黒衣の将軍と竜神の花嫁

ほづみ

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43.忍び寄る影 2

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「お休みのところ申し訳ありません」

 応接間に入るなりイヴァンが立ち上がって頭を下げる。

「いや、いい」
「それにしても、仕事の鬼のジェラルド殿下が必要最低限しか書類の確認をされないなんて、司令部の連中は全員驚いていますよ。奥様となられる方と仲良くされるのは、いいことですが、正式な婚礼はまだですよね。あまりかわいがっていると、用意した婚礼衣装が入らなくなって慌てても知りませんぞ」

 内容に反して口調が冷たいので、ちょっとは仕事しろと言いたいようだ。

「もしそんなことになったら大喜びするがな」
「大喜び……どれだけ奥方に溺れているんですか。ただ、私としてはあの娘をレティシア様より先にお迎えするのはどうかと思いますがね。愛人に留めておかれた方が」

 ジェラルドに睨みつけられていることに気づき、イヴァンはそこで言葉を区切ってコホンとひとつ咳をした。

「まあ、立場でいえばあの娘も一国の姫なので、殿下との身分は釣り合いが取れてはいますがね。……それはそれとして、偵察部隊から気になる情報が入っています。風の王国のカナート基地に航空機が集められているようなのですよ」
「カナートか……」

 山脈を挟んで一番暁の帝国に近い風の王国の軍事拠点だ。帝国への偵察や攻撃は、たいていここから行われる。

「カナートからなら西部の都市が狙われるのか。カナートの動きに注意しなければな」
「風の王国内に放っている諜報員から気になる情報が入っています。おそらく風の王国は航続距離の長い小型の航空戦力の開発に成功している、と」
「……なんだと……」

 今まで暁の帝国と風の王国の航空技術はほぼ互角で、お互い、山脈に最寄りの基地から山脈を飛び越えた最寄りの都市までしか飛べない。航空機による爆撃ともなると、爆弾の重さがさらにネックになっていた。

「狙われるのは西部地域ではない可能性が高いです」
「……帝都を総攻撃、か……」

 ジェラルドは考え込んだ。あり得る。

「偵察機を頻繁に飛ばして向こうの動きを細かく見張るしかないな。もし本当に爆撃をするつもりなら……少なくとも帝都の手前で落とさなくてはならん」
「カナートから爆弾を抱えて山脈越えできるような機体を、うちの航空機で落とせますかね」

 イヴァンが聞いてくる。

「できるできないではない、やらなくてはならない。しかし、爆弾を抱えて山脈を越え、帝都までとはね……やたら燃費のいい馬力があるエンジンの開発に成功したということだろうか。機体の軽量化や強度の問題も避けて通れないのに、化け物だな」

 ジェラルドの溜息に、イヴァンも頷く。

「一機でも無傷で鹵獲できればいいが、まあ難しいだろうな」
「一機も都市部に近づけないことができれば御の字ですよ。それにしても、ですね」
「ああ、それにしても、だ」

 イヴァンの言いたいことはわかる。風の王国は大陸西部の工業国家と手を結び航空戦力の開発に心血を注いでいる。暁の帝国も、大陸西部の最新技術の導入をはかっているが、物理的な距離の部分で風の王国には引けを取っている。歴史的に見て、暁の帝国は風の王国よりはるかに大きな力を有している時間が長かった。とはいえ、これからはどうだろう。
 いつまでも隣国を侮っていると痛い目に遭うのではないか。

 それは隣国だけでなく、暁の帝国に属していない周辺国に対してもそうだ。たとえば竜の国のような存在を、この国は侮っている。だが侮っていい存在だろうか?
 ジェラルドとイヴァンがなんとなく黙り込んだその時、執事のバークが現れた。

「宮殿より使いです。急ぎとのことですので、すぐにご確認を」

 そして恭しく盆の上に乗せた一通の手紙を差し出す。急ぎということは今すぐ確認して返事をしろということだ。
 ジェラルドは封筒を手に取ると、盆の上に一緒に乗っていたペーパーナイフを使って封を開けた。

『おまえが連れて行った竜族の娘について確認したいことがある 手紙を確認次第、至急参上せよ』

 短い文面。署名はグレアム・サナ・バステラール。父たる皇帝の名が記してある。
 ジェラルドは目を細めた。

「この文章は今しがた届いたものか?」

 ジェラルドが確認すると、バークは頷いた。

「届けた使者は未だ留まっているのか」
「さようでございます」
「……いいだろう。望み通り今すぐ行こうではないか。使者に伝えよ」

 ジェラルドは立ち上がると、手紙とペーパーナイフをバークの盆に乱暴に乗せた。
 バークが下がると、ジェラルドはイヴァンに目を向ける。

「というわけだ。少し宮殿に顔を出してくる。北部軍司令部に戻り伝えよ。警戒を怠らず、何かあれば即時対応するように。私からは以上だ」
「了解しました。あともうひとつ、お耳に入れておきたいことが。これは竜の国につけている見張りからの連絡ですが、アイリーン姫が出発後すぐにあの国から帝都を目指していた者たちがいたのです。竜の国から帝都までは陸路でひと月。先日帝都入りしてすぐに皇帝へ謁見を申し出て……その後、使者の姿が確認されておりません」

 イヴァンの報告に、ジェラルドは表情を険しくした。

「……」
「お気を付けください」
「……ああ。報告、感謝する」

 ジェラルドは頷くと部屋をあとにした。
 皇帝は地政学的に竜の国を手に入れたいとは思っているが、竜の国そのものに関しては下に見ている。アイリーンに対してもさして関心がないから、女官たちに「側妃になるには不適合」とされたアイリーンをさっさと追い出した。女王ではなく、ふしだらな妹を送りつけてきた行為には怒り狂ったが、竜の国の姫そのものにはたいして興味がなかったはずだ。

 そもそもなぜ竜の国の使者が皇帝に謁見を申し出たのか。まあ、皇帝に用があってもおかしくないからそこはいいとして、問題はなぜ、謁見を申し出た使者が行方不明になっているのか。

 ――俺は読み違えたのか?

 皇帝は本当に竜族の血を欲していた?
 使者を待たせたまま身支度を整える。黒い軍服をきっちり着込み、髪の毛を撫でつけ、それなりに重みのある剣を佩くと、この数日間アイリーンと過ごしていたせいで忘れがちだった、将軍としての気持ちに切り替わる。

 険しい目つきで、ジェラルドは宮殿に向かった。
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