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腐女子が覗いた妄想

デート中も腐女子

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 私とオラついた眼鏡秘書アンソニーとの初デート。
 自分の意思で外出するのは今世で初めてのこの良き日和。私は彼の実家があるシーステア領へと足を踏み入れた。馬車だけど。

 馬車で揺られること数時間。たかが数時間。されど数時間。

 引きこもり体力なしな私のために用意されたエレガントなクッション背当てと、ふわふわ巨大スライムぬいぐるみを抱きかかえながら、座面に俯せ寝の私。

 向かいの席ではアンソニーが書類仕事を片付けている。
 馬車の中にまで仕事を持ち込むなんて…………忙しいんだね。悪かったかな。遠出になんか誘ってしまって……。

 しかし私の婚約者は格好良いな。真剣にお仕事してる姿なんて初めて見たわ。

 いつも秘書じゃん。いつもお兄様と執務室でムフフもとい、お仕事でしょ。
 私の前でデスクワークするの初めてだよね。あ、もしかして秘書じゃなくて、領地の仕事の方かな? なんだっけマベラスティン公が兄だって言ってたな。兄の仕事を手伝ってるとかだろうか?

 あれからお兄様に聞いて知ったけどマベラスティン公って公爵なんだよ。いやそれくらい気づけ知っとけ分かれよ自分と自己つっこみしちゃったからな。

 公爵ってーと王家の分家ってやつだ。現王子と、はとことか又従兄弟とかなんかそんな関係だ。王家の親戚筋ね。

 王家って美形の塊なのかしらん。アンソニーの顔見てると凄く整っているんだよね。目と鼻と口とが黄金比ってやつ。
 漫画のキャラ描く時にバランスよく描こうと顔に十字の等分線入れるのだけど、神様も彼を作る時に等分線入れたんじゃないかってくらい整ってますわ。

 あ、この世界には神様いるよ。ユオトレ教とレリィミウ教っていう二大宗教があって、どっちかというとユオトレ神を崇める人の方が多い。ユオトレ神は神聖魔法を授けてくれやすい神様だから人気高いんだって。と、無神論者が説明してみる。

 ええ私自身、特に何も信仰してません。伯爵家はユオトレ教を信仰してるけど、私は引きこもり。宗教行事に関わったことなど皆無だ。洗礼ぐらいかな関わったの。洗礼しないと個人スキル発現しないからねえ。意思のない赤ん坊の頃の話だからノーカンでお願いします。
 それ以外だと本当に無宗教だ。何も信じてないぞ私。

 多分、この世界に生まれ変わらせてくれたのは神様だろうに、感謝するどころか信じてないのは……いけないことでしょうか。
 いやだって、見たことも会ったこともない神様を信望しろってのも無理でしょ。
 神様が存在してるのは知ってるよ。現に洗礼の神様パワーで個人スキルを授かってるわけだしね。普通はそれで神様の存在を信じるみたい。私は信じてない。それだけの話。

 そんな風に取り留めないことをぼーと考えてたら「マリちゃん」と名前を呼ばれる。いつの間にか書類との睨めっこを終えたアンソニーが、眼鏡奥に潜む碧眼を私へと向けていた。
 馬車内を照らす木漏れ日。春の日差しの中で、アンソニーのグリーンアイもまた新緑のような美しさを湛えていて魅力的に映る。

 眼鏡、とればいいのに…………と、今だけ思った。
 そうしたら本当に眼鏡を外したアンソニー。
 あ、あ、あれ? ごめん、違うよ。普段は眼鏡アンソニーが好きだよ。今だけなんだか裸眼を見てみたいと思っただけで……。
 アンソニーは会った時から眼鏡じゃん。それアイデンティティーじゃん。私の我儘で外さなくてもいいんだよ。

 焦る私にアンソニーが笑う。

「ははっ。別に我儘じゃないさ。マリちゃんは口に出さないから、思ったことを理解できるの俺の役得だ。知ったらそれはもう全力で叶えてあげるからさ。君はもっと我儘言いなさい」

 どええっ! アンソニーの顔間近に迫ってびびる。仕事机を畳んで引っ込めて、空いた空間を跨いだアンソニーは一直線に私のところまで来たのだ。

 てか、私の上に覆いかぶさるな。近い。近い。すごく近い。ほんと近っ。

 座面に寝そべってる私の両脇に両手置いたこの姿勢。壁ドンならぬ床ドンならぬ座面ドンですか。少女漫画などでよくありますね。

 まさか私がされるとは思ってなかったよ。こういうのはBLだと受けの仕事でしょ?! 俺様に食われる寸前の受け子にゃんこが顔真っ赤にして嬉しいでも恥ずかしい「初めてだから優しくして……」なんて呟く場面である。おおう子猫ちゃあん優しくしてやるぜええ! はふはふ!

