氷上の悪役令嬢

Estella

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第一章 『前皇帝と北境の主』

第一章17 『恨んでほしい』

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 隔世殿に再度乗り込んだアメリアは、ノアリデアートが未だここにいることを配置や雰囲気で確認する。それもそうだ、北境にエルムライトがいる以上、隠れる場所はないも同然である。
 全てが順調にいくと思っていたアメリアは、扉を開いた先にいるノアリデアートの表情がこの前より一層険悪であったことによってその思惑を打ち砕かれた。

 アメリアは憤怒に震えそうな自分の感情を無理やり押さえつけ、にこりと微笑みを作る。
 彼を必ず自分のものにできるという確信が、アメリアにはあった。

「陛下、こんにちは。ルカスに全部告発しましたわ。あの女は間もなく反逆者として逮捕されるでしょう。でも、貴方のことは私が必ず護って差し上げますわ」

 滑稽な芝居でも見るかのような冷たい視線にも、アメリアは一切怯まない。
 彼女は表情をがらりと変え、ぽろりと涙を流した。

「おかわいそうに、騙されて……。宴会で、何があったか知っていますか? 私の夫であるルカスが、シャトーブラン公爵令嬢とファーストダンスを踊られたのですよ。もちろん二人ともファーストダンスですわ。私を差し置いて……ねえ、どうしてだと思いますか?」

「黙れ。政治的需要だ」

「本当にそれだけだと思いますか? ルカスがあの人を見る目はそんなんじゃありませんでした。腰に手を回して、目を合わせて、じーっと見つめ合って……。髪にキスしているのも見ました。公爵令嬢も反抗せず、まんざらでもなさそうでしたわよ? 北境はこんなに強いんだから、ルカスのことを好きじゃないなら拒否してもいいじゃない。嘘なんてついてませんわ、ルカスは私の夫なんですのよ、皇后の身で恋敵を増やして、私にメリットなんてありませんわ」

「――……」

 アメリアが身振り手振りを使って説明するせいで、まるで目の前で昨日の光景が繰り広げられているかのような錯覚を受ける。
 腰に手を回し、じっと見つめ合い、髪に口づけをする。
 まるで恋仲のようなその仕草をマルガリータが拒否しなかったのは、何か理由があるはずだ。そのはずだ。まさか本気でエルムライトを好きだなんてことはあるまい。
 だが、エルムライトがマルガリータに愛情を抱いたことは、嘘ではないかもしれない。こんなところで身動きも取れず、身分も魔法もない自分とは違って、あの弟は全てを持っている。その全てを捧げる覚悟を以て愛をささやけるのなら、彼女もいずれ政略的な動機であろうが、彼を選んでしまう可能性だって……。

 ノアリデアートの硬直と動揺を確かにその目に収めたアメリアは、少しだけ近づいて追い打ちをかけた。

「それに、昨日の会話、まだ覚えていますか? あの人、エルムライト皇帝陛下のことを、『ルカス』って呼んでましたよ。どちらの名前で呼ぶかは人それぞれですが、普通母方の名で呼ぶのは許可が必要で、ある程度の親密さがないとできませんよね。それに呼び捨て……妻である私と同じ呼び方ですよ? ねえ、これが全部偶然だなんて本当に思っているんですか?」

「――!」

 ――ああ、そういえばあと……陰謀と運で玉座を簒奪したルカスがいたわね?

 昨日のマルガリータの言葉を思い出したノアリデアートが、さっと青ざめた。
 高位の身分の者には普通名前が二つある。一つ目は父もしくは父方が、二つ目は母か母方がつけるもので、ノアリデアートは特殊な理由で逆になっているが、普通は父のつけた名前が先であり、それが一般的に呼称に使われる。
 二つ目の名前は普通婚約者や友人、師弟、家族の間――つまりは特に親しい者達の間でしか使われない。彼女が昨日エルムライトを『ルカス』と呼んだのは、嘘のつきようがない不動の証拠だった。

