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第四章

4-10 大草原の密会

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 村に近い森を駆け抜ける。
 そこには魔物が潜んでいたが、彼の気配を察知して逃げ出すような小物ばかりだ。
 どうやら、ソータとモルトのおかげで治安が良くなったらしいと実感したキスケは口角を上げる。
 彼らのレベルなら、【呪われた島イル・カタラ】でも問題はないだろうという判断からだ。

 しかし、彼は森の現状を把握するために走り抜けているワケでは無い。
 あっという間に森を抜けた彼は、その先にある断崖絶壁を水晶の翼の力で飛び越え、だだっ広い草原へ降り立つ。
 人が住む地域からは離れ、豊穣の女神ヌパァク・パトゥを祀る神殿から『魔物多発地域』とされている大草原だ。
 イネアライ神国では有名な場所で、人が大きく迂回してまで避けて通る大草原に一人の女性が佇んでいた。

「敵情視察にしては大胆じゃ無いかい?」
「センセを待っていただけだもの。別段、あの村に手出しをしたいわけではないわ」

 そう言って艶やかに笑うのはシャノネアだ。
 学園に居た頃の舌っ足らずな言葉遣いはどこにいったのか、妖艶な大人の女性といった雰囲気を醸し出す。

(こうして見ると……年齢不詳だよね。生徒と言われたらそうかもしれない……でも、彼女の本性がソレを否定する――)

 子供のようで大人。
 無邪気なようで意味深。
 無垢に見せかけて妖艶。
 相反する姿を持つ彼女に対し、キスケはいつもの笑顔を貼り付ける。
 今のところ魔物はいないが、いつ何時襲われるか判った物では無いので、早く切り上げるに越したことはないというのが彼の考えだ。
 
「とりあえず……忠告は聞いてくれたみたいで良かったわ」

 忠告――おそらく、彼の気持ちを彼女……ユスティティアに伝えるという件だろうと察し、キスケは深い溜め息をつく。
 
「どうせ、セギニヘラの件も見ていたんでしょ? 彼の事は止めなくて良かったのかい」
「え? 何か止める必要があったかしら。あそこで暴れていたのは、私の愛しいランドール様ではないもの」

 肩をすくめて見せる彼女を呆れた様子で見つめ、「白々しいな」と呟く。
 しかし、その言葉が彼女の真意であるとするなら、色々とおかしな点が見えてくる。
 何故彼女は、ユスティティアからランドールを奪う必要があったのだろうか――という点だ。

「キミ……」
「言葉にしないでくださる? まだ、センセと事を構えるつもりはないの」
「いずれ、そういう時が来るという事かい?」
「……どうかしら。それは……あの子次第かもしれないわね」

 シャノネアの視線が不意に動く。
 その先にいるのが誰か――それを理解したキスケの視線が鋭くなる。
 挑発したつもりが無かったシャノネアは、慌てたように視線を外してキスケに向かって肩をすくめて見せた。

「怖い怖い。でも……良い表情をするようになったわ。生きるのにもハリは必要よ、センセ」
「キミの考えが良く判らないな……」
「判らない方が自然だわ。私も時々判らなくなるもの……何をしたいんだろうって……」

 空を見上げた彼女の横顔は憂いに満ち、何かを想い、一瞬だけ哀しみに歪んだのをキスケは見過ごさなかった。
 それと同時に思い出した事があり、ポケットに入れていた物へ手を伸ばす。
 
「そうだ。キミの忘れ物を預かっていたよ」

 差し出されたのはシンプルな指輪――それを見た彼女は、花が綻ぶように笑った。
 今までにシャノネアが見せた笑顔の中で、一番綺麗で優しげな微笑みである。
 彼女の視線は指輪にだけ向けられており、無言で指輪を受け取った彼女は、この世で一番大事な物だというように胸の前に抱えた。

「やっぱり、センセが預かってくれていたのね。アリガトウ。無くしたかと思って……ちょっとだけ焦っちゃったわ」
「返すのが遅くなって申し訳無かったね。キミは神出鬼没だから……」
「ふふっ……それが私だもの。記憶を失っていなかったら、もっと慎重に動かないといけないけど……センセは、まだ取り戻せていないものね」

 どこまで知っているのか――。
 そんな考えがキスケの頭に浮かぶが、問い詰めることはしない。
 彼女に問うたところで意味が無いからだ。
 素直に答えるハズがないし、彼女が意味深に目を細めるのは誤魔化す気だからだと悟ったからである。
 
