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【第二部】魔王覚醒編
23)『敵』
しおりを挟む目を焼かんばかりの魔法陣の輝きが収まったと同時に、魔力の供給源であったモアは気を失いその場に倒れこんだ。ザトーは、と言えばそんなモアを助けるでもなく。
ただ、頭の中で鳴り響く警鐘がぱたりと止んで、自分がもう完全に取り返しのつかない事をしてしまったという事実に腰を抜かしていた。
「腑抜けですネ……」
失神しているモアと茫然自失のザトーを見下ろし、フィルガーは小さく呟いた。まあ、それでも、この部屋に満ちる異様な空気を魔力が無いなりに察したザトーは、やはり戦士なのだろう。
フィルガーはこつ、こつ、と靴とステッキの音を響かせて魔法陣の中央に歩み寄る。そしてステッキを一振り。グレン縛り付けていた両手両足の拘束具が、バチンと音を立ててはじけ飛んだ。
「サァ、起きナサイ」
歌うように、フィルガーはそう言った。
その瞬間、ガバリとグレンが上体を起こす。何かを確かめるように両手を握ったり開いたり。その後、ゆっくりとグレンはその土台から降り立った。
「フム、調子は良さそうですネ」
フィルガーの問いに、グレンはコクリと頷く。
そしてフィルガーの横に並び立ち、フィルガーと共にその『新しいグレン』はぐるんと首を曲げて、ザトーを見た。
二人の異形に見据えられたザトーは、尻もちをついたままに後ずさる。
ザトーとて、傭兵として戦場を駆けてきた。だから、命の火が消えた死人の、あの光のない瞳も何度も見てきた。あるいは、気が狂って目の焦点が合っていない人間の顔も見てきた。
だというのに。今、目の前にいる少年の目は――そのどれとも、違う。
光を宿さない赤紫色の瞳はただの空虚ではなかった。そこに、ザトーは確かに底知れぬ闇を感じている。これならば、フィルガーに事前忠告されていた眼帯の下にある『悪魔の瞳』を見た方がマシなのではないかと言うほどに、その瞳からは悍ましさが漂っていた。
「ザトー君」
「ヒッ!」
大男のザトーから、情けない声が漏れる。それを聞いたフィルガーは、フッと鼻で笑う。
「何を怯えることがあるんデス? 大変有能な兵器ができあがりましたヨ?」
フィルガーが一歩一歩、ザトーの元へ歩み寄る。それを見たグレンも、虚ろな目のままにフィルガーに文字通りにくっついて歩いてきた。
「サア! ザトー君、今こそ! 大好きな戦争を始めまショウ! もう敵の軍勢は目の前に迫っているのデス!」
尻もちを着いたザトーを前にして、フィルガーは両手を上げて高々と叫んだ。表情のないペストマスクをしていても、わかる。その声音が、喜色に満ちていることに。
ザトーは返事をしなかった……いや、できなかった。別に戦争が好きなわけではない。争いが好きなわけではない。
ただ、平民から脱却して、貴族になって、美味いモンを好きなだけ食って、綺麗な女を好きなだけ抱けるようになれば、それで良かった。
それだけで、ザトーは満足だった。
「こんな、はずでは……」
ようやく、絞り出した言葉が、それだ。それを聞き咎めたフィルガーは、やれやれ、と首を振る。
そして、隣に立つグレンの両肩にポン、と手を置いた。
「ザトー君も、彼のように意思の無い兵器になるのをご所望ということデスカ?」
「っ!」
「……そうでないなら、ワタシの契約主のために、働きナサイ」
長身を折り曲げたフィルガーが、ザトーの目を覗き込むようにして低い声で言う。
悪魔が人間を脅すことは許されない。しかし、契約主の利を守るためであれば、許される。フィルガーにとってモア・クレイアという契約主はどうでも良い人間であったが、契約主であるからには有効活用させて貰う。
言い換えれば、契約主であるモアより、このザトーという男はもっとどうでも良い存在であった。それこそ、今ここで「契約主に危害を加えた」として殺しても気にならないほどに。
「ぐ……くっ……わ、かった……っ!」
ザトーは女子供の様にか細い声で、そう答えた。
――悪魔の甘言に乗ってはいけない、地獄に連れて行かれるから。
その忠告を子供騙しの作り話だと笑い飛ばしたのはいつの事だったか。自分の方が悪魔を利用してやる、と息巻いていたのはいつの事だったか。
遥か昔の事のようにザトーには思えた。
後悔してももう遅い、すでに自分は地獄に足を踏み入れてしまっている。
レオン率いる第一部隊は町には手を出さず、全て通過して一直線にクレイア子爵の屋敷を目指していた。
シャノン達からクレイア子爵の動向は筒抜けである。
