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二年目の夏の話
一 突然の来訪者
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『今から行ってもいい? 折り入って頼みがある』
受信したメッセージを見て、レンは、珍しいと思った。
メッセージの送信主は橋谷だ。
金曜日。午前0時半。
よぞらの閉店作業のため、レンは片づけや洗い物をしている。
『いいですよ』
『ありがとう』
橋谷はレンの店に時々来てくれる。だが、仕事の都合上、もう少し早い時間帯であることが多い。
何だろう、と思いながらレンは作業を進めていく。午前0時半はラストオーダーで、今いるお客さんたちには全員提供済み、あとは送り出すだけだ。
「レンくん、明日はお店開けないの?」
いつもの五十代のおじさんが、カウンター越しにレンに訊ねた。明日は臨時休業します、と書いた壁の張り紙を見てのことだ。
妻子がおらず、自炊できない彼は仕事が遅くなりがちで、ほとんど毎日、閉店直前のよぞらで食べている。皆勤のひとりである。
「はい、お休みにさせてもらってます。明日は商店街の夏祭りがありまして」
よぞらのある商店街で、明日と明後日、夏祭りがおこなわれる。毎年恒例、八月の第一週だ。商店街のにぎやかし要員として、屋台を出すようにといわれている。
屋台のテントは店の前に設営済みで、二日間、からあげ串を売る予定になっている。
「あー、そっか。表に屋台出してたね。もうそんな時期か。からあげだけ? 他には何か売る?」
「ちょっと難しいかなと」
「だよね。レンくんひとりだもんねえ」
「ご迷惑をおかけします」
レンが頭をさげると、おじさんは気にしないでと言って、席を立った。お会計をして見送る。同じように食事を終えたお客さんが帰り支度をする。
0時五十分に最後のお客さんを送り出した直後、引き戸が開いて誰かが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
顔をあげると橋谷だった。
隣にもう一人いる。
「閉店前にすまん。いいか?」
「大丈夫ですよ。あ、暖簾外してきます」
レンは軒先の暖簾を外して店に入れる。
橋谷と連れ立ってやってきたのは、若い男性だった。二十歳くらいだろうか。短髪で、中肉中背、どことなく影がある。
「何か飲むか、召し上がりますか」
カウンターキッチンに入ってレンは二人に訊ねた。
「生中ひとつと、こっちは未成年だから、恭介。何にする?」
「何がいいですか?」
「あ……お茶を……」
「ウーロン茶と緑茶のどちらにしましょうか」
「あの……、ウーロン茶、ください」
恭介が顔をあげたとき、彼の腹部が勝手に空腹を訴えた。
レンはさらに言った。
「よろしければお食事にしましょうか。揚げ物なんですが。野菜の天ぷらと鯖の冷や汁と麦ごはん、食べられますか?」
「……はい」
「レン、ごめん、材料まだある? 俺もいただいてもいい? 腹減ってしょうがない」
「ありますよ。ご用意しますね」
飲み物を二人に渡してから、夏野菜の天ぷらをあげはじめる。冷や汁は用意してある。麦味噌ベースの汁物に、ほぐした焼き鯖、きゅうりと大葉と豆腐、すりごまをいれた、宮崎県の夏の郷土料理だ。
膳を置こうとしたとき、恭介がおもむろに泣きはじめた。一瞬、ウーロン茶とウーロンハイを間違えたかと思ってレンは焦る。ぽろぽろと涙をこぼしている恭介は橋谷に任せ、レンは静かに二人の前に膳を置いた。
「恭介、お前のせいじゃないから」
「すみません」
「とりあえず食いなよ。ここのメシうまいよ」
「はい……」
出した膳に手をつけはじめると、恭介は泣きながら食べた。橋谷は少しほっとする。食べられるなら大丈夫だと思う。
