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悪辣(リリス)編
騎士サイラスと悪辣の花
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サイラス=ロイドは、ロイド家の5男として生を受けた。昔は宰相補佐まで排出した、文官まみれのロイド家に。
そしてサイラスは剣を振ることは好きでも、勉強はあまり好きではなく、なにせ5男。上には4人の兄がいる。それはそれは扱き使われ、いじめられ、サイラスは文官ではなく騎士になって家から逃げることにした。
幸いそんな目論見は叶い、なんと王宮騎士という花形にまで上り詰めることが出来た。
サイラスは貴族であるが、貴族社会とはあまり馴染みがなかった。家同士のあれこれは全て兄たちがやっていたし、サイラスは毎日のように剣を振っていたので、ろくに貴族と話したこともない。
なので貴族だらけの王宮騎士団で、サイラスは表面上は上手くやってもどこか浮いた存在だった。中には辺境上がりや平民出身の騎士もいたので居場所はあるのだが、サイラスとて貴族だ。板挟みというか、どっちつかずというか。
希望所属地を間違えたかもしれない。
それでも騎士として出世していくためには王宮騎士として王族や騎士団長に顔を覚えてもらうのが一番効率がいいと分かっている。
家を出て、爵位も学もないサイラスは騎士で食っていくしかない。ある程度の地位は死守したかった。
幸い、リュート殿下や団長にはよくしてもらっている。とある事情で顔が広くなったサイラスを、他の貴族の騎士も無下にはしない。愛するかわいい彼女までできた。
順調そのものだろう。
周りから見れば、だが。
「あらサイラス。ご機嫌よう」
この国には麗しの女神がいる。と、仲間の騎士は熱く語っていた。
緩く巻いた銀色の髪を背に垂らし、輝くような金色の瞳を持った絶世の美女。頭のてっぺんから足のつめ先まで、美しいところばかりだ。
その性悪な性格を除いては。
なにが女神だ、とサイラスはあの騎士に言ってやりたかった。この女は、女神の怒りまで買うようなとんでもない人間だぞ、と。
「……アイリス嬢」
アイリスはサイラスに近づき、にこりと笑った。この微笑みに心臓を撃たれた騎士がそれはそれは多いこと。サイラスはぞ、っとするのに。
アイリス=ウェルバートン。貴族の頂点に立つ公爵家のご令嬢。陛下の姪。そしてリュート殿下の婚約者。そして女神の加護持ち。一体どこまで偉くなれば気が済むんだ。周りを振り落として、先頭を独走している。
本来であればサイラスの身分では到底お目にかかれないアイリスだが、平気で話しかけてくる。神秘的な目でサイラスを見上げ、風に揺れた長い髪を華奢な手でおさえた。
「サイラス。ちょうどいいところにいたわね」
サイラスは、貴族というものは権力を振り翳すばかりの生き物だと思っている。中には百合の美貌と呼ばれている慈悲深いメアリや、田舎でのびのび育った愛する彼女のようなまともな人間もいるのだが。
それもごく一部。基本的に、威張り散らし、何かあれば激怒し、自分が偉くないと気が済まない。
だがアイリスは違う。そんな生易しいものではない。サイラスはアイリス以上に恐ろしい貴族を知らない。
そんなアイリスに何を言われるのか。見回り中だと逃げることが出来たら、どれだけサイラスの寿命が伸びることだろう。
「ねぇ、こちらの方に人が来なかったかしら?」
「人?」
「そう。長身で、蜂蜜色の髪とクォーツの瞳を持った」
いやいなかった、と首を振ろうとした時。
「アイリス」
柔らかい声が、アイリスの後ろから飛んできた。二人揃ってそちらを向くと、驚くような美丈夫が立っていた。蜂蜜色の髪を揺らし、クォーツの瞳を細めて。
「アンリ!ここにいたのね」
「すまない、久しぶりの王宮だから迷ってしまって」
サイラスはあんぐりと男を見つめる。あの、アイリス=ウェルバートンと親しげだと?リュート殿下以外に男を寄せつけず、男であろうとも平気で脅すあのアイリスが?しかもとびきりの美形。
この国、とくに王宮には美形が集まっているのでサイラスも見慣れていると思ったが、上には上がいたようだ。サイラスとて悪くない顔だとは自負していたが、この男の足元にも及ばない。
なにより笑みに余裕がある。
「アイリス、そちらは?」
「騎士のサイラスよ。よくしていただいてるの」
