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10. 令嬢の憂鬱 ①
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着替えてリビングに行くと、榛瑠がハーブティをいれてくれた。
温かいそれをゆっくりと飲む。少し、心が落ち着く。
落ち着くと、色々考えることも出てくる。
「なんでこんなことになったのかなあ」
私の呟きが聞こえたはずなのに、榛瑠は本を片手にソファに座ったまま何も言わない。
尾崎さんは何を思っていたのだろう。本人に聞きたいとは思わない。でも、どこでどう違ってしまったのか。と、あることを思い出す。
「あ、彼、このマンションに榛瑠が住んでること知ってたよ!私も住んでると思ってるみたいだったけど」
「まあ、別に私自身のことは隠してないので」
榛瑠が答えた。言われてみればそうよね。
「でも、私もう、ここに来ない方がいいのかなあ」
「お好きに」
本から目を離しもせず言う。わかってるけど、寂しくなる。
言葉が続かなくてそのまま黙ってしまった。窓を閉め切ったままの高層階の部屋は外の音があまり届かなくて、ひどく静かな気がした。光ばかりが眩しい。
……ああ、そういえば、肝心なこと忘れてた。
「あの、榛瑠?」
「はい」
「助けに来てくれてどうもありがとう」
まず、言わなくちゃいけなかった。
「仕事の一環みたいなものなので、それ自体はお気になさらず」
「そっか」
そっか、仕事か、そうだよね。……わかっているのにね、なんでいちいち私の胸は痛むのだろう。
パタン、と本を閉じる音がした。
「とはいえ、今現在あなたの面倒を見ても私はなんの報酬もないんですが。以前と違って」
「え、前は何かあったの?」
「衣食住の面倒を見てもらってましたから」
「ああ……」
そんなこと……、そんなふうに思っていたのか。
「ですから、あなたに直接報酬を支払ってもらうのもいいかもしれないと思いまして」
「……はい?」
「ですから、報酬。わかりやすく言うと、助けたご褒美」
ご褒美って……そりゃ、感謝はしてるけど、何を?!悪い予感しかしない。
「あの、私のお小遣いの範囲でぜひ……」
「ありがたいことに、お金にも物にも困っておりませんので」
そうでしょうとも。
「さて、どうしましょうか、何がいいかな」
「いや、それ、どっちかというと私が考えるものじゃないの?っていうか、そもそも報酬取るの?」
「人がただで自分に何かしてくれるのを当然と思ってます?」
「え、いや、あの……」
そうだけども……善意というものはないわけかしら。でも確かに、榛瑠に頼りすぎてはいるなあ、と思う。
「わかったわ、なにがいい?」
「どうしましょうか、お嬢様」
榛瑠がソファに座ったままこちらを見る。顔が何か無駄に楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「そうだな、じゃあ、ご褒美にキスでもしてもらおうかな」
………。
「はあ?何言って!」
思わず叫んでしまった私の言葉を無視して榛瑠は続けた。
「欲しいものもないし、特になんの準備もいらないし、よくないですか?」
準備ある!心の!
「レディはそれくらいさらっとできないとね」
なんの話?聞いたこともないわ、そんなの!
「何それ、一択?」
榛瑠はにっこり笑う。
絶対、ただ単に楽しんでる。性格悪っ。悪魔っ。
「断ったらどうなるの?」
「別にどうにもなりませんよ?ただ、まあ、今日はまだまだこれからだし、明日は所用がありますが、月曜日からはまた会社でお会いしますしね」
断るなってことじゃないのよ!断ったら別のろくでもない何かを考え出すだけでしょ、それって。
榛瑠が自分の方に手招きする。しょうがないので、のろのろと近づく。
「……頬にキスでもいい?」
「ダメ」
もう、本当に泣くからね、そのうち。
私は榛瑠の前に立って彼を見下ろした。茶色がかった目が見返す。恥ずかしくって直視できない。
「せめて、目をつぶって下さい」
はい、と、榛瑠が目を閉じる。だからといって恥ずかしさが消えるわけではなく。
ううっ、なんか無駄に相変わらず綺麗で嫌。相変わらずまつげ長いし。肌白くて綺麗だし。髪なんてフワサラだし。
金色っぽいのに、中心の方は茶色なんだよねえ、榛瑠の髪って。ていうか、あれ?