「あの宴会のあと、二人は密会してたんですよ。皇后である私でさえ、入れてくれなかったんです! これは本当です、確かめればわかりますよ。二人っきりで何してたのか、全くわからないではないですか……!」

「黙れ……!」

 冷や汗が滲みだしたノアリデアートは、そう大きくもない声でアメリアの言葉を押さえつけようとする。その声に威力がないのは、彼自身も動揺しているせいだろう。
 政略的交際。
 その単語が頭をよぎる。ノアリデアートは二度と彼女を疑わない。だから、エルムライトを憎むマルガリータの感情も疑いはしない。だが、政治の方面ではどうだろうか?
 そもそもマルガリータがノアリデアートと婚約したのも、愛など全くない政治の産物だった。自身を政治の機械のように扱うマルガリータは、十分なメリットがあればエルムライトの誘いに乗るのではないだろうか?

 何より、それならば北境の安全は恐らく保障される。
 皇后がどうなるかは分からないが、アメリアがここまで焦っているということは、この女が降ろされる可能性が高いのかもしれない。
 考えれば考えるほど、何か、何かが繋がってしまう。
 だが、とノアリデアートは自分自身を落ち着かせた。

「ですから陛下、私の愛を受け入れて――」

「黙れと言っている。貴様が何を言おうが、俺はここから動かない。貴様の思い通りにもならない」

 たとえここで逆上したアメリアがノアリデアートを絞め殺そうとしても。たとえマルガリータが最終的にエルムライトを選ぼうとも。たとえ彼女がノアリデアートへの憎しみさえ抱かなくなって、無関心になって、どこかの荒野に彼を捨ててしまおうとも。
 それはマルガリータの選択で、ノアリデアートの介入できるものではない。介入できる資格もない。介入できる力もない。
 自分勝手な判断で彼女を守ろうとしたり、彼女を推し量ろうとしたりするのは、もう二度としない。
 全ての采配をマルガリータに委ねる。それが、ノアリデアートが一番考え通して形作った、彼女を『信じる』ということだった。

「なっ……!」

 予想外の力強い拒絶に、アメリアは顔を真っ赤にして憤怒する。
 動揺さえ作れば、あとは簡単なはずだったのに。マルガリータへの期待を諦めさせれば、思考を止めさせれば、彼をここから連れ出すのは容易いのに。
 どうして、誰もかれも思い通りにいかないのか!

「ふざけな――」

「どうやら、お利口さんにできない人間って、いるみたいなのよね」

 飽き飽きしたような声が、アメリアがヒステリックに喚き散らす前にぴしゃりと叩きつけられる。
 深い緑の軍服に身を包んだ銀髪の少女が、いつの間にか扉に寄りかかって二人を見つめていた。当然、マルガリータ・エステル・ド・シャトーブランに他ならない。
 だが昨日と違うところと言えば、今回アメリアに向けられているのは拳銃ではなく、青い電気を放ち続ける棒状のスタンガンだった。
 それを見たアメリアは「ひっ」と声を漏らして後ろに下がり、壁に激突する。

「ま、マルガリータ、あんた……! わ、私はもう全部告発したから! ルカスはもう知ってるんだから! あんたももうすぐ終わりなんだからぁ……!」

 彼女の声を聞く意義も価値も時間もなかったマルガリータは、素早くアメリアに接近したかと思うと、スタンガンを俊敏に振り抜いた。
 アメリアの驚愕に見張った瞳に、青色の電気が弾けるのが映り――、そして、全身に電気が蔓延する。

「あぁああっっ――!!」

 彼女が甲高い声で叫んだのも一瞬、すぐに意識を失い、白目をむいて地面に力なく倒れ込んでしまった。
 倒れたアメリアを一瞥したマルガリータは、外套にスタンガンをしまい込んで扉の外に目を向けた。

「ヴァイス」

 その名を呼ぶと、影のようにその少年がぬっとあらわれる。
 何の指示もされていないにもかかわらず、することが分かっているかのように、彼は倒れているアメリアを引きずり出す。
 それを見守るマルガリータを、ノアリデアートは心臓の鼓動を押さえながら何か言いたげに注視していた。

