王子の宝剣

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第二章

#21 あの男・・・!(Side ナーノ)

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 とうとう殿下は気づいてしまった。ご自身のお気持ちに。

偶然見てしまったあの衝撃的な救命シーンは殿下のお心を揺さぶるには十分だった。
何しろ濡れ髪の彼は明らかな殿下の弱点である。
ずぶ濡れの彼が愛され上手の美青年の上に覆い被さり唇を重ねている図はそれが救命の為であると分かっても殿下の情緒を乱すには十分だった。
ショックのあまりにふらつく殿下のお手を取ったとき、その指先は冷たく震えていた。
息を吹き返したレヒコへの対処も彼は実に丁寧で優しかった。何度も名を呼び励ましながらさすり、抱え込み、撫で、押し、必要に応じて叩いた。レヒコの吐き出す吐瀉物がかかろうとも気にもとめず。
殿下は震える指先で顔を覆った。まるで見たくないとでも言うように。

それでも彼がテオフィノスに蹴られたときには居ても立っても居られず飛び出された。
泣き出しそうなお顔をされていた。
それなのにあの男!
刺されるのも覚悟の上だったなどとふざけた事を笑いながら言った。
走り去る殿下のお背中を見て久しぶりに殺意がわいた。

以前に彼に殺意を覚えたときは、ソニスとの恋仲疑惑が浮上したときだった。
あとでソニス本人から否定されたが、その否定すらにわかには信じがたいほど二人は仲睦まじかったのだ。
あの頃の殿下はまだ彼に対する想いがハッキリとしてはいなかったようで、余計にご自身の胸を痛ませる得体の知れない感情に困惑されておいでだったように見えた。
私はソニスを呼び出して話を聞く事を提案したが、殿下は承諾されなかった。
噂を確定されてしまう事を恐れたのか、それともソニスの口から彼の話を聞きたくなかったのか。

それでも私自身が気になり、もののついでに立ち話程度の軽さでソニスに話を振ってみた。
むしろソニスの方から直に殿下に説明したいと申し出てきた。
我々のテントにソニスが入ってすぐに跪いて殿下に謝罪していた時点で既にソニスも殿下のお気持ちに気づいていたのでは無いだろうか。
アレは苦労人だからひとの心の機微にさとい。
そして開口一番、彼が誰よりも愛し大切に思っているのは殿下ですと告げた。

確かに彼は誰の目から見ても殿下を慕っている。心酔とも崇拝とも言えるほどに。
殿下を見つめる彼の目は、まるで神殿の女神像を仰ぎ見る敬虔な司祭のそれである。
彼の目が本当に目の前の生身の殿下を見ているのか疑念がわくほどだ。
最初の出会いの時点で疑いも無く彼は殿下に好意を抱き、会う度それは高まっていった。
それは殿下とてご承知だ。慕われているご自覚は当然お持ちである。
入団試験に合格した際の祝福の儀式で迷い無く殿下への忠誠を誓った経緯もある。
だからこそ、先頭集団への参加を、殿下のお側に侍る事を命じられた時によもやあのように返答を渋るとは思いも寄らなかったのだ。
ちょうどそれがソニスとの噂が浮上していた時期だった。
そもそも先頭集団に侍るよう命じたのは彼が殿下のお気に入りだからと言う理由では無い。戦略的な理由があっての事だ。だが、彼の気持ちを慮るあまりに殿下は彼とともにソニスをも先頭集団に呼ぼうとまでされた。
ソニスが固辞してくれたから良いようなものの、いつもの殿下ならばそれが悪手であることくらい考え至らぬお方では無いのだが。

だが、ソニスをテントに招き入れ彼の話を聞いたこと自体は収穫だった。
ソニスは彼に関する情報をそれは事細かにもたらしてくれた。
そこで詳らかにされる彼の生い立ちのむごさには私も殿下も言葉を失った。
彼の祖父は彼に剣術始め様々な武術を指南してきたと同時に、物理的な虐待もしていた。
彼の母は乳飲み子の頃から彼を放置し、常に複数の男性との性行為にばかり明け暮れていた淫婦であった。子供の見ている前であろうと、子供が腹を空かせて泣いているときであろうと、屋外であろうと、だ。
彼がまだ幼いとき家を出て行く男の後を追う為に彼を突き飛ばしやけどを負わせたことがある。そのときですら熱湯を浴びて泣く子供は一顧だにせず男を追いかけていったと言うことだ。その火傷の痕は今でも彼のカラダに残っている。
それでもそれら親族とは別の、近隣の人々の温情を受けて今の彼ができあがっているのだと。