領民を兵士として取り立てている事。金や食料も領民から取り立てている事。まともな兵はおらず、ゴロツキが兵士の真似事をしている事。屋敷に人を集めただけで、まだ何をしようとも動きが無い事。
それらの情報を勘案して、レオンは騎兵のみで急襲を仕掛けたのであった。
加えて、グレンの身が心配な点もある。命が狙いであれば最初の襲撃で転移などという罠に嵌めず、その場で殺しているはずだ。そうではなく、わざわざ転移魔法を使ったという事は、グレンに何かしらの利用価値があるという事。
何を企んでいるかは不明だが、時間がかかればかかるほど、グレンの身に危険が及ぶことは確かだった。例えば……それこそ、以前のように死ぬまで魔力を強制的に吸い上げるだとか。
レオンの馬より先行していた騎士が、手を挙げて後続に異変を知らせる。それを見たレオンは、即座に全員に停止命令を出した。
「……お出迎えか」
クレイア子爵の屋敷へ通じる道。馬車が通るために大きく、広く整備されている道は……もちろん、戦争時に部隊を集結させる場所にもなる。
そこに、多くの人間が武器を持って立っていた。そう、文字通りに立っていた。
体に合っていないどころかつけ方を間違えている防具の数々。武器が足りなかったのか剣ですらない農具を両手で構えて。
全員が恐怖に怯えた顔のままに、レオン質の前に立っていた。
思わず、レオンは大きく息を吐く。彼らはどう見ても、ただの一市民であり、何の敵意も持たない善良なる人々であった。
「肉の壁にする気か、クレイア子爵は……」
「なんと惨い事を……」
レオンと同じように、目の前に立つ人々の様子に気づいた騎士達に動揺が走る。
まさか、クレイア子爵……あるいはザトーが自前の騎士を並べずに、戦いを知らぬ市民で本当に戦争をする気だとは、誰もが思わなかった。
騎士の剣は力無き民を切り捨てるためにあるのではない。力無き民を守るためにあるのだ。
故に、レオンによって叩き直された王国騎士の間に走った動揺は激しい物だった。それに気づいたレオンは舌打ちをする。これで戦意が低下して、上手く事を運べなかったら問題だ。
(意外と切れ者なのかクレイア子爵……いや、背後にいる悪魔が、指示を出しているのか)
ドーヴィを見ていれば、悪魔と言う存在が伝説上の話よりもよほど、人間に近しい生き物であり、頭が切れる生き物であるかよくわかる。
レオンは馬を操って騎士達の前に出た。さらに広範囲に声を届ける魔法を詠唱した。
「私の名前はレオン・シルヴェザン! シルヴェザン侯爵である! クレイア子爵よ! 貴様には国家反逆罪の疑いがある!」
その言葉に、最もざわついたのはレオン達の前に立ちはだかっていた一般市民達であった。恐らく、クレイア子爵から何も聞かされていなかったのだろう。今ここでなぜ、こうやって王都から騎士が攻め込んできたのかを初めて知った様だった。
動揺する市民達を押し退けて出てきたのは、一人の男。妙にくたびれている感じがあるが、その目は爛々と輝いていた。
「ええい! 逆賊め! 国家反逆罪ではない、これは我々クレイア王国による、正当な革命である! 本来であればこの国は我らがモア・クレイア様のもの! それを武力で奪い取り、さらに帝国に明け渡した貴様らに言われる筋合いはない!」
堂々と啖呵を切る男ををレオンは冷静に馬上から見下ろした。
確かに、その言葉は立派であり、正当な理由があるように思える。だが、レオンと違って拡声の魔法を使うわけでもなければ、貴族の作法に則って名乗るわけでもない。
言ってしまえば、ただ一人で騒いでいるだけだ。
(平民か、こいつ。だとしたら、悪魔と契約したのはクレイア子爵本人だろうな)
態度は立派であるが、その中身には何も伴っていないことをレオンは看破した。やはり、敵はこの男の後ろにいるクレイア子爵本人と、悪魔。
レオンはクレイア子爵がいないかと視線を男から切り上げた。
……それが男の、ザトーの癪に障ったのだろう。
ザトーは怒りで顔を赤く染めると、自分の背後に大声で「来い!」と呼びかけた。
何をする気だ、とレオンが身構えているうちに。クレイア子爵領民の間を縫って、歩いて出てきたのは――グレン、だった。
「なっ……グレン!?」
驚いたレオンに、ザトーは吹っ切れたような醜悪な笑みを向ける。
「見ろ! あの反乱の英雄、隻眼の大魔術師であるグレン・クランストンは我ら側についた! 我らに正義ありと判断したのだ!」
グレンはぼうっとした表情で、ザトーの隣に立っている。明らかに様子が変だ、とレオンにはわかったが……よく見えない後方の人間や、グレンの事を知らない人間からすると、ザトーの言葉は『真実』のように聞こえた。