「そうか。アイリスが世話になっている」
甘い蕩けるような笑い方をする男に絶句した。アイリスが世話になっている?まるでそんな身内のような。
「私はアンリ=ウェルバートンだ。アイリスのいとこにあたる」
本当に身内だった。いつものように顔に出さなかった自分を褒めてやりたい。ウェルバートン。あの。公爵家の。そしてアイリスのいとこ。
「わたくしの兄みたいな方なの。いつもは領地にいらっしゃるんだけど、先日から屋敷に遊びに来ていて。王宮に籠って帰ってこないお父様に挨拶しに来たのよ」
「叔父上も元気そうでよかった」
「お父様、せっかくアンリが来たのに、仕事ばかりでつまらないわ」
アイリスが笑う。先程サイラスに向けた恐ろしい笑みとは違い、親愛を乗せて。
サイラスの頭にはお仕えするリュート殿下の顔が浮かんでいた。確かリュート殿下とアイリスもいとこだったはずだ。
リュートはアイリスを愛していること以外は、サイラスにとって命を預けるのに相応しい方だった。真面目で優秀、勤勉。理不尽で横暴な態度も取らず、常に周りの状況を把握している。そして何よりきちんとアイリスを叱って窘めている。この世でアイリスを叱れる人間は、アイリスの両親かリュートくらいだろう。
絵に書いたような理想の主人だ。
さらに、リュートも美しい容姿をしている。濡れるような黒い髪に、女神がおわします青い空の瞳。背も高く、からだは引き締まっていて、リュートに恋をしない令嬢がいるのかと不思議に思うほど。
恐れ多いが、そんなリュートに唯一不満があるとすれば、婚約者がアイリスなことだろうか。もちろんその不満は勝手なこちらの都合なので態度に出したことは一度もない。しかし散々脅されてきた身としては、なぜ、ぐらいは思ってもいいだろう。
けれどサイラスは哀れだ。慕ってやまないリュートは悪どいアイリスだけを見つめ、いつもは無表情を貫くその顔にゆるりと笑みを乗せる。
リュートがアイリスがどんな女か分かっている上で大切に思っていることも、サイラスはよく知っていた。
「サイラス、仕事中引き止めてごめんなさいね」
アイリスに気遣われたことが果たしてサイラスにあっただろうか。いざと言う時は王子への忠誠も折れと平気で宣う女である。人の彼女を味方……いや人質にとって。
絶句したまま、サイラスは二人を見送ることしかできなかった。
そしてサイラスは剣を振ることは好きでも、勉強はあまり好きではなく、なにせ5男。上には4人の兄がいる。それはそれは扱き使われ、いじめられ、サイラスは文官ではなく騎士になって家から逃げることにした。
幸いそんな目論見は叶い、なんと王宮騎士という花形にまで上り詰めることが出来た。
サイラスは貴族であるが、貴族社会とはあまり馴染みがなかった。家同士のあれこれは全て兄たちがやっていたし、サイラスは毎日のように剣を振っていたので、ろくに貴族と話したこともない。
なので貴族だらけの王宮騎士団で、サイラスは表面上は上手くやってもどこか浮いた存在だった。中には辺境上がりや平民出身の騎士もいたので居場所はあるのだが、サイラスとて貴族だ。板挟みというか、どっちつかずというか。
希望所属地を間違えたかもしれない。
それでも騎士として出世していくためには王宮騎士として王族や騎士団長に顔を覚えてもらうのが一番効率がいいと分かっている。
家を出て、爵位も学もないサイラスは騎士で食っていくしかない。ある程度の地位は死守したかった。
幸い、リュート殿下や団長にはよくしてもらっている。とある事情で顔が広くなったサイラスを、他の貴族の騎士も無下にはしない。愛するかわいい彼女までできた。
順調そのものだろう。
周りから見れば、だが。
「あらサイラス。ご機嫌よう」
この国には麗しの女神がいる。と、仲間の騎士は熱く語っていた。
緩く巻いた銀色の髪を背に垂らし、輝くような金色の瞳を持った絶世の美女。頭のてっぺんから足のつめ先まで、美しいところばかりだ。
その性悪な性格を除いては。
なにが女神だ、とサイラスはあの騎士に言ってやりたかった。この女は、女神の怒りまで買うようなとんでもない人間だぞ、と。
「……アイリス嬢」
アイリスはサイラスに近づき、にこりと笑った。この微笑みに心臓を撃たれた騎士がそれはそれは多いこと。サイラスはぞ、っとするのに。
