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修道女、姫の護衛をする

曖昧が似合う人

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 彼は誰からみても、絵に描いたように『いい人』だった。

 柔らかい微笑みも、丁寧な言葉遣いも、すぐに気持ちを汲み取ってくれる所も、気の利いている所もすべて『いい人』だった。
 人間にあるはずの嫌味な部分とか、暗い気持ちを思わせる影が見当たらなくて、ほんとうに気持ちいいくらいの心からの親切ができる人だった。
 泣いている人がいたらさりげなく背中をさすって、静かに話を聞いてくれるような人。
 彼はいつも肯定も否定もせず寄り添ってくれる。
 きっと誰もがあの人に抱く印象は同じだと思う。

 実際に、彼の見かけは派手ではないけど清潔感があって、小洒落ている。持ち物ひとつひとつ、詳細には思い出せないけど、洗練されていた。
 顔立ちは整っているが、目鼻立ちよりも、性格がいい人過ぎて、目立つことなく、人の中に上手く中和剤のように溶け込んでいた。

 しかし、何故か、目を瞑ると顔が思い出せないように、彼と言うものが、記憶の中に残らない。
 ぼんやりとなら分かるのだが、鼻の高さとか目の形とか、詳細が分からないのだ。
 今なら何故解らなかったか、解る気がする。
 人に合わせ過ぎて全てがぼんやりしていたのかもしれない。
 あ、そんな人もいたな、っていう感じに。

 マリーも、サラも例外なく、同じことを思った。
 いい意味で目立たない、いい人。
 マリーたちは、彼とよく居たのに、年齢すら不確かな、そう、酷く曖昧な人物だったことすら、不思議に思わなかった。

 だから、彼女たちも、不確かで中和剤のような彼の側は王城で唯一身構える必要がなく、不思議と心地よかったのだろう。
 ついつい、時間を見つけて通ってしまうような、気持ちも分かる。

 だって、マリーはいつもリシャールの事で途方も暮れるように、悩んでいた。
 リシャールは修道女であるマリーを気に入ってから、勝手に婚約決めたり、同居を強制したり、仕事を邪魔したり、執拗に束縛のように体に痕を付けたがったり、24時間監視されたり、監禁紛いの愛し方等、行動のすべてが無茶苦茶で、強引だった。
 たかが下っ端修道女に、あの氷華殿下であるリシャールをどうにか出来るわけもなく、止めることもできない。マリーはただ、なされるまま、だ。
 権力で、リシャールがその気になれば、マリーにどんな事も出来てしまう。
 リシャールの事が嫌いならば、彼のことも仕事だと割り切れる部分があったのだろう。訳が悪いのは、リシャールはマリーにとってすでに特別な人であり、だからといって関係を進めることもできず。
 マリーは、彼に対する気持ちと職務に頭を悩ませていた。
 王子でなければ、リシャールをストーカー容疑で訴えたり、あの綺麗な顔を思いっきり引っ叩いたり、流れるままリシャールの胸の中で身を任せる事が出来たのに、といつも思っていた。

 一方、サラもテオフィルの事で自分を責めるように悩んでいた。
 テオフィルも身勝手で、サラにボトル一本分の尋常じゃない量の媚薬を盛ってぐちゃぐちゃになるまで抱き、そのままサラの意思有無を確認もなく結婚したのに、新婚生活は別室、あの情事に耽った夜は幻かと思うくらい、今や妻であるサラを放ったらかし。
 やるせない新婚生活。しかも結婚によって、自国を離れ、孤独だった。

 謎が多い兄弟王子に振り回されている彼女たちは恋愛について悩んでいたから、つい、彼に相談してしまうことは不思議なことではなかったはずだ。
 だからといって、彼を好きになることはなかったのだけれど。
 身勝手な自分の好きな人に飲まれるままの恋に身を沈めていていたのだけど。

 図書棟で、悲恋物語を借りたて最近によく貸してもらっている個室で過ごしていた午後の事。
 サラとマリーと、彼で忘れられない恋について話したことがあった。

「私、物語の挿絵を描く仕事をしているんです。それで、いろいろな話を読むのですが、実体験が乏しくて、困っていて」

 マリーの発言に、彼も恋愛は難しいと同意した。

「え? 独身なんですか」
「はい、残念ながら」
「モテそうなのに、意外です」
「いえ、モテませんよ。面白みのない男ですし、いつも空回りしてしまうんですよね」
「そんな風に見えませんけど。ちなみに、今までに忘れられない恋ってありますか?」

 マリーがいつもの興味本位な調子でモテそうな彼に聞いてみたのだ。彼はぱっと見若くもみえるし、けれど落ち着いた物腰から実年齢は結構いっていると思う雰囲気の人物だ。彼は少し迷った後、困った顔をして話してくれた。

「私はダメなやつなんですよ。初恋の女性をずっと今まで引きずっていてね。それも、もう、何十年もね」
「まぁ。……ちなみに貴方にそれほど思われ続けるひとは、どんな方だったんですの?」

 割といつも3人で話す時は話を聞いてばかりのサラが珍しく口を開いた。サラは2人ならそこそこ話すのだが、複数になると静かになるタイプだったのに、珍しいことだった。

「幼馴染で、その……兄の婚約者でした」
「「まぁ」」

 どうやら、訳ありのようだった。
 彼は恥ずかしいような、懐かしむような微笑みを浮かべて語った。

「彼女とは両思いだと思いつつ、兄を裏切れずに身をひいたんですが、結果的に、やはり後悔しましたね」

 彼は視線を机に落として、目蓋を閉じていた。道ならぬ恋を思い出すように。
 マリーたちは詳細を聞かなくても、きっと優しい彼は兄を裏切ることは出来なかったのだろう、となんとなく思った。

「もう、彼女には会えません。ただ、言えることは、時に理屈より、思いのほうが正しいこともあります。貴女方はまだ若い。私のように後悔しないで下さいね」
「優しいのですね」

 サラが呟くように静かに言った。

「優しくはありませんよ」

 サラが「なんだかわかる気がします。わたくしが貴方でも多分身を引いていたと思います」、と同意した。サラは彼に寂しそうに視線を送った。

「そういう恋ができるあなたに愛された彼女は幸せですね。身を引くことは、悪いことばかりではないと思います。自分の気持ちを押し付けるだけが愛ではないのですから。叶うだけがいい恋ではありません」
「そう、言われると救われます」

 サラは好きな人と結ばれたが、現在幸せとは言えない。それを思えば、ずっと綺麗な思い出のままの恋の方がよかったのかもしれない。
 時々思い馳せるくらいがよかったのかもしれない。
 やはり、愛や恋は難しい。
 あの時は、鈍いマリーは気づかなかったのだ。 
 ああ、彼が寂しい顔をしたのは、サラを見ていたからだ。過去の恋人と重ねていたんだ、と。

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