急速に、クレイア子爵領民達の動揺が収まっていく。むしろ、圧倒的な味方がいるとわかったこと、そして、正義が自分たちにあるとわかったことで、気を取り直していった。
(まずいな)
戦意を取り戻した民間人ほど、厄介な肉壁はない。ザトーの言葉を取り消そうと、レオンは再度口を開いた。
――が。
それより早く、ザトーが何かをグレンに指示する。グレンがこくりと小さく頷いて、ふわりと片手を挙げた。
「っ!」
咄嗟に、レオンは胸元にしまってあった緊急用の魔道具に全力で魔力を籠める。その魔道具は魔力量に比例して、瞬間的ではあるが魔法も物理も通さない強靭な障壁を張る事ができるものだ。
つまり。レオンは、グレンの動作と魔力の流れの些細な変化から、攻撃されると瞬時に判断したのであった。何回か、グレンの魔法を間近で見たレオンだからこそできた判断だっただろう。
その判断の早さが、レオン達を救う。
グレンの頭上に大量の氷の槍が生成され――レオン達目掛けて、高速で射出された。
ぎりぎりで展開が間に合ったレオンの障壁に、その氷の槍が轟音を立てていくつもぶつかる。
「くっ、我が弟ながら、本当に天才すぎるだろっ……!」
魔道具に魔力を供給したまま、レオンは苛立たし気に吐き捨てた。障壁は何とかグレンの魔法を防いでいるが、この魔道具は持続時間がそこまで長くない。
「全員! 撤退! 逃げるぞ!」
レオンの命令に、騎士達は一斉に馬を返して駆けだす。
前情報にない強大な戦力が確認されたのなら、一度撤退して体勢を立て直すべき。レオンはそう判断した。それも、ただの増援などではなく、国最強の大魔術師が敵に回ったとなっては……そう簡単に、クレイア子爵は攻略できない。
何なら、グレンと契約しているドーヴィすら、敵になったのかもしれないのだ。
つぅ、とレオンのこめかみを汗が伝う。急転直下、地方の制圧だけで済む話が国の存亡をかけた戦いに変貌を遂げようとしている。正確には敗色濃厚な戦い、だ。
「冗談じゃないぞ……あっ!」
思わずつぶやいた独り言と同時に、手に持っていた魔道具がぴしり、と音を立てた。それは障壁を発動している魔晶石が限界を迎え、役目を終えた音である。
レオンの背後で、自分たちを守っていた障壁が解けていく。
振り返れば、グレンは両腕を振り上げていた。あれは、ドーヴィすら発動を止めさせるほどの大魔法の前兆。
咄嗟に、レオンは馬を止めて踵を返させた。
「閣下!?」
「行け! 時間を稼ぐ!」
レオンは乱暴にそう言い放った。その指示通りに騎士達が馬を走らせ続ける中、第一部隊の隊長のみが、レオンの側へ馬を寄せる。
それをちらと横目で見るだけ見て、レオンは詠唱に入った。今は言葉を交わす時間すら惜しい、相手は無詠唱なのだから。
「緑の木々よ、逞しき木々よ、雨を凌ぎ風を防ぎ光すら遮るその力、私の支えになって欲しい……プラントウォール!」
詠唱が完了すると同時に、地面から突然、大量の植物が生え始めて見る間にレオンの前に壁を作った。蔦や枝を絡ませ合った木々は、下手な障壁よりもよほど高性能な防御力を誇る。クレイア子爵領が石畳を整備していなかったからこそ、使えた魔法だ。
……通常の魔術師が使う魔法なら。レオンの作ったこの植物の壁の前に、穴を開ける事すらできないだろう。だが相手はグレン。悪魔の力を取り入れた、隻眼の大魔術師。
ほとんどの魔力を植物の壁に使い切ったレオンは、震える手で馬の手綱を握り直して馬を走らせようとする。
しかし。
背後から、みしり、みしり、と不穏な音がする。
振り返るまでも無かった。グレンが放った、高温の火球が水気をたっぷり含んだはずの青い木々ですら焼き尽くす勢いで、レオンの防壁を突破しようとしているのだ。
「くっ、逃げ切れんか……っ!」
宣言通りに、時間稼ぎしかできなかった。そのことを、レオンは内心で自嘲する。それも、ほんのわずかな時間程度しか。
ぎり、と悔しさに奥歯を噛み締め、レオンはなけなしの魔力で再度、防壁を構築しようとする。
二回目の防壁はさきほどより薄くなるだろう。そして、グレンの魔法は間違いなく防壁を燃やし尽くし、レオンすら燃やし尽くすだろう。
(グレンに兄殺しの汚名を着せるのか、俺は……)
あのグレンは間違いなく正気ではなかった。だからと言って、肉親を手に掛けたとあっては……その後の人生も、暗いものになる。
レオンはただ、防壁の向こうにいる弟の行く末を案じた。
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