「まあ、センセたちは……そろそろ、あの村を引き払った方が良いかもしれないわね。国王陛下が動き出したみたいだし」

 彼女の言葉にキスケは眉をピクリと動かす。
 
「……そんな情報を流していいのかな」
「おかしなことを言うわね。宰相さんが報せてくれていたでしょう? 魔魅衆まみしゅうが動いて調べた情報だから間違いないわ」
「どこまで知っているのかな……」
「王族周りなら何でも?」
「ソレを俺たちに教えて、キミのメリットになるのかい?」
「さあ……それは判らないわ。でも、センセたちが捕まるのはマズイの……逃げるにしても匿うにしても、【呪われた島イル・カタラ】がいいわね」

 意外な提案であったが、それを鵜呑みにするほどキスケも馬鹿では無い。
 確かに自然の要塞と言われる【呪われた島イル・カタラ】だが、相手は大型の帆船を所有するノルドール王国なのだ。
 下手をすれば、逃げ場を失ってしまう。
 それに、国王が動き出した理由に心当たりが多すぎて、若き宰相であるオルブライトも手紙の中で『真意を掴めていない』と記載していたくらいだ。
 万が一、彼の目当てがユスティティアであったとしたら、先ずは【呪われた島イル・カタラ】へやってくるだろう。
 その可能性は一番低いはずだが、嫌な予想が頭にこびりついて離れないキスケは声を少しだけ低くした。

「いくらあの愚かな王でも、ユティの真実に辿り着くのは時間がかかるだろう。しかし……ユティのことに気づいたら、真っ先にやってくる場所が安全だというのかい?」
「センセは【呪われた島イル・カタラ】周囲の海流について詳しくないのね。彼女が作ったとんでもない船は別として、大型帆船やガレー船でも、あの潮の流れを突破することは出来ないわ」

 キッパリと言い切るだけの根拠があるのか、シャノネアは真面目な口調で語り続ける。

「彼女を【呪われた島イル・カタラ】へ送り出すと決定した日……国王が急いでいたのも、あの海域が一年に一度、数時間だけ海流が穏やかになることを知っていたからよ」

 衝撃的な内容であった。
 そんな話は聞いたことが無いとキスケは目を丸くする。
 
「つまり……一年に一度しか、訪れることが出来ない……と?」
「そういうことよ。だから、あの【呪われた島イル・カタラ】は自然の要塞だと言われるの。入り江は1つ。島の周囲が断崖絶壁となっていて、残る侵入経路は空のみ。センセ以外は難しい状況よね」

 シャノネアが【呪われた島イル・カタラ】を推す理由は判った。
 だが、彼女が何故そこまで【呪われた島イル・カタラ】について詳しいのかが判らない。
 古い文献でも、そこまで書き記された物は存在しない。
 それこそ、ノルドール王国の王家が海流の周期を知っているのも異質なのだ。
 元は自国の領土であったと言うが、そこまで興味関心を抱いていたのかと問われたら『否』である。

(残るは口伝……だけど、そんな口伝を残す一族が存在するのか?)

 頭の中にある記憶を探っても該当する情報は出てこない。
 このときほど、自分の記憶が完全では無いことを悔やんだことは無いと、キスケは奥歯を噛みしめた。
 
「センセが考えている以上に、私は物知りなのよ。そんな物知りの私が忠告するわ。これ以上イネアライ神国に被害を出したく無いなら、【呪われた島イル・カタラ】へ拠点を移すことだわ。あの村全体を引き受けて……ね」
「被害が出ているような口ぶりだね」
「冗談では無く、そういうことが得意な男だと知っているでしょう?」

 彼女の言葉に偽りは無い。
 むしろ、想定以上に早く動き出した国王に対して焦っているといった様子だ。

「それに、今更惜しくなったなんて言われたら困るでしょう?」
「誰が誰に言うつもりなのか聞くのも嫌になるね……」
「だったら、何をすべきか――頭の良いセンセだったら判るでしょ?」
「……ヤレヤレ、判ったよ。此方も、そのつもりで動き出すことにする」
「センセに話を持ってきて正解ね。判断が速くて助かるわ。あ……この情報のお礼は、ユティちゃんが作った化粧水でヨロシクね。ハンドクリームでも良いわよ?」

 うふふっと上機嫌に笑うシャノネアを見たキスケは、あんぐりと口を開いて彼女を見つめた。

「本気で言ってる?」
「あら、対価を求めた方がセンセは安心するって想ったんだけど? 違ったかしら」
「あー……まあね。判った。何とかしよう」
「今度来る時にお願いするわ」

 語尾にハートがつきそうなほど上機嫌なシャノネアに呆れながら、情報料の支払いを約束する。
 いや、もうこれは契約ではないだろうかと、キスケはズキズキ痛むこめかみを指で揉みほぐす。

