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2 あの日の朝に
2‑5 解咒
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🔮
殿下は、クレディオス様に何かを言おうとして、二呼吸ほど床で小さくなる彼を見下ろしていたけれど、結局何も言わなかった。
クレディオス様が精霊を無理矢理掻き集めて縛り付けるのを止めたので、ここに踏み込む前に打ち合わせしたとおり、殿下がクレディオス様のオーブや周りに展開した魔法陣の魔術式を解析し、強制的に解咒したところを、私が苦しむ精霊達を受け止めて浄化していく。
数時間前に私が死んだであろう事故の、魔術と精霊達の暴走は、殿下の解咒によって回避することができた。
クレディオス様は殿下に付き添われて、学長の元へ行き、面談を行うことになった。
「エステル。話したいことがあるから、わたしの研究室か学生用カフェテラスの一号店で待っててくれるかい? 時間は少し遅くなるかもしれないけど」
わたしが頷くのを見て爽やかに微笑み返すと、殿下は、クレディオス様の肩を引き寄せて促し、立ち去った。
なぜ、時間が巻き戻ったのか、私の思い込みや白昼夢、或いは予知夢だったのか。
時間軸の巻き戻り現象の起こった原因もわからないし、もし本当に巻き戻ったのなら、誰も何も言わないけれど、その事態を知っているのは本当に私だけなのか。
もし巻き戻ったのなら、私も、今朝、お父さまに言われてサインをした後から死ぬまでの体験はなかったことになり、その間の記憶はないはずなのではないのか。
殿下を待つ間、その事を考えていた。
カフェテラスなら、飲み物やお茶菓子、軽食などをとるにしても、殿下の助手やメイド達を煩わせることなく、小銭と注文する手間だけでいい。
「待たせたね、エステル」
「いいえ。魔道書を読んだり考え事をしていたので、それほど待ったという気はしていません」
殿下は、椅子を引き、私の正面に座ると片手を挙げ、給仕を呼んで甘めのハーブティーを注文した。
「クレディオスは、一旦休学することになった」
「⋯⋯そうですか」
だいたいの予想は付いた。
「あまり驚かないね?」
「あれだけ精霊達を縛り付けようとしたのです。当分の間、精霊魔法を手解きするどころか、通常の魔術さえ、まともに発動しないでしょう」
「その通りだ。学長の前で検証してみたが、基本的な魔術が少し発動するだけだった。具体的には、彼の守護精霊と、契約精霊の属性の術を、子供が最初に習うような、才能が高ければ本能的に使えるような、基礎の基礎だけだ」
「守護精霊が護るでしょうから、今まで通り身の危険は少ないでしょうし、憶えた魔術が消える訳ではないでしょうが、精霊達が、彼の術が発動するのをよしとしないでしょうね。むしろ、基礎の魔術だけでも残っただけ、守護精霊や契約精霊達が彼を許し擁護して、頑張ってくれていると思います」
殿下は、手元に出されたハーブティーを両手で包むように持ち、香りを確かめてから口にする。
「そうだね。今回のことを深く反省し、彼の心が癒されればまた、使えるようになるだろうから、それまでは休学するという事になった」
「退学じゃなくて良かったです」
「⋯⋯君は、優しいね」
「そうでしょうか?」
どちらかと言えば、クレディオス様の言うように、冷たいのではないかしら。
彼が傷ついていても、この先私の前に現れなくなっても、また勉強できるのなら良かったとは思っても、彼が傷ついていたことに私の心はさほど傷んではいないし、会えなくなることも婚約者じゃなくなることも淋しいと感じないのは、彼の言うように、感情のない、或いは氷のように冷たい感情しかない、大きな血系魔法が使えるというだけの、魔法人形に過ぎないのではないのかしら。
「精霊達は、術者と精神界で交信をします。精霊魔法ほど具体的に表れることはなくても、間違いなく、交信は行われています。ですから、クレディオス様が本当に反省し、精霊と向き合う気持ちになったら、精霊達に伝わります。
逆に、口先だけで反省したと言っても、内面が変わっていなければ、彼は魔術を使えないままでしょう」
「なるほど。学長が、元の魔術が使えるようになったら復学しても良いと仰ったのは、そう言うことなんだね。ふむ」
魔法士学校の学長は、先代王の末の弟──王弟殿下で、エリオス殿下の大叔父様である。
魔力量は殿下より低いけれど、歴代王族の中でも高い魔力と知識量を誇る上級魔法士で、王宮の魔法士師団司令部では、エリオス殿下と共に副長を務められている。
風の属性を合わせ持つ水精霊の加護を受け、アァルトネン一族と似た青銀の髪と王族のアメシストの瞳、面差しは母君であらせられる側妃マルユッカ殿下に似ているのだろう、エリオス殿下とは雰囲気だけ少し似ていらっしゃる。
マルユッカ妃殿下は、アァルトネン一族の分家アァルトネン侯爵家の末姫、セオドア従兄さまの大叔母様である。学長が精霊魔法に詳しくても、私達と似た色味をしていたり魔力質が似ていても、おかしくはない。
昔から、数代置きに、アァルトネン一族から王妃や側妃を召し上げたり、王妹が降嫁して来ることが続いている。