レンは言った。
「橋谷さん、俺も食べてていいですか」
「いいよ。ごめんな、遅くに」
「とんでもない」
レンは、余った麦ごはんに冷や汁をかけ、缶詰のツナを開け、ツナをのせて夜食にする。カウンター内で立ったまま食べる。自分で作ったてきとうなものながら、おいしいと思う。
金曜日の今夜はいつもよりも忙しかった。
こうして誰かと一緒にごはんを食べるのは久しぶりだ。ルイスは日本にいるらしいが、一ヶ月ほど会っていない。相変わらずである。
橋谷が言う。
「冷や汁もいいけど、天ぷらの彩りがいいな。ゴーヤ、とうもろこし、なす、ズッキーニ、かぼちゃ。かきあげもうまいね。玉ねぎ、にんじん、桜エビ、ミョウガ、枝豆。細かくて凝ってるのにうるさくなくて、レンらしい」
「やった。橋谷さんに褒められると、本当に嬉しいですね」
お客さんからはおいしいと言われる。それだけでも嬉しい。だが、元上司でありシェフの橋谷に認められることは、レンにとって別の手応えを感じられるものだ。
食べ終えたのを見計らって冷たい緑茶を出したあとに、橋谷が恭介に言った。
「とにかく、もう加賀見さんとは関わるな。就職先は見つけるから」
一度は泣き止んだ恭介が、もう一度、表情を歪ませる。
橋谷の助言に、レンはすべてを悟って片づけや明日の準備に集中する。
橋谷はレンに言う。今夜は食事をしに来たのではない。
「レン、申し訳ないんだけど、一晩、泊まらせてやってくれないか。恭介、寮出たら家なくて。明日迎えに来るから」
「いいですよ。橋谷さんの頼みなら」
と、レンは快諾する。橋谷には世話になっている。わけありで困っているのならば力になりたい。
ひとしきり泣いたあと、やっと落ち着いた恭介は、どちらともなく訊ねた。
「お知り合い、なんですか」
レンが答える。
「俺も橋谷さんの元部下なんですよ」
「……そして加賀見の被害者でもある」
と橋谷が補足する。恭介は驚いて目を見開いた。レンは慌てて片手を振る。誤解だ。
「未遂……未遂です……!」
受信したメッセージを見て、レンは、珍しいと思った。
メッセージの送信主は橋谷だ。
金曜日。午前0時半。
よぞらの閉店作業のため、レンは片づけや洗い物をしている。
『いいですよ』
『ありがとう』
橋谷はレンの店に時々来てくれる。だが、仕事の都合上、もう少し早い時間帯であることが多い。
何だろう、と思いながらレンは作業を進めていく。午前0時半はラストオーダーで、今いるお客さんたちには全員提供済み、あとは送り出すだけだ。
「レンくん、明日はお店開けないの?」
いつもの五十代のおじさんが、カウンター越しにレンに訊ねた。明日は臨時休業します、と書いた壁の張り紙を見てのことだ。
妻子がおらず、自炊できない彼は仕事が遅くなりがちで、ほとんど毎日、閉店直前のよぞらで食べている。皆勤のひとりである。
「はい、お休みにさせてもらってます。明日は商店街の夏祭りがありまして」
よぞらのある商店街で、明日と明後日、夏祭りがおこなわれる。毎年恒例、八月の第一週だ。商店街のにぎやかし要員として、屋台を出すようにといわれている。
屋台のテントは店の前に設営済みで、二日間、からあげ串を売る予定になっている。
「あー、そっか。表に屋台出してたね。もうそんな時期か。からあげだけ? 他には何か売る?」
「ちょっと難しいかなと」
「だよね。レンくんひとりだもんねえ」
「ご迷惑をおかけします」
レンが頭をさげると、おじさんは気にしないでと言って、席を立った。お会計をして見送る。同じように食事を終えたお客さんが帰り支度をする。
0時五十分に最後のお客さんを送り出した直後、引き戸が開いて誰かが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
顔をあげると橋谷だった。