ただ、母親のこともあるが、他にも彼が女性に苦手意識を持つようになった理由がいくつかあった。その内容がやけに詳しかったがどれも酷かった。

彼は元の世界ではかなりに女性にもてていたらしい。それは彼自身がそう語っていたのでは無く、彼の話をつなぎ合わせると結局そういうことになると言うものだった。
女性から交際を申し込まれることが、聞く限りかなり頻繁のようだった。
彼の元の世界では未成年でも性行為を伴う交際をする事が珍しくは無く、またそのような関係になったとしても必ずしも結婚をする必要も無い。むしろだからと言って結婚という形で締め括る場合の方がまれであるらしい。
彼はそういう風潮に特段批判的であったわけでは無いが、自分がその風潮に合わせたいとは思っておらず、肌を合わせる相手とは生涯を共にすべきと思っているし、だからこそ軽々にすべきでは無いという考えだった。それ自体が母親の反面影響かも知れないが。
ゆえに彼は申し込まれてもほとんど断っていた。
まれに交際を申し込まれたという形では無く、いつの間にか二人で会う約束をしていて、事実上交際していることになってしまった事もあった。それも一度ならず。
大抵そういう女性はひどく積極的で、いきなり唇を奪ったり、押し倒して馬乗りになったりしてきたらしい。そしてそうされたときの彼の反応が傑作なのだが。
ほぼ確実に吐いてしまったらしいのだ。しかも彼のその姿を見て、女達は「うわ、汚い」などと言って逃走したのだと。
それでは女嫌いにもなるだろう。

二つほど決定的になることがあった。
一つは彼の親友であるユーイチなる男子に恋人ができ、それはそれで彼は祝福していたのだが、学問所の片隅で偶然その親友の恋人が他の男と抱擁しながら、ユーイチとの性行為を笑い話にして貶めていたのを聞いたのだと。実はその女性は過去、彼を押し倒したことのある女性だったが、親友が幸せそうだったからそれは黙っていた。
彼は後にそれを大層後悔したと言っていた。あんな女やめろと言うべきだったと。
親友を貶められたのを聞いた瞬間彼は飛び出してその女性を張り倒した。
武術の心得のある男が女に暴力行為を行ったと言うことでかなり厳しく罰されたようだ。特に彼の祖父は彼が施療院に運ばれて暫く入院せねばならないほどの折檻をした。

もう一つは、どうしても彼を手に入れたかった女が、あの手この手で二人で行動する機会を作り、いつの間にか恋人になったというデマを吹聴していたからやめて欲しいと注意したところ、逆上して自らの服を乱して、彼に強姦されたとわめき散らして大騒ぎした。学問所の教官らは女の言い分を最初信じていたが、彼が毅然と国家警吏を呼び詳細なる鑑定を行うように求め、そうしたことによって冤罪を晴らしたのだと。ただ、それなのに祖父は「そういうときには男が罪をかぶってやるものだ」という理不尽な理屈でまたも折檻をし、女に対して謝罪を強要した。が、どれほどの折檻を受けても謝罪は拒否した。
その後その女は根に持って何度か嫌がらせをしてきたのだ。
それ以来、彼はしばらく孤立することになってしまったらしいが、その頃になると一日も早く祖父や母親との縁を切りたくて学業の合間に働き始めていたらしく、忙しくて気にならなかった。職場で会うご婦人達やユーイチの家族、母親に放置されて居たときに面倒を見てくれた近隣の女性達のおかげで女嫌いにはなっていないと言っていたが・・・。

ああ、そういうことか、と私も殿下も腑に落ちたことがあった。
あの殿下に忠誠を誓った儀式の時、彼の宣誓の言葉に『忌まわしきしがらみから私を解き放ってくださった皆様のために』という言葉があった。
あのときはよく分からなかったが、おそらくそういうことなのだろう。
それとともに、更に以前、召喚に巻き込んだうえ、元の世界に戻せないことを告げたときに『むしろ私は感謝しているのです』と答えた事もあったが、あれはてっきり殿下の気遣いに対する感謝かなと思っていたのだが。

彼は本当に元の世界の様々なしがらみから離れられたことを喜んでいたのかも知れない。
いや、それはあくまでも我々側の都合の良い解釈かも知れないが。
しかし、やはり彼ほどの男ぶりで恋人がいないなどと言うことは無かろうと思っていたが、そういった事情であれば納得も行く。
紳士的な男だと思っていた。
常に潔癖で。堅実で。好意的に解釈していた。
だがむしろそれは彼の一種の自衛本能だったのだ。
・・・少し、いやだいぶ彼を気の毒に思った。

だが、私からすれば、だからといって殿下のお心を乱して良いというわけでは無い。

殿下は此度のことであの男を好いていることを悟ってしまった。
では次に殿下を悩ます事柄は何であるかは容易に想像が付く。

河原を立ち去った後テントに戻った殿下はあの後ずっと寝台に座ったまま膝を抱え  落ち込んでいらっしゃる。
きっと取り乱して感情的になってしまったご自身を責めているに違いない。
そして時折両手でお顔を覆って煩悶していらっしゃる。
私は温かい薬草茶にミルクを垂らしたものをお持ちした。
「ありがとう」と小声で受け取り、両の手で大切そうに挟むように持って口元まで運ぶ仕草はもう初めて私が殿下にお仕えし始めたときと変わらない愛くるしさで。
あのお小さかった殿下が成人して、討伐隊を率いて初遠征に発たれたときも感慨深くはあったけれど。

