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第一章:聖女から冒険者へ
58.不安事
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私達が森から出ると、来た時に見た紫の霧は綺麗に消えていて嫌な感覚もなくなっていた。
あっさり終わりすぎて拍子抜けしてしまったけど、災厄の前兆ではなかったのだと分かると私は心底安堵していた。
(今回の騒動は、あの黒竜が原因だったのかな)
あの時は動揺していて深く考えることをしなかったが、落ち着いてくると不自然に思う点が気になり始めていく。
一番気になっているのは、イザナが逃げるようにあの場から立ち去ったことだ。
今も私の手首を掴む掌には強い力が込められていて、切迫感を与えられているような気分だった。
「イザナ、もう森から離れたよ」
私が戸惑ったように声をかけると、急に彼の足が止まった。
それでも私の手首は握られたまま、離そうとはしない。
「何の説明もせずに、ここまで引っ張ってきてごめん」
彼がこちらを振り返ってきたので視線を向けると、その表情にはまだ険しさが残っていた。
私は不安そうな顔で「イザナ?」と問いかけてみる。
「あの場にいた者の一人はダクネス法国の元帥である、ディートハルト・ヨハン・ヘンネフェルトで間違いないだろう」
「え? げん、すい……?」
聞き慣れない単語と、長ったらしい名前に私は首を傾げた。
「ダクネス法国を率いている人間のことだよ。頂点に立つ者、と言った方がルナには伝わりやすいかな」
「そんなにすごい人がどうしてあんな場所に……? 今回の騒ぎを聞きつけて急いで駆けつけたのかな?」
近隣の森で突然、魔物が大量発生した。
放置すればダクネス法国が治める地に押し寄せることだってあるだろう。
しかし、そうだとしてもわざわざ頂点に立つ人間が自ら動くだろうか。
しかもたった五人という少人数で。
「その可能性もないとは言えないけど、恐らくあの黒竜は元帥が自ら呼び寄せたものではないかと私は思っている。あの程度の魔物を呼び出すのは、彼にとっては容易いことだろうからね」
「やっぱりあの魔方陣って召喚術だったんだ」
元帥と呼ばれた人間は魔物の中でも最強種と呼ばれる竜を、いとも簡単に呼び出した。
その事実に私はかなり戸惑っていた。
(それって、かなり危険なことだよね)
私にとってダクネス法国は脅威として捉えているからだ。
あのレベルの魔物が、もし森ではなく街の外に放たれたら。
小さな村は簡単に消し去られ、大きな都市であっても壊滅的な被害を受けることになるだろう。
「ルナも気付いていていたんだな。彼があの場にいたことを考えれば、光を放った人間が何者かも大体想像が付く。恐らくはダクネス法国が呼んだ聖女なのだろう」
「え?」
聖女という言葉を聞いて、私は表情を強ばらせた。
昨日イザナからそういった噂があることを聞いていたけど、本当だとは思っていなかった。
「でもっ、あれって本当に聖女の力なのかな。たしかにすごい光が出ていたけど、なんか違うような気がする」
私は数年前まで聖女として聖魔法を扱っていたから、波動のようなものの感覚はなんとなく覚えている。
あんなに目の前で見ていたのに何も感じなかったのは、やはり私の聖女としての力が完全に消えてしまったからなのだろうか。
「これはあくまでも私の仮説に過ぎないからね。ルナが違うと思うのならば、そうなのかもしれないな。急いであの場から離れたのは、ルナをあの男には会わせたくなかったからだよ」
「そうだったんだ。イザナ、ありがとう」
きな臭い噂が流れる国の人間とは、私だって関わりたくはない。
しかもそれを率いる人間というのなら尚更だ。
「帰ろうか。森のほうは落ち着いているようだから、きっと大丈夫だろう」
「うんっ! 帰ろう」
私が笑顔で答えると、イザナは「戻ったらデートの続きをしようか」と言ってきたので恥ずかしそうに頷いた。
ジースに戻った後、ギルドに立ち寄り一連の出来事を伝えた。
あの開けた場で見たことを、イザナは伝えなかった。
そうしなかったのは、私のためなのかもしれない。
あの場に私達は存在しなかったし、何も見ていない。
そう思わせることで、特にダクネス法国側からの注意を逸らす目的なのだろう。
私が聖女であることも、この地に来ていることも既に知られている。
それなのにソフィアを除いて、接触してこない。
ということは、相手側もこちらの動向を探っている可能性が高い。
だったら、今は波風を立てないように大人しくしているのが無難なはずだ。
イザナもそんな風に考えて、こういった対応をとったのではないかと感じていた。
***
「……ん」
意識がゆっくりと降りてくると、私はベッドの上に横たわっていた。
あの後、イザナと二人でジースの街を歩き回り、中断されてしまったデートを楽しんだ。
今日は突然の出来事のせいで森の中を走り回り魔力も沢山消費したことで、どうやら私は疲れて眠ってしまったようだ。
(私、あのまま寝ちゃったんだ。ちょっと横になるだけだったのにな……)
周囲は薄暗く、窓のほうに視線を向けるとカーテンがしっかりと閉じられている。
しかし、室内の中央にはぼんやりとした蝋燭の明かりが灯っている。
耳を澄ましていると、誰かの話し声が薄らと聞こえてきた。
(イザナと、ゼロ……かな? ゼロ戻ってきたんだ)
一度は体を起こそうと思ったが、布団の重さが心地よくて、それに体の怠さが相まって、もう少しこうしていることにした。
「ルナは否定していたけど、恐らくあの場にいたのはダクネス法国が呼び出した聖女だろう」
「まじか……。だけど、あの男が傍にいたって言うのなら、ほぼ確定だな。召喚された黒竜は聖女の能力を見極めるためのテストっていったところか」
二人の表情を見ることは出来ないが、その声質からは重々しい雰囲気を感じとることが出来た。
(あの時の話……?)
「恐らくは。直ぐにルナを連れてその場を離れたから、私達の存在は気付かれてはいないとは思うが、早めにこの地を離れたほうがいいかもしれないな」
「ああ、同感だ。あの国に聖女の前歴を持つ、ルナを近づかせるのは危険すぎる。明日にでも出発出来るように、今から準備をしてくる。イザナもそれでいいよな?」
「ああ、そうしてくれると助かる。ルナには起きてから説明しておくよ」
ゼロは「よろしくな」と言って、部屋から出て行ったようだ。
私はベッドの中で、一人戸惑っていた。
(そんなに危険な状況なの……? どうしよう、すごく怖い。絶対に捕まりたくないっ!)
私は強くそう思うと、掌に掴んだシーツをぎゅっと握りしめた。
あっさり終わりすぎて拍子抜けしてしまったけど、災厄の前兆ではなかったのだと分かると私は心底安堵していた。
(今回の騒動は、あの黒竜が原因だったのかな)
あの時は動揺していて深く考えることをしなかったが、落ち着いてくると不自然に思う点が気になり始めていく。
一番気になっているのは、イザナが逃げるようにあの場から立ち去ったことだ。
今も私の手首を掴む掌には強い力が込められていて、切迫感を与えられているような気分だった。
「イザナ、もう森から離れたよ」
私が戸惑ったように声をかけると、急に彼の足が止まった。
それでも私の手首は握られたまま、離そうとはしない。
「何の説明もせずに、ここまで引っ張ってきてごめん」
彼がこちらを振り返ってきたので視線を向けると、その表情にはまだ険しさが残っていた。
私は不安そうな顔で「イザナ?」と問いかけてみる。
「あの場にいた者の一人はダクネス法国の元帥である、ディートハルト・ヨハン・ヘンネフェルトで間違いないだろう」
「え? げん、すい……?」
聞き慣れない単語と、長ったらしい名前に私は首を傾げた。
「ダクネス法国を率いている人間のことだよ。頂点に立つ者、と言った方がルナには伝わりやすいかな」
「そんなにすごい人がどうしてあんな場所に……? 今回の騒ぎを聞きつけて急いで駆けつけたのかな?」
近隣の森で突然、魔物が大量発生した。
放置すればダクネス法国が治める地に押し寄せることだってあるだろう。
しかし、そうだとしてもわざわざ頂点に立つ人間が自ら動くだろうか。
しかもたった五人という少人数で。
「その可能性もないとは言えないけど、恐らくあの黒竜は元帥が自ら呼び寄せたものではないかと私は思っている。あの程度の魔物を呼び出すのは、彼にとっては容易いことだろうからね」
「やっぱりあの魔方陣って召喚術だったんだ」
元帥と呼ばれた人間は魔物の中でも最強種と呼ばれる竜を、いとも簡単に呼び出した。
その事実に私はかなり戸惑っていた。
(それって、かなり危険なことだよね)