 彼女であれば、魔法を使ってノアリデアートとアメリアの攻防を聞いていたはずだ。彼がアメリアをはっきりと拒絶したのも、そして彼の心に波をもたらした、エルムライトとのことに関する話も。
 マルガリータがそこにどう思っているのかも気になるし、だが何よりも、彼女がもう一度自分のために駆け付けてくれたことに言い知れぬ感情が湧き上がっていた。
 帝国と対決する名分が欲しいだけなら、ヴァイスにアメリアを押さえさせてもいいし、最悪ノアリデアートが生きていようが死んでいようが、帝国につかまろうが逃げようがどうだっていいだろう。

 だけれど彼女はこの危険で忙しい時に、自らここにアメリアを押さえに来た。
 三年の監獄生活で固まっていた、いや、もしかすれば物心ついた時から一度も融けたことのない凍て付いた心が、静かに小さく脈動を打つ。
 その狙いが、何だったとしてもかまわない。彼女がまだ、自分のために手間と時間を消費してくれる限り。

 アメリア引きずり出したヴァイスが退出し、部屋は再び二人きりに。
 幾度となくふたりきりになったことはあったが、ノアリデアートにとって今日ほど気まずさを覚える日はなかった。彼女は、どうだろうか。
 だが、その揺れない瞳の中から感情を読み取れることなど、はなから期待していない。

「ルカスはもう北部を中心に捜査を始めているわ。ここはそう簡単にたどり着けないけど、もう安全とは言えない。場所を移動してもらいます」

 事務的な連絡を機械的に処理するかのような抑揚のない言葉がすらすらと流れていって、そんな短い言葉を残してマルガリータはそのまま歩き去ってしまおうとする。

「エステル!」

 彼女の背中に手を伸ばして、ノアリデアートはなおもあきらめずにその名を呼んだ。
 焦燥を超えて絶望にも似た感情が湧き上がる。一瞬だけでも、足を止めて欲しい。例えここで時間を費やすことが彼女にとって何の価値もないと分かっていたとしても。
 その恐慌が、彼の思考を待たないまま言葉となって放たれる。

「――俺を恨んでくれ」

「……」

 その言葉には、さすがのマルガリータも目を見張らざるを得なかった。

「殺してしまってもいい。だから恨んでくれ、恨んでくれないか?」

「……」

「復讐すればいい。君の強さも疑わない。だから……何もないのは、やめてくれないか?」

 さすがに足を止めたマルガリータは、ぎゅっと拳を強く握った。自分の心が激しく揺れ動いているのを、もう認めざるを得ないから。
 生きていても死んでいてもどうだっていいと、そういう風に扱われるのが憎悪を向けられ殺されることよりも苦しいと。言葉よりも雄弁に全身で主張する彼の心が、どうしても伝わってきてしまった。
 だからプライドも矜持も投げ捨てて手を伸ばす彼への憎しみが揺らいでいるのだと、認めるしかない。

 でも、彼の懇願があまりに心に響くからと言って許してしまったら、これまでの自分の苦しみは一体何になってしまうのだろう?
 この懇願も、切望も、マルガリータがたまたまヴァイスと出会って、原作を知って、ここで生き残ったからできたものだ。
 だけれど原作ではマルガリータはノアリデアートの婚約破棄のせいで、家族もろともあんなにも無惨に死んでいってしまうのだ。それを回避できたのは良かったが、それが自分の未来だと知らされたときの恐怖は忘れられないし、実際『原作』のマルガリータは死んだのだ。今の彼女が経験していなかろうと、実際に悲劇は描かれたのだ。

(ううん、今は考える時間がない……やるべきことを)

 ノアリデアートに返事をせぬまま、マルガリータは部屋の外へ出て行ってしまう。

「エステル――!」

 色々な感情と思い出を呼び起こすその名前。その響きを隔絶するように、扉を閉めた。
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