眠たい眠たい、眠たい夜は

nwn

文字の大きさ
15 / 38

15. 陽、打ち明ける

しおりを挟む
 バカにされてんのかな、と思った。それから、ああこういうことか、と唐突に理解した。
 須永があれほど取り乱した理由。陽がいま、ひんやりとしたアルミ板みたいに、するどく反発したくなった理由。

 水岡は鏡だ。どこまでもフラットに、こちらの後ろめたさや触れてほしくない部分を映し出す。それが、本人の思いと関係なく、相手に責められているという錯覚を抱かせるのだ。

 そう、錯覚だ。

 だって、彼の口調はベッドの寝心地を訊ねたときとまったく変わっていない。棘を感じるのは、どこかに後ろ暗い思いがあるからだ。好きでも向いてもいない仕事のために、エナジードリンクを飲んだり整体に通ったりするとき、たまにむしょうにバカバカしくなるときは確かにある。

「そうですね」

 深呼吸して、陽は答えた。

「好きじゃないけど、任された仕事はちゃんとこなしたくって、自分なりにがんばりたい。たとえそれが単なる自己満足だって。そのために体調を万全にしたくって、だから眠りをコントロールしたい。それは、変なことですか?」

 黙って水のグラスをつかむ水岡の、結露にぬれる指先を見ていた。ガラスを通り抜けてきた青みがかった光が、ゆらゆらと影をおとす。

 あーあ、と思った。

 ベッドを探して、選んで、買って、そこまでは楽しかったのに。なんでこんなことになったんだっけ。水岡の申し出を受けたことを、今さらながら後悔する。だってこれから夜寝るたびに、この日のことを思いだすだろうから。
 皿の上にはまだ半分くらい豆腐が残っていたけれど、なんだかもういいやと思って、陽は財布を取り出そうとした。バッグをつかんだとき、水岡がレンゲを手に取る。

「一番最初に打ち合わせしたとき、『眠れない人を責めない動画』って言ってくれたでしょう」

 動きを止めた。水岡は気にした様子もなく、たっぷりすくった赤い液体を見つめると、ぎゅっと目をつぶってから口にいれ、間髪おかず白米をかき込み、飲み込む。

「あのときは正直よくわからなかったけど、あとから、そうかもなって思って」
「え?」
「あまり、深刻にならずにきいてほしいんですけど」

 立ち上がるタイミングを逃して、中途半端に座った陽を無視したまま、水岡は手を止めずに話し続ける。

「うちの両親は二人とも仕事人間で、おれが中一のとき、父親は過労で死にました。母はそれがこたえたみたいで、父の死後から不眠症になって、五年後にやっぱり過労で死にました。幸い、おれはもう大学生で、だから別に困りはしなかったんですけど」

 真っ赤なソースをまとった豆腐の欠片が、大きな口にのみ込まれていく。
 知らなかった。
 若いくせに平屋の一軒家にひとりで住んでいて、いつもしゃんとした服を着ていたから、なんとなく、不自由ない家庭で不足なく生きてきたんだろうな、と勝手に想像していた。死とか病とか不幸とか、そういうものに縁遠い人生だと。
 ひとつのヒビも欠けもない人生なんて、あるわけないと知っているのに。

「その件が、いまのこの仕事に影響してないって言ったらウソです。やっぱり、おれは両親に無理しない程度に眠ってほしかったし、けど、眠れないことに罪悪感を抱いてもほしくもなかった。そういう思いがもしかしたらにじみ出てたのかもしれません」

 うれしかったですよ、と水岡は言った。

「ちゃんとおれの動画、見てくれたんだなって。エナジードリンクの缶、見切れてたし、普段は絶対におれの動画とか見るタイプじゃないんだろうに、打ち合わせのためにわざわざ。でも、そのせいで寝不足ってのは、正直微妙でしたけどね」

 全部バレてる。

「仕事相手のことを調べるのは、俺みたいな仕事なら当然のことです」
「そうかな。少なくともこれまでは、全部見てきた人なんていなかったけど」

 ちらばったひき肉を丁寧にかき集めながら、水岡はかすかに口端をあげた。

「別に、普通のことだろうかそうでなかろうが、なんでもいいんです。ただ、あの日のあなたの仕事が、おれはうれしかった。やってきてよかったって思った。それだけです」

 その言葉は、思いがけず深く水を吸う地面みたいに、一瞬で陽の内側に染み入った。入ってきた感情に押されるように、目の奥からあふれそうになるものがあって焦る。
 弱りすぎだろう、俺。
 同時にふと湧き上がってきた疑問があった。

「あの、ここに誘ってくれたのって、もしかして気を遣ってくれたんですか?」

 一粒残らず米を食べ終えて、両手を合わせた水岡の目が細くなる。

「逆になんだと思ってたんですか?」
「え? いや、お腹空いたのかなって」
「それなら一人で食べに来ます」

 そりゃそうだ。至極常識的なことを言われて、思わず声を上げて笑った。
 だっておかしい。
 いくら水岡が変人だからって、気を遣ったという発想がなかった自分にも、他人に無関心のようでいて、黙って行きずりの相手をかばった水岡のやさしさも。

「水岡さんって、俺が思っていた百倍やさしいのかもしれない」
「すごく心外です」
「あはは」

 中途半端に残った皿を見つめた。ふれるだけでやけどしそうなタレと、そのなかでも白さを失わないやわらかい豆腐。絶妙な二面性がどこかの誰かみたいだ、と思うのは影響され過ぎだろうか。

「俺は、仕事ができるみたいです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。 最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡) 世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。

【完結】兄さん、✕✕✕✕✕✕✕✕

亜依流.@.@
BL
「兄さん、会いたかった」 夏樹にとって、義弟の蓮は不気味だった。 6年間の空白を経て再開する2人。突如始まった同棲性活と共に、夏樹の「いつも通り」は狂い始め·····。 過去の回想と現在を行き来します。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

薔薇摘む人

Kokonuca.
BL
おじさんに引き取られた男の子のお話。全部で短編三部作になります

【完結】取り柄は顔が良い事だけです

pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。 そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。 そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて? ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ! BLです。 性的表現有り。 伊吹視点のお話になります。 題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。 表紙は伊吹です。

経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!

中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。 無表情・無駄のない所作・隙のない資料―― 完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。 けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。 イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。 毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、 凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。 「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」 戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。 けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、 どこか“計算”を感じ始めていて……? 狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ 業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

処理中です...