12 / 34
綾の怒り
しおりを挟む授業のない溝口ゼミ四年の怜以外の面々は、一足早く研究室に入っていた。
最後方の席に小泉。一つ前に千葉。その前に綾。そして二つ開けた前に渡。怜がいれぱ、渡の前に怜が座るのだが、今は不在。
渡はいつもの定位置の教室中央の席で黙々とパソコンに向かいながら、怜にくだらないこと案件で詰め寄ったことを後悔していた。
あの時あんな態度をしたのは、ただ少し悔しかったんだと渡は、思う。
大学に入って丸三年。無口でなかなか自分のことは話さない怜ではあるが、それなりに自分には心を開いてくれていると思っていた。
渡が溝口ゼミ入ろうか迷っていたとき、
「お前に向いていると思うし、俺も渡がいてくれたら心強い」
ぼそりとそう言って背中を押してくれたのは、紛れもなく怜だった。それまで、自分に対して怜はどう思っているのかよくわからなかったが、この時俺は怜の信頼を得られているのかもしれないと思えた。それは、親友の証を得られたようで純粋に嬉しかった。
だが、蓋を開けてみたらどうだ?
「美羽ちゃんと付き合っているのか?」とただ親友として喜ばしいくらいの面持ちでその疑問を投げ掛けただけなのに「お前には答えると必要はない」と一蹴された。
そんなこといつものことだ。大したことじゃない。とわかっているのに、煙たい心は晴れることはなかった。黒い煙はまだ渡の胸に燻っていた。そんな中、小泉と千葉の声が耳障りに響いてきた。
「絶対におかしい。あの怜が急に美羽ちゃんと付き合うなんて、あり得ないだろ」
「俺もそう思う」
そんな話で盛り上がる二人。渡に、更なる黒い煙が立ち込めてゆくのにそれを助長するかのように綾の甲高い声も響いてきた。
「私もそう思うわ。絶対におかしいわよ」
歓迎会の夜、綾もまた店から遅れて出てきた時、二人の姿を目撃していた。その時の光景は、綾の胸に赤く黒く焼きついて離れない。悪夢のように事あるごとに思い出していた。元々つり目がちの目を更につり上げていた。
「怜、誑かされているのよ。何か絶対裏があるに決まっているわ」
赤い唇を曲げてそういう綾に、小泉たちも同調していた。そんな不快にやり取りが、渡の燻っていた煙の下に火が灯った。
「もういいだろ。怜にだって好きな子の一人や二人いたっておかしくないし、いちいち詮索するなよ」
遇えて振り向くことなく、渡は前を向いたままそういうと、綾がコツコツピンヒールをならしながら渡の視界に入り込んできた。
「渡はずっと怜と仲いいんでしょ? なら、当然あの子と付き合ってるって知ってたのよね?」
腕を組み、長い黒髪が揺れる度にキツイ香水の匂いが漂う。
何もかもが不愉快で無視を決め込む渡に、綾はバカにした口調で言い放った。
「知らなかったのね? あんたもそれだけ、信用されてなかったってわけか。かわいそうに」
「お前に言われる筋合いはない。綾はいい加減怜をあきらめろよ。いつまで経っても追いかけて、どれだけあいつに迷惑かけているのかわかってんのかよ?」
「あんたに関係ないでしょ!?」
重くピリピリした空気が張り詰める教室に三年生の面々がぞろぞろと入ってきた。
「おはようござまーす」
淀んだ空気を一気に吹き飛ばすのように文乃の元気な声が響いた。
その後ろから、文乃を中心にわいわい話しながら美羽を含めた三年生が入ってきた。
一番前に色白眼鏡。川口男子を最前列に、ボーイッシュ三原、文乃、美羽という順で座っていった。
文乃と話をする美羽を吊り上がった目で綾が睨みつけていると、怜と教授が話をしながら部屋に入ってきた。
綾は、不機嫌な顔のまま自分の席につくと授業開始の教授の声が響いた。
ゼミは滞りなく終わりを告げると、教授は早々に教室を出て行った。
それぞれ、片付けの準備をしている中、座っていた綾がコツコツヒールを鳴らし始めていた。
まっすぐ美羽の方へと足先が向いていることにいち早く察知したのか「何しでかそうとしてるんだよ」と綾を咎めに入ってきた渡。
だが、それを完全に無視してヒールを鳴らしながら座っている美羽の横に立ち、黒髪を後ろに流しながら美羽を見下ろした。
「怜があんたなんかの相手するわけないのに、怜のどんな弱みを握ったの? 何を企んでいるのよ!?」
憎悪を色濃くした低い声を美羽に激しくぶつけ始めていた。
教室の空気が一気に綾のどす黒い雲に覆われる。
歓迎会の夜、遅れて店を出た綾は、ちょうど目の前を怜と美羽が手を繋いで夜道を消えてゆくの目の当たりにして目を疑った。きっと嘘よ。何かの間違いよ。そう思おうとしていたのに。
渡の『あいつら、付き合ってんのかよ!?』 というバカみたいな大声と一緒に、あの夜の光景が頭の中心にこびりついて離れない。
もう耐えられなかった。憎くて仕方がない。この感情をぶつけなければ、気がおかしくなりそうだった。
こんな女が、どうして怜の近くにいる?