殿下は今までも、何度も口に出して私に尋ねていらした。
「ねえ、ナーノ、なぜ私はこんなに彼の事が気になるのだろう。」
「それは殿下がお優しいからですよ。彼に対して並々ならぬ責任を感じていらっしゃるから。」
私は気づいていた。が、あえてそれは言わなかった。もし私からお伝えする事があるとしても、それはこの遠征が終わってからだと思っていたからだ。

思い返してみたら、一番最初にあの地下神殿で彼を見たときからもう殿下は惹かれていたのだと思う。

今まで様々な美男美女から言い寄られてきても、逃げ続けていらした。
誰も殿下のお心を捉える事は無かった。
確かに殿下に近づく貴族の令嬢令息達の全てが打算で寄ってきていたわけでは無い。
中には明らかに殿下に切ない恋心を抱いて本気の思いをぶつけてきたお方も居ないわけでは無かった。けれど殿下のお心が靡く事は無かった。むしろ殿下は靡かないご自身が彼らを傷つけていると思ってご自分を責めていたくらいだ。

怖いのだと仰っていた。
人を愛するのも。愛されるのも。
愛ゆえに陛下の寵を受ける何者も許さず、愛ゆえに王太子殿下の地位を少しでも脅かす他者を容赦なく害そうとし、事実第3王子のお命を奪い、第5王子の視力、第6王子のお声を奪った王妃様の狂気も。
愛ゆえに、愛するものを守る為に躊躇無く自らのお命を捨てたお母上のその情の重さも。
そして、何よりご自身がもし誰かを愛したら間違いなく同様の重すぎる執着を相手に抱いて相手も自分自身もがんじがらめにしてしまうであろう情の深さも。
そうなのだ。殿下は大変に情が深くていらっしゃる。
それはお気持ちだけでは無く。お体の方の情欲も、である。
今までは曖昧だったからまだ良かった。それでも十分にお辛そうではあったが。
しかしここに来て殿下は気づかれてしまった。
対象が明確になってしまった後にやってくる葛藤が殿下を苦しめ無ければ良いのだが。

なぜ、彼なのか。
その疑問は度々私の中で湧き上がってきた。
確かに外見は悪くない。あの異国の風貌も謎めいた魅力がある。
禁欲的な印象を更に強固にする隙の無い紳士的な言動も好印象ではある。
まあ、それ以前にまず彼の言動はたびたび突飛なのだが。
だが、何よりも彼には説明の付かない奇妙な色気があるのだ。
あれは何なのだろうか。外見だけの問題では無い。コレ、といえない何か。
ああ、ひょっとすると声のせいかもしれない。
飛び抜けた美声というわけでも無いのだが。
ハキハキと張って出しているときには力強いが、プライベートスペースの距離感になったときには文節の最初と最後が僅かにハスキーになって息が漏れる。
あの声で至近距離で話されたら、確かに誰しも変な気分になるかも知れない。
だが、それだけでも無い気もする。
いや、だからこそ、数多の女達が手に入れようとしたのかも知れないが。

そうなると王都に戻った後がまた大変なのかも知れない。
おそらくルネス殿の報告石で彼の此度の働きは伝わるだろう。
間違いなく王太子殿下から報奨は賜ることになる。そして異世界人となれば。
古来より異世界人はこの世界の位階にとらわれなくて良い事になっている。
つまり国王の命令でも従いたくなければ拒否する権利を持つ。
それほどまでに異世界人の存在は国の宝なのだ。
ゆえに、多くの貴族が彼を取り込もうと躍起になって群がるだろう。
自慢の令嬢令息を彼に見初めてもらおうと。
そうなったときに殿下はどう思われるだろうか。苦しまれるのは必定である。
しかも彼はどう見ても疑いようも無く朴念仁なのだ。
まったくもってアタマが痛い。
そうだ。
なんとかして王都に帰還するまでの間に二人を結びつけてしまう事はできないか。
ソニスにも相談してみよう。

そんなことを考えていたらテントの外でダイの声がした。
「第一騎士団所属、ダイ、殿下に拝謁賜りたく。お取り次ぎ願います。」
ミルク入りハーブティーを飲んでいた殿下の肩がビクリと震えた。
密かに私はほくそ笑んだ。
来たな。必ず来ると思っていた。
来ずに居られなくなるような言葉を残して別れたのだ。
殿下が走り去った後、彼は途方に暮れ、私に救済を求めるような目を向けた。
本当にきさまは、どうしてくれようか、と思ったが怒りを抑えて告げた。
「殿下のお具合がぶり返したらどうしてくれるのです」
「えっ、そ、それは・・・、な、ナーノ様!」
追いすがる彼を無視して足早に去った。殿下の体調が気になって来ずにはおられまい。
私は殿下に「どうなさいますか」と訊ねた。殿下は飲み干した後のカップをテーブルに置きがてら寝台を立ち、カーテンを閉めて椅子に座り直された。
「通してあげて」「かしこまりました」
テントから顔をのぞかせた私は彼に耳打ちした。
「殿下は誰をも責めません。でもそのまま引き下がりますか?敬意を込めてお言葉を請いなさいませ。お気持ちは伝わります。」
 「ありがとうございます」
決意のこもった目で頷き、彼は一歩入室して立礼した。
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