「本当に凄いわよね。これからもあの調子で、色々と作るんでしょうね」

 ユスティティアがいる方向へ視線を向けた彼女は、とても優しい瞳をしており、今は警戒する必要も無いとキスケは苦笑する。
 
「元々物作りが好きみたいだからね」
「本当に見る目のない親子だこと。彼女が張り切ってくれて、もっと美容系が充実すると個人的には嬉しいけれど……今回の船や薬系も助かるわ」
「船も?」

 薬は理解出来るが、彼女が船に興味をシメしたのが意外だったのだろう。
 キスケは思わず疑問を口にした。

「ええ……。あの船は良いわ……【龍爪花の門リコリス・ゲート】の問題があるから……当然では無い?」
「……そうかもね」
「今回は……ムリをしないようにね。センセに何かあったら、あの子が悲しむんだから」

 シャノネアの口から出てくる言葉だとは思えず、キスケは驚いてしまう。
 仲間では無い。
 かといって敵でもない。
 微妙な関係性である。
 しかし、利害が一致すれば影ながら手を貸してくれるだろう相手だ。
 そういう信頼は、この数回の対談で理解したキスケである。
 だが、そういう裏で動くことはあっても、こういう心配をされるような関係性ではないと思っていた。
 
 真意を問いかけるような視線を投げかけるキスケの目を真っ直ぐ見ていた彼女は、力強い真剣な眼差しで彼の返答を待っているようであった。
 此方の真意を探るためでも、冗談で言ったわけでも無い。
 本気で心配しているのだと悟り、彼は深く息を吐き出す。

「ユティを悲しませるようなことはしないよ」
「……そう。ならいいわ」

 欲しかった答えは聞けたと言うように、彼女はトンッと軽く跳びはねて空へ舞い上がる。
 何も無い空間に浮遊したままの彼女は優雅に微笑み、キスケを見下ろしていた。

「そうだ……センセ。各地で奇妙な現象が起きているのを知っているかしら」
「奇妙な現象?」
「なんでも【龍爪花の門リコリス・ゲート】が出現する前に咲く花――龍爪花が一輪咲いて、燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストを引き起こしているんですって」
「なんだってっ!?」

 世間話のように告げられた内容に驚き、キスケは大きな声を張り上げる。
 彼の反応は予測済みだったのか、彼女は気にした様子も無く淡々と続きを語った。
 
「……【龍爪花の門リコリス・ゲート】と龍爪花が密接な関係にあるのは周知の事実。でも、これが【龍爪花の門リコリス・ゲート】の前触れ……とは言えないわよね。こんな前例は無いもの」
「確かに……今までは群生して咲き誇り、門を召喚していた。しかも、その場合……燃え上がる獣バーン・アップ・ビーストではなく、魔物を活性化させるだけだったはずだよ」
「そうよね。おかしいと思わない?」
「……調べる必要があるね。しかし――どうして、それをキミが知っているんだい?」

 まるで、見てきたような口ぶりのシャノネアに、キスケは鋭い視線を向けたが、彼女は少しだけ目を細めて口元を指で押さえる。

「あら、私としたことが……。彼女の化粧水が嬉しすぎて、ついつい話しすぎたかしら。とりあえず、そういうことだから……センセ、またね」

 意味深な微笑みと笑い声を残し、シャノネアの姿は跡形も無く消えていた。
 謎は深まるばかりだが、それよりも彼女からもたらされた情報を整理するのに忙しい。
 思ったよりも早く動き出した国王。
 おそらく、国王の意図していた範囲を超えて動き出したランドール。
 防戦一方になりつつあるイネアライ神国。
 そこへ来ての、【龍爪花の門リコリス・ゲート】と龍爪花である。
 考える事が多すぎて、明確な敵とは言えないシャノネアに構っている時間が惜しいのだ。

「今は彼女のことよりも、【龍爪花の門リコリス・ゲート】と……【呪われた島イル・カタラ】だよね。【龍爪花の門リコリス・ゲート】については、魔魅衆まみしゅうに依頼をしよう。しかし……【呪われた島イル・カタラ】は、ユティと相談する必要があるし、村人も……どういう反応を示すことやら」

 村人を説得するためには、どうすれば良いか――。
 そんな事を考えながら、キスケは大きく跳躍する。
 長時間離れていると不安がるユスティティアを想い、彼は水晶の翼を広げた。
 沢山の疑問や問題。ソレに伴う責務を背負っても、穢れを知らない水晶のあるじは光り輝く。
 その強さこそが竜帝に必要であると確信するように、彼の中にある竜玉は淡い明滅を繰り返すのであった。
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