それは、アァルトネン一族の始祖とも関係のある事だけれど、理由についてはあまり公にはされていない。
殿下は、クレディオス様に何かを言おうとして、二呼吸ほど床で小さくなる彼を見下ろしていたけれど、結局何も言わなかった。
クレディオス様が精霊を無理矢理掻き集めて縛り付けるのを止めたので、ここに踏み込む前に打ち合わせしたとおり、殿下がクレディオス様のオーブや周りに展開した魔法陣の魔術式を解析し、強制的に解咒したところを、私が苦しむ精霊達を受け止めて浄化していく。
数時間前に私が死んだであろう事故の、魔術と精霊達の暴走は、殿下の解咒によって回避することができた。
クレディオス様は殿下に付き添われて、学長の元へ行き、面談を行うことになった。
「エステル。話したいことがあるから、わたしの研究室か学生用カフェテラスの一号店で待っててくれるかい? 時間は少し遅くなるかもしれないけど」
わたしが頷くのを見て爽やかに微笑み返すと、殿下は、クレディオス様の肩を引き寄せて促し、立ち去った。
なぜ、時間が巻き戻ったのか、私の思い込みや白昼夢、或いは予知夢だったのか。
時間軸の巻き戻り現象の起こった原因もわからないし、もし本当に巻き戻ったのなら、誰も何も言わないけれど、その事態を知っているのは本当に私だけなのか。
もし巻き戻ったのなら、私も、今朝、お父さまに言われてサインをした後から死ぬまでの体験はなかったことになり、その間の記憶はないはずなのではないのか。
殿下を待つ間、その事を考えていた。
カフェテラスなら、飲み物やお茶菓子、軽食などをとるにしても、殿下の助手やメイド達を煩わせることなく、小銭と注文する手間だけでいい。
「待たせたね、エステル」
「いいえ。魔道書を読んだり考え事をしていたので、それほど待ったという気はしていません」
殿下は、椅子を引き、私の正面に座ると片手を挙げ、給仕を呼んで甘めのハーブティーを注文した。
「クレディオスは、一旦休学することになった」
「⋯⋯そうですか」
だいたいの予想は付いた。
「あまり驚かないね?」
「あれだけ精霊達を縛り付けようとしたのです。当分の間、精霊魔法を手解きするどころか、通常の魔術さえ、まともに発動しないでしょう」
「その通りだ。学長の前で検証してみたが、基本的な魔術が少し発動するだけだった。具体的には、彼の守護精霊と、契約精霊の属性の術を、子供が最初に習うような、才能が高ければ本能的に使えるような、基礎の基礎だけだ」
「守護精霊が護るでしょうから、今まで通り身の危険は少ないでしょうし、憶えた魔術が消える訳ではないでしょうが、精霊達が、彼の術が発動するのをよしとしないでしょうね。むしろ、基礎の魔術だけでも残っただけ、守護精霊や契約精霊達が彼を許し擁護して、頑張ってくれていると思います」
殿下は、手元に出されたハーブティーを両手で包むように持ち、香りを確かめてから口にする。
「そうだね。今回のことを深く反省し、彼の心が癒されればまた、使えるようになるだろうから、それまでは休学するという事になった」
「退学じゃなくて良かったです」
「⋯⋯君は、優しいね」
「そうでしょうか?」
どちらかと言えば、クレディオス様の言うように、冷たいのではないかしら。
彼が傷ついていても、この先私の前に現れなくなっても、また勉強できるのなら良かったとは思っても、彼が傷ついていたことに私の心はさほど傷んではいないし、会えなくなることも婚約者じゃなくなることも淋しいと感じないのは、彼の言うように、感情のない、或いは氷のように冷たい感情しかない、大きな血系魔法が使えるというだけの、魔法人形に過ぎないのではないのかしら。
「精霊達は、術者と精神界で交信をします。精霊魔法ほど具体的に表れることはなくても、間違いなく、交信は行われています。ですから、クレディオス様が本当に反省し、精霊と向き合う気持ちになったら、精霊達に伝わります。
逆に、口先だけで反省したと言っても、内面が変わっていなければ、彼は魔術を使えないままでしょう」
「なるほど。学長が、元の魔術が使えるようになったら復学しても良いと仰ったのは、そう言うことなんだね。ふむ」
魔法士学校の学長は、先代王の末の弟──王弟殿下で、エリオス殿下の大叔父様である。
魔力量は殿下より低いけれど、歴代王族の中でも高い魔力と知識量を誇る上級魔法士で、王宮の魔法士師団司令部では、エリオス殿下と共に副長を務められている。
風の属性を合わせ持つ水精霊の加護を受け、アァルトネン一族と似た青銀の髪と王族のアメシストの瞳、面差しは母君であらせられる側妃マルユッカ殿下に似ているのだろう、エリオス殿下とは雰囲気だけ少し似ていらっしゃる。
マルユッカ妃殿下は、アァルトネン一族の分家アァルトネン侯爵家の末姫、セオドア従兄さまの大叔母様である。学長が精霊魔法に詳しくても、私達と似た色味をしていたり魔力質が似ていても、おかしくはない。
昔から、数代置きに、アァルトネン一族から王妃や側妃を召し上げたり、王妹が降嫁して来ることが続いている。
それは、アァルトネン一族の始祖とも関係のある事だけれど、理由についてはあまり公にはされていない。
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