単純にティアンの反応が面白いから。
 本当に不機嫌なわけではない。
 
 ティアンはリスの言動に、いちいち恐縮する。
 リロイとは違い、可愛げというものがあった。
 なにより、リスより年下だ。
 
 リスは、ディーナリアス、サビナ、リロイの中では最年少。
 いつも、どこかしら子供扱いされていると知っている。
 
「で? 誰?」
「えっと、あの……お呼びしても、よろしいので?」
「いや、それを決めるために、誰かって聞いてんだよ」
「さ、さようにございました」
「さようにございましたよ。で、誰なんだ?」
 
 ティアンが少し困ったような顔をした。
 またちゃんと名前を覚えきれなかったらしい。
 
「いいから、言え。お前の、そーいうのには慣れてんだ、こっちは」
「はい! ありがとうございます!」
 
 ティアンは、おおむね、こんなふうだ。
 恐縮はするのに、反省がない。
 あげく、かなりズレている。
 
「ア、なんとか……ル、というかたでした」
 
 リスでなければ、ティアンは叱り飛ばされていただろう。
 最初と最後だけでは、どこの誰だか、という感じだ。
 だが、リスは怒らない。
 むしろ、ちょっとした謎解きくらいに思い、楽しんでいる。
 
「へえ」
 
 リスが、にやっとした瞬間、ティアンが目をキラキラっとさせた。
 両手で拍手、飛び跳ねている。
 
「おわかりになったんですね! すごいです!」
「いや、ある意味、お前のほうがすげえよ」
 
 主の頭をひねらせておいて、まったく悪びれていない。
 無邪気というか、無神経というか。
 
(まあ、いいけどサ。こいつの、こーいうとこが面白えわけだし)
 
 リスは頭がいい。
 良過ぎるくらいだった。
 そのため、なんでもさっさと先回りをする。
 立ち止まれるのは、悪いことではないのだ。
 ティアンは、リスを困らせようとしているのでもないのだし。
 
「お呼びしますか?」
「うーん……ちょっと待たせてからだな」
「かしこまりました。では、5日くらいですね」
「待て、ティアン。そこまで待たせろとは言ってねえ」
 
 ティアンに悪気はないのだが、すっとぼけ具合がとんでもないところがある。
 逐次、指示を出さなければ大騒ぎ間違いなし。
 
「あ~……そうだな、夕方くらいでいいや」
「本当に、ちょっとですね」
「そーだよ」
 
 リスの言葉に首をかしげながら、ティアンが出て行く。
 言われたことについては、忠実なのがティアンだ。
 忖度だの慮るだのといったことがないのもいい。
 
 リスより先回りできる者など、この世にたった1人しかいなかった。
 よけいな気を回されると、逆に邪魔になる。
 
「リロイ~リロイ~リーロイ~」
 
 リスは執務室で、リロイの名を呼んだ。
 リロイは魔術で簡単にリスと連絡が取れる。
 が、魔術を使えないリスは簡単ではないのだ。
 
(何度も呼ばれなくとも聞こえると、いつも言っているでしょう)
(何度も呼びたくなるんだよ)
 
 リロイは、自分の名が意図的に呼ばれると認識する「遠呼とおよび」という魔術を常に張り巡らせている。
 似たような用途で、こちら側が、自分の知る特定の人物の名を呼ぶことで連絡をつけられる「遠召えんしょう」という魔術もあった。
 だが、魔力のないリスに「遠召」は使えないので、リロイに連絡をつけるには「遠呼」を利用することにしている。
 遠召より遠呼のほうが遥かに難しい魔術なのだが、それはともかく。
 
(ディーンに、リフルワンスからお客だ)
(リフルワンスから、ですか?)
(お忍びで、なんと王太子殿下のお出ましだぜ)
(妃殿下のことでしょうね)
(そりゃそーだろ)
 
 むうっとした雰囲気が、魔術越しでも伝わってくる。
 ハーバントの件には、リフルワンスの者が絡んでいた。
 かの国の王太子が関わっていると考えるのは当然だろうけれども。
 
(ハーバントの件と、王太子は関係ねーと思うぞ)
(なぜです?)
(正面から謁見を申し出てきてるからだよ。糸を引いてる奴なら、そんなことはしねーだろ。よほどの馬鹿ならともかく)
 
 ロズウェルドとリフルワンスには国交がないのだ。
 まともな「筋」からの入国は、まずできない。
 が、実際、王太子は入国している。
 にもかかわらず、リスは王太子の入国を知らなかった。
 
(そんだけうまくやれる奴が、ホイホイ出てくるわけねーもんな)
 
 同じ「事を起こす」のであっても、裏で動くのが得策だ。
 少なくとも、見つかっていない間は。
 
(ディーンに伝えろ。アントワーヌ・シャロテールが来てるってな)
(嫌なことばかり、私に押し付けますねえ)
(それが、お前の役……)
 
 言葉の途中だというのに、リロイが魔術を切っていた。
 側近は主に似るようだと、リスは軽く肩をすくめる。
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