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11. 陽、選ぶ
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◇
「うーん、やっぱりちょっとやわらかすぎますかね」
あごに手をあてて吟味する目は、まるで食材の仕入れをするシェフのように厳しい。ここが寝具売り場でなく、見ているものが大きなベッドじゃなければ、さらに様になっていたと思う。
「ちょっとそこ寝てみてください」
水岡が振り返る。
野球でもできそうなだだっ広いワンフロアにずらりと並ぶ寝具。目の前には、キングサイズの真っ白なベッド。三歩離れた場所からあたたかく見守る店員の視線。いまこの場で気絶できたらいいのに、と少しだけ思う。
ベッドって折れるんだと、三十年近く生きてきて初めて知った。
ここ最近、急に冷え込んだせいか、いつも通りに寝転がったらバキッと逝った。ドタバタもぎしぎしもしてないのに折れた。
V字にくぼんだ元ベッドの谷底で放心しながらつい、『ベッド折れた』とラインして、そのまま寝て気づいたら朝で、水岡から『買いに行くならつき合います』と返事が来ていた。
「どうですか?」
びかびか焚かれた蛍光灯をバックに、水岡がのぞき込んでくる。
いつも耳に掛けている、やわらかそうな髪が一束落ちる。
いや、べつに、だからって、どうもこうもないけど。
「落ち着かない」
「そうですか。週の半分はデスクワークって言ってましたし、腰にくるのかな。やっぱり高反発のほうがよさそうですね」
いや、こんな衆人環視のなかで寝て落ち着けるほうがおかしい。
「本当にこだわりないんですか?」
「こだわりって?」
「メーカーとか、硬さとか」
「それなりにでかくて値段が高すぎなければなんでも」
「わかりました」
あまりにも雑なオーダーに、水岡は文句も言わずすっとベッド売り場を睥睨する。口元はきゅっと引き締まり、落ち葉の下に隠れるネズミすら見逃さん、というような目つきなのに、楽しそうに見えるのは思い込みだろうか。
だから陽は、ずっとそばに控えている店員が、どう見ても陽たちをゲイカップルの買い物だと思っているらしいことも、今にもおめでとうございますと言い出しそうな微笑ましい視線も気にならなかった。あれこれ吟味する水岡も、その相談に真剣に答える店員も楽しそうだし、人間、楽しいのが一番だし。
「そちら、オーガニックコットンのカバーもセットになっておりまして、大変ご好評いただいております」
「ああ、たしかに。手触りいいですね」
「そうなんです。埃が出にくい加工もしてあって――」
店員の説明を熱心に聞きながら、水岡の手がシーツのうえをすべる。短く爪の切りそろえられた指先をつい見つめてしまった。言われてみれば、動画に登場する指先と同じかもしれない。
一度気になってしまうと、水岡はシーツやマクラといった寝具ばかりでなく、ナイトテーブルやベッドのフレーム、そのあたりに置いてあるクッションから電気スタンドから、あらゆる手の届くものをさりげなく触っていた。小学校からの帰り道に、生えてる雑草を手当たり次第抜いていく、あの無邪気さに近い。
つい、「手触り確認するの、癖なんですか?」と陽は聞いた。ちょうど抱き枕を揉んでいた水岡は、すこし気まずそうな顔をして手を放す。
「癖ですね。寝てるときって、感触とか肌触りとかすごく気になるので、つい」
「ああ、なるほど」
「夜起きて、ぱっと手を伸ばしたさきに硬い物とか冷たいものがあるの、嫌いなんです。だから手触りが気になって」
「見た目よりも?」
「暗いところじゃ、見た目も何もないですし」
言葉だけ切り取ったらなかなか際どいセリフを吐かれてちょっと動揺した。
いやいや、ただの寝具の話、だよな?
クリーム色のシーツをなでる指先は、つめたそうなのに熱っぽくみえて、スリットの間からみえる肌のようになんだか見ていて後ろめたい。陽は慌てて言葉を探した。
「たしかに、睡眠改善のグッズで見た目に訴えるものってないかも」
アロマだったり、寝具だったり、音楽だったり。「光の量を調節する機械はありますけど」と水岡は前置きながら、流氷みたいにずらりと並ぶベッドの間を歩いていく。
「基本的には、視覚以外の五感に訴えるものが多いですね。聴覚、触覚、嗅覚」
「味覚は? あ、ホットミルクとか?」
「よく言われますけど、じつは賛否両論あるみたいです。一番のおすすめはハーブティーですね」
「ハーブティーかあ」
何回か飲む機会はあったけれど、独特の香りが合わなくて苦手だ。子どもっぽいことは重々承知で、陽はつぶやく。
「虫歯にならない甘い飲み物でも開発されないかな。よく寝れそう」
「甘い物の食べ過ぎは、血糖値が上がってよくないです」
「そうなの?」
「何事も多すぎはダメってことです」
「知らなかった。なんかごめん。水ようかん」
手土産といったら甘い物。まあ、苦手でも水ようかんならいけるだろ、とふわっとした考えで選んでしまった。水岡は「食べ過ぎは、と言ったでしょう」と振り返った。
「食後に食べるくらいなら問題ありませんし、そもそも」
「そもそも?」
「……甘いものは、嫌いではないので」
口がすべった、というように視線を斜め上に泳がせながら、口元をおさえる仕草をうっかりかわいいと思ってしまった。これがギャップってやつか。
