テロリストと兵士

神崎

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 彩の演奏が終わると、彼はバックヤードに引っ込む。二杯目の酒を受け取った藍は、それを横目で見ながら入り口の方を見ていた。するとそこに隆がやってくる。藍はそれを見て、彼を手招きした。
「今、演奏が終わった。」
「それは惜しいことをしました。同じ店にいても彩の演奏を聴くことはあまりないので。」
 フロアはもうすでに決めた相手が出来たらしく、二階へ、三階へと男と女だけではなく、男同士も女同士も上がっていくようだ。中には三人、四人とまとまっていくものもいる。
「この時間からみんな元気ですね。」
「まぁ……確かに。」
 するとバーテンダーが隆の前におしぼりを置いた。
「やぁ。あなたが藍さんの相手ですか。」
「俺が?」
「イヤね、男も女もこの人に声をかける人が多かったんですが、待ち合わせをしているの一点張りでしたのでね。どんな人が来るのかと、噂をしていたんですよ。まさか男性だとは思いませんでした。」
 すると隆は笑いながらいう。
「いいや。男は勘弁してくれ。この人とは兄弟のようなものだ。」
 その言葉に藍も笑う。
「兄弟ね……確かに兄弟だ。」
 累と体を重ねたことがあるという意味では、二人は兄弟になるのだろう。しかし肝心の隆は何のことかわかっていない。
「何を飲まれますか。」
「あぁ。そうだな……ん?サファイアがあるのか。」
 そういって彼はバーテンダーの後ろの棚においてある青い瓶に目を留めた。珍しい酒で、この辺では滅多にお目にかかることはない。
「えぇ。この酒は梅さんのお気に入りでしてね。定期的に入れているんですよ。」
「上客らしい。」
 藍はそういって少し笑う。
「それをロックでもらおう。」
「強いですよ。普通なら炭酸で割ったりするんですけど。」
「構わない。島で慣らされている。」
 島には喉が焼けるような酒を一気に飲むような習慣がある。それに耐えれない男は男ではないという風習があるのだ。
「強いんだな。」
「島で年に一度祭りがある。そこで地酒を一気に飲み合うんです。だいたい最後まで残って、潰れた人の介抱をしてました。」
 世話好きはこんな所から来ているのだろう。そして累もその彼の優しさに惹かれたのかもしれない。
 自分には出来ないことだ。
「お待たせしました。これは付け合わせです。」
 そういってバーテンダーは彼の前にナッツと氷と酒の入ったグラスを置く。
「……それにしてもハッシシの臭いでクラクラしそうですね。」
「そうか。この臭いがハッシシというのか。」
「えぇ。昔、俺の下についてた男がこんな臭いをぷんぷんさせてましたよ。」
「そいつはどうなった?」
「さぁ。三日くらいで来なくなりましたね。最後に来たとき、二階から落ちそうなくらい足下がふらついてましたし。」
「ジャンキーだな。」
 そういって彼はその酒に口を付ける。ほんのり松ヤニの臭いがするが、基本飲みやすい癖のない酒だった。ただ飲みやすいので、つい飲み過ぎて足が立たなくなるというのが玉にきずだ。
 するとバーテンが受付をしていた男に声をかける。
「梅さんが酒を所望している。悪いが一本卸してくれないか。」
「いいですよ。食事は頼んでいますか。」
「食事は頼んである。それと一緒に持って行ってくれないか。」
「はい。では出来たら持って行きましょう。」
 その会話を聞きながら、隆は煙草をくわえ、火をつけた。その火がゆっくりと揺れる。彼女が出て行った証拠だ。
「あんたはずっとあの店にいるのか?」
 藍の言葉に、隆は首を傾げた。
「さぁ。どうでしょうね。一人前に店をもてるような器じゃないですよ。団体行動がずっと苦手でしたし、人も使えないでしょうから。」
「どうだろうな。世話好きには見えるが。」
「それはそれだけの見返りを求めているからですよ。聖人じゃあるまいし、見返りの求めない世話なんかする気も起きません。」
 ずっとそうだった。キッチンを一人で回すのは至難の業だから、人を育てていたのだ。だが誰もついてこない。口をそろえて彼がワンマンだからというらしい。
 だが累は違った。隆の動き、何を求めているかをずっと察知している。そして最近は彼女がいた方がやりやすいとさえ思えてきた。
「そんなものかな。あんたを見てるとそうでもないように思えるがな。」
「見返りを求めなくて世話をされるのは、何か裏があると思ってましたね。昔は。」
「今は違うのか。」
「えぇ。まぁ……出会いというか……。」
 言いづらいらしい。それはおそらく累のことだからだろう。それを感じて、藍はため息をついた。
「そうか。」
「藍さんはどうしますか。今の仕事が終わったら、また用心棒に?」
「いいや。実は、余所の国をみたいと思っててな。」
「余所の国?外国ということですか?」
「あぁ。昔検疫をしていた女が良く俺に用心棒みたいなことを頼んできた。その女の話や……今の仕事の世話をしてくれた恩人が外国の話を良くしてくれた。」
 称と幻のことだ。二人とも外国で見たこともないものを見ている。それがうらやましくて、自分も行きたいといつからか思っていた。
 出来れば累と一緒に。
 しかしそれはもう叶わないだろう。彼は酒を一口飲んだ。
「外国ですか。考えたこともありませんでしたね。あっちの方は風習も言葉も違う。いい刺激になりそうだ。」
「あんたも行ってみればいい。」
「島の外にでるだけでも冒険でしたからね。どうでしょうか。」
 彼はそういって苦笑いをした。
「あぁ。恋人が気になるか。」
「医師がいれば連れて行ってもいいですがね。」
「心配するな。今の仕事が終わったら、お前たちに渡したいものもあるし。」
「俺らに?」
「行きたいところへ我慢せず行けばいい。」
 そして目の届かないところへ行って欲しい。目の届かないところにいれば、きっと彼女を忘れられる。そして別の女に目を向けられる。
 もう彼女は隆のもので、彼しか見ていないのだから。
「隆。」
「どうしました?」
「俺が死んでも……あいつに伝わらなければいいと思うのは、甘いだろうか。」
「え?」
「きっと俺はろくな死に方をしない。俺が……最初に殺したのは、母親だったからな。」
「母親?」
「俺の母親は最下層の娼婦でな。知っているか。達磨女ってのを。」
「話でしか……。本当にいるんですか。」
「あぁ。俺がまともに生まれたのは、奇跡だったらしい。というのも……俺は売春宿で生まれはしたが、そもそもは売春宿で出来たわけではないらしい。」
 物心が付いたときには、母親はただ喘ぐ存在だった。薬を嗅がされ夜昼関係なく男をくわえ込み、逃げられないように手足は切り落とされていた。それが達磨のようだから達磨女というらしい。最下層の娼婦だ。
 楽になればいい。ただ男をくわえ込み、喘ぐだけであれば生きていて何の価値があるだろう。
 そして彼は母親を殺した。十歳の頃だった。
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