「お嬢様?」
榛瑠が目を開ける。
「榛瑠ピアスしてる。初めて見た。っていうか、ネックレスもしてる。なんで?」
はっきり言って、チャラい。でも、似合う。
「ああ、昨夜のままなので。休日ですし」
「ねえ、指輪もしてなかった?」うっすらと記憶にある。かっこよくて可愛いやつ。「見たい、見せて」
「嫌です。今必要ないし」
ケチ。サービス精神が足りないのよね、と心の中で思う。口にしたところでどうせ相手にされないし。
「それより、さっさとして下さい。それとも焦らしているんですか?」
うっ、さりげなく誤魔化そうと思ってたのに。
「なんで、こんなこと?キスなんて……」
あなたには大したことなくても、私には……。
「なんでって、したいから?あと、面白いから」
もう、完全にからかっているだけじゃない!
「私、仕事モードの時のあなたの方が好きだわ」
「そうですか?それならそちらにします?ちょうど来週大口の発注がある予定ですし、仕事あれこれ回しましょうか?上司の権限で」
「えっ」
今でも色々滞り気味なのに、これ以上増やされたら……。ていうか、もうそれ、ご褒美でもなんでもなくただの嫌がらせじゃない。
「パワハラ反対、あと、セクハラも」
「同意します。人を夜更けに呼び寄せるようなこととか、無理やり風呂入れさせるとかね」
……言われてみれば、そうだわ。いや、でも。えーと。
「ああ、もう!いいから、目をつぶってよ!」
はいはい、と笑うと、榛瑠は目をつぶった。もう、さっさと済ませてやる。
温かいそれをゆっくりと飲む。少し、心が落ち着く。
落ち着くと、色々考えることも出てくる。
「なんでこんなことになったのかなあ」
私の呟きが聞こえたはずなのに、榛瑠は本を片手にソファに座ったまま何も言わない。
尾崎さんは何を思っていたのだろう。本人に聞きたいとは思わない。でも、どこでどう違ってしまったのか。と、あることを思い出す。
「あ、彼、このマンションに榛瑠が住んでること知ってたよ!私も住んでると思ってるみたいだったけど」
「まあ、別に私自身のことは隠してないので」
榛瑠が答えた。言われてみればそうよね。
「でも、私もう、ここに来ない方がいいのかなあ」
「お好きに」
本から目を離しもせず言う。わかってるけど、寂しくなる。
言葉が続かなくてそのまま黙ってしまった。窓を閉め切ったままの高層階の部屋は外の音があまり届かなくて、ひどく静かな気がした。光ばかりが眩しい。
……ああ、そういえば、肝心なこと忘れてた。
「あの、榛瑠?」
「はい」
「助けに来てくれてどうもありがとう」
まず、言わなくちゃいけなかった。
「仕事の一環みたいなものなので、それ自体はお気になさらず」
「そっか」
そっか、仕事か、そうだよね。……わかっているのにね、なんでいちいち私の胸は痛むのだろう。
パタン、と本を閉じる音がした。
「とはいえ、今現在あなたの面倒を見ても私はなんの報酬もないんですが。以前と違って」
「え、前は何かあったの?」
「衣食住の面倒を見てもらってましたから」
「ああ……」
そんなこと……、そんなふうに思っていたのか。
「ですから、あなたに直接報酬を支払ってもらうのもいいかもしれないと思いまして」
「……はい?」
「ですから、報酬。わかりやすく言うと、助けたご褒美」
ご褒美って……そりゃ、感謝はしてるけど、何を?!悪い予感しかしない。
「あの、私のお小遣いの範囲でぜひ……」
「ありがたいことに、お金にも物にも困っておりませんので」
そうでしょうとも。
「さて、どうしましょうか、何がいいかな」
「いや、それ、どっちかというと私が考えるものじゃないの?っていうか、そもそも報酬取るの?」
「人がただで自分に何かしてくれるのを当然と思ってます?」
「え、いや、あの……」
そうだけども……善意というものはないわけかしら。でも確かに、榛瑠に頼りすぎてはいるなあ、と思う。
「わかったわ、なにがいい?」
「どうしましょうか、お嬢様」
榛瑠がソファに座ったままこちらを見る。顔が何か無駄に楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「そうだな、じゃあ、ご褒美にキスでもしてもらおうかな」
………。
「はあ?何言って!」
思わず叫んでしまった私の言葉を無視して榛瑠は続けた。
「欲しいものもないし、特になんの準備もいらないし、よくないですか?」
準備ある!心の!
