氷上の悪役令嬢

Estella

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第一章 『前皇帝と北境の主』

第一章18 『君の部屋』

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 出て行ってしまった彼女が返事さえしてくれなかったことに、ノアリデアートは呆然としてしまう。そもそもなぜ、自分があんなことを言ってしまったのかも分からない。
 アメリアが語ったエルムライトの件のせいだろうか。それとも、奥底に埋めた感情の噴出か。
 分からないが、マルガリータが完全にノアリデアートを拒絶した事だけは、分かった。

 もはや涙も出ないし、絶望も湧きあがらない。
 『生きる』ということに必要な機能をすべて失ったかのように、茫然自失の状態で扉を見つめる。
 それも、当たり前だ。生きていても死んでいてもいい存在なら、生きようと足掻く必要性があるだろうか。死を待てばいいだけの話ではないか。

(は……)

 完全に全てを放棄したその瞬間、ノアリデアートは去っていった足音が引き返してくる音を聞いた。
 ばっと顔を上げてマルガリータの姿を目にしたとき、ついにおかしくなって幻覚でも見たかと思ったくらいで。

「あ……」

 相変わらずの冷ややかな表情。目も合わせてはくれない。それでも、彼女は戻ってきた。
 マルガリータは何か小さなものを手に持っていて、ノアリデアートの方に歩み寄ると、それを手枷と鎖の接合部の中にある鍵穴に差し込んだ。
 一瞬、その久しい距離の近さに慌てたせいで思考を停止させてしまったノアリデアートは、彼女の行動の真意に気づくのに時間がかかってしまった。

「……。――まさか俺を!」

「残念だけど、釈放とはいきませんね」

 そう言いつつ、かちゃりという軽快な音と共に、手枷と鎖が分離した。
 魔法を封じる術式の入った手枷を取ることはできないが、この瞬間、彼は身体の自由を取り戻してしまったのだ。
 だがこの行為が、ノアリデアートをどこか荒野に投げ捨てるためではないということは、何となくわかった。
 驚愕で顔を染めた彼は、地面に落ちた自分の行動を縛り続けてきた鎖を見つめる。そして視線は、鎖を外したマルガリータに向かった。

「……外していいのか?」

「外さないと動けないでしょう」

 鎖を投げ捨てたマルガリータは顔を上げ、何でもないことかのように尋ねる。

「歩けますか?」

 平淡な彼女の声に、やはり感情は見られない。
 だがその言葉に従って、ノアリデアートは久々に立ち上がって自身の歩行機能を確かめた。ややふらつくし傷に響くが、歩けないというほどでもない。
 鎖から解放されたという驚愕と非現実感が、今は彼の絶望と苦痛を覆い隠した。

「……ああ」

 そうして扉が開いて、ノアリデアートは三年ぶりにようやく軟禁状態から解放され、一歩を踏み出した。
 彼が歩けるのを確認したマルガリータはそれ以上振り返ることもなく、隔世殿の長く迷路のような廊下をすたすたと歩いていく。
 ノアリデアートはただ黙って、懸命に彼女に付いていった。彼女の歩く速度は決して傷病人に友好的とは言えなかったが、その背中が今の彼にとっての唯一の道しるべだ。

 隔世殿の裏口が静かに開かれた瞬間、新鮮な空気と冷たい夜風が優しく頬に触れる。
 ノアリデアートが思わずぼんやり夜空と外の世界を眺めていると、マルガリータが黒色の厚めのコートを差し出してきた。

「あ」

「この寒さでその服は、死にます」

「あ、あぁ……」

 長袖の白シャツと長い黒色のズボン、という服装が、北境に来てからのノアリデアートの普段の装いだった。確かにこのままでは、馬車の中で凍えるかもしれない。
 だが、命は心配いらないだろう。あの豪雪の中、あの傷で暴力を受けながらも生き残ってここまで来たのだから。そう思いながらもおずおずと襟元が大きめで重厚なコートに腕を入れると、じんわりとした温かさが体中を駆け巡る。

 少し離れたところで、ヴァイスが馬車の扉を開いた。マルガリータは頷くと、視線でノアリデアートに付いて来るように示してから馬車に向かう。
 二人で馬車に乗り込むと、ヴァイスが御者席に乗り、静かに動き出した。
 鎖もない。暴力もなければ侮蔑も受けない。ただただ少女と二人で馬車に乗ってどこかへ向かうというこの状況が何だか気恥ずかしくて、ノアリデアートは思わず窓をじっと眺めていた。カーテンを閉められているのに。

 ようやく目の前の景色に現実味を感じられるようになると、必然的にあることが気になった。

「どこへ……行くんだ?」

 窓を腕の支えにして顎に顔を乗せたマルガリータは、その言葉を聞いて視線だけを彼に向ける。

「わたしの家」

 平静に、冷淡に放たれた爆弾発言が、ノアリデアートの耳元で炸裂した。呼吸が一瞬止まる。

「はっ……?」

「『氷結城』最上階。わたしの部屋に貴方を一時的に移動させます」

 ゆっくりと走る馬車の中。
 思いもよらぬ言葉に、ノアリデアートはしばし言葉を失っていたのだった。
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