わたしの婚約者の好きな人

風見ゆうみ

文字の大きさ
5 / 45

しおりを挟む
 薬で眠らされたのか、それともショックで気絶しただけなのか、気が付くと、自分のベッドの上に寝かされていて、部屋に明かりがついているのがわかった。
 
 時計を見ると、今は夜中で、使用人の多くは寝ている時間だった。

 身体をゆっくりと起こすと、着ていたはずの学生服ではなく、寝間着に着替えさせてもらっていた。

 頭がクラクラして、また、ベッドに倒れ込む。

 ビトイの気持ちはわかっていたはずなのに、あそこまでとは思っていなかった。

 そして、お姉様のあの笑み。

(わたしがいるとわかったから受け入れたのね…? でも、お姉様は馬鹿ね…。わたしに意地悪したかったのかもしれないけれど、あれだけ証人がいれば、自分だって非があると言われるでしょうし、お義兄様にだって何を言われるかわからないのに…。それとも、お義兄様は、浮気も気にならないくらいに、お姉様が好きなの?)

 部屋には誰もいない事もあり、あのシーンを思い出して、涙が溢れてきた。

 今まで、何度も婚約の解消を考えた事はある。

 でも、お姉様を忘れてくれるんじゃないかという甘い期待があったから、婚約を解消しなかった。

(甘い、本当に甘い考えだった…)

 涙が目元から耳に向かって流れていく。
 
 嗚咽が止まらなくなってきたところで、一時だけ部屋を離れていたらしい、メイドが部屋に入ってきた。

 一緒に、あのシーンを目撃した40代のメイドで、名はスーザンという。

 スーザンはダークブラウンの髪をシニヨンにした、背の高い痩せ気味の女性で、背筋をいつもピンと伸ばしているせいか、一見気難しそうなメイドに見えるけれど、性格はとても優しい。

「アザレアお嬢様、目を覚まされたのですね…。何かお飲みになりますか? 食欲があるようでしたら…」
「ありがとう。お水だけもらえる?」

 涙を服の袖で拭いてから、身を起こし笑顔を作って言うと、スーザンは悲しそうな笑みを浮かべて頷く。

「かしこまりました。お水でしたら、すぐにご用意できます」
 
 そう言って、コップに水を入れて持ってきてくれた。

「ありがとう…。それから、迷惑をかけてごめんね」
「何を言っていらっしゃるんですか。お嬢様は悪くありません。悪いのはビトイ様と…」

 お姉様の名前を口にしようとして、やめたみたいだった。

 スーザンは頭を下げてから続ける。

「辛い出来事を思い出させてしまう様な話をしてしまい、申し訳ございません」
「謝らないで。どんなに好きでも、どうしようもない事があるんだって事がわかったわ」

 なんて、自分で言ったくせに、涙が溢れてきた。

「アザレアお嬢様…」
 
 他のメイドやフットマンも部屋に入ってきたところだったので、私の涙を見た、他のメイド達までもが目を潤ませた。

「ごめんね。泣いたりして。それより、お姉様は何か言ってるの?」
「……」

 涙を拭ってから聞くと、スーザン達は困ったように顔を見合わせた。

(お姉様は自分のした事を悪いと思っていないのね…。わかっていた事だけど…)

「気にしないから話をしてくれる? どうせ、いつかは知る事だわ」
「その話は僕からしよう」

 そう言って、中に入ってきたのはお父様だった。

 肩まである黒髪を1つにまとめていて、部屋の入り口で心配げに私を見つめていた。
 お母様も遅れて部屋に入ってきて、ベッドの脇までやって来ると、わたしの手を握って涙を流す。

「可哀想に。辛かったわね…」

 お母様もお父様も、ラフな服装ではあるけれど、寝間着ではなかった。

 自分達の部屋でわたしが目を覚ますのを待っていてくれたみたいだった。

「マーニャは自分は何もしていないと言うんだ。でも、スーザンや騎士達がマーニャ達がした事を目撃しているし、ビトイも事実だと認めた。だから、マーニャは反省していないとみなし、家から追い出した。今は彼女には帰る家があるからな。それから、夫のキトロフ伯爵にも連絡を入れた。マーニャをどうするかは、彼に任せる。離縁されても、ビトイが面倒を見るだろう」