隣にもう一人いる。
「閉店前にすまん。いいか?」
「大丈夫ですよ。あ、暖簾外してきます」
レンは軒先の暖簾を外して店に入れる。
橋谷と連れ立ってやってきたのは、若い男性だった。二十歳くらいだろうか。短髪で、中肉中背、どことなく影がある。
「何か飲むか、召し上がりますか」
カウンターキッチンに入ってレンは二人に訊ねた。
「生中ひとつと、こっちは未成年だから、恭介。何にする?」
「何がいいですか?」
「あ……お茶を……」
「ウーロン茶と緑茶のどちらにしましょうか」
「あの……、ウーロン茶、ください」
恭介が顔をあげたとき、彼の腹部が勝手に空腹を訴えた。
レンはさらに言った。
「よろしければお食事にしましょうか。揚げ物なんですが。野菜の天ぷらと鯖の冷や汁と麦ごはん、食べられますか?」
「……はい」
「レン、ごめん、材料まだある? 俺もいただいてもいい? 腹減ってしょうがない」
「ありますよ。ご用意しますね」
飲み物を二人に渡してから、夏野菜の天ぷらをあげはじめる。冷や汁は用意してある。麦味噌ベースの汁物に、ほぐした焼き鯖、きゅうりと大葉と豆腐、すりごまをいれた、宮崎県の夏の郷土料理だ。
膳を置こうとしたとき、恭介がおもむろに泣きはじめた。一瞬、ウーロン茶とウーロンハイを間違えたかと思ってレンは焦る。ぽろぽろと涙をこぼしている恭介は橋谷に任せ、レンは静かに二人の前に膳を置いた。
「恭介、お前のせいじゃないから」
「すみません」
「とりあえず食いなよ。ここのメシうまいよ」
「はい……」
出した膳に手をつけはじめると、恭介は泣きながら食べた。橋谷は少しほっとする。食べられるなら大丈夫だと思う。
レンは言った。
「橋谷さん、俺も食べてていいですか」
「いいよ。ごめんな、遅くに」
「とんでもない」
レンは、余った麦ごはんに冷や汁をかけ、缶詰のツナを開け、ツナをのせて夜食にする。カウンター内で立ったまま食べる。自分で作ったてきとうなものながら、おいしいと思う。
金曜日の今夜はいつもよりも忙しかった。
こうして誰かと一緒にごはんを食べるのは久しぶりだ。ルイスは日本にいるらしいが、一ヶ月ほど会っていない。相変わらずである。
橋谷が言う。
「冷や汁もいいけど、天ぷらの彩りがいいな。ゴーヤ、とうもろこし、なす、ズッキーニ、かぼちゃ。かきあげもうまいね。玉ねぎ、にんじん、桜エビ、ミョウガ、枝豆。細かくて凝ってるのにうるさくなくて、レンらしい」
「やった。橋谷さんに褒められると、本当に嬉しいですね」
お客さんからはおいしいと言われる。それだけでも嬉しい。だが、元上司でありシェフの橋谷に認められることは、レンにとって別の手応えを感じられるものだ。
食べ終えたのを見計らって冷たい緑茶を出したあとに、橋谷が恭介に言った。
「とにかく、もう加賀見さんとは関わるな。就職先は見つけるから」
一度は泣き止んだ恭介が、もう一度、表情を歪ませる。
橋谷の助言に、レンはすべてを悟って片づけや明日の準備に集中する。
橋谷はレンに言う。今夜は食事をしに来たのではない。
「レン、申し訳ないんだけど、一晩、泊まらせてやってくれないか。恭介、寮出たら家なくて。明日迎えに来るから」
「いいですよ。橋谷さんの頼みなら」
と、レンは快諾する。橋谷には世話になっている。わけありで困っているのならば力になりたい。
ひとしきり泣いたあと、やっと落ち着いた恭介は、どちらともなく訊ねた。
「お知り合い、なんですか」
レンが答える。
「俺も橋谷さんの元部下なんですよ」
「……そして加賀見の被害者でもある」
と橋谷が補足する。恭介は驚いて目を見開いた。レンは慌てて片手を振る。誤解だ。
「未遂……未遂です……!」
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