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3章 動きはじめた運命

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 和真は、前方に見える巨大な船を指さした。

「あれがゴダルドの船だ。いかにもな派手な船だと思わないか」

 この日、和真は当矢を連れだって港を訪れた。

 嗅ぎ慣れた潮の香りと港で働く男たちの少々むさ苦しい汗の匂いとが交じり合って、なんとも野性味に溢れた空気にあふれている。観光地のように整備された海岸沿いとは違い、商業地としてのこの港は決して美しくもなければ気持ち良くのんびり過ごせるような場所でもない。

 けれど和真は、港のこの雰囲気が好きだった。普段は心の中に眠っている野心だとか冒険心のようなものをくすぐるのだ。

「随分と派手な船ですね。それに停泊している船の中でも一二を争う大きさですし」

 この港には、この国と取引の許された諸外国の大小様々な船が出入りしているが、中でも今回の商談相手であるゴダルドの船はとりわけ目を引く。
 他を圧倒する大きな船体は、それ自体がまるで美術品とでもいうように、美しく華美に彩色されており遠目からでもすぐにゴダルドのものと分かる。

「なんというか、威圧感を感じますね。それも商売のひとつの武器なんでしょうが」

 和真は口の端ににやりと笑みを浮かべた。

「その通り。曲者揃いだよ。ゴダルドだけじゃなく、周りを固めている連中全員な。ところでお前、矢波家の当主を知っているか?」

 当矢が首を振った。

「この国で一二を争う、美術収集家だよ。豊かな財力と目利きの力でありとあらゆる逸品を世界中から買い求めては、この国の金持ち連中の収集欲を牽引している」

 矢波家は、代々美術品に以上とも言えるほど美術品、とりわけ立体造形物に執着していると聞く。そしてその矢波家当主が、セルゲンの作品をどうしても手に入れたいと熱望しているという情報を和真は手に入れていた。

 もし遠山家が成功したと分かれば、間違いなく法外な金を積んででも欲しがるに違いなかった。

「だが矢波家というのは気位の高い貴族家だからね。うちのような歴史の浅い商家との取引にいい顔はしないはずだ。そこで雪園家の名が役に立つというわけだ」
「雪園家が仲介に立つということですか?」

 当矢の問いに、和真は何を言っているんだという顔で一瞥した。

「お前が間に立つんだよ。雪園家と遠山家をつなぐ人間としてね。どうだ? いい仕事だとは思わないか? お前の父親だってさすがにこれなら認めるだろう。雪園家にとっても大きな利になる上、名も挙がる」

 当矢の口があんぐりと開いた。

 いくら元はただの使用人だったとしてもその手腕を買われて、雪園家と矢波家の間に立って高額な美術品の取引をするとなれば、美琴の伴侶としても十分だろう。それに、和真にしてみれば当矢の性格と能力を考えればこれ以上の適任はいないように思われた。

「頼んだぞ。期待している」
「は……はい。もちろん命に代えても! ところで、もう一つ私をこの商談に使う理由があると言っていましたけど、それは……」

 当矢が言い終わらないうちに、二人の横をふわりと香水の香りが通り過ぎた。
 潮風と混ざり合ったその魅惑的な香りに当矢は振り返り、そして息をのんだのだった。





「和真っ!! 会いたかったわ!」

 風に運ばれたその強い香りに、少々むせ返りそうになる。

「和真! 最近ちっとも港へこないんだもの。寂しかったのよ? 一体どうしてたの?」

 突然現れた一人の少女に、当矢は驚いて目を見開いたまま固まっていた。

 けれど和真は分かっていた。
 きっとこの少女が自分に会いにくるだろうことが。

 それこそが今日当矢とともに港を訪れた目的だったのだから。


 豊かに波打つ薄茶色の髪を背中に垂らし、上質で趣味のいいドレスに身を包んだこの少女こそ、この商談を難しいものにしているもう一つの理由だった。言葉こそこの国のものだが、独特なイントネーションの違いからもその外見からも他国の少女と分かる。
 その力強い生気にあふれた輝くような姿は遠くからでもぱっと人目を引く。顔の造作や身にまとう雰囲気を含めて、美少女といっていいだろう。

 おそらくはこの少女の正体に、当矢も気づいた頃だろう。

 少女は、ドレスから伸びた細い腕を和真の体にしなやかに巻き付け、満面の笑みを浮かべた顔を和真に近づけた。

「あなたも、私に会いたかったでしょう?ふふっ」

 相も変わらない全身を使った熱烈な歓迎ぶりに、和真はにっこりと仕事用の笑みを貼り付けた。

「お久しぶりですね、エレーヌ嬢。今日はいつにも増してにぎやかな歓待ぶりで。お変わりないようで安心しました。お父上もお変わりありませんか?」

 他国では、体の接触を伴う挨拶や歓迎は珍しくはない。けれどそれは、ごく親しい間柄、とたとえば家族だとか恋人などに向けられるものであって、いわゆる顔見知りや仕事相手にそのような過剰な接触をすることはさすがにない。
 が、このエレーヌの毎度の挨拶は明らかに顔見知りとか仕事相手といった範疇を超えていた。

 当矢の眉根に皴が寄っているのを見て、思わず小さく吹き出しそうになるのをなんとかこらえる。堅物の当矢がそんな表情をするのも無理はない。

 当矢の困惑をよそに、少女は鈴のような軽やかな笑い声を立てた。

「ふふっ。もちろん相変わらず元気だわ。私、あなたが会いにきてくれるのをずっと待ってたのよ? どうせまだ狙っているのでしょう? セルゲンの作品。新作が出たばかりだもの。当然喉から手が出るほど欲しいのではなくて?」

 その問いに、和真はそれが答えでもあるというように口の端に笑みを浮かべた。

 その顔を満足そうに見やり、少女はくるりと振り返る。

「ところで、あなたはどなた?」

 振り返った少女の猫のように大きくぱっちりとした、けれどどこか射すくめるような強い目に、当矢の喉元がごくりと動いたのがわかった。


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