「それそれ、その暴走した妄想が面白い。さっきまでの、構ってもらえなくてどんどん思考をずらしていくマリちゃんも可愛いかったけど。やっぱ腐れた妄想してるのが一番面白いんだよな。それってマリちゃんの願望でしょ。俺はゲイじゃないけど、そういうの抵抗ないよ」

 ひいいいもしかしてアンソニー腐男子に片足つっこんでる?!
 BL世界に抵抗ない婚約者とか……神か!

「腐男子? そういうのもいるのか。マリちゃんの前世の世界は摩訶不思議だなあ」

 私からしたら転生したこちらの世界の方が摩訶不思議です。魔法あるし。神様まぢ存在するし。

「ああそれ。マリちゃん無神論者なんだね。結婚式どうしような。伯爵家に合わせるか、俺に合わせるか。話し合うこと増えたな」
「ん……? アンソニーは……ユオトレ教じゃ、ない……の?」

 王族の傍系だよね。王族はユオトレ信者だ。公爵家もそうじゃないのかな。

「家はそうだな。俺自身はレリィミウ教。ユオトレ神の伴侶レリィミウを信望する宗派だ」
「なん、で……?」
「言ったろ。『YESロリータNOタッチ』の個人スキルを授かったって。くれたのがレリィミウ神。神聖魔法も同じく。洗礼での個人スキルはユオトレから貰ったけど、後天的に授かったスキルはレリィミウ神から。……女神の声を聴いたんだ」

 は?! 神様の声を聴いたとな?! す、すごいな。
 確かに神聖魔法は神の声を聴けた人が授かるものらしいけど、やっぱそうなると声を聴いた神様の方を信仰したくなるよね。
 あれ? ということは、アンソニーはスキルや魔法を授かったから神を信仰してるんだよね。普通は信仰してる神様から篤い信仰のご褒美に魔法を授かるもんじゃないの? 逆じゃね?

「あーそれな。なんでも女神レリィミウ曰く、『あなたの伴侶は一癖も二癖もある転生者なので、お助けしますわ』とのことだ」

 女神ーーーっ! それって私の所為でアンソニーを強化したってことかね?! 普通は転生者の私の方を強化っちゅーか祝福とか授けるとこじゃない?!

「他にもな、『引きこもりに授けても仕方ないので伴侶たるあなたが持ってなさい』って神聖魔法くれたんだ。本当ならマリちゃんが授かる予定だったんじゃないか? 引きこもってなけりゃ」

 ま ぢ か !!!!

 引きこもりは社会不適合者な上に神からも見放される運命なのか……!

「多分だが、ユオトレ神に拾われて、この世界に生まれ変わったんじゃないのかマリちゃんは。で、あまりにも外に出ないもんだから見かねて女神レリィミウが助けてくれたと」

 きれいにまとまとまったな。私の転生物語。

 *

 シーステア領の温泉街は観光名所ってやつで。馬車から見る温泉地は、あちこちに蒸気が上がっていて緑が多い風光明媚な場所だなという印象。
 というか、せっかくここまでやってきてアンソニーの実家には寄らず、一直線に温泉街へとやって来たのは若干後ろめたい。
 実家に挨拶とかしなくていい? 一応ほら婚約者じゃん私。

「一応じゃないぞ。完全に俺の婚約者だ。実家なんて、行ったって母しかいないから。つまらないぞ」

 その母への挨拶はいいのかと聞いてるんだよ。

「出掛けるのが好きな母でな。毎日それはもうアクティブに過ごしている。……君とは真逆だな」

 引きこもりと対極にいらっしゃる母ですね。

「そもそも合う話もないだろう。むしろマリちゃんが喋らない」

 ごもっともでーす。
 言い訳する気も脱引きこもりする気もないので、この問題は棚上げにする。
 もし「こんな引きこもり娘、当家の嫁に相応しくないザマス」的な展開になったら、そん時はそん時で。

「ある意味ポジティブなマリちゃんが好きだよ」

 私のこと全部ひっくるめて受け止めれるアンソニーこそ超ポジティブだよ。
 改めて自分の婚約者すげえなと思う。私と見つめ合ってれば『感情読心』スキルで心だって読んでくれるし。便利便利ー。

 馬車が温泉宿に到着した。田舎っぽさはなく、お洒落な館だ。

 さて温泉地というのは、引きこもりには最高の場所である。
 寛ぎと癒しのおもてなし空間。日常生活を離れ、ゆったりとした時を感じ、静謐に読書などを楽しみながら美味しいコーヒーでも飲みたいものです。

 なんという実家感か……!
 ずっとここに引きこもっていたい…………!