 お父様の言葉に胸がずきりと痛んだ。

(あんな場面を見たのに、まだ胸が痛むなんて…)

 お父様はわたしの頭を優しく撫でてくれてから続ける。

「ビトイの家には婚約破棄を申し出た。もちろん、ビトイの有責でだ。ビトイの両親は床に額をつけて謝ってくれたが、許す許さないを決めるのはアザレアだと伝えてある。キトロフ伯爵からも慰謝料請求がいくだろう。本当ならばこちらもしたいくらいだが、相手がマーニャだし、彼女も受け入れていたというのがネックだ。それに関しては、キトロフ伯爵と話す。色々と話したが、簡潔に言うと、もう、ビトイの事は忘れなさい。これ以上、アザレアの悲しむ姿は見たくない」

 お父様の鳶色の瞳が揺れていて、わたしの事を本当に心配してくれているのだと感じた。

 お母様がわたしの手を握り直して、祈るように見つめてきた。

(わたしも覚悟を決めなくちゃ)

 まだ、彼の事を少しも忘れられていないのは確かだけれど、きっと彼は、お姉様を忘れないし、お姉様が離婚すれば、きっと一緒になろうとするはず。

 会わなくなれば、少しずつかもしれないけれど忘れていけると、自分に言い聞かせた。

 それなのにビトイは、わたしと別れたくないと言い出したのだった。

しおりを挟む
感想 178

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

あなただけが私を信じてくれたから

樹里
恋愛
王太子殿下の婚約者であるアリシア・トラヴィス侯爵令嬢は、茶会において王女殺害を企てたとして冤罪で投獄される。それは王太子殿下と恋仲であるアリシアの妹が彼女を排除するために計画した犯行だと思われた。 一方、自分を信じてくれるシメオン・バーナード卿の調査の甲斐もなく、アリシアは結局そのまま断罪されてしまう。 しかし彼女が次に目を覚ますと、茶会の日に戻っていた。その日を境に、冤罪をかけられ、断罪されるたびに茶会前に回帰するようになってしまった。 処刑を免れようとそのたびに違った行動を起こしてきたアリシアが、最後に下した決断は。

【完結】王妃を廃した、その後は……

かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。 地位や名誉……権力でさえ。 否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。 望んだものは、ただ一つ。 ――あの人からの愛。 ただ、それだけだったというのに……。 「ラウラ! お前を廃妃とする!」 国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。 隣には妹のパウラ。 お腹には子どもが居ると言う。 何一つ持たず王城から追い出された私は…… 静かな海へと身を沈める。 唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは…… そしてパウラは…… 最期に笑うのは……? それとも……救いは誰の手にもないのか *************************** こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他

猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。 大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。

【完結】旦那様、その真実の愛とお幸せに

おのまとぺ
恋愛
「真実の愛を見つけてしまった。申し訳ないが、君とは離縁したい」 結婚三年目の祝いの席で、遅れて現れた夫アントンが放った第一声。レミリアは驚きつつも笑顔を作って夫を見上げる。 「承知いたしました、旦那様。その恋全力で応援します」 「え?」 驚愕するアントンをそのままに、レミリアは宣言通りに片想いのサポートのような真似を始める。呆然とする者、訝しむ者に見守られ、迫りつつある別れの日を二人はどういった形で迎えるのか。 ◇真実の愛に目覚めた夫を支える妻の話 ◇元サヤではありません ◇全56話完結予定

私達、婚約破棄しましょう

アリス
恋愛
余命宣告を受けたエニシダは最後は自由に生きようと婚約破棄をすることを決意する。 婚約者には愛する人がいる。 彼女との幸せを願い、エニシダは残りの人生は旅をしようと家を出る。 婚約者からも家族からも愛されない彼女は最後くらい好きに生きたかった。 だが、なぜか婚約者は彼女を追いかけ……

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」 その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。 「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

婚約解消の理由はあなた

彩柚月
恋愛
王女のレセプタントのオリヴィア。結婚の約束をしていた相手から解消の申し出を受けた理由は、王弟の息子に気に入られているから。 私の人生を壊したのはあなた。 許されると思わないでください。 全18話です。 最後まで書き終わって投稿予約済みです。

処理中です...