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1.想うと思うの違いって?

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「水筒持った、ハンカチ持った…それから…」

あっ、ハンドクリーム!

仕事柄、絶対に忘れてはいけないものを危うく忘れようとしていた。

ベッドの横にある白い棚には、お気に入りのハンドクリームがずらりと並んでいる。

ローズやラベンダー、金木犀に柚木、甘酸っぱいリンゴやイチゴの匂いまで、気分に合わせて選べるように様々な香りを置いていた。

金額も500円で買えるお手軽なものから、デパートで買ったちょっと高級なものまで色々。

今日はどの香りにしようかなと、私がハンドクリームを選んでいる時、足先にモフモフとした柔らかな感覚を感じて、思わず口元がにやける。

「ふふっ、ごめんね。もう出勤しないといけないの。帰ってきたら、たっくさん遊んであげるからね?」

もふもふの正体を見るべく、足元に視線を落とすと、真っ白まんまるの横からひょっこり長い耳と、同じくまんまるとした可愛い顔が私を見上げた。

この子はウサギの『雪ちゃん』
一緒に過ごして2年になる女の子で、亮ちゃんからクリスマスにプレゼントしてもらったのだ。

ずっとウサギが飼いたくて、何年も何年も悩んでいた私は、会社が終わるとペットショップに足を毎日のように運んでいた。

雪ちゃんを迎えたペットショップは会社の近くにあるんだけど、犬猫の販売は行っていない。
飼い主のいない犬や猫をこれ以上増やさないための活動の一環で、毎週土曜日に行っている譲渡会でのみ、センターから連れてきた犬や猫を新たな飼い主に引き渡すことをしているそう。

ウサギなどの小動物の販売は行っているみたいだけど、そんな素敵な取り組みをしているペットショップで私はウサギを迎えたいと思っていたのだ。

だけど、命を迎えるということは中途半端な気持ちじゃいけないとわかっているが故に、なかなか一歩が踏み出せずにいた。
だから、気づけば3年も店に通っていたのだ。

それが2年前のクリスマスの朝、大きな赤いリボン付きで、無数の穴が開いた謎の箱を大事そうに抱えた亮ちゃんがドアの前に立っていた。

メリークリスマスの言葉と同時に箱を開けると、雪のように白いウサギが顔を出して私を見上げる。
手を伸ばした私の指に鼻と口を近づけてきた。ヒクヒクと動く小さな鼻が可愛い…っ!

こうして、雪ちゃんは私の家族になったのだ。

「いい子に待っててね」

部屋で離したままにすると危険なので、雪ちゃんをケージに入れた私は急いで1階に降りる。

「結愛ー!今日は出るのが少し遅いんじゃない?大丈夫?」

「大丈夫だよ!だけど、少し早足で行くねー!」

リビングから新聞片手に顔を出したお母さんは、ベージュのスーツ姿でザ・出来る女!って感じ。

「気を付けてね、お母さんもあと少ししたら出るから」

行ってきますとお母さんに軽く手を振った私は、少しどころではなく、かなりの早足で会社へと向かった。



            ※ ※ ※

――亮ちゃんと最後にお泊りしてから15年の月日が経ち、28歳になった私はネイリストとして頑張っている。

幼い頃から不思議とネイルをしている人の爪を見るのが好きで、レジで可愛いネイルをしている人がいたら、ひたすら目で追うほど。

まだマニキュアを禁止されていた年齢の時は、自分の爪を絵具やペンで塗ってみたことだってあるし、こっそりお母さんのマニュキュアを塗って怒られたこともある。

それ以来、私の夢はネイリストになり、今こうして多くの人の爪を綺麗に出来る仕事をすることができて、毎日が幸せだった。

でもなにより、お客様が仕上がった自分の爪をうっとり眺めながら、また今日から頑張ろうという気持ちが伝わってくる時が、一番幸せな瞬間でもあった。

電車に乗り、サロンに着くとワンショルダーになった黒いエプロンを着ける。
それから今日の予約を確認、備品を準備したり、お客様がゆっくりくつろげるようにBGMやアロマの準備をして、私の仕事はスタートだ。