アイリス=ウェルバートン。貴族の頂点に立つ公爵家のご令嬢。陛下の姪。そしてリュート殿下の婚約者。そして女神の加護持ち。一体どこまで偉くなれば気が済むんだ。周りを振り落として、先頭を独走している。
本来であればサイラスの身分では到底お目にかかれないアイリスだが、平気で話しかけてくる。神秘的な目でサイラスを見上げ、風に揺れた長い髪を華奢な手でおさえた。
「サイラス。ちょうどいいところにいたわね」
サイラスは、貴族というものは権力を振り翳すばかりの生き物だと思っている。中には百合の美貌と呼ばれている慈悲深いメアリや、田舎でのびのび育った愛する彼女のようなまともな人間もいるのだが。
それもごく一部。基本的に、威張り散らし、何かあれば激怒し、自分が偉くないと気が済まない。
だがアイリスは違う。そんな生易しいものではない。サイラスはアイリス以上に恐ろしい貴族を知らない。
そんなアイリスに何を言われるのか。見回り中だと逃げることが出来たら、どれだけサイラスの寿命が伸びることだろう。
「ねぇ、こちらの方に人が来なかったかしら?」
「人?」
「そう。長身で、蜂蜜色の髪とクォーツの瞳を持った」
いやいなかった、と首を振ろうとした時。
「アイリス」
柔らかい声が、アイリスの後ろから飛んできた。二人揃ってそちらを向くと、驚くような美丈夫が立っていた。蜂蜜色の髪を揺らし、クォーツの瞳を細めて。
「アンリ!ここにいたのね」
「すまない、久しぶりの王宮だから迷ってしまって」
サイラスはあんぐりと男を見つめる。あの、アイリス=ウェルバートンと親しげだと?リュート殿下以外に男を寄せつけず、男であろうとも平気で脅すあのアイリスが?しかもとびきりの美形。
この国、とくに王宮には美形が集まっているのでサイラスも見慣れていると思ったが、上には上がいたようだ。サイラスとて悪くない顔だとは自負していたが、この男の足元にも及ばない。
なにより笑みに余裕がある。
「アイリス、そちらは?」
「騎士のサイラスよ。よくしていただいてるの」
「そうか。アイリスが世話になっている」
甘い蕩けるような笑い方をする男に絶句した。アイリスが世話になっている?まるでそんな身内のような。
「私はアンリ=ウェルバートンだ。アイリスのいとこにあたる」
本当に身内だった。いつものように顔に出さなかった自分を褒めてやりたい。ウェルバートン。あの。公爵家の。そしてアイリスのいとこ。
「わたくしの兄みたいな方なの。いつもは領地にいらっしゃるんだけど、先日から屋敷に遊びに来ていて。王宮に籠って帰ってこないお父様に挨拶しに来たのよ」
「叔父上も元気そうでよかった」
「お父様、せっかくアンリが来たのに、仕事ばかりでつまらないわ」
アイリスが笑う。先程サイラスに向けた恐ろしい笑みとは違い、親愛を乗せて。
サイラスの頭にはお仕えするリュート殿下の顔が浮かんでいた。確かリュート殿下とアイリスもいとこだったはずだ。
リュートはアイリスを愛していること以外は、サイラスにとって命を預けるのに相応しい方だった。真面目で優秀、勤勉。理不尽で横暴な態度も取らず、常に周りの状況を把握している。そして何よりきちんとアイリスを叱って窘めている。この世でアイリスを叱れる人間は、アイリスの両親かリュートくらいだろう。
絵に書いたような理想の主人だ。
さらに、リュートも美しい容姿をしている。濡れるような黒い髪に、女神がおわします青い空の瞳。背も高く、からだは引き締まっていて、リュートに恋をしない令嬢がいるのかと不思議に思うほど。
恐れ多いが、そんなリュートに唯一不満があるとすれば、婚約者がアイリスなことだろうか。もちろんその不満は勝手なこちらの都合なので態度に出したことは一度もない。しかし散々脅されてきた身としては、なぜ、ぐらいは思ってもいいだろう。
けれどサイラスは哀れだ。慕ってやまないリュートは悪どいアイリスだけを見つめ、いつもは無表情を貫くその顔にゆるりと笑みを乗せる。
リュートがアイリスがどんな女か分かっている上で大切に思っていることも、サイラスはよく知っていた。
「サイラス、仕事中引き止めてごめんなさいね」
アイリスに気遣われたことが果たしてサイラスにあっただろうか。いざと言う時は王子への忠誠も折れと平気で宣う女である。人の彼女を味方……いや人質にとって。
絶句したまま、サイラスは二人を見送ることしかできなかった。
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