「レディはそれくらいさらっとできないとね」
なんの話?聞いたこともないわ、そんなの!
「何それ、一択?」
榛瑠はにっこり笑う。
絶対、ただ単に楽しんでる。性格悪っ。悪魔っ。
「断ったらどうなるの?」
「別にどうにもなりませんよ?ただ、まあ、今日はまだまだこれからだし、明日は所用がありますが、月曜日からはまた会社でお会いしますしね」
断るなってことじゃないのよ!断ったら別のろくでもない何かを考え出すだけでしょ、それって。
榛瑠が自分の方に手招きする。しょうがないので、のろのろと近づく。
「……頬にキスでもいい?」
「ダメ」
もう、本当に泣くからね、そのうち。
私は榛瑠の前に立って彼を見下ろした。茶色がかった目が見返す。恥ずかしくって直視できない。
「せめて、目をつぶって下さい」
はい、と、榛瑠が目を閉じる。だからといって恥ずかしさが消えるわけではなく。
ううっ、なんか無駄に相変わらず綺麗で嫌。相変わらずまつげ長いし。肌白くて綺麗だし。髪なんてフワサラだし。
金色っぽいのに、中心の方は茶色なんだよねえ、榛瑠の髪って。ていうか、あれ?
「お嬢様?」
榛瑠が目を開ける。
「榛瑠ピアスしてる。初めて見た。っていうか、ネックレスもしてる。なんで?」
はっきり言って、チャラい。でも、似合う。
「ああ、昨夜のままなので。休日ですし」
「ねえ、指輪もしてなかった?」うっすらと記憶にある。かっこよくて可愛いやつ。「見たい、見せて」
「嫌です。今必要ないし」
ケチ。サービス精神が足りないのよね、と心の中で思う。口にしたところでどうせ相手にされないし。
「それより、さっさとして下さい。それとも焦らしているんですか?」
うっ、さりげなく誤魔化そうと思ってたのに。
「なんで、こんなこと?キスなんて……」
あなたには大したことなくても、私には……。
「なんでって、したいから?あと、面白いから」
もう、完全にからかっているだけじゃない!
「私、仕事モードの時のあなたの方が好きだわ」
「そうですか?それならそちらにします?ちょうど来週大口の発注がある予定ですし、仕事あれこれ回しましょうか?上司の権限で」
「えっ」
今でも色々滞り気味なのに、これ以上増やされたら……。ていうか、もうそれ、ご褒美でもなんでもなくただの嫌がらせじゃない。
「パワハラ反対、あと、セクハラも」
「同意します。人を夜更けに呼び寄せるようなこととか、無理やり風呂入れさせるとかね」
……言われてみれば、そうだわ。いや、でも。えーと。
「ああ、もう!いいから、目をつぶってよ!」
はいはい、と笑うと、榛瑠は目をつぶった。もう、さっさと済ませてやる。
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