美羽の目が綾の黒い目をじっと見ているのに気づいて、更に綾の目は吊り上がってゆく。
また、何か言おうと綾の赤い唇が歪み始めたとき、美羽の声がそれを遮った。
「何も企んでいません」
「あんた、喧嘩売ってるの?」
ドン! と、美羽の机の前に綾は自分の両手を叩きつけた。
手には何の痛みも感じない。あるのは怒りそれだけだ。綾は白目の面積を多くさせて赤く薄い唇を戦慄かせる。
どうして、お前は怜の手を取れる?
私が何度も望んでも手にすることができなかったその手をどうして、この女が。
怒りのあまり動悸がする。目がちかちかと赤く点滅する。体中の体温が上昇するのと比例して、憎悪もより一層深く激しく湧き上がってくる。
血が滲むほど唇を噛んで、キッと再度美羽を睨むと、目を逸らすことない凛とした美羽の瞳が映った。
その瞬間。抑えていたストッパーが壊れる音がした。
美羽の頬に狙いを定め、綾は手を振り上げていた。
だが、振り下ろそうとした寸でのところで、痛いくらい強い力で手首を捕まれた。
誰が邪魔するのよ!? と綾を阻む手の主の方へと勢いよく振り返るとそこには、いつも感情を出さない顔に、静かな怒りを湛えた怜の顔が飛び込んできた。
「いい加減にしろ!」
絶対に荒げない男の声が、教室いっぱいに響く。感情を表に出さないはずの男が怒りの表情を浮かべていて、そこにいる人間すべてが驚愕していた。怜の手に掴まれていた綾の手首が乱暴に投げ捨てられると、綾の目にうっすらと膜が張り出していた。
怜は綾の顔を一瞬でも見ることなく、バッグを手にすると教室から足早に出ていった。美羽は戸惑いを見せながらもトートバッグに荷物を詰め込んで、怜の背中を追った。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
子持ち愛妻家の極悪上司にアタックしてもいいですか?天国の奥様には申し訳ないですが
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
胸がきゅんと、甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちだというのに。
入社して配属一日目。
直属の上司で教育係だって紹介された人は、酷く人相の悪い人でした。
中高大と女子校育ちで男性慣れしてない私にとって、それだけでも恐怖なのに。
彼はちかよんなオーラバリバリで、仕事の質問すらする隙がない。
それでもどうにか仕事をこなしていたがとうとう、大きなミスを犯してしまう。
「俺が、悪いのか」
人のせいにするのかと叱責されるのかと思った。
けれど。
「俺の顔と、理由があって避け気味なせいだよな、すまん」
あやまってくれた彼に、胸がきゅんと甘い音を立てる。
相手は、妻子持ちなのに。
星谷桐子
22歳
システム開発会社営業事務
中高大女子校育ちで、ちょっぴり男性が苦手
自分の非はちゃんと認める子
頑張り屋さん
×
京塚大介
32歳
システム開発会社営業事務 主任
ツンツンあたまで目つき悪い
態度もでかくて人に恐怖を与えがち
5歳の娘にデレデレな愛妻家
いまでも亡くなった妻を愛している
私は京塚主任を、好きになってもいいのかな……?
元カレは隣の席のエース
naomikoryo
ライト文芸
【♪♪♪本編、完結しました♪♪♪】
東京で燃え尽きたアラサー女子が、地元の市役所に転職。
新しい人生のはずが、配属先の隣の席にいたのは――
十四年前、嘘をついて別れた“元カレ”だった。
冷たい態度、不器用な優しさ、すれ違う視線と未練の影。
過去を乗り越えられるのか、それとも……?
恋と再生の物語が、静かに、熱く、再び動き出す。
過去の痛みを抱えた二人が、地方の公務員として出会い直し、
心の距離を少しずつ埋めていく大人の再会ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる