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32 重たい言葉

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 身軽になったわたしはささっと立ち上がって身だしなみを整えた。髪の毛はもうぐちゃぐちゃだ。髪飾りを取っていると、ジオルドがわたしの肩に上着をかけた。部屋の入り口ではロザンヌが歯を食いしばってこちらを睨んでいる。

「やあ、派手に壊したねえ」

 いつの間に来ていたのか、鷹揚な口調でディアンジェス様が言った。彼の指示で部屋に入ってきた騎士が、わたしを襲おうとした男を縛り上げている。

「ぼっ僕は、ロザンヌ嬢に言われてこの部屋に来ただけだ! ここで待っていれば、貴方に気がある女性がやって来るからと―――」

「あたくしは関係ないわ! そこの女が勝手に男を連れ込んだだけでしょう!」

 二人がわめき散らすのをしばらく聞いていたジオルドは、窓を開いて「シュウ!」と呼んだ。木立ががさごそと揺れ、何かを手に持ったシュウがバルコニーに降りてくる。

「記録は取れたか?」

「はい、ジオルド様。祝宴が始まる前に、この部屋を下見に来たロザンヌ嬢とあの男の様子はしっかり記録しております」

 シュウの手には映像を記録する魔道具が握られている。ロザンヌは急に青ざめ、ジオルドに向かって叫んだ。

「公爵さま、どうしてですの!? あたくしとの婚約、考えておくと言ってくださったじゃありませんか!」

「考えておくと言っただけだ。実行するとは言っていない」

 うわあ、女の敵だわ。
 わたしは少しばかりロザンヌに同情した。ほんの少しだけ。
 ジオルドはロザンヌに憐れむような視線を向け、しかし口調はどこか楽しげに言った。

「本当に残念だよ、ロザンヌ。私の婚約者となる女性に乱暴しようとするなど……。こうなった以上、モルダー伯爵への融資は打ち切らねばならない」

「そんな!」

 ロザンヌがか細い悲鳴を上げる。わたしも思わず「冗談はやめてください」と言いそうになった。王子さまも聞いているのに、婚約者とか簡単に言わないで欲しい。

廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。小太りな中年男性が額に汗をかきながら部屋に入ってくる。彼は騎士に捕まっているロザンヌを見て青くなった。

「こっ、公爵どの、ウチの娘が何かご無礼でも?」

「何があったかはご自分の娘に聞くといい。私たちは失礼する」

 ジオルドはわたしを抱き上げて部屋から歩き出した。暴れている内に脱げた靴と耳飾りはシュウが拾ってくれたらしい。わたし達は親子喧嘩のけたたましい声を聞きながら廊下を歩き、王宮を後にした。


 公爵家の屋敷に戻ったあと、すぐに風呂に入るように言われた。ドアの外から「しっかり丁寧に、隅々まで洗えよ」と声がする。わたしはハイハイと返事をしながら体を洗った。

 ジオルドも入浴したあと、彼はわたしを自分の部屋に招きいれた。いや、招かれたと言うより無理やり連れ込まれたのだけど。
 ひらひらした寝間着に身を包んだわたしの周囲をゆっくりと回りながら、上から下まで舐めるように見ている。

「何もされていないんだろうな?」

「は、はい」

 ジオルドは足を止めて真正面に立った。長い指がわたしの顎をくいっと持ち上げ、顔を上向けるとすぐそこに濃紺の瞳がある。何も見逃すまいとでも言うかのような深い視線だった。

「あの男はお前のどこに触れた?」

「あ、足首と、腕に……」

 ジオルドはわたしの足首と腕を撫でるように手で触った。まるで洗っているみたいに。

「あとは? これで終わりか?」

 がっしりした背の高い男が、ほとんど真上からわたしを見下ろしている。圧倒されてしまい、反射的に口を動かした。

「み、右の胸を少しだけ……」

 大きな手がわたしの右胸をむぎゅっとわし掴みする。口から「ひゃっ」と変な声が漏れ、手が勝手に動いた。空を切った右手がジオルドの頬に当たり、パン、と乾いた音が響く。

「あっ、すみません!」

 よく考えれば謝る必要なんて無いのだが、この時のわたしは冷静な判断が出来なくなっていた。
 ジオルドは横を向いたまま「ってぇ……」と呟き、ゆっくりと顔を戻した。何故なのか笑っている。あまりの恐怖にわたしは絶句していた。

「そうそう。変な男に絡まれたら、そうやって撃退するんだぞ」

 微笑んだままジオルドが言う。怖すぎる。

「ど、どうしちゃったんですか?」

「何が?」

「何がって……。今年の春ぐらいから、あなたちょっとおかしいですよ。態度が変わりすぎと言うか。今だって、ビンタされたのに笑ってるし」

 ジオルドは低い声でくくくと笑い、肩を震わせている。不気味だ。

「俺はな、お前が倒れた日に悟ったんだ。俺のプライドも父親への憎しみも、お前を失うことに比べたら些末なことだと……。お前には本当に感謝している」

「か、感謝?」

「ああ。お前は俺にとって、生きる意味そのものだ。ノア」

 長い腕がわたしを優しく抱きしめてくる。硬い胸板からジオルドの鼓動が伝わり、その音を聞きながらわたしは少し混乱していた。

 バレン様が医師になる流れはもう変えようがない。だからわたしの仕事は終わったはずだ。もう自由になっていいはずだ。
なのに、ジオルドは何を考えてわたしに「生きる意味そのもの」なんて言うんだろう。

 ずっと俺のために生きろということ? わたしを自由にする気はないの?
 あなたがわたしに執着するのはどうしてなのよ。

 その夜は猫にして貰えなかった。ジオルドの腕に抱え込まれ、よく眠れないまま朝を迎えた。
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