「ならよかった」
「うーん、やっぱりちょっとやわらかすぎますかね」
あごに手をあてて吟味する目は、まるで食材の仕入れをするシェフのように厳しい。ここが寝具売り場でなく、見ているものが大きなベッドじゃなければ、さらに様になっていたと思う。
「ちょっとそこ寝てみてください」
水岡が振り返る。
野球でもできそうなだだっ広いワンフロアにずらりと並ぶ寝具。目の前には、キングサイズの真っ白なベッド。三歩離れた場所からあたたかく見守る店員の視線。いまこの場で気絶できたらいいのに、と少しだけ思う。
ベッドって折れるんだと、三十年近く生きてきて初めて知った。
ここ最近、急に冷え込んだせいか、いつも通りに寝転がったらバキッと逝った。ドタバタもぎしぎしもしてないのに折れた。
V字にくぼんだ元ベッドの谷底で放心しながらつい、『ベッド折れた』とラインして、そのまま寝て気づいたら朝で、水岡から『買いに行くならつき合います』と返事が来ていた。
「どうですか?」
びかびか焚かれた蛍光灯をバックに、水岡がのぞき込んでくる。
いつも耳に掛けている、やわらかそうな髪が一束落ちる。
いや、べつに、だからって、どうもこうもないけど。
「落ち着かない」
「そうですか。週の半分はデスクワークって言ってましたし、腰にくるのかな。やっぱり高反発のほうがよさそうですね」
いや、こんな衆人環視のなかで寝て落ち着けるほうがおかしい。
「本当にこだわりないんですか?」
「こだわりって?」
「メーカーとか、硬さとか」
「それなりにでかくて値段が高すぎなければなんでも」
「わかりました」
あまりにも雑なオーダーに、水岡は文句も言わずすっとベッド売り場を睥睨する。口元はきゅっと引き締まり、落ち葉の下に隠れるネズミすら見逃さん、というような目つきなのに、楽しそうに見えるのは思い込みだろうか。
だから陽は、ずっとそばに控えている店員が、どう見ても陽たちをゲイカップルの買い物だと思っているらしいことも、今にもおめでとうございますと言い出しそうな微笑ましい視線も気にならなかった。あれこれ吟味する水岡も、その相談に真剣に答える店員も楽しそうだし、人間、楽しいのが一番だし。
「そちら、オーガニックコットンのカバーもセットになっておりまして、大変ご好評いただいております」
「ああ、たしかに。手触りいいですね」
「そうなんです。埃が出にくい加工もしてあって――」
店員の説明を熱心に聞きながら、水岡の手がシーツのうえをすべる。短く爪の切りそろえられた指先をつい見つめてしまった。言われてみれば、動画に登場する指先と同じかもしれない。
一度気になってしまうと、水岡はシーツやマクラといった寝具ばかりでなく、ナイトテーブルやベッドのフレーム、そのあたりに置いてあるクッションから電気スタンドから、あらゆる手の届くものをさりげなく触っていた。小学校からの帰り道に、生えてる雑草を手当たり次第抜いていく、あの無邪気さに近い。
つい、「手触り確認するの、癖なんですか?」と陽は聞いた。ちょうど抱き枕を揉んでいた水岡は、すこし気まずそうな顔をして手を放す。
「癖ですね。寝てるときって、感触とか肌触りとかすごく気になるので、つい」
「ああ、なるほど」
「夜起きて、ぱっと手を伸ばしたさきに硬い物とか冷たいものがあるの、嫌いなんです。だから手触りが気になって」
「見た目よりも?」
「暗いところじゃ、見た目も何もないですし」
言葉だけ切り取ったらなかなか際どいセリフを吐かれてちょっと動揺した。
いやいや、ただの寝具の話、だよな?
クリーム色のシーツをなでる指先は、つめたそうなのに熱っぽくみえて、スリットの間からみえる肌のようになんだか見ていて後ろめたい。陽は慌てて言葉を探した。
「たしかに、睡眠改善のグッズで見た目に訴えるものってないかも」
アロマだったり、寝具だったり、音楽だったり。「光の量を調節する機械はありますけど」と水岡は前置きながら、流氷みたいにずらりと並ぶベッドの間を歩いていく。
「基本的には、視覚以外の五感に訴えるものが多いですね。聴覚、触覚、嗅覚」
「味覚は? あ、ホットミルクとか?」
「よく言われますけど、じつは賛否両論あるみたいです。一番のおすすめはハーブティーですね」
「ハーブティーかあ」
何回か飲む機会はあったけれど、独特の香りが合わなくて苦手だ。子どもっぽいことは重々承知で、陽はつぶやく。
「虫歯にならない甘い飲み物でも開発されないかな。よく寝れそう」
「甘い物の食べ過ぎは、血糖値が上がってよくないです」
「そうなの?」
「何事も多すぎはダメってことです」
「知らなかった。なんかごめん。水ようかん」
手土産といったら甘い物。まあ、苦手でも水ようかんならいけるだろ、とふわっとした考えで選んでしまった。水岡は「食べ過ぎは、と言ったでしょう」と振り返った。
「食後に食べるくらいなら問題ありませんし、そもそも」
「そもそも?」
「……甘いものは、嫌いではないので」
口がすべった、というように視線を斜め上に泳がせながら、口元をおさえる仕草をうっかりかわいいと思ってしまった。これがギャップってやつか。
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