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一章

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体の感覚はない。ただ、瞼の裏のような暗闇を、少年は見ている。
冷たい海の底にいるかのような……耳が上手く音を聞き取ってくれないみたいな。

世界が色を変える。赤。或いは青、もしかしたら全てかもしれない。
不思議な感覚がする体に少々違和感を覚えながら。少年は瞼を上げた。

(……ここは……? 蛍はどこだ…!?)

少年、テツは辺りを見回そうとするが、首が回らない。上手く力が入らないのだ。どれだけ力を込めようと思っても、やはり力は入らない。
視界はぼやけている。わかるのは輪郭のはっきりしない茶色の何かだけ。
正確に視覚情報を得ることはできていなかった。

「名前は……クロノアにしようか!」

「えぇ……いいわね」

なにかに取り憑かれたような顔で二人は言う。

テツは上手く聞き取れないな、と思った。耳に集まる音に集中しても、その輪郭を掴むことはできない。
まるで空気のように、己の物にすることは敵わなかった。

やがてテツの視界に含まれる色が変わり、かなりぼやけた人の像が映し出される。
その人はテツを両手で優しく支えている。赤ん坊を抱くように、優しく。

(俺は死んだのか……? 意識はあるが、俺の体が軽々と持たれてしまっている……)

(ということは……異世界転生、なのか?)


♢♢♢♢


彼がそのことに気付けたのは、体の機能がある程度発達して少し経った頃の事だ。

その日、家族から初めて誕生日を祝われていた。
この世界にも誕生日というものは存在している。が、それをわざわざ祝うのは五年に一度だ。それ以外の誕生日はただ一言、『誕生日おめでとう』と言われるだけであり、豪華な食事や贈り物などはない。

「ほら、たくさん食え。この日のために父さん、たくさん金《エム》を溜めて来たんだぞ!」

テツ……この世界での名をクロノア。初めて自分の名前を知った時、彼はとても喜んでいた。自分にふさわしい名前だと、かつて自分の名前に何の感想も抱かなかった少年が、初めて自分の名に誇りを抱いたのだ。

親指を突き立て口の片端をぐいと引き上げているのは、リード。薄茶色のサラサラな髪で、前髪はきっちりとセンターで立ち上がっている。眼は垂れても吊り上がってもおらず、瞳は黄色だ。

彼が金をたくさん溜めて出した料理は、たったの十品。五年に一度の祝いにしては少々物足りないと言える。

「そうよ。稼ぎの少ない父さんが必死の思いで作った料理なんだから、いーーーーっぱい食べるのよ?」

揶揄い気味に言ったのはクロノアの母、ニファだ。非常に優れた容姿をしており、リードと同じ色で艶のある髪は後頭部で束ねられている。目はやや垂れており薄緑色で、なんとなく優しさを感じる外見となっていた。

「母さん、俺は優しさで武器の値段を格安にして販売してるんだぞ? 魔物と戦う時に命を少しでも落とさないようにと、誰でも手の届く値段にしてるっていつも言ってるだろう!?」

「そうね、そうだったわ。悪かったわね」

ニファの揶揄いに、リードがやや反抗を見せる。
が、あっさりと受け流されてしまい、非常に悔しそうな表情を浮かべていた。

「では……いただくとするか!」

「おう、食べろ!」 
「えぇ。ゆっくり食べるのよ、ノア」

クロノアがスプーンを持ちそう言うと、二人は間髪入れず肯定的な言葉を投げかけた。優しい笑顔を浮かべる彼らを見たクロノアは、一口食い物を喉に流し込んだあと少しだけ口角を上げた。
部屋の壁に浮かぶ四つの数字のうち右端にあるものが、一を加算して表記された。
『魔刻時計』。魔力を燃料として動く、時計の魔道具だった。
 

♢♢♢♢


「ノア、これは俺からの祝いだ」

「む……父上よ、これはなんなのだ?」

「グラディウスだ。男なら一つは持っておけ」

夕食後、リードはクロノアの脚くらいにもなる剣を、鞘に納めたまま譲渡する。受け取るとその剣の姿を瞳に映す。銀色の刃に、自身の姿が写り込んだ。

両刃でとても軽そうな剣だ。全体的に白色だが刀身の部分に所々黒いラインが引かれており、なかなかオシャレな部類の剣と言える外見をしていた。

「……いいではないか、父上よ」

持ち手を握り一気に引き抜くと、クロノアは天井に吊るされた照明にその剣を合わせる。すると剣は光でキラキラと輝いた。

「お、気に入ったかノア!」

「あぁ、なかなかの業物じゃないか」

口にすると掲げた剣を鞘に納め机の上に置いた。

「おぉ、言うじゃねえか!この、この、この!」

「か、髪を揺らすな父上!」

「私からも贈り物があるわ。開けなさい」

ニファはクロノアが髪をわしゃわしゃされる様子を微笑みながらしばらくの間静観し、そう口を挟むと懐から四角い箱を取り出してクロノアに贈った。

「腕輪?」

「そう。加護の腕輪って言うのよ」

開封すると中には重量というものをブレスレットらしきものが入っていた。なにか特別なものというわけではない。漆黒の腕輪は光を反射しており、それはクロノアの中二心をくすぐるのには十分だ。クロノアは見た目を楽しむのに時間を使った後、左腕の手首に巻きつけた。


「感謝するぞ、母上!」

「そう。気に入ったみたいね、良かったわ」

「俺のときと反応が違うんだが……」

(……こう言うのも中々、悪くないな!)

しょぼくれるリードを見て、ニファは仲睦まじく笑った。
それを見たリードも、次第に頬を緩め、その二人を横で見ていたクロノアも、僅かだがいつもとは違う顔で笑っていた。

♢♢♢♢

更に六年の月日が流れた。

クロノアは身長が伸び、髪が伸び、体重が増えた。

髪は何故か根元から白くなっていき、今ではもう雪のように、全体が白く染まっている。瞳は黒く、瞳孔から六等分に、刻まれていた。顔立ちも子供っぽさが抜けてきており、十分イケメンだと言える部類にまで、成長していた。

「ハハッ、なかなかいい顔ではないか、特にこの瞳! 
まぁ…あの両親の息子なら当然か」

「……だがよく見ると、前世とあまり顔
の形が変わっていないような気もするな」

鏡の前で自分の容姿を眺めるクロノアは、自分の成長と美貌に、感嘆の声を上げた。

(しかし………実の親、か)

クロノアは現世で赤ちゃんの頃、籠に入った状態で橋の下に置かれていたところを発見され、養子として義母と義父に育てられてきた。
愛情を一身に受けてきたテツはすくすく育った。中二病という所を覗けば、クロノアはそれなりに常識人である。

「ノア、稽古の時間だぞー!」

そうこうしていると、父親から声がかかった。ノアは焦った様子で足を踏み出すと、自室の扉の付近に立てかけてあるグラディウスを掴みとって、玄関へ駆けていった。

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