 けれど現実は残酷で、一応ここには温泉プールへ入りに来たわけで。入らないと意味ないわけで。だけど入ったら入ったであんまりプールの意味なかったわけで。

 ……どうしてかって?

 だってここ、広くて池のように大きな温泉プールは混浴だよ。そこでアンソニーと一緒なんだよ。絶えず抱き締められてて放してもらえず、彼の腕の中にいては泳ぐこともままならなかったんだよ。プールなのに!
 ……が、泳ぐ云々は引きこもりな私には不必要なことだし、これはまあ出来なくてもいいのです。しかしねえ、お湯の中でずっと胸を揉んでくるのはけしからんよ。えっち。アンソニーはエロ猿でござる。濁り湯なので他のお客さんには気づかれなかったけど、こういうのは恥ずかし過ぎる。バカバカ!と罵りつつ私は早々に湯を上がったのだった。

 ……男って皆こうなの? それともアンソニーが特別にエロいエロ猿なの?

 圧倒的恋愛不足で経験値の足りない私には判断つかない。
 只々、アンソニーから受けるスキンシップに翻弄され続け、夕飯の後にまた温泉行こうとしたら今度は個人風呂へ誘われた。
 はい。ここでも過剰なボディタッチで今度は水着もなしですよ。裸です裸。腹筋です腹筋。

 温泉プールでの水着は女性がワンピース型で、男性も上半身が隠れるチュニック型だからね。腹筋が見れなかったの。今回は違う。個人風呂は貸し切りの内風呂。
 アンソニーと二人っきり。真っ裸で二人っきり。腹筋見放題。腹筋って本当に割れるもんなんだねえ。キレイに製氷皿のようなシックスパック。貴族の秘書がこんなムキムキでいいの?ああでも公爵の弟なんだっけ。いやいやそれでも貴族だろ。坊ちゃん貴族がなんでシックスパックやねーん。色々考えが渦巻いてどうにもこうにもならなくなってきたところで――――逃げた。
 逃げたね。脱兎ってこういう時に使うんだね。

「そして引きこもると。これじゃあ家に居る時と変わらない生活だぞ」

 うっさいわい。これが一番性に合ってるんだよ。
 ラフな室内着のままベッドでごろごろする。後は妄想してれば完璧いつもの日常なんだけど、そこにアンソニーいるからそれができない。

「折角、腹筋見せてやったのになあ」

 うっ、それはご馳走様でした眼福です。

「なんなら触らせてやろうか」

 まぢでかあああああああああ
 私、がばっと跳ねるように起き上がり興奮気味にアンソニーを見る。鼻息荒くなるのは勘弁な。

「引きこもりのクセにその身体能力すごいな。マリちゃんて、実は怠惰なだけだろう」

 そうね。怠惰と無気力の境地が引きこもりだもんね。私の場合そこにコミュ障が入り社会不適合者である。ああ、自己評価低いのも引きこもりの特徴かねえ。
 逆にプライドの高さで引きこもる人もいるとは思うけど。前世では、若い内に何らかの障害があって引きこもり、気づけば三十過ぎ童貞魔法使いという自宅警備員もいた。
 ちなみに私が前世で引きこもった理由は「学校行きたくないでござる」病を発症したからです。

「なんで魔法使い?」

 さあ? 三十になっても童貞だと魔法使いになれるっていうのは伝説級神話だとして、魔法使い=賢者=清い=ピュア童貞なイメージからじゃない?

「面白いこと考えるな。君の前世の世界の人は」

 つーか、どうしてアンソニーが私の前世に関心を示すのか。

「そりゃあマリちゃんのことは全部知りたいからだが。ああでも、だんだんと違うとこにも興味持ってきたよ。君の前世……日本だったか。なかなか興味深い国家だね。王族じゃなく天皇制。しかも古い歴史をもつ血脈。なのに権力を振りかざすわけでもない。実に謙虚で、それでいて存在感がある皇室だ。我が王室とは大違い」

 どええアンソニーてばなんでそんなことまで知ってんの? いくら『感情読心』の個人スキルあるからって、そこまで読めるもんなの?

「読めるようになったというのが正しいかな。元はここまで強力なスキルじゃなかった。徐々に読心の範囲が広まって深度も深まってる。逆に、ふざけたスキル『YESロリータNOタッチ』なんか年々弱まってるし」

 えー聞いてないよ個人スキルが強くなったり弱くなったりするとかあるなんて。この世界の神様たちテキトーすぎないか。ちょいとレリィミウさああーんん!

「それは俺も思う。でも、その適当さで与えられたスキルがあったからこそマリちゃんを見つけれた。感謝しかないぞ」

 見つけれたのは『俺の嫁』でユオトレ神からもらったスキルのおかげだね。これはこれであやふやなスキルである。
 確か、将来結婚する相手が分かるのと、結婚相手がどこにいるか漠然と分かるとかいう…………て、ベッドが軋んだ音を立てる。アンソニーがベッドに手をついたからだ。
 あれ? こっち寄って来てねアンソニー? これヤバくね。おいしくペロリコースじゃね?

「大丈夫。まだ『YESロリータNOタッチ』は生きてるから。でもこれ多分、結婚したら消えるスキルだと思うがな」

 ま、まま、まじでええ女神の方のスキル仕事しろがんがれ。

「新婚初夜が楽しみだなあ」

 にっこり微笑むアンソニー腹黒いぞ。

「俺の顔、好きなくせに」

 うわああバレてるううう

「出会った当初から言ってたからな。マリちゃんの心の声が…………。なあ、その声に、俺がどれだけ救われたか、君は知らないんだ……」

 ベッドの上で背後からアンソニーにぎゅっとされる。
 ふおああ、どうしたアンソニーしんみりしちゃって。お前はそんなキャラじゃないはずだ。もっと横柄でオレオレオラオラでどうでもいいことに自信家なはずだぞ。

「……マリちゃんは俺のことを誤解してるようだね」
「っ、やあ……そこ」

 手首だけ動かして乳揉むなエロガッパ! 眼鏡!

「どうにも誤解している。普段の俺はエロくないしオレオレでもオラオラでもないから。眼鏡は合ってる」

 じゃあこの手は何? 我が両胸を揉みしだいてくるこの不埒な手は何?!

「マリちゃん限定いいことしたいセンサーとかそういうの」

 うまいこと言ったつもりかああそんなんじゃ大喜利にゃ出れないぞおお。

「だからそういう訳わかんないとこがいいんだって。ずっと可笑しなこと言ってさ、ふざけ合いっこしてさ……そうやって、これからも一緒に生きていこうよ」

 はぎゅーーん!! 不覚にもキュンときた私の乙女心チョロい。こんなこと言ってくれるのアンソニーだけだ。前世にだっていなかったこんな人……。
 今世の私、どれだけ幸運なんだろう。転生してこんな素敵な人に巡り出会えました。ユオトレ神ありがとう。テキトー神とか言ってごめんご!

 てな具合に、適当に神様に祈っている間にもアンソニーの手は下半身にも伸びていて。
 ……いやそこ指入れるとこじゃないから。孔あるけど、ぬるついてるかもしんないけど、そんな風に指でコスコスするとこじゃな……っ!
 ひ……! あん……! …………ううぅ……。
 コスコス終わったと思ったらアンソニーの頭が股のところにあった。
 いつの間に?!

「やあぁぁヘンタイアンソニーバカメガネええ!」
「でかい声出るじゃねーか。俺を罵る声だけでかいってのもあれなんだがな。どうせなら喘ぎ声聞かせてくれよ」
「んにゃああああ……っ!」

 お股お股そこばっか舐めるにゃ変態めええ。
 スカート捲り上げてパンティー越しに局部を舐められてます。愛液が染みたおパンティーを更に唾液で濡れ濡れにしてくれるとか……鬼畜か!

「もうマリちゃんのしか舐めねえよ」

 他の女のも舐めたことあんのかバカああーー!!

「過去をほじくるなってーの。……まあ、昔だ。言っとくが好きで舐めたわけじゃねえ。マリちゃんのは大好きだ。自主的に舐めたのはマリちゃんが初めてだぞ。どうだ。俺ってばある意味、童貞」

 どこが魔法使いだー! 全国全世界の可哀相な童貞に謝れバカああ!! お前がとっくに脱童貞してんのは読めていたことだけどな!

「悪いな。最初に抱いてやれなくてよ」
「…………ふえ?」

 あ、いや、最初に抱いてくれとか童貞卒業すんなら私の体でとか思ってるわけじゃないよ。決してそんな自惚れ破廉恥なこと思ってないけども、アンソニーがそんな悲しそうな顔する必要は無いじゃん。それとも童貞喪失って処女喪失くらいショックなものなの?
 男性の感情はBLで学んでいたつもりだったけど、やはり机上の空論というやつで。当事者たちの本音なんて知る由もないことなのです。

 ……ごめん。やっぱわからない。わからないけどアンソニーが過去を悔いてるのは分かるから、私は手を伸ばしてアンソニーの赤毛頭をよしよしする。いい子いい子ってのは違うな。でもそれに近いかな。
 柔らかい髪質の赤毛は撫でてると気持ちいい。
 つい嬉しくなって、ああ、そう言えば昔にも、こんな風にアンソニーをよしよしって慰めたことあったなあと思い出す。

 六歳くらいの時かな。引きこもり部屋からひょっこり顔を出した私は、中庭にアンソニー居るのを見つけて柱の影から彼の美形顔を堪能してた。私から見える角度は右側半分の横顔だけだったけど見れば見るほどイケメン。
 だけどそのイケメンがこの日はなんだか憂い顔だった。落ち込んでるっていうか……。
 そういう雰囲気を察した私は居ても立ってもいられずアンソニーに近づいた。
 途中で気づかれて目が合って、ぴゅっと逃げるんだけど気になってまた今度は手摺りの影から覗く。また目が合って、ひゅおっとしゃがんで隠れて……。何度か似たようなことを繰り返しながらも、やがてアンソニーの間近までやってきた。

「あれ? ニーナ?」

 お兄様いたのおお?!
 たぶんアンソニーの向こうに、お兄様はずっといたんだろうけど視界に入ってなかったから、突然に声かけられてビビる私。心臓バクバク。

「珍しいね。ニーナが部屋から出てくるなんて」

 そう言いながらお兄様が私の方へ来て抱き上げようと両腕を伸ばしてくる。はっ、あかん。あれに掴まったらハグはぎゅスリスリである。
 これまでの経験からお兄様のハグハグは一頻り堪能した後じゃないと解放されない。私、本能的に避けてアンソニーの方まで飛び込み前転。
 くるっと芝生の上を転がって見事、アンソニーの目の前で立ち上がった。引きこもりは筋肉ないから体が柔らかいんだよ。

「…………あれ? ニーナってば引きこもりなのに運動神経良すぎないか?」

 そこはイメトレでカバーなんですよお兄様。
 引きこもってると常に妄想との戦いだから。謎の中二病心も相俟って「俺のことはかまうな先に行け!」「お前をおいていけるわけないじゃないか!」「いいから先にいけええーー」と、ここでドンッと背中押された場合の妄想シミュレートくらいはこなしてますの。
 ドンと押されたと思いきや実はひらりと回避→回避したからこその、その先崖という大ピンチ→咄嗟に受け身体勢前傾姿勢でダイブ→足からの着地。
 と、有り得ないことだけれども、この一連の妄想のおかげで、今、私はアンソニーの前でしっかり地面に立つわけだ。

 目の前にはグリーンアイをパチクリさせたアンソニー。
 さっきまでの憂い顔は消えたようだけど、目の下に隈ができてるのを見咎める。
 さらに私の方から見えなかった左側半分の顔には傷がついていた。頬は腫れて口の端まで切ってる。私の眉間に皺が寄る。

 誰ですかアンソニーを殴ったの。綺麗なお顔に傷がついてんじゃんよお。

 イライラッと心の中で見知らぬ犯人へメンチを切る。と同時にアンソニーをなでなで。痛かったね。よしよしと頭を撫でる度に、アンソニーの瞳からポロリ ポロリと透明な雫が落ちて────。

 ――――て、もしかして救われたってあの時のこと? よしよし効果かな?
 こんなかんじで良ければいつでも撫でてあげるよ。
 アンソニーは大好きな未来の旦那様だからねえ。

「マリちゃんはどんだけ俺を甘やかす気なんだ」

 お股ペロペロを終えたアンソニー。なんだか感極まった感じで私の胸に顔を埋めてきた。前衣が半脱ぎ状態で胸ポロリしてるとこに顔埋められるとくすぐったいんですが。

 ……しょうがないか。なんかまた泣いてるみたいだし。

 赤髪から、ちょっと震える肩までなでなでしてあげてたら、眠くなってきて目を閉じた。朝起きる時までこの体勢だったのには……ちょいびびったね。
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