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第九話 封魔の力

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「特別、って…?」


 どきどきと心臓がうるさい。
 イリアム様は一体何を話そうとしているの?


 イリアム様はすっと握っていた手を解いて立ち上がると、作業机の引き出しを開けて一冊の本を取り出した。

「これは、ラインザック家が代々受け継ぐもの。初代当主様が記した本だ」

 イリアム様は私の前にその本を置くと、再び対面に腰掛けた。

 随分と古い本のようだ。大事に保管されているのか、紙の状態はそれほど悪くはないが古書独特の匂いがする。

「あなたは二つ知らねばならないことがある。まずはこの国の現状、そしてあなたが秘める力についてだ」

 イリアム様はパラパラとその本を捲り、お目当てのページに行きつくと該当の部分を指差した。

「数百年前、国中で魔力の暴走が起こり多数の国民が命を落とした。そして充満した魔力の渦の中から、邪悪な魔竜が生まれた」
「魔竜……」
「魔竜は魔力を餌にする。大気中に満ちた魔力じゃ飽き足らず、生きている者からも見境なく魔力を吸い取り食い散らかした。あちこちに屍が転がり、当時のこの国は地獄絵図のようだったという」


 私は絶句した。


 そんな恐ろしい歴史ならば、現代にも伝えられているはずなのに、王家から受けた教育では全くそのことに触れられていなかった。いかに魔法が偉大で、誇り高く、崇高なものであるか。王家はただひたすらに魔法の有益さを説いている。

「そ、それで…魔竜は、この国はどうなったのですか?」

 ごくりと生唾を飲み込み、胸の前で手を組みながら私は問うた。声が少し震えてしまった。

「とある一人の女性の力で、国は救われた。その人は『封魔の力』を持ち……魔力が全く無かった」
「……えっ」
「似ているだろう?ソフィア、あなたと」


 数百年前にもいた…?
 私と同じように魔力が全くない人間が…?


「『封魔の力』とは、文字通り魔力を封じる力を指す。その女性の力により魔竜は消滅し、国に渦巻いていた魔力も落ち着きを取り戻した。……だが、今この国はその時と類似した状況にある」

 イリアム様は私から視線を外すと、深いため息をついた。

「年々、魔力の暴走により命を落とす国民が増えている。だが、王家はそのことを顧みようともしない。そもそも数百年前の出来事を歴史から消し去り、魔力の危険性を隠蔽し、美化し続けてきたのは王家だ。このままだと、数百年前と同じように忌々しき魔竜が現れてしまうかもしれん」
「そんなっ」

 この国は豊かで平和であると幼い頃から教え込まれてきた。離宮から出ることは叶わなかったから、実際に王都の様子を目にしていなかった私は教えられたことを疑いもせずに信じ続けてきた。


 ずっと憧れてやまなかった魔法が今、この国では脅威になりつつあるだなんて……


「ソフィア」

 私が震える肩を抱きしめるように両腕を擦っていると、イリアム様が優しい声で私の名を呼んだ。安心させるように頭を撫でてくれ、少し身体の強張りがほぐれる。

「数百年前に混沌を収めたのは、ラインザック公爵家初代当主様だった。実は彼女の功績によって我が家は公爵位を賜わったんだ。だが、王家は一連の出来事を捻じ曲げてしまった。魔竜は魔力の象徴に、王国民の大量死は流行病ということになった。初代当主様は、この国の行く末を憂い、いずれまた同じ悲劇が起こることを危惧して全ての出来事をこの一冊に残した。そして代々ラインザック家に受け継がれて来た」
「そう、だったのですね」
「ああ…だから、初めてソフィアに会ったあの日、俺はあなたこそが『封魔の力』を宿す者だと考えた」
「ええっ!?まさかっ」

 突然のことに私は驚きを隠せない。

 イリアム様の買い被りではないかしら…私にそんな力があるとは思えないもの。

「その、私は無能で落ちこぼれの出来損ない王女です。そんな大それた力があるなんて信じられません」

 長年何の取り柄もない無能な王女だと蔑まれてきた。幼い頃から投げられてきた心無い言葉は、私の心身に深く刻まれ、見えない傷を残している。突然特別な力を秘めていると言われても、簡単には信じられない。

 思わず俯いてしまった私の肩を、イリアム様は少し強めの力で掴んだ。驚いて顔を上げると、イリアム様の目は僅かに怒気を孕んでいた。鋭い目に見据えられ、私は萎縮した。

「ソフィア、もう二度と自分のことを無能だとか出来損ないだと言わないでくれ。あなたは望まれて今ここにいるということを忘れないで欲しい。あなたはもう公爵家の一員であり、大切な俺の家族で…つ、妻だ。それにさっき見せただろう?ソフィアには魔力を安定させる力がある。俺が保証する。あなたは無能なんかじゃない」
「イリアム様……っ」

 イリアム様の言葉が、じんわりと胸に沁みていく。熱いものが込み上げて来て、視界が滲んでイリアム様の姿が歪む。

「ソフィア…」
「あ、あれ…私…」

 瞬きをしてぽろりと涙が溢れ、それを契機にどんどんと涙が溢れてはこぼれ落ちていく。

「ひっく、うっ…」

 離宮での十年は決して辛く苦しいだけの生活ではなかったわ。エブリンやジェイル、使用人のみんなは私を大切に扱ってくれたもの。でも、一人になった時やふとした時、夜布団に入った時にはどうしても黒く淀んだ感情に支配されることがあった。
 『出来損ない』『王家の恥』『落ちこぼれ』と罵られて突然離宮に閉じ込められた記憶は、私の心に深い傷をつけていた。

 イリアム様は私を必要としてくれている。
 私を捕らえる籠であった離宮から連れ出してくれただけでなく、私の心に絡みついたいばらまでも取り除こうとしてくれている。

 イリアム様は私の頭を何も言わずに撫でてくれていた。その温かさがまた涙を呼び、私はしばらくの間声を殺して泣き続けた。
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