私にとってダクネス法国は脅威として捉えているからだ。
あのレベルの魔物が、もし森ではなく街の外に放たれたら。
小さな村は簡単に消し去られ、大きな都市であっても壊滅的な被害を受けることになるだろう。
「ルナも気付いていていたんだな。彼があの場にいたことを考えれば、光を放った人間が何者かも大体想像が付く。恐らくはダクネス法国が呼んだ聖女なのだろう」
「え?」
聖女という言葉を聞いて、私は表情を強ばらせた。
昨日イザナからそういった噂があることを聞いていたけど、本当だとは思っていなかった。
「でもっ、あれって本当に聖女の力なのかな。たしかにすごい光が出ていたけど、なんか違うような気がする」
私は数年前まで聖女として聖魔法を扱っていたから、波動のようなものの感覚はなんとなく覚えている。
あんなに目の前で見ていたのに何も感じなかったのは、やはり私の聖女としての力が完全に消えてしまったからなのだろうか。
「これはあくまでも私の仮説に過ぎないからね。ルナが違うと思うのならば、そうなのかもしれないな。急いであの場から離れたのは、ルナをあの男には会わせたくなかったからだよ」
「そうだったんだ。イザナ、ありがとう」
きな臭い噂が流れる国の人間とは、私だって関わりたくはない。
しかもそれを率いる人間というのなら尚更だ。
「帰ろうか。森のほうは落ち着いているようだから、きっと大丈夫だろう」
「うんっ! 帰ろう」
私が笑顔で答えると、イザナは「戻ったらデートの続きをしようか」と言ってきたので恥ずかしそうに頷いた。
ジースに戻った後、ギルドに立ち寄り一連の出来事を伝えた。
あの開けた場で見たことを、イザナは伝えなかった。
そうしなかったのは、私のためなのかもしれない。
あの場に私達は存在しなかったし、何も見ていない。
そう思わせることで、特にダクネス法国側からの注意を逸らす目的なのだろう。
私が聖女であることも、この地に来ていることも既に知られている。
それなのにソフィアを除いて、接触してこない。
ということは、相手側もこちらの動向を探っている可能性が高い。
だったら、今は波風を立てないように大人しくしているのが無難なはずだ。
イザナもそんな風に考えて、こういった対応をとったのではないかと感じていた。
***
「……ん」
意識がゆっくりと降りてくると、私はベッドの上に横たわっていた。
あの後、イザナと二人でジースの街を歩き回り、中断されてしまったデートを楽しんだ。
今日は突然の出来事のせいで森の中を走り回り魔力も沢山消費したことで、どうやら私は疲れて眠ってしまったようだ。
(私、あのまま寝ちゃったんだ。ちょっと横になるだけだったのにな……)
周囲は薄暗く、窓のほうに視線を向けるとカーテンがしっかりと閉じられている。
しかし、室内の中央にはぼんやりとした蝋燭の明かりが灯っている。
耳を澄ましていると、誰かの話し声が薄らと聞こえてきた。
(イザナと、ゼロ……かな? ゼロ戻ってきたんだ)
一度は体を起こそうと思ったが、布団の重さが心地よくて、それに体の怠さが相まって、もう少しこうしていることにした。
「ルナは否定していたけど、恐らくあの場にいたのはダクネス法国が呼び出した聖女だろう」
「まじか……。だけど、あの男が傍にいたって言うのなら、ほぼ確定だな。召喚された黒竜は聖女の能力を見極めるためのテストっていったところか」
二人の表情を見ることは出来ないが、その声質からは重々しい雰囲気を感じとることが出来た。
(あの時の話……?)
「恐らくは。直ぐにルナを連れてその場を離れたから、私達の存在は気付かれてはいないとは思うが、早めにこの地を離れたほうがいいかもしれないな」
「ああ、同感だ。あの国に聖女の前歴を持つ、ルナを近づかせるのは危険すぎる。明日にでも出発出来るように、今から準備をしてくる。イザナもそれでいいよな?」
「ああ、そうしてくれると助かる。ルナには起きてから説明しておくよ」
ゼロは「よろしくな」と言って、部屋から出て行ったようだ。
私はベッドの中で、一人戸惑っていた。
(そんなに危険な状況なの……? どうしよう、すごく怖い。絶対に捕まりたくないっ!)
私は強くそう思うと、掌に掴んだシーツをぎゅっと握りしめた。
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