持ってきた水筒のお茶を飲みながらお客様の到着を待っていると、スマホがカバンで震えているのに気づく。

画面に『亮ちゃん』の文字が表示されているのを見た私は、慌てて時間を確認する。
9時50分。まずい…。約束の時間より10分遅れていた。

「…もしもし」

「結愛。電話は?」

「ごめん…。色々お客様が来る準備をしていたら忘れて…」

サロンには9時40分には確実に着くだろ、着いたら必ず電話かメールを入れると約束したはずだ…などなど、亮ちゃんのお説教が始まる。

チクチクとうるさい亮ちゃんの声をなるべく遠くから聞きたかった私は、スマホを持った手の腕を可能な限り伸ばす。

うん。これなら何か言ってるのは分かるけれど、内容までは聞こえない。

「あらら、相変わらず~」

シーッ!!!

不正を行っていることが知られたらマズい私のすぐ後ろから、店長の亜紀さんの声がした。

「結愛ちゃんの幼馴染さんは、本当に心配性ね」

亜紀さんは筋肉質のカッコイイ感じの女性で、5人の子供を育てるお母さんでもある。

「心配症すぎですよ、毎朝必ず連絡するなんて絶対無理なのに…」

ささっと電話を切った私は深いため息をつく。
それから気持ちをリセットするために、水筒からお茶を飲んだ。

「でも、羨ましいなぁ。こんなに大切に想ってもらえるなんて、そう滅多にないよ?」

「思ってもらえる?」

「そっちの『思ってる』じゃなくて、好き好き!もう結愛ちゃんしか考えられなーい!って想ってる方ね」

亜紀さんはオペラ歌手のように両手を遠くへ伸ばしながら、切なげに眉毛を八の字にして私を見つめる。

その仕草と表情が面白くて、私は飲んでいたお茶を吹き出しそうになり、慌てて近くに置かれたテッシュを数枚引き抜く。

そして、自ら笑いを取りに行った当の本人までも笑いが止まらず、挙句の果てには自分の肘でラインストーンのケースを床に落として、中身をばら撒いてしまった。

好き好きって…。
亮ちゃんの心配性は今に始まったことではないし、『どこに行くにも必ず連絡制度』は近所の変質者事件以来、彼に半ば強制的に約束されたもの。

それが当たり前でやってきたから私の感覚が、他の人よりズレてるかもしれないけれど、これが『想われてる』ってことなの…?

ラインストーンを一緒に拾ってる間ずっと考えてみたけれど、結局私にはわからなかった。
大切に思うことに違いはあるのだろうか?

「まぁ、冗談はここまでにして」

冗談というレベルの散らばりようではなかったですが…?

「人を想うって漢字には、相手の『相』と『心』があるでしょ?だから、相手のことを心から気にかけてるって意味になるんだよね。私から見ると幼馴染くんも、そっちなんじゃないかなって思うな」

亜紀さんの言ってることはよくわかったけれど、理解できないのは後半部分だ。

そっちって、どっち?

「私だって亮ちゃんのことは好きだし、家族のように大切に思ってますよ?」

「あちゃちゃ~!それ幼馴染くんに言ったらダメだからね?もう、結愛ちゃんたら可愛いんだから。もちろん顔もだけれど、その抜けてるところとか」

幼馴染くんは、こういう理由で結愛ちゃんを放っておけないのかな~。

ははーん、なんてドラマに出てくる刑事しかやらなさそうなポーズを決めながら、亜紀さんはレジの方へ向かった。

亮ちゃんは私にとって大切な幼馴染であることに変わりなくて、それ以上でもそれ以下でもない。
だけど、亮ちゃんは違うってこと…?

うーん、本当によくわからない。

そう思っているうちに、今日一番のお客様がドアを開ける音がする。

今日も指先に魔法をかけるぞ!と気合を入れ直した私はお客様を迎えに行ったのだった。












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